ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第76話

2042年 11月 東京 霞が関

 

「そうですか。ご苦労でした、野上大臣」

 

あと半年で総理大臣としての任期が満了し、解散総選挙を迎える。その事実上のカウントダウンが始まる中、総理の声には、まもなく「連合」という国家をも圧迫する特大の重りを担ぎ続けた8年間の重責から解放される、微かな喜びの響きが含まれていた。

円卓を囲む閣僚たちの間にも、どこか似たような、安堵とも諦めともつかない空気が漂っている。

 

だが、彼らの手元に配られた経産省と財務省による極秘の調査結果は、その安堵を瞬時に凍りつかせるに十分な内容だった。

事の発端は8か月前。日本のトップに君臨する巨大財閥のうち、資源インフラを握る名門商社2社が、連合(正確には連合のロジスティクスを担うJ社)に対して無謀とも言えるトラブルを仕掛けた事件だ。当時、その行動の背景に致命的な「腑に落ちない点」があるとして、官房長官の指示のもとで徹底的な再調査が命じられていた。

 

「その2社は、そもそもなぜ、あの怪物(連合)に喧嘩を売ったのか?」

 

当初、野上経産大臣が提出した報告では、日本の財閥階級の「プライド」が理由とされていた。

連合の中核にいるD財閥は、財閥ランキングで言えば上から2番目の階級。その階級には6つの財閥がひしめいている。つまり、頂点に君臨する「紙村」「河内」の2大財閥に、この6個を加えた『上位8財閥』が、日本経済の財閥ヒエラルキー上位陣だ。

 

連合の中心であるD財閥は、連合結成前の時点で、その8財閥中で「6位」という微妙な位置に甘んじていた。そして、今回ちょっかいを出してきたのは、同階級の「3位」と「5位」の財閥。

つまり、元々は彼らの方がD財閥よりも格上だった。

そのため、「格下のD財閥が、自分たちの資源事業とは別の業界のシェアを、連合流の鮮やかな一手で大きく削ってきた。だから不合理で感情的な報復に出たのだ」と、政府は推測していた。しかし――。

 

「ですが、連合の存在そのものは基本、徹底した非公開です。運送大手のJ社とD財閥は、資本提携すら世間に発表していません。にもかかわらず……」

 

そう、事情聴取の際、失脚した両財閥の幹部たちは一様に『シェアを奪われたから、D財閥の息がかかったJ社に警告を……』と口にしていた。彼らはJ社とD財閥の繋がりを、明確に「知って」動いていたのだ。

彼らがいくらプライド優先の傲慢な連中だとしても、状況判断を見誤って自殺行為に走るほどのアホではないはずだ。

 

「何かある。敵を油断させる、致命的な何かが」

 

そう睨んで進められた再調査の結果が、いま閣僚たちの手元にある。

政府のアナリストからは、これまで「アホのフリをして連合の限界値を測るストレステストを仕掛けたのではないか」という高度な陰謀論も出ていた。だが、暴かれた真因は、もっと単純で、もっと恐ろしいものだった。

 

なんと――『彼らは、本当にD財閥を舐めきっていた』のだ。

 

「そうです。我々が一番あり得ない、そんなはずはないと思っていたことこそが、真因でした」

 

違和感を覚え、この再調査を執念深く主導した官房長官が、どこか申し訳なさそうな、苦渋に満ちた表情で口を開いた。

 

「そもそも、彼らが『J社とD財閥を繋げて、その背後にある巨大な連合の全体像を見ていた』という我々の前提自体が、根本的に誤りだったのです。両財閥とも、J社のことは『D財閥がただ運送契約を結んだだけの、外部の別企業』としか見ていませんでした。……お手元の資料の3ページ目をご覧ください」

 

閣僚たちが一斉に紙面へ目を落とす。そこには、上場非公開であるD財閥の、過去15年間にわたる生々しい「資産推移グラフ」が掲載されていた。

財務大臣が補足する。これはD財閥の確定申告から逆算し、財務省が『上場非公開でありながら日本市場で絶大な存在感を示される御社の財務情報を、確認させていただいてもよろしいでしょうか。当然、情報は省内で厳重に管理します』と、事前に腫れ物に触るようにお伺いを立てて取得した、極秘の数字だ。

 

「これは……!」

 

事前報告を受けていなかった数名の閣僚が、思わず息を呑んだ。

 

「縮小している一方じゃないか……!」

「連合は社会の無駄を削って、がっぽり儲けているのではないのか!?」

 

グラフの線は、右肩下がりに急降下していた。

 

「皆さん、冷静になって思い出してください。そもそもD財閥は連合結成時、連合に加盟する企業をすべて『自社の傘下に併合(買収)する』と一言でも言いましたか?」

 

静まり返る会議室で、財務大臣が眼鏡の奥の目を光らせながら冷徹に続けた。

 

「あくまで、連合のオリジナル24社は独立した『提携先』であって、D財閥のグループ企業ではありません、もちろんJ社も。社会のインフラを買収して回り、巨大化しているのは、D財閥以外の『他の23社たち』です。つまり、連合各社がどれほど拡大し、巨額の利益を出そうとも、親玉に見えるD財閥本体は、かつての主要事業をほとんど売り払ったまま。このグラフにある資産も、連合各社から『寄付』や『資本提携に伴う融資』という形で、生かさず殺さず注入されているだけのハリボテです」

 

「しかし、逆に言えば、敵の財閥たちもこのD財閥の貧弱な財務状況を『理解していた』ということにならないか? 非公開情報なのだろう?」

 

総理の疑問に、官房長官が首を振った。

 

「いえ、理解が『1回転』して、歪んでしまったのです。我々は、J社もD財閥もすべてが一体となった『連合』というバケモノを見ている。だから勝ち目がないと知っている。しかし、あの2つの財閥から見れば、D財閥はただの『落ち目の名門』でした。事業を縮小し、東京の一等地を売り払い、15年以上も目立った拡大を見せない枯れた存在。……そんな折に、そのD財閥が突然、肝入りで始めたのが、例の『分散型レアメタル備蓄事業』でした。それが大成功を収めた」

 

官房長官の言葉に、野上経産大臣がハッと目を見開いた。

 

「……そうか。だから、奴らは足を引っ張ろうとしたんだな。枯れ木だと思っていたD財閥が、自分たちの縄張りである資源分野(レアメタル)で小金を稼ぎ始めたから、潰してやろうとしたのか。まさかそのD財閥が、日本中の物流とライフラインの根底を物理的に握っている『連合の頭脳』そのものだとは夢にも思わずに……」

 

「――では」

 

総理が手元の資料を指で叩く。

 

「その資源財閥2社が『削られた』と言っていたシェア、あれは結局、何のシェアだったんだ? D財閥のレアメタル事業だけで、彼らの本業が傾くほどの損害が出るとは思えんが」

 

「皆さん、連合結成前の、もう一つの古い組織図を見てください」

 

官房長官が提示した資料には、2つの企業名が赤枠で囲まれていた。

――『Kバイオ』、そして『Iコンサルティング』。

 

「そうです。この2社は、上場廃止から連合結成へと至るドサクサの前に、D財閥との正式な提携を世間に発表していました。そして、この2社の現在の詳細な決算資料は……ここにはありません。ですが、恐ろしい規模で拡大しているはずです」

 

かつて「Kバイオ」は、大手である佐々木製薬にほとんどの利権を渡したと見られていた。しかし実際には、術前緩徐麻酔薬やOTC(一般用医薬品)グッズの発案・基礎研究分の莫大なロイヤリティ(分け前)を、今も着実に受け取り続けている。

「Iコンサルティング」にいたっては、連合のアルゴリズムを武器に、アジア地域全体のBtoBマーケティングで営業エリアを狂気的な速度で急拡大させていた。

 

「これだけで、仕掛けた側の資源財閥からすれば、十分すぎるほど『D財閥の子分(KバイオとIコンサル)に、俺たちのシマを荒らされた』と判断する材料になってしまった。そして……彼らの組織調査は、そこでストップしたのです」

 

「……『D + K + I = 新しいD財閥グループ』。彼らには、それだけの規模の、少し調子に乗っているだけの小規模な敵に見えていた、と」

 

総理の呟きに、官房長官は重く頷いた。

 

これ以上、同じく上場非公開である「Kバイオ」や「Iコンサルティング」の正確な決算資料まで引っ張り出して調べることは、国家権力をもってしても不可能だった。D財閥に対して使った『市場への影響・監査』という政府の建前が、この2社には通用しないからだ。おそらく、財務省がこれ以上深くノックしても、彼らは絶対に情報を出してこない。

 

いや、それどころか――。

こちらからダメ元で「お宅の決算を見せてくれ」などと不審な問い合わせをすること自体が、連合の防衛システムを司る、何の『アルゴリズム』を起動させてしまうか分かったものではなかった。

 

「敵を油断させる何か……か」

 

野上大臣は、手元にある右肩下がりのD財閥のグラフを見つめながら、背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。

連合は、自らを巨大に見せるための偽装などしていない。むしろ逆だ。その中心にあるD財閥の器をわざと「縮小」させ、限界まで小さく、枯れているように見せることで、周囲の捕食者たちに『これなら勝てる』という致命的な錯覚を抱かせている。

 

それは、獲物が自ら口の中に飛び込んでくるのを、ただ無言で待ち続ける食虫植物の構造そのものだった。

そして国もまた、その巨大な葉の上で、滑り落ちないように必死にバランスを取っているだけに過ぎないのだ。

 

「ちなみに、現在のD財閥を『単体』として見ると、過去十数年にわたる徹底的な子会社の大整理と、都市部を中心とした大量の一等地売却、地元徳島の一大工業地帯すら売却したことにより、すでに第2階層からも完全に陥落しています。数字上は、もはや『財閥』と呼ぶことすらおこがましいほどの資産と規模にまで縮小しているのです」

 

官房長官のその言葉に、応接室の空気はさらに一段と冷え込んだ。

 

事業そのものをすべてシャットダウンしたわけではない。しかし、かつて日本経済を支えた巨大な工場群はすでにその大半が売却されている。現在、辛うじて生産能力を維持しているのは、防衛省・自衛隊と強固に契約している「潜水艦や次世代航空機向けの特殊電子機器ライン」のみ。それ以外の民生用工場は、文字通り骨の髄までほぼすべて叩き売られていた。

 

「……となると」

 

総理が、官僚たちが残した出張報告書を思い出しながら、掠れた声で呟いた。

 

「あの出張報告にあった、徳島県の山奥の過疎地にひっそりと佇む、あの『D財閥本部』……あれはカモフラージュでも何でもなく、本当に、物理的にあれだけのものしか持っていないということか……」

 

「総理、恐るべきはそこなのです」

 

官房長官が、資料の最後のページを開いた。

 

「長官、その寂れた本部こそが、24社連合というシステムの『狂気の源泉』であり、コアなのです……」

 

彼らは、かつて持っていた巨万の富、広大な不動産、名門企業という「動かせない重荷(アセット)」をすべて投げ打った。その代わりに、徳島の過疎地にあるD財閥本部が手に入れたのは、目に見える事業資産ではなく――世界最高水準の『研究開発施設群(ラボ・コンプレックス)』だった。

 

それは、J社が物流をハックし、月影証券が金融を歪め、L不動産が低信用層を囲い込む、その全てのベースとなる「次なる連合の事業の種」を、実物(リアル)ベースで実験・検証するための巨大な箱庭。

 

「彼らは、自分たちがプレイヤーとして市場で肥大化することを完全に放棄したのです。その代わり、自分たちは絶対に傷つかない『神の視点(設計者)』のポジションに籠もった。徳島でひたすら『完璧なマニュアル(OS)』を開発・実験し、それを外の23社や、我々のような飢えた社会インフラに『処方箋』として供給している……」

 

野上経産大臣が、自身のタブレットに映る徳島の施設空撮データを凝視する。

緑深い山々の谷間のスペースに強引に建設したであろう白い箱状の施設群。

 

「実業(からだ)を捨てて、頭脳(システム)だけになった財閥……。これでは、外からどれほど経済的な攻撃を仕掛けようが、潰しようがないわけだ。叩くべき『実体』が、もう市場のどこにも存在しないのだから」

 

落ち目の老兵と見せかけ、その実、国家を上空から見下ろす冷徹なアーキテクト(設計者)へと昇華を遂げていたD財閥。

2042年11月、退任を目前に控えた閣僚たちは、ついに自分たちが戦っていた「怪物の真の形」を知り、ただただ言葉を失うしかなかった。

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