ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第88話

2043年 9月 埼玉県 株式会社MOM 埼玉工場・研究所

 

大阪の馬場工作機械製作所がそのジャンルで世界を震撼させているように、彼らとは全く別の加工領域において国内トップを独走する工作機械メーカー、MOM(村岡・オートメーション・マシン)。

その埼玉工場・研究所の心臓部にも、Mマシナリーが全国から吸い上げて構築した「国宝級技術データ」の販売網は確実に伸びていた。

MOMは生き残るため、迷うことなくそのデータ群を高額で購入した。

 

そしてこの日、MOMのアドバイザーとして研究所の重厚な椅子に腰掛けていたのは、地元埼玉で古くから超精密機械加工を手掛け、国から『現代の名工』として表彰された伝説的な職人・山川(78歳)だった。

MOMは本拠地が近いこともあり、技術的な壁にぶつかるたびに厚い札束を包んで山川を呼び出し、その神業のごとき助言や開発への立ち合いを求めていた。今回もまた、購入したデータの解析のために彼を招聘したのだ。

 

「ふん……。相変わらず、あの連中は職人を舐めておるな!」

 

山川は手元の資料を睨みつけながら、鼻で笑った。

実は山川のところにも、かつてMマシナリーの技術買い取り営業がやって来たことがあった。それも、これまでに出て来た職人たちとは違い、遥かに早い時期――。

今から15年ほど前、工作機械業界を揺るがした、Mマシナリーを含む「連合企業」たちが一斉に株式の上場廃止を始めたあの不可解な時期とほぼ同時期だった。

 

ただ、当時のMマシナリーの商談のやり方は、今思えば壊滅的に未熟で、あまりにも不器用だった。

 

『では、この金額(提示額)でいかがでしょう?ここでご勘弁を。』

 

そう言って、ただ機械的に金を積むだけの交渉。プライドの塊である老練の職人に対して、札束で頬を叩くような真似は最も嫌われる悪手であると山川自身も激昂して忠告したが、当時の若い営業マンはマニュアルから一歩も出ず、条件を修正しようとしなかった。だから山川は怒髪天を突き、彼らを叩き出し、「二度と敷居を跨ぐな」と出禁を宣言した過去がある。

だが、15年が経過し、現在の凄まじいデータ群を前にした山川の厳しい口調の裏には、どこか微かな哀愁が混じっていた。

 

(……もし、あの時の小僧が『日本の自動機の精度を世界一にするため』だの『次世代の職人の技能向上スピードを上げる教育方法を模索するため』だの、綺麗事の一つでも並べて頭を下げていれば、俺だって職人の端くれだ、それなりの金額で喜んで技術を明け渡していただろうに……)

 

しかし、愚直すぎるMマシナリーの営業は、翌日以降、本当に二度と山川の前に姿を現さなかった。当時は「やけに聞き分けのいい、ただの強引な押し買い業者」程度に思っていたが、事態はそんな単純なものではなかったのだ。

 

今、MOMの開発主任がタブレットに表示している、購入したプログラムの挙動と削り出しの生データを見て、山川の職人としての凄まじい直感が一目でその本質を見抜いた。

 

「なるほどな……。熟練の『勘』や『塩梅』という言語化できん領域を、言葉じゃなく、完全に『数字と動的データ』に置き換えてやがる」

 

「仰る通りです、山川先生」

 

開発主任は興奮を隠せない様子で身を乗り出す。

 

「特に、この設定を噛ませた際の加工面性状(表面の滑らかさ)は、我が社の最新ベンチマーク機でも追いつけないほどの恐ろしい改善を示しておりまして……」

 

「それはそうじゃろうて。この加工指示プログラム(50パターンのうちの1つ)は、最初から『加工面性状』を最重視して職人が指先を動かした際の設定そのものじゃからな」

 

山川は自社の工場にあるMマシナリー製の工作機械の剛性や振動のクセを脳内に思い浮かべ、彼らがMOMに売りつけてきた50パターンのデータが「どの職人の、どの目的に向けたチューニングなのか」を一瞬で脳内で仕分けていく。

表面粗さの美しさのみに全振りした超仕上げ設定。あるいは、超硬工具の刃先が途中で微細破損(チッピング)するのを徹底的に防ぐため、加工スピードを完全に捨てて全体の同期を重視した設定、チタン合金を目的の形に削れれば工具寿命は一切考慮しない設定など。

山川が口頭でズバズバとデータの意図を解説していくのを聞き、MOMの開発者たちはただ目をパチパチさせて圧倒されるしかなかった。

 

工作機械業界において、Mマシナリーの動向は15年間「空白」とされてきた。といっても凡百な加工機メーカーなので注目する者はほぼ居なかった。

彼らは15年前に最後の汎用フライス盤『M-5』を発表して以来、今日に至るまで「新型機」を一切市場に投入していない。

通常の工作機械メーカーであれば、市場シェアを維持するために、最低でも5年に1回はデザインを一新したリニューアル機や後継ナンバリングタイトルを出すのが常識だ。だが、Mマシナリーは内部の部品のマイナーチェンジ(微修正)は施すものの、大々的な新型機は頑なに開発しなかった。

 

その開発リソースは一体どこへ消えていたのか?

山川とMOMの開発陣は、この技術データ販売ビジネスの構造から、一つの恐るべき仮説へと辿り着く。

 

「……あの連中、15年前から『加工機の新型開発(ハードウェア)』という金のかかる競争を完全に放棄し、コストダウンだけに特化させていたのか? そして、浮いた人員と資金のほぼすべてを、全国の現場から『職人技術を収集・解析する(ソフトウェア)』ためだけに投入していた……?」

 

「15年間も、ひたすら地道に、裏でそれだけを……?」

 

開発者の一人が戦慄で声を震わせる。

さらに、MOMが経済産業省のルートから極秘裏に掴んでいる『24社連合』という枠組みの情報。その今では日本経済の裏側を丸ごと作り変えるような異常なネットワーク。その初期コアメンバーには、あの不器用なMマシナリーが確実に名を連ねている。

 

「そうか、合点がいったわ。……マニュアル主義の狂気、か。つまり15年前、俺のところへ来たあの営業の小僧は、連合の冷徹なマニュアルによって『提示金額の交渉権』しか武器を与えられていなかっただけか。そこから一歩でも外れて、老いぼれの職人を熱い言葉で説得したところで、社内(システム)では規定違反としてマイナス評価にされる……というわけか。融通が利かないのではない、融通を利かせない方針の被害者じゃったのか。」

 

「恐ろしいのはそれだけではありません」

 

主任が深刻な顔で画面を切り替える。

 

「Mマシナリーは最近、その15年間で蓄積した世界最高峰の評価アルゴリズムを使い、『職人の加工サンプルの評価と格付け(レーティング)』そのものを定額のサブスク商品にして全国の町工場に売り始めています」

 

加工サンプルの評価自体は、製造業界では珍しいものではない。各都道府県には公的な「産業技術センター」があり、数万円を支払えば顕微鏡や測定器で金属の破断面や精度を評価してくれる。だが、

 

「……圧倒的に、料金が安すぎるのう」

 

山川が眉をひそめた。

 

「はい。産業技術センターの数分の一の価格です。Mマシナリーは恐らく、バックにいる連合の巨額の資本提供を受けて、測定・評価用の超巨大な解析センターをどこかに大増強したのでしょう。産業技術センターは他にもいろいろな測定もしないといけないですから、機械加工評価設備には限りがあります。一方で彼らの地盤は北海道の旭川ですからね。土地だけはいくらでも余裕があるし、それに特化した設備数を揃えていれば、こうなります。」

 

「そうじゃな。俺も若い頃、あいつらの本社工場に視察に行ったことがあるが、周りは見渡す限りの広大なだだっ広い敷地だった。あそこに、全国のデータを24時間自動で解析する要塞でも建てたか」

 

MOMにとってはそれは完全なる包囲網だ。

 

「これはいよいよ、本気でまずいぞ」

 

山川は、手元の資料を机に叩きつけた。

 

「この格付け評価の対象は『Mマシナリーの機体で削ったもの』に限定されている。しかし、これほど安価に、かつ正確に全国の職人内での自分の『ランク』が可視化されるとなれば、町工場の意地のある職人どもはこぞってMマシナリーの機体を買い、そのレーティングのリングへ上がろうとする。承認欲求の奴隷になるわけじゃ。職人が集まれば集まるほど、Mマシナリーの中央サーバーにはさらに良質な現場のデータ(加工のクセやバグ)が超高速で集まることになる」

 

MOMの経営陣も、その最悪の循環(デス・スパイラル)には薄々気づいていた。

 

「つまり、Mマシナリーは我が社のような競合を遥かに凌駕するペースで、より高精度になった国宝級データを世界中に売って回る、と?」

 

「主任! それじゃあ私たちは、どれだけ血を吐く思いで自社マシンの精度を追いかけても、追いかけても、ソフトウェアの力でずっと先へ離されっぱなしになるじゃないですか……!」

 

若手開発者が絶望的な声を上げる。

 

「もう手遅れだよ」

 

開発主任は自嘲気味に首を振った。

 

「彼らは、データ収集と評価サブスクだけでなく、空いた時間に仕事を自動でマッチングする『臨時単発加工依頼ネットワーク』までインフラとして揃えてきた。工作機械の物売りだったはずの会社が、情報商材事業、評価サブスク事業、そして製造業の派遣・仲介業まで、全方位的につまみ食いして攻め込んできたんだ。いや、つまみ食いではない。彼らはこの15年間、ひたすら懐の中でナイフの刃を研ぎ澄まし、この瞬間を待っていたんだ」

 

「なるほどのう……。見事な手際じゃ」

 

山川は感心したように深く頷いた。

 

「商売の『職人』として見るなら、これを作った連合の絵描きは間違いなく名工じゃな。しかも、囲い込まれた町工場も、仕事がもらえて腕が上がって現に得をしとる。『三方良し』を、ここまで冷徹なシステム論で実現するとはな。連合とかいう連中、底が知れんわい」

 

MOMの未来には暗雲が立ち込めていた。競合メーカーに等しく販売されるデータによってこれまでの優位性は完全に崩壊しかけている。

しかし――。

現在の山川の胸の内に去来していたのは、そんな企業の悲壮感とは全く無縁の、年甲斐もない純粋な『ワクワク感』だった。

 

(これほどまでに全国の超一流の職人たちから、15年もかけて抽出された極限のデータ。それが今、MOMというフィルターを経由して、労せずして俺の手元に転がり込んできておる。資料を読めば、この俺ですら気づかなかった『超微細振動を打ち消すための微小な送り速度のズレ』といった、神業のコツらしき部分が数字として完璧に暴かれているではないか。これから、これ以上の質の情報が、これ以上の圧倒的な量とスピードでMOMに売りつけられ、アドバイザーである俺の目の前に差し出されるのだ)

 

「……くくく」

 

山川の口元が、小刻みに震える。

正直、MOMの今後の経営がどれほど苦しくなろうが、一介の職人である山川の知ったことではなかった。その代わりに、この最高峰のデータ(おもちゃ)を使って、MOMのデカブツ(超大型マシニングセンタ)の制御プログラムを極限まで弄り倒してやる。これほど贅沢で、脳が痺れるような作業が他にあるだろうか。

 

「主任、面白い。このデータの3ページ目のパラメータ、明日の朝一番で実験室のマシンに流し込んでみせるわい。段取りを整えておけ」

 

老人は、新しい最新のゲーム機を与えられた子供のような狂気的な輝きをその眼に宿し、狂おしいほどの悦びに浸っていた。

日本の製造業を支えるトップメーカーが連合のOSに屈服していくその裏側で、天才職人の魂だけは、その圧倒的な情報の濁流を前にして、かつてないほど激しく歓喜の炎を燃え上がらせていた。

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