ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第65話

翌週 東京 霞が関 内閣府

 

徳島のD財閥へ視察に赴いた内閣府局長の報告書を、谷山官房長官は無言で読み進めていた。室内に響くのは、紙をめくる微かな音だけだ。

 

「なるほど。売るには売るが、その説明書(マニュアル)通りに国家を動かせば、甚大な被害(血)が出る。か」

 

「しかし長官、そこから先の『収穫』は極めて大きいと言わざるを得ません」

 

提出された今回の報告書は、贅肉を限界まで削ぎ落とした、箇条書きによるA4用紙わずか1枚。霞が関の慣例である重厚な表紙も、仰々しい前置きも一切存在しない。

局長は、この極限のフォーマットによって谷山や他の局長たちを試していた。

彼らが今日までに、連合流のMX――すなわち「ノイズを排した純粋なPDCAサイクル」の思想にどこまで到達できているかを。

 

この1枚を読んで、上の人間の誰かが感情による『赤ペン修正』を入れたり、「なんだこの不躾な記述は! 曖昧な前提でこれ以上承認できるわけないだろ」と言い出してプロセスをストップさせるのは最悪だ。

『効率化』を謳いながら、いざ自分の都合の悪い真実や、上層部への報告に不都合な点が表れると、途端に却下や修正を要求する。それはMXの前身である「連合レベルのPDCA」ではない。ただの既存の「教科書レベルのPDCA」という名の、無意味な自己満足のループだ。

 

(さて、長官やここにいる他の局長たちは、あの怪物の思想を本当にくみ取ってくれるだろうか?)

 

「ふむ……」谷山は眼鏡の位置を直し、A4の紙面を見つめた。「ちょっと、記述の論理が飛び過ぎていませんかね」

 

ダメだったか――局長の脳裏に、わずかな失望の影がよぎる。

 

「やりたいことが、単なる提出書類の『簡素フォーマット化』なんてレベルではないことは分かります」谷山は続けた。「しかし、末端の若い官僚全員が、この紙面からそこまでの思想的背景を読み取るには……まだ経験の絶対量が足りないでしょう」

 

「そこを『マニュアルによる補正』で解決する、というのが彼らのアプローチなのでしょう」

 

経済産業省の局長が横から口を挟んだ。意味は通じている。だが、他の局僚たちが危惧するように、新人官僚に至るまでこの紙1枚に濃縮された「感情を排除し、数値で回す」という思想の深淵を即座に察せられるかといえば、それは大いに怪しかった。

その時、局長の頭の中に電流のような閃きが走った。

 

「――待ってください。今、長官が仰られた『新人を含めた全官僚に意思を通す』という点。ここです。教科書にあるような『6割通じれば御の字』などという生ぬるい水準ではなく、寸分の狂いもなく『10割通す』。……連中なら、間違いなくそう考えます」

 

「どうしたのかね、急に」谷山が眉をひそめる。

 

「『経験年数』です。経験年数の違いによって、この1枚にわざと仕込まれたフォーマット破りの意図を、汲めるかどうかが変わってしまう……という部分に、決定的な違和感を覚えたのです」

 

局長の頭の中で、かつてデジタル庁が口にした「組織をAIに適した形に変革する」という言葉と、今直面している「経験年数による認知感度の差」という課題が、まるで連星運動のように繋がりそうで繋がらない。

10割、全職員にマニュアルの意図を通す。いや、意図などという曖昧なものではない。純粋な「指示」だ。現場作業の割合が圧倒的に多い24社連合の加盟企業であれば、なおさら指示の再現性を重視するはずだ。

しかし、人間の裁量をそこまで奪えば、いずれその指示を出す条件そのものを知る人間が居なくなり、結局は他社同様に「暗黙知」へと吸い寄せられて破綻する。あの連合が、そんな致命的な欠陥を放置するだろうか?

 

となると、導き出される答えは一つしかない。

 

「……マニュアル自体を、階層分け(ローカライズ)している……?」

 

「どういうことだ?」

 

「局長、我が省でも実務に導入しているマニュアル生成AIですが、アクセスする職員の『階級』によって、検索結果や記述の詳細度が自動で変わる仕様になっていますよね?」

 

「ええ、それはセキュリティの標準設計としてそうなっていますが」

 

「では、職員の『経験年数』や『過去のエラー発生率』といった動的なステータスによって、出力されるマニュアルの記述の具体性がリアルタイムに変形するシステムは?」

 

「それは……」経産局長は絶句した。「確認しますが、おそらく今の霞が関では、そこまで動的な個人管理は行っていないかと」

 

室内が凍りついたような静寂に包まれた。

ここに集まった長官クラスや、これまで何年も連合の不気味なレポートと戦わされてきた幹部官僚たちは、直感的に理解してしまったのだ。

『24社連合という怪物は、すでに、もう何年も前からその領域(個別最適化されたマニュアル)に達していた』という可能性に。

 

今度は、別の対をなす局長が立ち上がった。こちらは国家のもう一つの極――河内財閥と紙村財閥の二大財閥に対して、直接MXの交渉に行っていたグループの責任者だ。

 

「こちら側の報告ですが……二大財閥も同じく、政府へのMX導入や指導の要請を請け負う準備はある、と回答しています。ただし、その『対価』については未だ提示してきていません」

 

「あちらの構造は複雑ですからね」

谷山官房長官が皮肉を込めて笑う。

「河内財閥が初期の『合理化の概念』をキャッチして6割の出来のたたき台を作り、それを紙村財閥が自社の大規模な重工業現場向けに、莫大な金をかけて超高精度にブラッシュアップした。国家へ売るとなった時、どちらがどれだけの利権(ライセンス)を主張するかで、身内同士の揉め事が発生しているのでしょう」

 

「それもあるのですが」

報告を続ける局長は、手元の資料をめくった。

「彼らが最も懸念しているのは、このシステムが省庁で普及した後の展開です。当然、政府お墨付きのシステムとして、国内あるいは海外の他のあらゆる大企業や下請けに波及していく。彼らは言っています。『我がグループが血肉を削って構築した特許級の経営OSを、一過性のコンサルティング報酬程度で国に売れというのか』と」

 

谷山の眼光が鋭くなる。

「ということは……彼らは政府に対して、『秘密特許』の指定を要求してくる可能性があるということか?」

 

秘密特許。

軍事技術や次世代半導体など、国家安全保障に関わる領域において適用される法的盾だ。国際的に特許として知見が公開(バラまき)されるのを防ぎつつ、かと言って営業機密として隠し持った結果、他社にリバースエンジニアリングされて「ノーリスクで模倣される」という開発企業の不利益を防ぐための超法規的制度。

これがなければ、莫大な投資をしてコア技術を開発する企業のインセンティブは消滅してしまう。だが、あくまでこの制度が適用されるのは「具体的な製品」や「プログラムのソースコード」だ。

企業の、それも「経営システムそのもの」に適用していいものなのか。

 

「これは物理的な発明ではありません。単なる商材でもない。社会の『制度』そのものです」

法務官僚が慎重な面持ちで口を開く。

 

「つまり、制度の利益を守るための『新たな制度』を、国に要求しているわけか。……例えば『カイゼン』を導入したらその都度利用料を、あるいは『サブスクリプション』というビジネスモデルを社会で運用したらその基本利用料を、国家が法律によって半永久的に保証しろ、と言っているに等しいな」

 

その時、これまで黙って議論を聴いていた財務省の局長が、初めて静かに口を開いた。

 

「長官。もし彼らが今になって、国に対してそのような『独占的利権を守る制度』を求めてきているのだとすれば……我が国がこれ以上、二大財閥にMXを請う必要性は、それほど高くないかもしれません」

 

「どういうことかね?」

谷山が視線を向ける。

 

「もし彼らの財閥流MXが、今も自発的に進化を続けている本物のシステムであるならば、彼らはそんな内向きの防衛制度など要求しません。その圧倒的な効率性をもって、監査料やシステム改修費という名目で、世界中の市場を相手に堂々とビジネスを展開すればいいだけの話です。彼らが国に求めてくるのが、『外交面での規格争いのバックアップ』ではなく、『国内で自分たちのシステムが食い逃げされないための法整備』だとするならば――それはつまり、本人たちが『財閥流MXの進化が、頭打ちになるかもしれないと見ている』という仮説にならないでしょうか」

 

室内に、納得の混じった微かなざわめきが広がった。財務局長は確信を込めて言葉を紡ぐ。

 

「実際、我が方の内偵調査によると、両財閥のMXは、連合から引き抜いた転職者や脱退企業からの泥臭いヒアリングによって組み立てられたものです。つまり、彼らは『真似事である程度の形』を作ることはできたが、その先にある、連合のような“自律的に進化するアルゴリズム”の核心をどうしても再現できず、焦り始めている。だからこそ、今のうちに国を巻き込んで、自らの模倣品の価値を法的に固定化(聖域化)しようとしているのではないか、と」

 

「なるほど……」

谷山は深く椅子に背を預け、天井を見上げた。

「まだ断定はできないが、法と制度を根本からひっくり返してまで、二大財閥と取引する価値が本当にあるのかどうか。そこは極めて慎重に見極める必要があるな。……分かった。この『財閥限界説』の仮説も、次の閣僚会議のシナリオに含めておこう」

 

官房長官の冷徹な決断が下された瞬間、部屋の隅に控えていた書記官のペンが、猛スピードで紙の上を走り出した。国家という巨大なチェス盤の上で、24社連合という「本物の怪物」と、それを模倣しようともがく「旧時代の覇者」たちの命運が、ペン一本によって冷酷に綴られていく。

 

同日 東京 霞が関 バグ・ハンター会議

 

「連合の次なる手はこれか……」

 

会議室のスクリーンに映し出された資料を前に、一人の官僚が苦渋に満ちた声を漏らした。

画面にあるのは、24社連合が買収した「月影証券」と、連合直系の「L不動産」が新たに打ち出した業務提携のスキーム図だ。

 

かつて連合が月影証券を買収した際、対面店舗は仙台市内とその周辺で変わらず営業を続けていたものの、目立った動きはなく鳴りを潜めていた。裏ではMX(マニュアル・トランスフォーメーション)による徹底的な業務効率化が進められていたのだろうが、店舗の閑散とした様子は以前と変わり映えがしなかった。

一方で、その裏で静かにシェアを広げていたのがネット証券部門だ。

 

他社が追随できない速度で実装された、基本インジケーターを条件にした自動成約条件。ライバルたちが大慌てでシステム対応に追われている間に月影証券は大躍進を遂げたが、市場が追いついてからは均衡の状態が続いていた。完全に先行者利益を食い尽くした形だ。

現在では、事前に金融庁からのリークによってこの動きを察知していた「河内スマート証券」が圧倒的な先陣を切り、そこに大手他社がこぞって雪崩れ込んでいる。市場の関心はすでにそちらへ移っていた。

 

それが、つい数日前までの均衡して保たれていた戦況だった。

だが、ここで動きが出たのだった。月影証券がL不動産と結託し、ある奇妙な入居特権のシステムを立ち上げたのだ。

 

――『デモトレード、もしくは証券口座で一定以上の運用成績を証明できた者は、L不動産が管理する物件への「優先入居」を認める』

 

個人トレーダーという人種は、そのどれほど稼いでいようとも、収入の不安定さゆえに通常の賃貸審査では容赦なく落とされるのが常だ。一応、業界の規定として「安定した年収がない場合は、資産が家賃の36倍以上あること」といった形骸化した基準はあるが、実際には相当なキャッシュを持っていなければ、保証会社の審査ではじかれるケースが大半を占める。

 

しかし、L不動産の独自審査は全く異なっていた。3年から5年というスパンの利益の「ブレ」を許容し、彼らの提唱する計算式で「稼ぐ能力」があると判断されれば、自社経営のアパートへの入居を即座に許可するというものだ。

 

当然、用意されている物件は一等地ではない。地方の過疎地にある古い物件や、地方の不動産屋が空き部屋を埋めるために赤字覚悟の安値で手放した住宅を、L不動産が二束三文で購入し、そこへトレーダーたちを囲い込むのだ。

 

「本来は月影証券の口座成績のみが審査対象のはずだが、『移行措置として3年間は下記ライバル他社の運用成績も対象とする』、か」

 

「温情……であるはずがありませんね」

 

「ああ。普通の信用審査が安全を気にするあまり、他社が『リスクあり』として切り捨てた人材の中から、一定以上の生存能力を示す野生のトレーダーを根こそぎ拾い集める気だ」

 

「まさか、ここで投資人材を集めて、アパート1棟丸ごと『人的資源ファンド』化したりしないでしょうね?」

 

「やりかねん。というか、それこそが彼らの最大の目的ではないか? 例えば平均年200万円を相場で稼げるトレーダーがいたとする。何らかの理由で実家に帰れず、かといって普通の賃貸契約はこの成績ではほぼ確実に落ちる。路頭に迷う一歩手前で、月影とL不動産が住処を与えるんだ。家賃滞納を起こさず、バイトなどで最低限の食い扶持を繋ぎながら相場に張り付き続ければ、年300万、400万、下手すると翌年には年600万、1000万へとジャンプするポテンシャルがある」

 

「成長の芽を自ら摘み取っていた、既存の不動産業界と信用保証業界の『傲慢』と『非効率』に付け入られた、ということですか……」

 

別の官僚が、システムの裏側にある冷徹な計算を指摘する。

 

「おそらく、連合は目先の家賃収入など端から計算に入れていませんよ。ファンド化したアパートに10人の入居者がいて、そのうち3人が大負けしてマイナス100万円になろうとも、残りの1人が1000万円のプラスを叩き出し、他がプラス50万前後であれば、アパート1棟のコミュニティ全体としては大幅な黒字になる。彼らはそういう『ポートフォリオ』として人間を管理するつもりだ」

 

「そして、月影や連合が『とびきりの逸材』と認めたトップトレーダーは、最終的に連合が裏で抱える本物の巨大ファンドへと招待される、と」

 

バグ・ハンターの一人である大川は、ノートPCの画面を見つめたまま、心の中で戦慄していた。

(これが……もし他のフリーランスの領域まで波及したらどうなる?)

 

今は数字として最も成果が可視化されやすい「トレーダー」が実験台にされているに過ぎない。だが、このシステムが動画配信者、イラストレーター、Webクリエイター、あるいはフリーランスのプログラマーへと拡大していったらどうなるだろうか。

それらは、感情を持たないマニュアルの集積である「MX」が、最も苦手とするはずの『無から有を生み出す創造的な事業』であり『規格外の人材』だ。

連合は、自分たちが作れない「天才」を、既存の社会システムが排斥したゴミ箱の中から効率的にフィルタリングして吸い上げる構造を構築してしまった。

そしてやはり、これを現行法で差し止めるべき法的根拠は、どこを探してもゼロだった。

 

「奴ら……徹底したマニュアルの運用によって、マニュアルの外側にあるはずの『クリエイティブの地雷原』まで突破しようとしている……」

 

大川の呟きは、換気扇の回る狭い会議室の空気に、重く沈み込んでいった。

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