ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第93話

2044年 2月 三重県 津ローカルテレビジョン

 

大手地上波キー局や、地方の主要地方局が「反J社」の不満を煽る過激な特番を組み、かつて彼らに市場を圧迫された元中小業者たちの怨嗟の声を電波に乗せて視聴率を稼いでいる頃――連合という巨大な最適化システムは、誰も見向きもしないテレビ業界の「最下層の隙間」から、静かに、しかし冷徹なハッキングを開始していた。

 

津ローカルテレビジョンは、三重県の県庁所在地である津市に拠点を置くローカル局。それも地上波の放送免許を持つ局ではなく、加入者しか見ない弱小ケーブルテレビ(CATV)局だ。

地上波のローカル局であれば、総務省の厳格な外資・資本規制や、クロスオーナーシップ(新聞とテレビの資本関係)の縛り、そしてキー局からのネットワーク協定という見えない指示に縛られる。だが、地域の有線インフラに過ぎないケーブルテレビ局であれば、その網を潜り抜けるのは容易だった。

 

「買収されたのか……ウチみたいな、死に体の局すらも……」

 

番組編成部長の牛長(うしなが)は、古びた社屋のデスクで、送られてきた株主変更の通知書を前に呆然と呟いた。

三重県内にもいくつかの有力なケーブルテレビ企業はある。だが、この津ローカルテレビジョンはそのカーストの最下層だ。県内トップクラスの局たちでさえ、大手通信会社や電力系の企業買収によって「ネット回線セット販売業者のおまけのコンテンツ」みたいな扱いを受けて、かろうじて生き残っているのが現状だと聞く。

 

部長とは名ばかりで、牛長の部下はたかだか5名。全社員をかき集めても25名しかいない。普段の業務といえば、地元の商店街の歳末セールのニュースを申し訳程度に流すか、あるいは番組形式の体裁で向こうから金を払って「枠を買い取ってくれる」テレビショッピング番組をただ垂れ流すだけ。

言っちゃ悪いが、自分たちの存在意義がどこにあるのか、牛長自身も分からなくなっていた。

 

そんな吹けば飛ぶような弱小局を買い取ってきたのは、富山県に籍を置く『田中投資』という、聞いたこともない会社だった。

 

「投資会社ねぇ……ってなると、ますます分からん。なぜウチなんだ。マネーゲームの道具にするにも、ウチには転売できるような価値のある資産なんて何一つないぞ」

 

「さあ……僕らにもさっぱり分からないです」

 

若い部下が頼りなく首を振る。だが、その疑問の答えは、買収成立からわずか1週間で、田中投資から送り込まれてきた潤沢な「資金」と「異様な人材」によって、嫌というほど突き付けられることになった。

 

「本当は、皆さんが普段やられている業務のフローや、お持ちの撮影技術、地域の機材状況などを精査してまとめるのが先なのですが……この経営状況を見るに、一刻の猶予もありません。なので、業務改善と並行して、まずは我々の提案する新しい番組枠を、明日からすぐに放送ラインナップに組み込んでください」

 

田中投資から出向してきたという、仕立ての良いスーツを着た若い男は、感情の起伏がない声でそう言うと、厚い企画書を牛長の前に滑らせた。

 

「あいよ……って、なんだよこれ……!?」

 

企画書に並ぶ文字を見た瞬間、牛長の目は点になった。

そこに書かれていたのは、地元のグルメ情報でも、旅番組でも、ましてや定型のテレビショッピングでもなかった。

 

『トライボロジー論文解説(30分枠)』

 

『人間工学におけるヒューマンエラーとインターフェース設計論文解説(15分枠)』

 

『熱力学第二法則から見る次世代冷却サイクルの動向(30分枠)』

 

「おいおい、冗談だろ……? あんたら、俺たちが人間工学だの熱力学だの、そんな高尚な専門番組を作れるわけないだろ。第一、この……ト、トライボロジーって、一体何なんだよ?」

 

「機械工学において、摩擦、摩耗、潤滑を扱う学問分野のことです」

 

出向者は表情一つ変えずに即答した。

 

「ご安心ください。牛長さんたちに今から論文を読んで番組を制作しろ、などという無理難題を言うつもりはありません。これらの放送形式(アセット)は、我が社の方ですべて完成された状態で用意しております。一度、事前チェックとしてご覧になりますか?」

 

「そりゃあ、いくら枠が埋まるからって、変な宗教番組や違法な代物を流すわけにはいかないからな。……でも、内容が正しいのかどうか、俺にはさっぱり判断がつかんぞ?」

 

半信半疑のまま、牛長はマスターコントロールルームのモニターに向こうが持ち込んできた映像データを映し出させた。

そして、スピーカーから流れてきた音声と映像に、再び衝撃を受けることになる。

 

「おい、これ……VTuberじゃないか」

 

「はい。弊社と提携している個人のVTuber(バーチャルユーチューバー)さんたちに、演者として解説を依頼しています。どれほど高価値な情報であっても、大学の教授が真面目な顔と硬い声で、黒板をカリカリ叩いているだけの講義映像をそのまま流しっぱなしにしたところで、一般の視聴者に内容が伝わることはありませんから。」

 

画面の中では、精密にモデリングされた、しかしどこか少し垢抜けない、中小規模の認知度とおぼしき2Dのアバターが動いていた。

確かに、内容はエリート大学の工学部で扱うようなガチガチの専門論文だ。だが、向こうが雇っている専門家が執筆したであろう完璧な解説台本をベースにしながらも、演者であるVTuberたちは時折、親しみやすいアドリブや、あるいはあらかじめ仕込まれたようなコミカルな「ボケ」を挟んでくる。

 

「なるほど、静圧気軸受の摩擦係数がゼロに近づくってことは、つまり私がバナナの皮で滑る時の1万倍はツルツルってことですね!?」

「いや、そこまでいくと逆に制御不能で大惨事だよ!」

 

そんな掛け合いが、テンポよく展開していく。その辺りは、日々ネットの生配信でファンを相手に喋り倒しているエンターテインメントのプロ、VTuberたちの専門分野(独壇場)だった。

さらに、画面が実演パートに切り替わると、背景には一転して、驚くほどメカメカしい、実際の超精密試験機や金属加工機が稼働する超高画質のリアルな映像が映し出される。その無骨な機械の前に、可憐な衣装に身を包んだ美少女アバターや、サイバーパンク風の衣装を着たイケメンアバターのペアが立ち、レーザーポインターを模したエフェクトで構造を分かりやすく説明していくのだ。

 

「……信じられん。めちゃくちゃ専門的なのに、なぜか最後まで見れてしまう……」

 

呆然とする牛長に対し、出向者は「次はこちらです」と、さらに別の企画書を差し出した。表紙には『企業分析・三重県版』と書かれている。

 

「財務諸表や決算短信、有価証券報告書を公表している上場企業たち。その中で、この三重県内に工場や物流拠点、あるいは店舗網を持っている企業を、IRデータ(投資家向け情報)をベースに徹底的に解剖・分析する番組です。こちらも同様に、VTuberを活用して分かりやすくエンタメ化します」

 

「……待てよ。上場企業を勝手に分析して流すのか? 文句を言われないか?」

 

「公開されている数字を客観的に解説するだけですから法的な問題はありません。ですが、現時点では企業側からの公式な取材許可や協賛が下りないでしょうから、まずは不定期のゲリラ番組としてスタートします。そこで、牛長さんたちにお願いしたいのです」

 

出向者はまっすぐに牛長の目を見た。

 

「地元の非上場企業、あるいは個人商店さんの中で、『ウチの財務やビジネスモデルを番組で面白おかしく、だけど真面目に分析して放送してもいいぞ』と言ってくれる風通しの良い企業を、皆さんの地元のパイプを使って営業し、探してきていただきたいのです」

 

その瞬間、牛長の脳裏で、バラバラだったピースがガチリと噛み合った。

この田中投資がなぜこんな地方の最下層のケーブルテレビ局を買収したのか。その本当の理由が氷解した。

 

当初予想していた通り、彼らの目的は『放送インフラと、総務省から下りている有線テレビ放送の許認可(プラットフォーム)そのもの』だ。地上波のような利権の縛りが緩いCATVを買い叩き、外見だけは「地元密着のローカル局」の看板を残したまま、中身を「情報拡散の実験場(テストベッド)」に丸ごと書き換える。

そして、自分たち既存の社員には、地元の商店や中小企業との長年の繋がりを利用した「泥臭い営業とネタ素材のストック役」をやらせるのだ。

 

「なるほどな……。真面目で、普通なら誰も見ないような高度な学問や経済の内容を愚直に扱う。だけど、画面には今時の若者やネットユーザーが最も食いつきやすい二次元のエンターテイナーを配置する。これをウチの放送枠や、提携するネット配信のアーカイブで流し続ければ……巡り巡って、あの『紙村グループ』のような、技術はあっても一般への知名度が足りないお堅いBtoBの製造業やインフラ企業が、『知名度アップや、新しい投資家へのアピール目的でウチと提携したい』と向こうから金を積んで名乗り出てくる。そう遠い未来を計算しているわけか?」

 

「ええ。その通りです」

 

出向者は、初めて満足そうに口元をわずかに緩めた。

 

「やたらと高度な大学レベルの内容ばかりを並べているのは、既存のメディアとの徹底的な『差別化(ポジショニング)』だな?」

 

牛長は確信を持って言葉を重ねる。

 

「小学生や中学生が解くようなクイズや雑学は、キー局のゴールデン番組で腐るほどやっている。高校生レベルの受験勉強や分かりやすい科学実験は、動画配信サイトのインフルエンサーたちがすでに扱い尽くしている。だが……『大学・専門機関・最先端の産業論文レベル』の解説になると、難解すぎてビジネスにならないから、途端にメディアの供給が『完全な空白地帯』になる。そこを突いたんだ」

 

「そうですね。ネット配信だけでは届かない『テレビの放送免許・編成権を持つメディアが公式に発信している』という事実が、企業の法務やIR部門に対する強力な信頼の担保(エクササイズ)になるのです」

 

完全に供給者の隙間を突いた、冷徹なまでのブルーオーシャン戦略。

出演しているVTuberたちも、登録者数が何十万人もいるような大物ではない。おそらく、生活費を稼ぐのにも困っているような、しかし喋りの技術と最低限のモラルだけはある「底辺・中堅クラス」の演者を、田中投資の資金力で「30分枠を格安で、だけど安定して維持できるパーツ」として大量に囲い込んでいるのだろう。分野や学問が変わるごとに、担当するキャラクターが機械的に入れ替わっていく構造が、それを何よりも雄弁に物語っていた。

 

キー局のテレビマンたちが、スタジオで「打倒、J社!」と息巻き、感情的なデモ映像を流して目先の視聴率に一喜一喜しているその足元で。

連合は、誰も見向きもしない地方の有線電波の網をパージし、次世代の「産業教育・インフラメディア」の種を、誰にも気づかれないように静かに、しかし確実に蒔き終えていた。

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