たまに土日あるかも
俺は単勝馬券を握りしめたまま、目の前の光景を焼き付けた。
「……すごかったな、あのタイシン産駒」
「ああ……もしかしたら、今後も走るかも?」
「いや、まさか……多分今回限りの一発屋だろ、あれ」
「……でも、一応チェックしとくか……?」
俺が賭けたのはマグナアニマの単勝500円。だが、それは言ってしまえば記念に買ったものに過ぎない。ナリタタイシンのラストクロップ、正真正銘最後の子。
正直、「BNW」は世代というわけでもないし、ナリタタイシン自体に思い入れもそこまでない。本当に記念に買っておくか。その程度の認識で買った馬券だ。外れたところでダメージもない。
だが、それでもあの走りは俺の脳を焼くのに十分だった。まさしく、鬼の末脚。マグナアニマは負けこそしたが、確かな存在感を示してみせた。
「次はいつ走るんだ?」
俺は手に握ったハズレ馬券を捨てずに財布の中にしまう。
あの馬を今後追い続けてみよう。俺はそう決めた。
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『負けたんですってね。なっさけないわね』
『面目もございません』
厩舎に帰って馬房の中。俺は隣の馬房のスイープ師匠のお説教を受けていた。実際、かなり申し訳ない。スイープ師匠には追い込みの何たるかを教えてもらったり、放牧中に走りを見てもらったりと、色々とお世話になったというのに肝心の本番でこのザマだ。
相手が強かったなんてのは言い訳だ。あるのは俺が負けたという事実のみ。
『まったく、そんなんじゃあ一人前の競走馬になるなんて夢のまた夢よ』
『はい』
『────んで、実際走ってどうだった?』
『え?』
スイープ師匠の問いかけに俺は暫し考える。実際に競馬場で走ってどうだったか? 緊張もしたし、実際の馬場は練習とも違い、かなり苦戦した気もする。
────でも
『────楽しかったです』
俺はあの瞬間が本当に楽しかった。前の馬たちを追い抜く感覚、観客の声援を浴びる感覚、何より、真剣勝負をしているという実感を強く感じたのだ。
俺の言葉にスイープ師匠は満足そうに笑みを浮かべる。
『ならば良し。中には萎縮しちゃう子とかもいるから少し心配したけど、杞憂みたいね』
『……スイープ師匠』
『だ・か・ら・師匠って言うのやめなさい! 何度目よコレ!』
スイープ師匠はヒヒンと嘶きながら怒る。だが、何度言われようと俺にとってスイープトウショウは尊敬する師匠だ。変える気はサラサラない。
『全く……変な所で頑固なんだから……』
『その言葉、師匠にそっくりお返ししますよ』
頑固さは流石に師匠の方が上だと思う。この間の調教では走るのが気分じゃないからと拒否していた1時間くらいずっと突っ立ってた訳だし……。なんか、生沿さんが可哀想になったぞアレ。
『でも、次は負けません』
『あらそう、精進しなさい』
スイープ師匠は興味なさげにしながらも、激励の言葉を俺にくれた。こういうところが素直じゃないんだよな、この人。
「おい、スイープ。そろそろ坂路の時間だ。こっちおいで……」
『嫌っ、今日はゴロゴロしてたい気分なの!』
「さあ、スイープ……大丈夫だから、ね、行こう?」
『い────や────だ────!』
そうこうしているうちにやってきた生沿さんと鶴田さん。調教の時間のようだが、全く動こうとしないスイープ師匠。他人事だと見てて少し微笑ましい気持ちになるな。多分、当人達は気が気じゃないんだろうが……。
「おはようございます」
「あ、由紀ちゃん。おはよう」
由紀さんもやってきたな。それを見た鶴田さんはチラリま俺の方を見てため息をつく。
「……はあ、仕方がない。先にマグナアニマの調整を済ませちゃおうか。生沿、悪いけどスイープをなんとかして連れてきてくれ」
「あ、はい。わかりました」
馬房の扉が開き、鶴田さんに連れられて俺は外に出る。ちらりとスイープ師匠を見るが、生沿さんと厩務員の方々がニンジンなりなんなりで釣ろうとしてるが全然上手くいってない……。
『……何見てんのよ。とっとと行きなさいよ』
スイープ師匠に言われて俺はハッとする。もしかして、これはスイープ師匠なりの気遣いなのではないか?
俺がさらに強くなるためにも、もっともっと特訓する必要があるわけだし、もしかしたらスイープ師匠は俺にその時間を設けるために敢えてあんな行動を……。
「よし、スイープ。リンゴもあるぞ〜」
『嫌っ! 今日は寝たい気分なの! 食べ物とかで釣られる私じゃないの!』
「よしよし、坂路終わったらブラッシングしてやるからさ、頼むよ……」
『い────や────だ────!』
……いや、これ自分が走りたくないだけだな。やはり、スイープ師匠はスイープ師匠だ。俺は笑いをこらえながら、坂路へと向かうのだった。
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マグナアニマの敗戦からニ週間が経った。一週間の休みを取ったマグナアニマは調教の日々に戻り、由紀とともに励んでいた。
「どうかね? マグナアニマの様子は」
由紀が鞍から降りると鶴田が話しかける。由紀はヘルメットを脱ぎ、マグナアニマの首筋を撫でながら手応えを言う。
「絶好調ですね。負けても調子を崩さず、むしろやる気が上がってるって感じします」
「それはよかった。サラブレッドは繊細だ。負けで調子を崩す馬も珍しくはないからな……」
鶴田の言葉に厩務員達は頷く。かつては将来を期待されていたにも関わらず、負けが込んでしまい調子を崩し、そのまま活躍することなく終えてしまう。それは競走馬の世界ではよくあることだ。だからこそ、マグナアニマのメンタル面は少し気がかりだったが、鶴田の目から見ても鞍上である由紀の目から見てもマグナアニマは絶好調そのもの。これならば次戦は問題なくこなせるだろう。
「一週間休ませて疲労もほぼ見えなくなりましたし、この様子なら早ければ10月のレースには出せそうですね」
「そうか……なら、予定通り来月の未勝利戦に出走させよう」
「はい。……そこで勝てば」
「ああ。そこで勝てれば賞金収得で「京王杯2歳ステークス」に出られるはずだ」
これは鶴田と由紀、森沢の三人で昨晩話し合って決めたことだ。
マグナアニマの次走は10月8日の京都未勝利戦。そこから疲労を確認し、11月のGIII「京王杯2歳ステークス」に挑む。
もしも出走するのならば、由紀にとっても久方ぶりの重賞出走、森沢にとっては所有馬の中央重賞初出走となる。
もっとも、次の未勝利戦で敗北すればそのプランが白紙となるため、まずは次の未勝利戦に目を向けなければならない。否が応でも気合がはいるというものだ。
「前回は惜しくも敗れてしまったが、決して悪い内容ではなかった。次戦も引き続き、マグナアニマをよろしく頼む」
「はい。次は負けません……夢をかなえるためにも」
「夢?」
由紀の言葉に鶴田は聞き返す。由紀はマグナアニマを撫でたまま自身の夢を語る。
「……私、皐月賞を勝ちたいんです。他の人は大体ダービージョッキーになることを夢見てるけど、私は皐月賞ジョッキーになることをずっと夢見てます」
「皐月賞か……珍しいな。何でまた?」
G1を勝つ。それ自体はどの騎手も夢見ることだろう。だが、彼女の言うように基本は皆ダービーを目指す。もしくは有馬かジャパンカップと言う者もいるだろう。
G1ジョッキーになりたいという夢を見る者は多くいれど、皐月賞単体に目標を絞っているというのは鶴田からしても珍しく感じた。
由紀はその反応も仕方なしと思い、ポツリと語る。
「……皐月賞が、私が騎手を志すキッカケでしたから……」
由紀が思い返すはナリタタイシンの皐月賞だ。彼女にとっての競馬人生はあの瞬間に始まったと今でも思っている。
だから、地方とはいえ「黒潮皐月賞」を勝った時は本当に嬉しかった。
だが、「黒潮皐月賞」は「皐月賞」の名を冠した地方重賞。それは本物の「皐月賞」ではない。
「いつか、本物の皐月賞で勝ちたい」それが、由紀が地方から中央に移籍した理由でもあった。
それが、自身の憧れたナリタタイシンの子で叶うのならばこれ以上はない。
「そのためにも、次は勝ちます。その次の「京王杯」も通過点のつもりでやります」
「……重賞が通過点か。そうは言うが、そもそも女性騎手で中央の重賞を勝てた者は未だ一人として存在しない。それは分かって、言っているのか?」
「はい。それでも、まぐちゃん……マグナアニマとなら、勝てると思います」
鶴田の厳しい言葉に由紀もまた強い目で返す。
その言葉を聞いた鶴田はふっと笑うとポンと彼女の肩に手を置く。
「……君の覚悟はよく分かった。そこまで言うなら、好きにするがいい。だが、次の未勝利戦で勝てなければ話にならないぞ。もしも負けたりしたら、最悪主戦の変更なんかも検討せねばならんしな」
鶴田は冗談めかした口調で言っているが、十分あり得る選択肢だ。そもそもの話、マグナアニマは鶴田の厩舎の中でも一二を争う有望株。馬主の意向で彼女に乗せているが、本来ならば生沿のように実績十分な騎手を乗せてもおかしくない馬だ。
由紀もそれはよくわかっている。だが、それでも彼女は決意を宿して言い返す。
「大丈夫ですよ。私達は負けませんから……」
「……そうか。期待してるよ」
その言葉を聞いた鶴田は満足そうに頷き、踵を返す。鶴田もまた、この未熟な騎手を勝たせるために全霊を持ってサポートすることを決めた。
(……そうだ。俺達は負けない。次はドリームジャーニーだろうがなんだろうが、ぶっ千切ってやる!)
そして、由紀や鶴田だけではない。このやり取りを聞いていたマグナアニマもまた、闘志を燃やすのだった。