ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第81話

2043年 4月 東京 重次化学工業

 

「頼みますよ、本当に……」

 

重次化学工業の社長応接室で、ある重大プロジェクトの契約書を前に、担当役員が祈るように呟いた。彼らが今、社運を賭けて挑もうとしている超巨大案件。それはやはり、あの不気味な「24社連合」の一角である「G化学」から持ち込まれたものだった。

 

重次化学工業は、日本国内で指折りの大手化学メーカーだ。近年は、最先端の半導体工場に不可欠な超純水の洗浄システムや、データセンターのAIサーバーを冷やすための冷却水循環・ろ過インフラを主軸事業として成長させてきた。ここ数ヶ月、世界的なAIバブルの熱狂が一旦落ち着いたことで株価は調整局面にあるものの、それまでのバブル期間中に叩き出した利益と市場での存在感は依然として極めて高い。

 

そんな彼らのもとに、G化学の担当者が提示してきた共同開発案件のタイトルは、あまりにも地味なものだった。

――『海水含有微生物および不純物のろ過システム実証検証』。

 

表向きのニュースでは「汎用半導体製品の市場在庫枯渇が経済安全保障水準に達したため、グローバルな配分変更を行う」などと、あたかもメガテック企業側が市場をコントロールしているかのような温情ある云い方をされている。だが、業界の人間なら誰もが知っていた。AIバブルが急停止したのは、AIサーバーの爆発的な増設に伴い、冷却水源となる「地下水」が世界中で枯渇し、周辺住民との間で猛烈な反対運動(バグ)が巻き起こって投資が停滞したからだ。

 

データセンターを稼働させるには、水がいる。地下水がダメなら、目の前に無限に広がる「海水」を使うしかない。そのため、この手の「海水淡水化・冷却水利用」の提案は、重次化学工業のもとにも毎月のように世界中から持ち込まれていた。

しかし、そのすべてが高コストという絶対的な障壁によって、絵に描いた餅で終わっていた。

 

海水には、目に見えない微生物が大量にうごめいており、ミネラル成分も豊富だ。これらは精密機械の冷却システムにおいては、すべてが致命的な邪魔者(不純物)になる。既存のハイテクフィルターを使えばミネラル成分の除去はできても、そこに大量の微生物の死骸や有機物が一瞬で集中し、目詰まり(閉塞)を起こしてしまうのだ。特殊な高耐圧フィルターは非常に高価だ。そんなものが数時間ごとに目詰まりを起こして交換が必要になるようでは、およそ商業ベースの実用化など不可能だった。

 

ところが、G化学が持ち込んできた処理プロセスは、既存の「膜ろ過」の常識を根底から覆すものだった。

 

【G化学提示:高効率海水処理プロセス】

第1段階:酸性高速回転抽出

海水を強力な酸性液体と混合し、特殊な円錐タンク内で猛烈な速度で高速回転させる。遠心力によって比重の重い不純物を外壁に押し付け、微生物が完全に死滅・分解されたクリーンな水を、回転の中心軸部分からダイレクトに吸水する。

 

第2段階:アルカリ性中和・複合反応

抽出した水に今度はアルカリ性液体を急激に混ぜ合わせ、先ほどの酸性を相殺(中和)する。その化学反応の過程で、第1段階の酸性下では反応しなかった残りの微生物のカスや有機物を、アルカリ性の特性を利用してさらに凝集させる。ここでも再びタンクを高速回転させ、中心部から水を吸い上げる。

 

第3段階:特化薬剤による三次元分離

処理された水を通常のスクエアタンクに移し、G化学が調合した「微生物特性特化型」の数種類のオリジナル薬剤を投入。残存する微細な有機物を、「沈殿」と「浮上」の2方向に強制分離させ、クリアになった水の中央層からのみ吸水を行う。

 

この3段階の工程を経ることで、海水中の微生物処理はほぼ95%完了する。何より恐ろしいのは、「この工程では物理的なフィルター(膜)を一切使わないため、装置を無限に使い回せる」という点だった。この前処理を済ませた後に、仕上げとして重次化学工業が扱っている従来の高価格なフィルターや薬剤を通せば、出費を相当に抑えて海水を冷却水に変える施設が完成する。

 

化学薬品の消費と回転エネルギー、そこに結局最後は高級フィルターを使うためコストはかかる。しかし、数時間ごとにその高級なフィルターを使い捨てる従来のコストに比べれば、文字通り桁違いの低コストだった。

 

「これなら……水不足と電力消費に頭を抱える、アメリカのビッグテック企業なら狂喜乱舞して買ってくれる」

 

重次化学工業の役員たちは色めき立った。

信じられないようなコロンブスの卵。この原理について尋ねた時、G化学の若き開発者は、眠そうな目でこう言い放ったという。

『いや、工場の全自動洗濯機のドラムが回って脱水される構造を見ていたら、ふと思いついたんですよね』

 

さらに重次化学工業を驚愕させたのは、このシステムが「机上の空論」ではなく、すでに完璧な実証データを揃えていることだった。

普通なら、大学の実験室レベル、あるいは数リットル単位の仮施設で成功したから共同開発を……という流れになる。しかしG化学は、まさか大分県の寂れた海岸線に「毎時4,000リットル」の処理能力を持つ本格的な実証プラントを完全密開で建設し、数ヶ月にわたって稼働させ続けた「完璧な結果」をデータとして持参してきたのだ。この量は実験としてはそれなりの規模だが、実際にデータセンターとしては極小サイズ。

 

「そこまで完成されているのであれば、御社が自社ブランドとして単独で事業化された方がよろしいのでは? 海水の前処理までを御社(G化学)が担い、そこから先の半導体冷却水への最終インフラ化を我が社が請け負う、という形にした方が……」

 

重次化学工業の役員が至極真っ当な疑問を投げかけた時、交渉の席は奇妙な静寂に包まれた。

話が進むにつれ、G化学の営業マンは恐ろしいことを口にし始めたのだ。このプロセスの基幹特許から構造のすべての権利を、重次化学工業側に「無償で譲渡する」と言い出したのである。世界中の水をハックできる、この魔法の原理を、丸ごと明け渡すというのだ。

 

もしこれが成功すれば、重次化学工業には世界の半導体・AIインフラの覇権を握るほどの桁違いの莫大な利益が転がり込んでくる。さらにコストを突き詰めれば、いづれは地球規模で深刻化する「世界の慢性的な水不足問題」に対しても絶大な救世主となり得る、歴史に名を残すレベルの特大の名誉すら約束される。

 

それを、G化学はこともなげにこう言った。

『弊社はシステムを開発しただけですので。ロイヤリティとして、最終的な事業利益の10%のマージンだけ毎月口座に振り込んでいただければ、それで結構です』

 

こんな、野心も欲も存在しないような奇妙な大企業、これまでのビジネス人生で一度も接したことがなかった。

 

当然、担当役員はすぐさま社長を交えた経営陣にこのやり取りを詳細に報告したが、社長の第一声は「そのチャット会議の録画データを、加工なしの生データでもう一度見せてくれ」という、深い疑念に満ちたものだった。無理もない。あまりにも話が旨すぎるのだ。

 

「……G化学の目的は、一体何なんだ? 安全重視、リスク回避というビジネスの定石を踏まえるにしても、あまりにも慎重すぎる。特許と原理までこちらに完全に渡してしまう意味が分からない」

 

会議室で役員たちが頭を抱える。

 

「分かりません。ですが……彼らの意図を邪推するなら、『施設の保全管理』や『実際の巨大プラントの建設リスク』、そして何よりも、プライドが高く訴訟リスクの塊である『海外のメガテック企業相手のドロ沼の折衝・政治交渉』。あの面倒極まりない実務のすべてを、我が社に押し付けて盾にしようとしているとしか思えません。……しかし、それにしても特許まで手放すか?」

 

「確かに、マージン10%という数字は絶妙だ。このシステムが世界中のデータセンターや砂漠地帯の淡水化プラントに普及すれば、G化学は自分たちの手を一切汚さず、重次化学工業がこの事業を畳むその日まで、永続的に毎月数十億、数百億円の富を自動で吸い上げ続けることができる。……とにかく、これは一民間企業の枠を超えている。半導体と安全保障に直結する案件だ。至急、経済産業省に打診してくれ」

 

同日 東京 霞が関 経済産業省

 

重次化学工業から送られてきた、暗号化された極秘の問い合わせフォームの画面を開いた瞬間、担当の若手官僚は思い切り頭を抱えた。

 

「……おい、またあいつ等(連合)だよ!」

 

「いいじゃん、別に。今度の鷺宮大臣は、連合の事業のうち『目に見える国家インフラ部分』以外には、基本的には目くじらを立てない方針だって、就任早々の訓示でハッキリ言ってたしな」

 

隣の席の同僚が、冷めた調子でコーヒーをすすりながら返す。

 

先の解散総選挙に伴う新内閣の発足により、8年間経産省のトップとして連合を監視し続けてきた野上大臣が退任。新たに経産省のトップに就任したのは、野上と同じ与党のベテラン議員、鷺宮(さぎのみや)大臣だった。

 

新内閣が打ち出した連合に対するスタンスは、前政権のそれとは大きく異なっていた。一言で言えば、「インフラとなるコアな部分以外は、連合の動きに極力触らない(放置する)」という徹底した実利主義。

前政権の閣僚たちが血を吐く思いで残した、8年間にわたる連合との衝突、摩擦、そしてその他省庁まで巻き込んだ数々の調査記録(独り相撲の歴史)。それを精査した新内閣は、一つの残酷な結論に達していたのだ。

『24社連合という組織は、その根本的な設計(アーキテクチャ)の段階から、国家の権力や法律でねじ伏せることは元々不可能な構造になっている。ならば、国益として本当に譲れない最低限の業種以外は、彼らに自由にやらせて果実を吸わせた方が、結果的に日本経済の数字は上がる』

 

以前、連合案件で事務次官が連合について野上大臣時代のスタンスで対応しようとしたときにこう言った。

 

「そうですか。あなたたち官僚は、日本企業の血の滲むような経営努力と技術改善が、何ら国内の法を犯していないにもかかわらず、周囲の決断の遅い鈍足企業のために足並みを合わせろと、命令するのですか? 日本の技術革新をここで完全に止めろと、国の名の元で宣言させたいのですか?」

 

新たに大臣となった鷺宮は、官僚の放つ「連合のみを対象にしたマイナス向きの特別視」の感覚から出てくるわずかな言葉の質を、極大に解釈して自身の防衛理論として展開し、ぶつけてくるタイプの政治家だった。ある意味で、愚直に立ち向かっていた野上前大臣よりも遥かに扱いづらく、その思考の合理性は、どこか連合の「マニュアル(システム)」そのものに同化しつつあるようにも感じられた。

 

「まあ、書類の文面を見る限り、AIサーバーの冷却や半導体プロセスに関連すると明記してある。そっちの先端技術部門に書類を回して、通常の手続きとして淡々と処理してもらえばいいさ」

 

数時間後、大臣執務室にて。

新任の鷺宮大臣のもとに、少し遅れて重次化学工業とG化学の件の報告通知が届けられた。

 

「あの、鷺宮大臣……また、例の連中(24社連合)が動いています」

 

秘書官が恐る恐るタブレットを差し出すが、鷺宮は老眼鏡の奥の目を細め、穏やかな声で一蹴した。

 

「地方の道路や電力といった、目に見える公的インフラの買収案件ではないのでしょう? ならば、AIや半導体関連の民間取引だ。その担当部門で機械的に処理させなさい。何ら法的な問題はありません」

 

鷺宮自身、議員時代は連合の爆発的な成長に対して、少なからぬ危機感を抱いていた政治家の一人だった。しかし、いざ大臣として引き継ぎの極秘ファイルを閲覧した際、前政権が到達した「最終結論」を目にして、考えを180度変えていた。

ファイルには、こう記されていたのだ。

 

『――8年間に及ぶ全庁的な精査の結果、24社連合は国家の転覆を狙う「敵」ではない。そのあまりにも特異な企業特性ゆえ、インフラ分野での取り扱いには厳重な注意を要するが、それさえクリアすれば、我が国の国際競争力を押し上げる上で、これほど優秀で忠実な「駒」はない。政府の側が、前時代の傲慢な特権意識を捨てさえすれば、これほど頼もしい存在はない』

 

「ですが、大臣……」秘書官が声を潜める。

「重次化学工業からの報告によると、G化学側は特許の譲渡だけでなく、今後作成されるすべての公的書類、および対外的な発表の場から、『G化学』という組織の名前を一切消去するようにと、重次側に強く要求しているそうなのです。完全に存在を隠そうとしています」

 

「フッ……、徹底していますね」

鷺宮は、窓の外の霞が関の景色を見つめながら、小さく笑った。

 

「技術譲渡と特許譲渡の適法な範疇として、そのまま処理を認めなさい。ただし」

鷺宮は振り返り、政治家としての抜け目のない目を光らせた。

「最低限の条件として、将来的に海外のメガテック企業との間で技術的なトラブルや訴訟が発生した際、連合側に『費用の負担義務』は課さないまでも、バックボーンとしての『知恵(技術マニュアルのアップデート)』だけは必ず継続して提供するよう、契約書の条項に盛り込むよう重次化学工業に指導しなさい。……その方が、責任を負いたくない彼らにとっても、都合が良い(喜ぶ)はずですから」

 

鷺宮には、自分に強い主体性がないという明確な自己認識があった。時流の風を読み、最も摩擦の少ない最適解を選択する。その冷徹なまでの客観性もまた、奇しくも連合の思考回路に酷似していた。

もし、前政権が「何が何でも連合と刺し違えろ」という遺言を残していたなら、彼はその通りに国家権力を総動員して連合を叩き潰していただろう。しかし、国が出した結論は「共生」だった。ならば、その方針をミリ単位のブレもなく冷酷に執行するまでだ。

 

どんなにか細い糸でしか繋がっていない、前例のない歪な理論であろうとも、それが「最適解」であるならば国会でも記者会見でも堂々と口にする。それが、このクリーンにハックされた2043年の日本を生き抜く、現代の政治家の処世術であることを、鷺宮は誰よりも深く理解していた。

 

「素晴らしい技術は、どんどん表舞台の企業に躍り出させればいい。我々はただ、その裏で静かに回る歯車に、余計な油を注さないように見守るだけですよ」

 

G化学という名前が消えた世界最高の海水ろ過システムは、霞が関の静かな承認を通過し、重次化学工業という巨大な仮面を被って、世界市場という大海原へと解き放たれようとしていた。

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