ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第79話

2日後 大阪府 株式会社馬場工作機械製作所

 

梅田のランドマークビルに構える馬場工作機械製作所の本社応接室。そこに、24社連合の一角である「Mマシナリー」の営業課長と技術統括課長の2名が姿を現した。

 

世界のトップランナーであり、時価総額は兆の単位に達する巨大企業である馬場工作機械。迎える経営陣は、あらかじめ北新地の最高級料亭をセッティングし、この一見「格下」であるはずの落ち目企業を丁重に接待する構えを見せていた。

だが、挨拶もそこそこに申し出たその接待は、実にあっさりと、かつ冷淡に断られた。

 

「せっかくのご厚意ですが、明日の朝一番には北海道本社に戻らねばなりませんので。お気持ちだけ頂戴いたします」

 

たしかにここ大阪から北海道となると急がなければならない。物理的に引き留められない。

営業課長は表情一つ変えずにそう告げると、流れるような動作でアタッシュケースから書類を取り出した。

 

「それで、データのご購入に際しまして、今回は初回ということもございますので、様々な調整やご質問もあるかと存じまして参上いたしました。……なお、今後は対面ではなく、ネット会議かメール、お電話で構いません。どのようなご用件でもご遠慮なくお申し付けください」

 

自動化機械の技術を一切持たず、古い手動の加工機をコストダウンして細々と生き残っている、かつての中堅から中小へと転落しかけていたはずの企業。

普通なら、市場の力関係からしても、技術的な優位性からしても、東証プライム上場の馬場工作機械側が圧倒的に優位なはずだった。しかし、この応接室に漂う空気は、完全にMマシナリーの2人が支配していた。

 

「――ええ、Mマシナリーさん。データの購入自体は、我が社でもほぼ決定しておりまして。あとは、詳しい条件次第という段階です」

 

常務が探るように言うと、Mマシナリーの営業課長は小さく頷いた。

 

「ほう、それは決断が早いですな」

 

(よくもまあ、そんな白々しい口が叩けたものだ……)

常務は心の中で毒づいた。つい数日前、そちらから「3ヶ月も返事がないから他社に売る」と強烈な催促メールを送ってきておいて、この二枚舌だ。本来の力関係なら、テーブルをひっくり返して怒鳴りつけているところだった。だが、開発部から上がってきたあの「職人の勘の数値化データ」の衝撃を前にしては、どんな理不尽も飲み込むしかなかった。

 

「……それで、気になるのは、これほど広範かつ緻密なデータを、御社がどのようにして取得されたか、という点なのですが」

 

「当然、弊社の長年の研究成果でありますよ。取得プロセスに一切の違法性はございません」

 

(聞きたかったのはそんな建前じゃない!)と、またも突っ込みたくなるのを役員たちは必死にこらえた。つまり、これは『これ以上の詮索は無用。秘密です』という無言の回答だった。

 

「……分かりました。では次に、このデータを元に我が社が独自の制御プログラムを構築する、あるいはそのままマシンに搭載して販売したとしても、御社側は一切の問題にしない、という認識でよろしいでしょうか?」

 

「もちろんでございます。今回の購入契約書に、その旨は明記してございます」

 

営業課長が差し出してきた契約書を、社長を筆頭に役員たちが顔を寄せ集めて凝視する。

確かにそこには、二次利用やプログラムへの組み込みを完全に許可する文言が記載されていた。それにしても、タイトルに書かれた『物品・データ購入契約書』という文字が、妙に引っかかる。彼らは本当に、ただの「1回限りの買い切り商品」として、この国宝級のデータを手放そうとしているのだ。

 

「では最後に……このデータですが、我が社以外の、他社への販売は……」

 

「致しますよ。全く同じパッケージ商品です」

営業課長は何でもないことのように言ってのけた。

「現在、経済産業省に確認を入れている最中でして。仮に外為法(安全保障輸出管理)に引っかかる場合は、国内の企業様相手のみの販売になりますが」

 

どうかしている――役員たちの脳裏に同じ言葉が浮かんだ。

これほどの圧倒的なアドバンテージを持つデータだ。囲い込んで自社製品だけに使うか、あるいは高額な年間ライセンス契約(サブスクリプション)にして、毎年世界中のメーカーから莫大なロイヤリティを吸い上げれば、いくらでも儲け続けられるはずなのだ。

なのに、たかだか20億円という、馬場工作機械からすればはした金のような一括価格で、50パターンもの基幹データを売って終わりにしようというのか。

 

いや、違う。

社長はハッと気づき、背筋が凍るような錯覚を覚えた。

これは、彼らにとって『もう売ってしまってもいい、過去のデータ』なのだ。

 

本命の最新データは、今この瞬間も、日本全国、あるいは世界中の町工場に置かれたMマシナリーの手動機械(センサー)から、リアルタイムで吸い上げられ続けている。下手すると、この古い50パターンを買い取って自社製品に組み込み、ようやく世界市場で優位に立ったと思った数年後、彼らは平然とした顔で『改良版の最新100パターンができました。5億円でアップデートできますよ?』と、さらに進化した職人の勘を売りつけにくるに違いない。

 

前日の夜、社長が悔しそうに漏らしていた言葉が役員たちの耳に蘇る。

『いっそ、Mマシナリーという会社ごと、我が社で丸ごと買収したいところだよ』

 

だが、それは叶わない。あそこは15年前に上場を廃止し、24社連合という巨大で不透明の闇に紛れてしまっている。やりようによっては敵対的買収の手口もあるかもしれないが、それを仕掛けた瞬間、日本の「工作機械業界のインフラ」を人質に取っている連合の防衛アルゴリズムが起動し、国内のあらゆる同業他社や経産省が総出で馬場工作機械を社会的に圧殺しにくるだろう。

 

Mマシナリーがライセンス契約(年極契約)という手段を取らない理由。それは彼らの傲慢なまでの自信の表れであり、同時に「余計な揉め事を徹底的に避けるためのシステム」だと勘ぐった。

年間の契約金をもらって顧客を縛るよりも、圧倒的なスピードで新しいデータを市場から吸い上げ、次々と商品化して売り抜けていく方が遥かに打算が合うという計算。

もしデータの収集が停滞すれば、顧客側は次を買わなければいいだけ。「解約手続き」の手間すらなく、『今回は見送ります』のメール一本で関係を閉じることができる。そして何より、開発が停滞したときに、顧客から『高いライセンス料を払わせているのに、なぜ何のアップデートも無いのだ!?』といった理不尽なクレームをつけられるリスクすら最初から排除している。

 

文句のつけようがない、完全に公平で冷徹な「ギブアンドテイク」の構造。

 

「……分かりました。サインしましょう」

 

ほぼ決まっていた購入契約の書類に、社長の万年筆が正式なサインを刻んだ。

その瞬間、それまで一言も発していなかったMマシナリーの技術統括課長が、ブレザーの内ポケットから、静かに5個のUSBメモリを取り出し、テーブルの上へ等間隔に並べた。

 

「そちらに、先ほど申し上げました50パターンのマスターデータが入っております。5つとも全く同じ内容です。弊社を出る直前に厳重なセキュリティ診断と暗号化の解除を行ってまいりましたが、念のため、御社の環境でも再度ご確認ください」

 

「あ、ああ……分かりました」

 

時価総額数兆円の企業の役員たちが、まるで初めて会う政財界の大物の名刺を頂戴する若手社員のように、ぎこちなく、どこか怯えながらその5個の金属片を受け取った。

 

この小さなメモリの中に、まだ馬場工作機械の天才エンジニアたちすら到達していない未知の領域――職人たちの魂を数値化した「超極限の調整プログラム」が入っている。これを組み込めば、自社製品は名実ともに世界の頂点へと君臨するだろう。

 

だが、安堵している暇は1秒もない。数日、あるいは数週間後には、経産省の許可が下りてしまえばドイツのライバル企業も、それより前に国内の競合も、全く同じ「20億円のパッケージ」を手に入れて追いついてくるのだ。

 

ここから先は、手に入れた「共通の神のデータ」を、どれだけ自社製品の物理構造に最適化させ、付加価値をつけて市場に叩き込めるかという、開発・技術・営業の全社を挙げた文字通りの『総力戦』になる。

 

「では、我々はこれで」

 

契約の成立を見届けると、Mマシナリーの2人は椅子から立ち上がり、一礼して応接室を去っていった。

残された馬場工作機械の幹部たちは、机の上の5個のUSBメモリをただ無言で見つめながら、連合という巨大なOSの歯車として、自分たちもまた完全に組み込まれたのだという抗えない現実を、静かに噛み締めていた。

 

「はぁぁ……」

 

営業役員は、誰もいなくなった執務室の高級レザーチェアに深く身体を預け、天井を見上げながら長い溜息を吐き出した。

一先ず、会社を揺るがしかねなかったMマシナリーとの交渉という大役は果たした。すでにバトンは技術部門へと渡り、開発の連中が今頃目を血走らせてUSBメモリの解析に没頭しているはずだ。その安堵が、どっと押し寄せた疲労と共に溢れ出していた。

 

「あいつら……本当に野心というものがないのだな……」

 

ぽつりと漏らした言葉には、純粋な困惑が混じっていた。

あれだけの、世界中の競合が喉から手が出るほど欲しがる知見を独占的に集めているのだ。その気になれば、最近経産省のルートから極秘の注意喚起として回ってきた『24社連合』とやらのバックアップを受け、莫大な資金を投入して「自動工作機械部門」を自社内に立ち上げることだって容易なはずだ。

 

工作機械の核心部である『加工精度』。その最高峰の牙城を、彼らは手動機械のデータだけで事実上ハックし、落としてみせた。もしMマシナリーが自社製の自動機を売り出せば、たとえもう一つの核心部である『操作画面(UI)の使いやすさ』が多少洗練されておらず見にくかったとしても、世界中の工場がこぞって買い漁るに違いない。それをあえてせず、たった20億円のパッケージとして競合に切り売りして満足している。その底の知れなさが不気味だった。

 

「一体、何が違うというのだ……」

 

『DX(デジタルトランスフォーメーション)』というお題目のもと、自社の熟練職人たちの技術をデータ化することなど、馬場工作機械だってとっくに、何年も前からやっている。

技術の畑ではない自分には詳細な手順こそ分からないが、大学教授や産総研(産業技術総合研究所)のトップクラスの頭脳を招き、巨額の予算を投じて解析させてきたのだ。なのに、あちらのような劇的なブレイクスルーには至らなかった。

 

今、自社の開発部が掴んでいるあちらとの決定的な「違い」は、Mマシナリーが『神業を持つ熟練工だけでなく、新人から中堅のヘボ職人のデータすらも網羅して集めていること』――分かっているのはそれだけだ。

 

開発主任たちは「役員、そここそが重要なんですよ!」と興奮気味に語っていたが、営業一筋で生きてきた身としては、今ひとつピンとこない。未熟な人間のデータをいくら集めたところで、出来上がるのは「未熟なプログラム」でしかないのではないか?

 

もちろん、理屈としては聞いている。知識として頭には入っている。

完璧なシステムを開発するためには、成功データ(正解)だけでは不十分だということ。人間が「どうやって失敗するか」「どんな状況で事故を起こすか」「なぜ不良品が出るのか」という、無数のエラーサンプルを解析して初めて、それを未然に防ぐ完璧な制御ロジック(マニュアル)が完成する。だからこそ、あえて未熟な職人のデータも根こそぎ取る必要があるのだと。

 

「……だったら余計に、そのデータを他社に売るのは悪手じゃないのか?」

 

思考の表裏が、頭の中でぐるぐると回転し続ける。

失敗のメカニズムまで完全に内包した「完璧なデータ」であるなら、それこそ競合に渡してしまえば、馬場工作機械の自動機はそれこそ文字通りの『神の領域』へと到達してしまう。Mマシナリーは自ら、自社の手動機械のアドバンテージを消し去るような真似をしていることになる。

 

彼らは、本当にただの「データの切り売り商人」として満足しているのか?

それとも、この20億円のパッケージを世界中にバラ撒いた先に、我々の想像も及ばないような「次のアルゴリズム」が起動する仕掛けになっているのか。

 

営業役員は、冷え切ったデスクの上の資料を見つめながら、背筋に拭いきれない悪寒を感じていた。24社連合という怪物の恐ろしさは、牙を剥いて襲ってくることではなく、こちらが「得をした」と思っているその瞬間すらも、彼らの冷徹な計算式の手のひらの上にあるということだった。

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