2042年 6月 東京 霞が関 バグ・ハンター会議
かつては「内閣府バグ・ハンター会議」と呼ばれ、霞が関の若手・中堅の切れ者たちが秘密裏に集っていたあの地下会議室には、重苦しい諦念と、どこか奇妙な清々しさが同居していた。
これまで9年間にわたり、24社連合という「国家の隙間(バグ)を突いて肥大化する怪物」の尻尾を追いかけ続けてきたこの会議体。しかし今や、その存在意義自体が完全に消失していた。
始まりは「ちょっと異質な日本企業がアメリカの小売業界で幅を利かせている」という、経済インテリジェンスの端くれが上げた1枚のレポートだった。当時は省庁の垣根を越えた、単なる情報交換のための「担当者連絡会」のような軽い位置づけに過ぎなかったのだ。
それがどうだ。
彼らがレポートを1枚あげるごとに、連合はさらにその先を行き、日本の、そして世界のあらゆる不効率を貪り食って成長していった。
過疎地の物流をハックし、米欧のインフラを侵食し、刑務所の塀の向こうからハローワークの機能までを代替し、ついには国家安全保障の根幹である戦略備蓄や防衛産業の無人化にまで手を伸ばした。気づけば平の担当者レベルだった会議には、課長級、局長級の顔ぶれが並ぶのが当たり前になっていた。
そして今日、ついに上層部から最後通牒が下された。
「――もはや、一介の担当者連絡会で扱うべき規模の案件ではない。よって、本会議は本日をもって解散とする」
当然ながら、連合からの圧力やロビー活動による解散などではない。そんな陰謀論じみた理由ではないことを、ここにいるバグ・ハンターのメンバーたちが一番よく理解していた。
もはや各省庁の大臣や事務次官、あるいは官邸のトップが直接、政治的な決断を下して対話(あるいは懇願)しなければならない相手なのだ。形骸化した省庁横断の勉強会ごときが、これ以上何を分析し、どうやって対処できるというのか。
「……というわけだ。といっても、各省の持ち場で連合案件の対応に追われる日々が変わるわけじゃない」
議長役を務めていた内閣府の参事官が、プロジェクターの電源を切りながら、集まった面々を見回した。
「こうしてわざわざ地下に集まる時間があるなら、各自の省へ戻って、上司の指示に従った個別の実務と調査をしてくれ、ということだ。……言っておくが、この仕事に終わりはないぞ」
こうして、足掛け9年ほど続いた「バグ・ハンター会議」は、正式にその歴史に幕を閉じた。
国家の危機を陰で支えた組織の終焉だというのに、なんの記念撮影もなく、乾杯のイベントすらもない。あまりにも霞が関らしい、静かで事務的な幕引きだった。
「分かりました。まあ、今までが長すぎたくらいですよ」
「そうですね。また経産省の現場か、合同ネット会議の画面越しにでも会いましょう」
メンバーたちは、長年使い古したそれぞれのファイルやタブレットを鞄に詰め、椅子を引く。お互いに大袈裟な別れを告げることもなく、淡々と、しかし足早に地下会議室を後にしていった。
彼らが一歩地上へ出れば、そこには連合J社のトラックが走り、連合Kソフトウェアのシステムで管理された役所の端末が並び、定年を迎えた熟練の先輩たちがJ社のエージェントとして民間の現場へ送り出されている光景が広がっている。
バグ(不効率)を狩るために始まった会議は、国家そのものが連合のMX(マニュアル)という名のシステムに最適化され、完全に飼い慣らされたことを認めながら、静かに、霧散するように消えていった。
同日 東京 霞が関 閣僚懇談会
バグ・ハンター会議が密かに解散したその日、地上では閣僚たちが一堂に会し、山積する国政の議題について激論を交わしていた。だが、どの政策を議論していても、結局のところ最も頻繁に登場するのは『連合案件』だった。
「――とりあえず、政府版MXの開発・統括は、産総研(産業技術総合研究所)が主導することで内定しました」
内閣官房長官がタブレットの資料を切り替えながら報告する。
財閥流MXと連合流MX、その双方の「相見積もり」と比較検討を重ねた結果、財閥側は案の定、開発の最終局面になって「このシステムの永続的な国家利用料(ライセンス制度)を法制化しろ」という傲慢な要求を、大幅に遅れて突きつけてきた。これまでの内閣府の分析通り、これは財閥MXの自律進化が完全に「頭打ち」になり、あがりを決め込もうとしている何よりのサインと受け取った。
「法律や外交カードを巻き込んでまで、旧時代の模倣品を高く買う必要はない」という結論には、総理も完全に同意してくれた。
一方で、本物である連合流MXの導入も、交渉の初期段階で連合側から直々に、「ウチのシステムは我が社の全インフラと同期して稼働する超最適化OSだ。構造の違う政府がそのまま導入したら、組織の各所で拒絶反応が起きて大怪我するかもしれないよ?」と冷徹な忠告(脅し)を受けたため、こちらも購入を見送る方針となった。
となると、政府に残された道は「国主導の自作」しかない。そこで白羽の矢が立ったのが、国内最大の公的研究機関である産総研だった。
「……しかし、本当にそれでいいのですか?」
ある閣僚が懸念を露わにする。
「省庁に籍を置いていた『元連合関係者』の実に4割を、産総研のプロジェクトチーム付きに人事異動させてしまうなど……」
官公庁の中にも、連合直属の専門スクールを卒業すると同時に国家公務員として入省してきた若者や、連合企業からの中途転職組が、合計で80名近く存在している。
本当は過去数年間で、その数倍の人材が官方に流入していたのだ。しかし彼らは入省直後、役所のあまりの非効率な業務プロセスや前例踏襲の壁に直面し、良かれと思って「改善提案」を連発した。それを旧態依然とした上司たちが「生意気だ」「輪を乱すな」ともみ消し、最悪の場合は叱責という名の逆ギレを起こして退職に追い込み、結果として彼らを再び連合の懐へと送り返してしまっていた。
さすがに今となっては、そんな致命的な不手際を大臣たちが許すはずもなかったが、時すでに遅かった。
「政府版MXをゼロから構築するにしても、結局のところ『連合人の思考感覚』は不可欠です。それに、ガチガチの官僚機構よりは、まだ研究者気質の残る産総研の空気の方が、彼ら彼女らにとっては馴染むかもしれませんよ」
「ですが、私が恐れているのはそこではありません……」
発言した閣僚の指先が、微かに震えていた。
「今、我が省に辛うじて残っている元連合の勤務経験者たちですが……彼ら、不気味なほどに『鳴りを潜めている』のです」
あの連合特有の、組織の非効率や需給の歪みに対する異常なまでの嗅覚。そして、不合理を見つけたら「マニュアルを改善せずにはいられない」という、狂気にも似た習性。
それが、今の役所の中にいる彼らからは、完全に消え失せている。上司から理不尽な二度手間を命じられても、無駄な書類仕事を振られても、彼らは一切文句を言わず、死んだ魚のような目で事務的にその不合理をこなしているのだ。
もし彼らにまだ「本気で国を良くしたい」という感覚があるならば、これまでの政府の度重なる後手後手な対応に対しても、事前に何らかの身構えや忠告をしてくれていた可能性がある。
「……そうですね。過去に我が国が冷遇して追い返した元連合人たちのネットワークによって、おそらく連合内の『官公庁勤務マニュアル』に、すでにこう書き加えられている可能性があります。――『政府の現場では、絶対に改善提案をしないこと』、と」
「ええ、十分に考えられます。彼らは官公庁で死んだふりをして働きながら、政府が提示する法制度や行政インフラの『真の非効率と不合理』をただ静かに吸い上げ、連合に持ち帰って、その隙を突く新しい100億円規模のビジネスを始める。役所を辞めて連合へ帰っていくのは、その『行政のバグ』を利用したアイデアが、事業として確実に形になると確信した瞬間なのだろう……」
スパイ――と、果たして呼んでいいものか。
当然、彼らの端末は政府の監視ソフトウェアで24時間体制で厳重に監視されている。だが、彼らは勤務中に連合関係者と不審な通信など一切行っていない。
そもそも、潜入先である国家の手の届かない「行政の隙間」を完璧に埋めてみせる連合の事業を、果たして国として『悪』と断じていいものなのか。
国の内部機密や個人情報を物理的に盗み出しているなら即座に逮捕できるが、その辺りのセキュリティー対策は完璧に構築されている。何より、連合のビジネスはどれも、国が一般に広く公表している法律、約款、ガイドラインの「不合理な隙間」だけを突いて合法的に成立しているのだ。
「おそらく今の彼らは、省庁の『空気』……つまり、我々の対応能力の限界値を測るための、生きた観測機器(センサー)になっているのではないでしょうか。最初は本気で日本の行政を改善しようと来てくれていたのに、こちらの不躾な対応で、その士気を自分たちの手で圧し潰した。結果、彼らは完全に『観察モード』へと移行した。政府が自社のMXビジネスにどう対応するのか、その無様な右往左往を見物している」
シロ、ではない。だが、決定的なクロでもない、果てしなきグレー。
連合は確かに、誰も解決できなかった社会課題を凄まじい速度でビジネス化し、結果として世を救って見せる。
しかし、その真っ白な聖衣を剥ぎ取れば、その裏には冷徹でグレーな生存戦略がチラホラと見え隠れする。
NEXAやGRIDによる国内外の物流・小売インフラの完全なる侵食、有事の際の身代わり企業の設立――法律というはっきりした一線を越えない(クロにならない)限り、連合はその冷徹な合理性を躊躇なく執行してくる。
「産総研に彼らをまとめて送ったのは、その『観察者』たちの本音を見極める意図もある、ということですか?」
「ええ。もし彼らが本当にただの冷徹な観察者に徹するつもりなら、産総研のプロジェクトでも何も発言せず、無能な木偶の坊のフリをし続けるでしょう。だが、もし彼らが国のプロジェクトのあまりの不合理さに耐えかねて、苦し紛れにでも『改善のヒント』を口にするなら、それだけでも我が国にとっては巨大な収穫です」
「……では、もし彼らが、わざと検知しにくい『システム上のバグ』をマニュアルに混ぜて渡してきたら?」
その問いに、官房長官は自嘲気味な笑みを浮かべた。
「それは、どっちにしろ我々には回避不能なパターンですよ。連合が育てた超一流のMXスペシャリストたちが見抜けないように仕込んだバグなら、産総研の専門家や我々政府の頭脳では、どうしようもありません。――この人事は、24社連合という巨大なシステムが、今この瞬間、我々政府をどれほど『見限っているか』。それを測るための、乾いたリトマス試験紙でもあるのです」
閣僚たちの間に、重苦しい沈黙が広がった。
国家の最高権力者たちが集まるその部屋すらも、すでに塀の外の、連合という巨大な最適化マニュアルの「想定内」に含まれているのではないか。そんな底冷えするような疑念が、誰の口からも出ないまま、初夏の霞が関に静かに満ちていた。