ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第97話

翌日 東京 霞が関 外務省

 

前日の日米極秘ビデオ会議で突きつけられたワシントンの意向を、まずは連合側の窓口に伝える場が設けられた。

もちろん、アメリカ側が匂わせてきたあの『命のやり取り(暗殺を示唆するジェスチャー)』という最後のカードは、まだ切らない。外交交渉のセオリー通り、まずはマイルドな「事業譲渡の要求」という形を取り、ここで連合が素直に引いてくれればすべては丸く収まるはずだった。

 

「――なるほど。状況は理解しました。合衆国政府は我が24社連合を『安全保障上の脅威』に指定し、NEXAと城島ファンドが米国内に展開している格安スーパー網の全権利を譲渡しろ、と。そういうことですね」

 

「は、はい……」

 

対面に座る連合の若き幹部、向島(むこうじま)の淡々とした言葉に、外務省の北米局長はいたたまれない表情で小さく頷いた。

連合という存在が日本政府にとっても巨大な頭痛の種であることは間違いない。だが、一民間企業としての正当な経済活動、それも現地のアメリカ市民から絶大な支持を得ている最先端の流通システムを、「気に入らないから」という短絡的な覇権主義で排除し、実質的にタダで明け渡せと迫るホワイトハウスの理不尽さ。それを仲介し、自国の企業に突きつけなければならない自らの不甲斐なさに、局長は内面で激しい屈辱感を覚えていた。

 

だが、向島から返ってきたのは、悲壮な覚悟でも、執拗な抵抗の言葉でもなかった。

 

「別にいいですよ。そのままお譲りします」

 

「……え?」

 

局長は思わず間の抜けた声を上げた。

あらかじめ無償譲渡、あるいは格安での売却という「撤退の方針」を織り込んでいたのだとしても、一切の条件提示も、引き延ばしの交渉も挟まずに即答する。普通の企業であれば「アメリカの圧倒的な威光にひれ伏した」と解釈するところだが、相手はあの連合だ。あまりに無抵抗なその姿勢に、局長はかえって背筋が凍るような『何か致命的な裏があるのでは』という強烈な違和感を抱いた。

 

「い、いいんですか? そのまま譲渡するということは、地元の農家を束ねているサプライチェーンも、自動発注・価格最適化を行う基幹システムも、そして御社の現地経営法人である『NEXA』の現地社員たちまで丸ごと向こうの管理下に置かれるということですよ? 連合の誇る世界最高の経営ノウハウ(ビジネスモデル)が、そのままアメリカ政府や現地の競合ヘッジファンドに流出することになるのですが……」

 

「ええ。まあ、そこはすでに『対策』してありますので」

 

向島は飄々とした表情のまま、こともなげに言ってのけた。

 

局長には、目の前の若い幹部の思考がまったく読めなかった。

アメリカのどの大手スーパーチェーンよりも安い価格で同じ商品を安定供給する、人類の流通史を塗り替えるような奇跡のスキームを開発しておきながら、それを惜しげもなく敵方に差し出すという。

 

すでに十分な資金(イニシャルコスト)は回収し終えたからか?

それとも、最初から経営計画のパラメータの中に「地政学リスクによる強制接収」を織り込み済みだったから、想定内のイベントに過ぎないのか?

 

いや、そんな凡百な経営コンサルタントが思いつくような理由ではない気がする。局長の脳裏に、かつてバグ・ハンターたちが思い知らされた、連合というシステムの「合理性のバグ(超越性)」が不気味に蘇りつつあった。

 

向島は冷めた笑みを浮かべたまま、書類にサインを入れる準備を進めている。

その静かな挙動は、アメリカという巨大な国家権力が連合の喉元にナイフを突きつけているのではなく、むしろ「連合というシステムが、アメリカという自惚れた怪物を罠の中に手招きしている」かのような、得体の知れない恐怖を霞が関の官僚に抱かせるのに十分だった。

 

会議が終わり、後日譲渡契約書を交わすために本庁に来てもらうことになった。

局長は事務次官へ議事録を回して判断を仰ぐ。

 

翌週 東京 千代田区 首相官邸

 

この件に関し、首相官邸では極秘裏に緊急閣僚会議が招集された。さすがに真の議題を公表するわけにはいかないため、表向きは「秋の補正予算に向けた各省庁間の予備調整会議」という名目が立てられていた。

 

「さて……大統領就任早々、随分と派手にやらかしてくれるね、ホワイトハウスは」

 

内閣総理大臣はくたびれた様子で椅子の背もたれに深く体重を預けた。

 

「店舗、流通網、サプライチェーン、さらには現地法人の従業員と経営者まで、すべてを現状のまま置いて日本へ出ていけ、か。日頃から『自由経済』を国際社会に謳っておきながら、よくもまあこれほど野蛮な真似ができるよ」

 

「だが総理、これはアメリカ側の『完全な失敗』に終わるのが、すでに目に見えているのではないですか?」

 

口を開いたのは、内閣官房副長官だった。

 

「今回の接収対象となった現地経営法人の『NEXA』ですが、彼らが現地で行っていた業務の本質は、出店のための用地選定や、サプライヤー同士の日常連絡といった物理的なフロント業務に過ぎません。価格決定や物流最適化といった『経営の脳』には、彼ら自身すらほとんどアクセスできていなかったのですから」

 

「おまけに、NEXAの現地経営陣は城島ファンドのシステムが弾き出す指示通りにしか動いていなかったとも聞いています。なぜその価格なのか、なぜそのルートなのか、アルゴリズムの根拠すら知らずに動いていた末端の人員をどれほど抱え込んだところで、ホワイトハウスはどうしようもないでしょうに……」

 

これらの事実は、かつて解散した公安主導の『バグ・ハンター』の元メンバーたちと、公安、そしてごく一部の閣僚およびその次官たちにしか共有されていない最高機密だった。

だからこそ、先日の交渉で外務省の北米局長は、連合のあまりにあっさりとした「全面降伏」に驚き、裏があると疑心暗鬼に陥っていたのだ。

自動発注や価格最適化の冷徹な判断は、現地NEXAが送信する生データと店舗カメラの映像を基に、日本国内にある島根県松江市の城島ファンド本社のホストサーバーがすべて中央処理している。アメリカに「置いていく」経営ノウハウなど、物理的に最初から存在しなかったのだ。

 

「ですが、だからこそ不気味なのです。これほどの国家権力を笠に着た強硬手段を、就任早々のファーストターンで取ってしまったら、今後の国際交渉で揉めた際、これ以上強力なカードが使えなくなりませんか?」

 

鷺宮経済産業大臣が、怪訝な表情で疑問を投げかけた。

 

「こんな暴挙を乱発すれば、今度はアメリカ自身が世界市場から『ルール無視の略奪者』として敵視される。さらに過激化すれば、アメリカの経済制裁を恐れて、中東や東南アジアの資源国が雪崩を打って東側ブロックへ合流する国すら出てきかねない。あのアメリカのシンクタンクが、そんな初歩的な地政学リスクを見落とすでしょうか」

 

「鷺宮大臣の言うことは分かる」

 

総理が小さく頷く。

 

「最も強力な切り札を、ゲームの2ターン目にノーリスクで切るような愚を、あのアメリカが犯すはずがない。そう言いたいのだね?」

 

すると、机の端で静かに資料をめくっていた別の閣僚が、苦笑を漏らした。

 

「鷺宮さん、あなた、少し連合を相手にしすぎて思考ゲームに深入りしすぎですよ。奴らの高度な数理的合理性に慣れすぎて、アメリカという国を過大評価している」

 

「……どういうことです?」

 

「田中外務大臣、このケースで考えられる大統領側の『真の背景』は、そちらの資料にある分析で間違いないのですね?」

 

総理に話を振られた田中外務大臣が、一通の極秘ペーパーを提示した。

 

「はい。国家の長期的な地政学リスクではなく、『人間の欲と政治的合理性』。これらを同等に扱ってシミュレーションした結果、最も蓋然性が高いと弾き出された分析です」

 

田中外務大臣は資料のグラフを指し示しながら説明を続けた。

 

「今回の大統領は、就任時の選挙戦において、歴史的な僅差でようやく当選をもぎ取りました。特に、国内のインフレ拡大に伴う格差の一途を背景に、地方の貧困層からの支持基盤が致命的に弱いとホワイトハウスの分析官に突きつけられていたのです。そしてそこに誰の功績でもない、正体不明の『全米規模の超格安スーパー網』が存在していることに気が付く。

調べてみれば、フロントにはアメリカ法人を立てているが、資本のバックには日本の城島ファンドという外国企業がいる。だったら話は早い。これを国家安全保障の美名の下に都合よく排除し、政府の統制下に置いて『我が政権の成果として、貧困層に安価な食料インフラを保障した』と国内にアピールすれば、次の中間選挙での票は完全に安泰となる。……ホワイトハウスは、そう踏んだのです」

 

「つまり、国家の未来ではなく、目先の大統領自身の『政治的生存』のために、国家権力という大砲をぶっ放した、と」

 

鷺宮経産相は絶句した。連合のような、10年、20年先を見据えたシステム的最適化の視点から見れば、あまりにも行き当たりばったりで、人間臭い、近視眼的な理由だったからだ。

 

「なるほどな」

 

総理は資料を閉じると、この日初めて、皮肉混じりの薄い笑みを浮かべた。

 

「中長期的な経済的合理性でしか動かない『連合』と、4年任期の政治的合理性だけで動いた『アメリカ大統領』。……とんだ化かし合いだな、これは」

 

アメリカが手に入れたのは、中身のシステム(知財)が綺麗に引き抜かれた、動かすことすらままならない巨大な「ハコモノ」の死骸。

そして連合は、アメリカという巨大な国家の理不尽な暴力を、一切の血を流すことなく、ただ「抜け殻」を差し出すだけで完全に受け流した。

 

システムという無機質な神の網の前に、人間の「権力欲」という古臭いバグが、自ら踊らされていることにすら気づかずに、大戦果を誇らしげに叫び声を上げようとしていた。

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