王都の喧騒が遠ざかるにつれて、空気が変わる。 石畳は湿り、灯りは減り、やがて人の気配すら薄れていく。 カインとレイナは、無言のまま下水道の入口へと滑り込んだ。
――水の音。――腐臭。 ――そして、わずかに混じる“人の匂い”。
「……帰ってきたな」
レイナが呟く。
「ええ」
カインは短く返した。 だが、その目はまだ興奮の熱を帯びている。
巻物は、しっかりと腕の中にあった。-- 幾重にも分岐する地下道を抜ける。
迷えば二度と戻れないような道だが、二人は迷わない。
やがて― 視界が、開けた。 地下に広がる、もう一つの街。 《ノクス・アンブラ》。
薄暗い灯りに照らされた石造りの建物。 路地を行き交う者たちは、誰もがまともではない。
笑う者、睨む者、値踏みする者。 だが、カインとレイナを見ると― わずかに道が開いた。 「……噂、もう回ってるな」
「でしょうね」
銀行の爆発。 あれだけ派手にやれば、隠しようがない。 それでも、ここでは― 「成功した者が正しい」 ただそれだけの話だ。
-- 石畳を進み、二人は一軒の建物の前で足を止めた。 煤けた看板。 歪んだ文字。「リベルテ」自由という名の酒場。 そして― 灰狼の牙の中枢。
「行くぞ」
レイナが扉を押す。――ギィ、と軋む音。 中に入った瞬間、熱気とざわめきが押し寄せた。 酒の匂い。笑い声。怒号。 だが、それらは一瞬で止まる。 視線が集まる。
「……おい、帰ってきたぞ」
「例の銀行だろ?」
「マジかよ、あのヴィヴァルディを……」
ざわめきが広がる。 そして―
「随分派手にやったな、ガキ」
カウンターの奥から声がした。 重く、低く、空気を押さえつけるような声。 酒場の喧騒が、自然と道を開ける。 そこにいたのは、一人の男。 長椅子に深く腰掛け、片肘をついている。 顔は、影に沈んで見えない。 だが― いるだけで分かる。 この場の頂点だと。
「……フェンリク」
レイナが小さく名を呼ぶ。ギルドマスターその存在は、噂以上だった。
「報告を」
短い一言。 それだけで、場の全員が口を閉じる。
「ヴィヴァルディ銀行、侵入成功。目標物を確保」
レイナが淡々と告げる。
「警備との交戦あり。施設の一部を破壊」
「一部、ね」
フェンリクが低く笑う。
「王都の半分がひっくり返る騒ぎだ。控えめに言ってもな」
その視線が、ゆっくりとカインに向く。
「――で?」
言葉はそれだけ。 だが、意味は明確だった。
カインは一歩前に出る。 周囲の視線が、痛いほどに突き刺さる。 期待、嫉妬、敵意、興味。 すべてを受け止めながら― 巻物を差し出した。
「これです」
フェンリクは受け取らない。 ただ、見ている。
「開けろ」
「ここで、ですか?」
「聞こえなかったか?」
空気が凍る。 試されている。 カインは、ゆっくりと巻物を広げた。
その瞬間。――空気が震えた。 酒場のざわめきが、一斉に消える。 誰もが本能で理解した。 “危険だ”と。
「……ほう」
フェンリクの声が、わずかに変わる。
「これは…」
「ええ」
カインは答える。 視線は、巻物に釘付けだ。
「これは――エクスプロージョン。爆裂魔法です」
ざわ、と周囲が揺れる。
「冗談だろ……」
「こんなもん、街中で使えば……」
「みんな消し飛ぶぞ」
誰かが息を呑む。 だが、カインは続けた。
「普通の魔法ではありません」
「そうだろうな、どう違う」
フェンリクが問う。
「制御など前提じゃない」
カインは指で紋様をなぞる。
「これは、本で見た通り破壊そのものを呼び出す術式です」
静寂。 誰も口を挟まない。
「使えば終わる。敵も、自分も、全部」
「……」
「でも――」
カインは、わずかに笑った。
「俺が描けば、別です」
その言葉に、数人が眉をひそめる。
だがフェンリクは― 笑った。 低く、愉しむように。
「面白い」
その一言で、空気が変わる。
「レイナ」
「は」
「こいつはどうだ」
問いかける、だが答えは決まっているようなものだった。
「危険です」
レイナは即答する。
「ですが――火力で見ればこれに勝る魔法はないでしょう」
「だろうな」
フェンリクは立ちあがり言った
「カイン・ヴァルク」
名を呼ばれる。 初めてだ。
「はい」
「それはお前が持て」
周囲がざわめく。
「ボス、それは――」
「黙れ」
一言で沈黙。 フェンリクはカインを見下ろす。
「使いこなせるか?」
試すような問い。 だが、カインは迷わない。
「分かりません」 正直に答える。
「でも――」
視線を逸らさずに言う。
「描いてみたい」
一瞬の静寂が落ちる。そしてその目に宿す狂気を見て
「いい答えだ」
フェンリクはそう笑った。
「壊せ。試せ。好きにやれ」
それは許可であり― 同時に、命令だった。
「ただし」
声が、わずかに低くなる。
「死ぬな」
それだけ。 だが、それ以上の言葉は必要なかった。
-- 酒場のざわめきが戻る。 だが、先ほどまでとは違う。 誰もが理解した。 この夜を境に、何かが変わると。
カインは巻物を握りしめる。 まだ、熱を持っている。
(……エクスプロージョン)
頭の中で、あの構造が何度も再生される。 描ける。 壊せる。 そして― 「もっと、先がある」 小さく呟く。 誰にも聞こえない声で。
自由の名を掲げる酒場「リベルテ」その奥で、ひとつの危険な才能が― 確かに、牙を剥き始めていた。
ノクス・アンブラ
王都下水道深くにある街
居場所をのない者たちが集まり日夜、裏取引などの上ではできないことが行われている
リベルテ
ノクス・アンブラの奥にある寂れた酒場だが実態は盗賊ギルドの本拠地である
フェンリク
ギルドマスター
底知れない強さとカリスマ性を持った謎多き男