ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第69話

2042年 1月 東京 霞が関 法務省

 

新年早々のあいさつ回りが一段落し、正月の静寂がようやく明けたばかりの霞が関に、またしても「連合案件」の激震が容赦なくブチ開けられた。

 

「刑務所のすぐ目の前に、J社のオフィスができていた、だと……」

 

報告書を握りしめた法務省矯正局長の声が震えていた。

設置されたのは、府中、名古屋、大阪、福岡など、日本国内の主要な刑務所8箇所の周囲300メートル以内。出所手続きを終え、重い鉄の門をくぐり抜けた元受刑者たちは、迎えに来た保護司を素通りし、口をそろえて「J社のオフィスはどこですか?」と通行人に尋ねるという。

 

彼らはハローワークなど目もくれない。社会の底辺扱いを前提とした、憐れみと低待遇で接してくる既存の更生支援企業や官公庁に対し、連合の人材派遣会社「J社」のアプローチは徹底してドライだ。厳しい審査こそあるが、ひとたび「マニュアルを遵守する意思と能力」を認められれば、一般のサラリーマンと全く同じ待遇で社会に迎え入れてくれる。

もはや、国家のセーフティネットと連合のシステムのどちらが真の救済なのか、現場の刑務官にすら分からなくなっていた。

 

さらに恐ろしいのは、その先にある連合内のキャリアアップ構造だ。

単なる現場作業のJ社からスタートしても、個人の卓越した「犯罪スキル」がマニュアルの枠内に収まるなら、連合はそれを極上の戦力として再定義する。

サイバー犯罪の元服役囚ならKソフトウェアのセキュリティ開発へ。元泥棒や産業スパイなら、連合企業の物理セキュリティ部門の「脆弱性診断員」へ。トラックやバスの運転経験があるなら、即座にJ社の運送部門へ。横領の元経理だろうがインサイダー取引の元ディーラーだろうが、マニュアルと法律さえ死守するなら、連合はその才能を躊躇なく使いこなす。そして、彼らが「使えてしまう環境(システム)」を完全に整えていた。

ハローワークや政府は、ただそれを見ていぶかしむことしかできない。これは旧態依然とした財閥にいくら依頼したところで、逆立ちしても真似できない領域だった。扱う人材そのものが、彼らにとっては水と油だからだ。

 

「……すでに、現場で管理職にまで登り詰めた前科者が複数確認されています。彼らがスーツを着て刑務所にやってきて、『今、うちの部署で使えそうな奴は収容されていますか?』と直接面会に来るんです。数年前まで、そこの牢屋に入れられていた男たちが、ですよ……」

 

法務省の若手官僚は、苦々しい表情で報告を続けた。

 

「対応はどうしている……?」

 

「当然、個人情報保護法を盾にして、一切のデータ開示を拒絶し、追い返しています」

 

「それが限界だろうな……。いいか、これは塀の中に向けた単なる求人PRではない。いや、それもあるだろうが、それ以上に『すでにJ社や連合内に入って更生している元受刑者たち』への強烈なメッセージがメインだ」

 

「――『我々は、世間の凡百な低待遇を強要する偽善企業とは違う』、と」

 

もちろん、連合も無限に彼らを受け入れているわけではない。厳格な倫理ラインは設けている。反社会的勢力の現役の指示役であったり、今も裏社会と繋がっている者は一発でお断りだ。そこだけは政府や法務省、警察庁のお触れ(暴対法やガイドライン)にきっちりと従っている。

局長の脳裏に、かつてバグ・ハンター会議から上げられていた『敗者のゲームプレーヤー』というフレーズが不気味にリフレインした。

 

「そうだな。自らを『敗者企業』と定義しているからこそ、使えるリソース(人材)ならどんな過去があろうと徹底的に使うというわけか」

 

「ですが長官、もはや敗者だの勝者だのと言っていられるレベルを遥かに超えています。彼らは国内どころか、アメリカや欧州の小売りインフラの一部を完全に握ってすらいる。これのどこが『敗者』なんですか……」

 

それどころか、直近のより深刻な問題は、法務省の人権擁護局への「通報」だった。

ある加盟大企業に派遣されていた前科付きのJ社社員が、現場の雑談で過去の経歴をポロリとこぼした際、元請け企業の担当者が「前科者をうちの現場に入れるな、担当者を今すぐ変えろ」と激昂して迫ったという。

その際の一部始終の音声データと会議録が、連合のKソフトウェアから、人権擁護局へ「不当な差別事案」としてダイレクトに送りつけられてきたのだ。

 

相手は日本でも指折りの巨大コングマリット企業。

そこのIT保守やサーバー管理を、実力で業界トップに成り上がったKソフトウェアに依頼しておきながら、そのスタッフの中にサイバー犯罪の前科者がいると知ってへそを曲げたのだ。

法務省としては、人権擁護の観点から連合側の言い分を支持するのが筋だ。しかしそうすれば、この不名誉な差別事案の内容を一般に公開せざるを得なくなる。連合はきっと『なぜ国家は人権侵害を隠蔽するのか? 公開しない法的根拠は?』と迫ってくるだろう。

連中にとって、自社の人材が貶されたことなどおそらくどうでもいいのだ。自社の人材管理マニュアル(MX)の妥当性を貶されたことの方に、底冷えするような怒りを燃やしてきている可能性が高かった。

もしこの内容が表に出れば、その大企業に貼られる「時代遅れの差別企業」というレッテルは、世界基準のESG投資の観点からも致命傷になりかねない。

 

「次に……国民感情です。相変わらずネットや世論は『加害者保護だ』『犯罪者に甘い』という声が大きいです。その批判の矛先は、当然連合にも向いています」

 

「だが、連中はそんな世間の評判など、これっぽっちも気にしないのではないか?」

 

「ええ、その通りです。抗議の電話や街宣に対して、彼らは事務的にこう言って追い返しています。『彼らは国が決めた罰則(刑期)をすべてこなして出てきた人間だ。それ以上の法的根拠のない追加制裁を、民間人であるあなた方が決定し、我が社に強要できるという法的根拠はどこにあるのですか? 追加制裁の決裁権をあなたがお持ちなのですか?』と」

 

「ふっ、奴ららしいな」

 

局長は思わず笑ったが、部下の官僚は硬い表情のまま笑わなかった。

 

「笑い事ではありません。その結果が、この『公共セーフティネットの完全な形骸化』です。連合の冷徹なフィルターによって、更生の見込みがある優秀な人材ばかりが引き抜かれ、そこからすらも零れ落ちた、本当に救いようのない手癖の悪い者たちの割合が、国の福祉インフラ側で急上昇しているんです……」

 

最後まで言わなくても、その先にある「惨状」は省内で共有されていた。

総合的な犯罪率、この数値自体は案外変わっていなかった。連合が徹底的なマニュアル指導を行い、一般人と同じ待遇を配るため、治安自体は良くなるはずだと誰もが思っていた。だが、システムから漏れた側の人間から見ると、社会に対する更なる「不公平感」と「孤立」が増す結果となったのだ。

『同じ牢屋で糞尿を垂れ流していたアイツは、今や連合のJ社で立派な正社員スーツを着ているのに、なんで俺だけがドヤ街で冷たい日雇いをさせられているんだ!』

結果として、日本国内の犯罪率という総合的な数値はあまり変動しなかった。しかし、急上昇したのは『再犯率』。

激しい恨みと嫉妬、そして極限の貧困が燃料となり、彼らの後ろめたい心に一瞬で火をつけやすくなっていたのだ。

 

つまり、二度と犯罪をしない無垢な「更生者」になれた者と、かつてない凶悪さで「再犯」を自ら重ねる者への、恐るべき二極化が進んでいた。

 

「もはや経済産業省のように、これまでの社団法人やNGOなどに予算を丸投げして解決するような、生ぬるい問題ではなくなったということか……」

 

「犯罪率自体は維持傾向なので、すぐに治安が爆発することはありません。ですが問題は、連合のシステムから漏れた人材が、より短絡的で凶悪な犯罪に走りやすくなる可能性が跳ね上がった、ということです」

 

「『前科者はみな等しく社会から冷遇されていた』ころの平等を加害者側が知っているだけに、システムによって格差をつけられた彼らのマイナス感情は、今まで以上に膨れ上がるからね……」

 

「そして、次の影響ですが……刑務所内の『治安の劇的な向上』です。受刑者たちの間で、連合が『マニュアル遵守能力』と『指示への絶対服従』を何より重視しているという情報が完全に定着しています。そのため、全国の刑務所、さらには留置所や拘置所ですら、刑務官に歯向かったり暴れたりする者が激減しています」

 

「連合に雇ってもらうための、前準備(アピール)というわけか……」

 

「はい。中には、『連合は実は法務省と裏で結託していて、服役期間中の素行データを裏で査定しているんじゃないか?』と本気で噂している受刑者もいるそうです」

 

そんな裏取引など存在しない。だが、塀の中の人間からはそう見えてしまっている。そしてそれこそが、連合のJ社が持つ凄まじい「求心力」の何よりの証明でもあった。

 

「そして……政府にとって一番痛烈な打撃となっているのが、『交通刑務所』の空洞化です」

 

「……あそこか」

 

「はい。トラックドライバーやバス運転手、タクシー運転手の前科者、もしくはその経験者は、出所の瞬間に根こそぎJ社の運送部門の採用試験に招待されています」

 

「普通の運送会社は、一度でも死亡事故や重大な人身事故を起こしたドライバーなど、世間の目を気にして門前払いだ。そのくせして、業界全体でドライバーが足りない、物流危機だと国に泣きついてきている。その点、J社運送部門は過去の過失など一瞥もしない。見るのは『今、我が社の安全マニュアルに従った正確な運転ができるかどうか』だけだ。彼らの論理では、かつて死亡事故が起きたのは、ドライバー個人の資質ではなく、彼らに『絶対的な安全マニュアル』と『それを遵守させるためのシステムや装備』を配布しなかった、元の雇用企業と社会の構造が悪い、という思考なのでしょう……」

 

一連の報告をすべて聞き終えた局長は、手元の分厚い報告書を机に放り投げた。

 

「正直、あまりにも正論すぎて……国としては何も言い返せないよ」

 

今も、法務省が管轄する冷たいコンクリートの牢獄の中で、有期刑受刑者たちの目はかつてないほどギラギラと輝いていた。

だが、その熱い視線は、日本国政府にも、お仕着せの更生保護団体にも、誰一人として向けられてはいない。

彼らが見つめているのは、塀のすぐ外にそびえ立つ「連合J社」という、一民間企業の青いロゴマークだけだった。そこは彼らにとって、「刑期の終わり」の先にある、この国で数少ない、唯一と言っていい現実的な社会への出口だった。

 

法務省の教誨師や官僚がどれほど高潔に更生の精神を説いても、その言葉に反応する受刑者は少ない。

しかし「J社なら、マニュアルさえ守れば本当に俺たちを雇ってくれるらしい」という噂には、懲罰房の悪党どもすらも真剣に耳を傾ける。

国家が明治以来、何百年もの歳月と莫大な税金をかけて築き上げてきた「更生保護制度」よりも、一企業の冷徹な「採用基準」の方が、皮肉にも彼らの行動と社会への向き合い方を根本から変えさせてしまっていた。

 

そして今夜も、ある薄暗い監房の中では、かつてのような不毛な「犯罪自慢」が行われていた。

 

「おい、俺は昔、足場もねえのに4階の窓までスルスルよじ登って、セキュリティを巻いて泥棒したんだぜ」

 

かつてなら、それは『俺の悪辣さと器用さを誇張して、マウントを取り合うための自慢大会』で終わっていたはずだった。

しかし、2042年の刑務所においては、その言葉の持つ意味が全く異なっていた。

 

「……なあ、これだけの身体能力と空間把握の『スキル』、J社の特殊警備か高所作業部門なら、評価して使ってくれると思うか?」

 

それは、自らの犯罪技術をシステムに適合させるための、切実な「キャリアカウンセリング(相談)」という形に変貌を遂げていた。

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