ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第78話

同日 岡山県 田村工作所

 

瀬戸内海からの湿った風が吹き抜ける岡山県の一角に、地元の大企業や中堅メーカーからの「1点物の金属加工」を専門に請け負って食っている町工場、田村工作所があった。

昨今の物価高と人件費の高騰は、容赦なく「下請け依頼費用の減額」という形のしわ寄せとなって地方の工場を襲い、田村工作所も例外なく赤字経営に転落していた。幸いにも、まだ黒字だった時代の蓄えがあったし、会社といっても自分と妻の2人だけで回している身軽な所帯だ。

 

だからすぐに倒産という事態にはならなかったが、地元の地方銀行からは「応援しますよ、追加融資の枠を開けておきます」と何度も熱心に持ちかけられていた。

しかし、50代後半になる店主の田村は、その親切の裏を見抜いていた。これは、元請けの企業たちが都合よく使える、かつ自社の設計のクセや阿吽の呼吸を知っている便利な下請け業者(田村)が居なくなるのを、1年でも引き延ばしたいがために銀行と結託して並べた口車なのだ。借金を背負わされて、すり潰されるまで働かされるのは御免だった。だから融資は突っぱね、このまま畳もうと決めていた。

 

そこに突然現れたのが、「Mマシナリー」の営業マンだった。

田村工作所では、この会社の頑丈な手動フライス盤をもう20年以上前から愛用していた。だから最初は、営業データの更新か何かで、新しい機械でも売りつけにきたのだろうと鼻から疑ってかかった。

 

「――よろしければ田村様の、その貴重な技術とご知見を、弊社に買い取らせてもらってよろしいでしょうか?」

 

「……買い取る? 売りつけにきたんじゃねえのか?」

 

「はい。実は、弊社製の手動機械を長年大切に使ってくださっているお客様を、一軒一軒回らせていただいておりまして」

 

若い営業マンは、淡々とタブレットのパンフレットを開き、技術の「買い取り条件」についての説明を始めた。

内容はシンプルだった。今使っているボロ機械の各駆動部に、Mマシナリー側が用意した超高精度の各種センサーを取り付ける。あとは、田村が普段通りに提示された図面通りにサンプルを加工するだけ。その作業中、少しでも田村が「音」や「手応え」を察知してハンドルを0.1度でも微調整したら、横に控えた技術者が『今の瞬間、どういう意図で回されましたか?』と聞いてくる。そんなやり取りを、何日も繰り返すのだという。

 

「ふん、なるほどな。加工する材料の難度によって、データの買い取り料金が違うのか」

 

「はい。ただの工具鋼を削るデータと、チタン合金や難削材を削るデータでは、市場価値が何倍も違うというのは、田村様ほどの職人であればすぐにお分かりいただけるかと存じます」

 

それからは、このボロ工場にMマシナリーの若い技術者が毎日のように巡回してくるようになった。

13時から15時。この2時間が、田村工作所に割り当てられたタイムスロットだという。

センサーの設置費用や技術者の人件費はすべてMマシナリーが負担するため、田村側は1円も出す必要がない。純粋に、自分の「手の動き」と「勘」をデータとして吸い取らせれば、その場で小奇麗な報酬が振り込まれる仕組みだった。

 

驚いたのは、デジタルデータには到底載らないような、言語化しにくい「指先の感覚」すらも、技術者が必死にメモを取りながら『すみません、その感覚も言葉のニュアンスごと買い取らせてください』と食い下がってきたことだ。

しかも、最初のパンフレットに載っていた規定の基本料金以上のボーナス金額を提示してくることもザラだった。

最初は警戒していた田村も、毎日熱心に通ってくる若者を前にすると、まるで我が子のような、あるいは熱心な弟子ができたような妙な気分になり、気が乗って「ここはな、火花の色が少し白くなった瞬間に刃先を引くんだよ」などとペラペラと秘伝のコツを話してしまっていた。

もちろん、向こうは会社のために「知見」を仕入れにきており、乗せられているのも分かってはいたが、自分の培ってきた技術がこれほど全うに評価されるのは、下請け人生の中で初めてのことだった。

 

ある日、作業の合間に田村はタバコを吹かしながら、担当の技術者に聞いてみた。

 

「なあ。契約しておいて今更なんだが、俺はそこらのどこにでもある町工場のオヤジだぞ? メディアに出てくるような、それこそ『現代の名工』だの『神業』だの言われる領域のジジイ連中なら、大都市にいくらでもいるだろ」

 

技術者はタブレットから目を離し、穏やかに、しかし迷いのない声で言った。

 

「いえ、田村様。我々のシステムにとっては、業界トップの神業だけでなく、実際に現場を支えているユーザー様の『素直な加工のクセや感想』であっても、等しく買い取る価値があるのです。最終的な買い取り金額のコース(グレードプラン)は、お預かりした加工サンプルを弊社の研究所で時間をかけて解析した上で、厳格にランク付けをして決定いたしますので、どうかご謙遜なさらないでください」

 

そう、こいつらは技術の未熟な見習いのヘボ職人相手にも、全く同じ営業をかけていると言っていた。

どの金額ランクに叩き込まれるかは、Mマシナリーの冷徹な中央サーバーが、提出された金属サンプルの断面や表面粗さを「実測」して弾き出す。

田村がこの風変わりな契約を受け入れた本当の理由は、単に金が欲しかったからではない。一介の下請けのオヤジとして埋もれていくはずだった自分の腕前が、最新の科学によって一体どれほどのものなのか、生まれて初めて「客観的な数値」として突きつけられる機会だったからだ。

 

契約を交わし、グレード判定用のテストサンプルを渡してから1ヶ月。ようやくMマシナリーから結果の通知書が届いた。

 

「……ふん。ランク6、か」

 

事務所のパイプ椅子に座り、届いた書面を見つめる。期待半分、諦め半分だった。

Mマシナリーが定めた職人ランクは、上から「1」〜「17」までの17段階。つまり「ランク6」は、全体の半分よりはちょっと上、という位置付けになる。

「そうだよな。毎日まいにち、元請けから指定された決まった形状と、扱い慣れた鉄の材料ばかりを加工していたんだ。変化球のない職人なら、この程度の数字に落ち着くさ」

だが、不思議と悪い気はしなかった。

 

ただの町工場のオヤジと自嘲しながら、己の腕前を極限まで鍛えることよりも、日々の金勘定や元請けのご機嫌取りに追われ、特急の泥縄仕事をこなすばかりの30年間だった。職人の世界は、それで神業の域に到達できるほど甘くはないのだと、客観的なデータによって静かに納得することができた。

 

「そうか。これって、世間一般の基準で言うとどれくらいのもんだ?」

 

「そうですね。我々のデータベース上では、『中堅としては非常に標準的であり、安定した品質を出せる職人』という評価になります」

 

結果を持ってきた担当技術者は、悪びれもせず、さらりと宣った。

 

「おいおい。それを職人本人に向かってストレートに言っているのかよ、お前らは……」

 

「まあ、もし数値の判定や記述の内容に気分を害されたのであれば、いつでもこの場で契約を破棄していただいて構いません。センサー費用など違約金も発生しない旨は、約款にも載っておりますので」

 

「ああ、そうだったな」

田村は苦笑した。契約書の裏の細かな文字には、確かにそんなドライな一文が書かれていた。こいつらは、どこまでも馬鹿正直で、情緒がない。

 

その週の金曜日の夜。田村は久しぶりに、地元の同業の仲間たちと駅前の居酒屋へ飲みに出かけた。

集まったのは、同じくMマシナリーの古い手動機械を並べている町工場のオヤジ2人だ。生ビールが運ばれて早々、田村は2人に切り出した。

 

「お前んとこにも来たか? Mマシナリーの『技術を買い取らせろ』っていう、あの奇妙な営業」

 

「おう、来た来た!」「ウチにも乗り込んできたぞ!」

案の定、彼らのボロ工場にも全く同じシステムの手が伸びていた。酒が入った勢いで、互いの「ランク」についても腹を割って話すことになった。田村が「俺は6だった」と明かすと、他の2人は顔を見合わせた。

 

「おいおい、田村、お前で6かよ。ウチなんか『7』だぞ」

 

「なんだよ、どいつもこいつも真ん中あたりの無難な数字に落ち着けてるんじゃねえか。あの解析、適当なんじゃないの?」

 

田村が笑いながら言うと、もう1人のオヤジが焼き鳥を口に運びながら首を振った。

 

「いや、それがそうでもないらしいぞ。ウチには若い社員が3人いるだろ? ついでだから全員分のデータを取らせてランクを出してもらったんだが、一番若い奴は『16』って突きつけられて凹んでたわ。真ん中の10年目のやつが『10』。腕の差が露骨に数字に出てやがるんだ」

 

さらに3人が驚いたのは、送られてきた評価書の「緻密さ」だった。

そこには、単なる総合ランクだけでなく、「加工面の均一さ」「段取り後の再現性」「刃具(工具)の損傷具合」「急な条件変更への対応力」「チタン等の難削材の経験値」といった、驚くほど多岐にわたる項目が個別にグラフ化されていた。

 

しかし、そのレポートのどこを読んでも、「どうすれば上のランクに上がれるか」という具体的な指導方法やアドバイスは一言も書かれていない。

Mマシナリーの書面には、ただ冷徹にこう記載されていたという。

『――加工の癖、および改善の手順については、個人の身体的資質、性格、および工場の環境特性に依存するため、一律の技術指導は行いません』

 

「あはは、なんとクソ正直で、冷たいテストだな」

仲間の一人が笑う。

 

だが、田村はジョッキを見つめながら、昼間にMマシナリーから届いたあの詳細なグラフを思い出していた。

(どうやったら神業になれるかは教えない。だが、お前の現在の立ち位置と、お前が気づいていない『削りの癖(バグ)』だけは、ミリ単位で正確に教えてやる……か)

 

彼らは、アドバイスなどというお節介な真似はしない。ただ、全国の町工場から集めた「ランク6の加工データ」「ランク16の失敗データ」「ランク1の神業データ」を、あの凄まじい精度で分類・蓄積し続けているのだ。

そして、その膨大な「人間のデータ」を製品に落とし込み、大手メーカー(馬場工作機械)のような、金と知見に飢えたクジラたちへ数億円、数十億円という単位の『データやマニュアル』として丸ごと叩き売っているのだろう。

 

「……ま、俺たちみたいな下請けのボロ工場のオヤジにとっては、自分の腕前がいくらで売れるかってだけの話だけどな」

 

田村は冷えたビールをぐっと飲み干した。

元請けの顔色を窺い、銀行の融資の口車に怯えるだけの惨めな終わり際だと思っていた。だが、連合のシステムに五感を吸い尽くされる代わりに、自分という「職人の生きた証」が完璧な数値として世界中の最新鋭の自動化マシンの脳(プログラム)に組み込まれていく。

地方の歪みと下請けの限界を燃料にして回るMマシナリーの集積システムは、瀬戸内のボロ工場の中にいる頑固な職人たちのプライドを静かに満たしながら、日本のモノづくりの「遺伝子」を、底の知れない速度で、漏れなくハックし続けていた。

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