ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第74話

2042年 9月 石川県 石川3号

 

能登半島の付け根に位置するその街は、この10年で人口が2万人まで減少し、あらゆる賃貸需要が右肩下がりに冷え込み続けていた。普通なら、需要が減れば入居のハードルを下げるのが市場の原理だ。しかし、旧来の不動産管理会社たちは、頑なに昭和・平成初期の「硬直した審査基準」を維持し続けていた。

 

「定期収入がある者? 70歳以上は身内の保証人と介護施設契約の確約が前提?」

 

このアパート「石川3号」のオーナーである老人は、地元の管理会社から送られてきた突っ返しの書類を見て、苦々しく吐き捨てた。

オーナーとしては、家賃を下げてでも空室を埋めたい。なのに、間に入る管理会社が「リスクだから」と入居希望者を自分から容赦なく叩き落とす。やるな、と言っても聞かない。

 

確かに、高齢者や不定期収入者を安易に入居させれば、後で孤独死や家賃滞納といったトラブルになり、オーナー側から「聞いていない」と手のひらを返されるリスクはある。あるいは、後出しで調子のいいことを言って管理会社に責任をなすりつける悪徳オーナーも世の中にはいるだろう。

互いが互いを信用できず、リスクを恐れて誰も動けない。その結果が、地方の凄惨な空き家・空室の山だった。

 

「だから、ワシはこのアパートの管理権を、丸ごとL不動産に切り替えたんじゃ」

 

切り替えた結果、オーナーである彼ですら、自分のアパートの入居者をこちらから選ぶことも、気に入らないからと切ることもできなくなった。すべては、新たな管理会社となった「L不動産」と、そのバックにいる「月影クレジット」とかいう得体の知れない信用会社の、分厚いマニュアルに沿って機械的に処理される。

 

調べてみると、L不動産はもともと東京の不動産会社で、都心のオフィスビル専門で大儲けし、東証プライムに上場していたそれなりに大きな企業だったそうだ。しかし、13年前――ちょうど24社連合が世に台頭し始めた黎明期に、突如として上場を廃止し、市場から姿を消している。

 

一方で、審査を担う月影クレジットに至っては、つい1年ほど前に新設されたばかりの、実績のない信用会社だった。とはいうものの、その親会社は仙台市に昭和から続く歴史ある「月影証券」となっている。聞いたことが無かったからおそらく地場証券なのだろう。

 

「まあ、審査基準の詳細は社外秘で明かせんというのは分かったわい……」

 

L不動産の担当営業は、オーナーの老人に「オーナー様の利回り最優先の御依頼通り、こちらも全力で頑張らせていただきます。大まかな入居条件はこちらになります」と、1枚のタブレットを差し出してきた。

 

そこに書かれていたのは、驚くべきことに「他社の信用審査で落とされた、不定期収入の個人事業主を中心に拾い上げる」という、既存の不動産常識とは真逆の文言だった。老人の頭の中では、かつて世界経済を震撼させた「サブプライムローン(低信用者向け高金利融資)」という不穏な言葉が、不吉に反芻されていた。

 

だが、老人のその懸念は、半分当たっていて半分は外れていた。

 

L不動産と月影証券とて、全国のボロアパートをすべて自前で買い取り、そこに直属のトレーダーを住まわせるのには資金的にも物理的にも限界がある。そこで彼らは、既存の物件オーナーたちを取り込む「管理会社事業」と「信用審査代行事業」を爆速で立ち上げたのだ。

『今の地元の管理会社の硬直化に不満がある。けど、先祖代々の資産(アパート)を他人に売ってまで乗り換えるのは抵抗がある……』という地方の頑固な地主層を、管理契約の変更だけで巻き込んでいく。これこそが、連合が得意とする「既存インフラへの寄生・共生形態」だった。

 

L不動産が自社で物件を購入するのは、オーナーが完全に手放すと決めた「ゴミ値の物件」のみ。それはいつか、彼らの生態系の中で頭角を現した『それなりの好成績を維持した優秀なトレーダー用に用意する、新築最新設備のフラッグシップ棟』へと建て替えるための種地だった。

 

連合の階層で言えば、「石川3号」のような築古アパートは「梅」のステージ。そして、新築最新設備の棟は「竹」のステージ。この領域にまで登り詰めたトレーダーは、全国のL不動産入居者(山口のアニメーターなど)から集まったコミュニティの出資金を仮に明日全ロスカットされたとしても、一生遊んでとまでは言わないが普通に暮らせるレベルにまで個人の資産が成長している。

それでも彼らが連合のシステムから抜けないのは、L不動産がさらにその上に「松」のステージ……すなわち、彼らのような低信用スタートのトレーダーたちにとって一般ルートでは絶対に就職できない慣例のある国内金融企業である国内ファンド(実は全部非公開の連合直系ファンドたち)をチラつかせているからだ。目移りする暇すら与えずに、優秀な脳をシステムの中に永久にハメ殺す仕組みが出来上がっていた。

 

「ま、俺なんかには当分縁のない、雲の上の話だな」

 

石川3号の201号室。元・派遣社員のトレーダー、佐藤は、薄暗い部屋で月影証券の取引アプリが映るトリプルモニターに齧り着いていた。

 

現在の生活費などを抜いた自己投資用資金は、かき集めてようやく100万円ほどしかない。だからこそ、月影証券を通じて全国のL不動産コミュニティから流れてくる『コミュニティ応援出資金』の存在は、命綱のようであり、涙が出るほどありがたかった。ここに住み始めてもう1年になるが、いまだに口座を強制凍結されたことはない。

 

以前の佐藤は、食いつなぐために海外のいくつもの「プロップトレーダー(資金提供型取引)サイト」に登録し、審査料を払って出資金を受けて取引していた。しかし、あいつらは少しでも相場の乱高下(ドローダウン)に巻き込まれて損失を出したら、何の説明もなく一方的に契約を解除してきた。相場なのだから、波があるのは当たり前なのに、だ。

あるいは、調子よく勝っている時に限って、突然『出資者からの解約請求による口座凍結』という冷たい1行のメールだけが送られてきて、利益を持ち逃げされたこともあった。

 

そうなると、また20万〜30万円もの大金を血を吐く思いで支払い、別のサイトの「採用試験(デモトレード)」を数ヶ月かけて受け直す羽目になる。結局、トータルで見ればわずかに儲かりはしたが、採用試験の受験料や生活費、精神の摩耗を考えれば、明確なマイナスだった。

 

そこに、月影証券からあの「石川3号への入居と、出資の誘い」が届いたのだ。

彼らの提示した条件は、驚くほどシンプルだった。金額の多寡や一発のドカンとした大勝ちなどどうでもいい。とにかく「純粋な利益の%(傾き)の美しさ」だけを見る、というものだった。

 

「次のステージに登れるのは、このパターンか……」

 

新築アパート(竹ステージ)への移住権を得るための審査には、当然ながら「家賃の滞納履歴なし」という項目が入っている。そこはあくまで不動産事業であり、元の地主であるオーナーの利益を守るため、月影クレジットが容赦なく機械的にスクリーニングしている。

 

しかし、肝心の投資成績の移行条件については、いくつか具体的な数値が明示されており、どれかに該当した時点で、AIではなく人間の営業マンから直接、丁重な電話がかかってくる仕様になっていた。

提示されている条件の中で最も理想的なのは、『8年間連続で、年間成績+10%以上を維持』。

 

「ふ、どんな超人だよ。そんな奴がこんな能登のボロアパートに燻ってるわけねえだろ」

 

自嘲気味な笑いが出る。

しかし、その無理難題の下にも、細かな代替条件がびっしりと並んでいた。

複雑な数式や標準偏差(ボラティリティ)の数値が混じっているが、要するに株や為替の古典的なトレンド認識である「ダウ理論の安値・高値切り上げパターン」に酷似した資産曲線を、日足、週足、月足、年足、そして3年足のどれかで綺麗に形成し、各時間軸で定められた一定期間を「ノー・爆発(一発退場レベルの損失なし)」で維持できたなら、自動的に『次のステージへの招待状』が届くとなっている。

 

すでにこの条件をクリアして、上のステージへと引っ越していった猛者が全国のアパートに数名いると、L不動産の営業から雑談交じりに聞いた。中には、「いえ、まだ自己資金のみになった場合の実戦での総資産が足りない気がするので、もうちょっと今のボロアパートのままでやらせてください」と、ストイックに残留を希望する変態的なトレーダーも多いらしい。

そして、連合のシステムを踏み台にして、L不動産と月影証券のインセンティブが届かない「本物の国内外ファンド」へと転居(引き抜き)していく者すらいるという。だが、その話をした時の営業マンの顔を、佐藤は忘れられない。

 

『まあ、ご本人の選択ですからね。ウチは役所じゃないんで、無理な引き止めは一切できないですよ』

 

そう言って、カラカラと無邪気に笑っていたのだ。

その時、佐藤の脳裏に、1人の投資家(マーケットの捕食者)としての冷徹な視点が閃いた。

 

(……ああ、そうか。そりゃ止めねえよな。すべては「ブランディング」なんだ)

 

世界中の金融市場に対して、「ウチのボロアパートの入居者(元脱落者)は、これだけの安定した資産形成能力を持っているぞ」という生きた実績を証明し続ける。それだけで、月影証券とL不動産には世界中の金融関係からそれなりの手数料ビジネスが転がり込んでくる。つまり、このシステムに残るなら丸儲け、転籍するなら仲介手数料と広告に。辞めていく優秀なトレーダーに持たせる「こぼれ金(数億円の元手)」など、連合からすれば、極めて安上がりの手切れ金、あるいは歩く広告塔の維持費に過ぎないのだ。

 

(――それに、何よりも恐ろしいのは『データ』だ)

 

その実績あるトレーダーたちが、過去数年間にわたって「どの銘柄に、どのタイミングで、どんな心理状態で売買を執行したか」という一挙手一投足の生データが、月影証券のコアサーバーには1ミリの漏れもなく蓄積され続けている。

世間のマヌケな証券会社が持っているような、破産していく有象無象のザコトレーダーのノイズまみれのデータではない。修羅場をくぐり抜け、連合のマニュアルによって選別された「本物のサバイバーたち」の、成功と失敗の結晶のような純度100%の行動経済データだ。

そのデータをもとに、月影証券はどんな「次世代の投資AI」を組み上げるか。さぞかし、大手すらひれ伏すほどの利用価値の塊だろう。

 

そこまで思考が行き着いた瞬間、佐藤の胸の奥から、言葉にならない感情がせり上がってきた。

それは、バグ・ハンターたちが霞が関の地下で浮かべたのと同じ、底知れない巨大なシステムに完全に呑み込まれた者が漏らす、乾いた笑いだった。

 

「くくく……ははは! このシステム(地獄)を設計した奴は、一体どんな脳みそをしてやがるんだ。……社会のどん底にいる弱者を保護して救済するっていう『絶対の聖義』を掲げながら、その裏で、住人という商品が出す利益を、1円残らず合法的に全額掻っ攫っていくなんてな……!」

 

モニターの明かりだけが青白く照らす石川3号の201号室で、佐藤は狂ったように笑いながら、次の取引の注文ボタン(マニュアルの歯車)を静かにクリックした。

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