ドドドドドッ!
『さあ、残り千メートル。2番レッドスターリリー淡々としたペースで逃げています。しかし、その後ろにピッタリとついているのは8番「ウッドエルナンド」です』
マグナアニマの勝利から1週間後の高知競馬場。
俺の目の前では多くの馬が砂埃を上げて走っている。
『第四コーナーカーブから直線に向かうところ! レッドスターリリー、ウッドエルナンドとともに後方と3馬身4馬身と差を詰めていく! 二頭の差はおよそ一馬身、これは届くか?』
先頭に立つはレッドスターリリー。元はホッカイドウ競馬所属の馬だったが、今年に入って高知に移籍。よほどこの地の砂が合っていたのか、ここに来てからは常に掲示板内をキープしており、直近で三連勝。この地で最も勢いのある馬だと言えるだろう。
レッドスターリリーは更に差を伸ばそうと脚を伸ばしている。現に三着以下とは既に5馬身以上の差が開いている。
そんな中で、ピッタリと張り付くように一頭の馬がレッドスターリリーを差し切ろうとする。
「……いけ……いけっ!」
俺の叫びに呼応するかのように、鞍上が鞭を叩く。それと同時に馬も応えようと加速する。徐々に徐々にその馬はレッドスターリリーとの差を縮めていく。
────バッ!
その馬は見事レッドスターリリーをハナ差で差し切り、ゴール板を駆け抜けた!
『抜けました。4番人気の8番ウッドエルナンド重賞初制覇ゴールイン。2番手は2番レッドスターリリー、三着に8馬身遅れてラインフォークが入りました』
「よし!」
思わずガッツポーズを上げてしまった。
俺は少し恥ずかしく思いながらも口取り写真を取るために愛馬のもとに向かう。
ここ、川崎競馬場で見事に勝利したのは俺の持ち馬「ウッドエルナンド」。
去年デビューした自家生産の牡馬。母はかつて俺が購入した牝馬「モリノレディー」。父は去年、騒動となったアメリカのダービー馬「ファーディナンド」という血統だ。
そのためか、デビュー時はちょっとした話題になったものだ。
中央ではなく地方のデビューとなったが、彼はよく走ってくれる。これで通算6戦3勝となかなかの戦績だ。
黒潮皐月賞は五着、黒潮ダービーでは七着とまずまずだったが、この黒潮菊花賞で見事に一着を勝ち取ってみせた。
(もしかしたら、中央で走らせたほうがよかったかもな……)
地方と中央ではレベルが違うとわかっているが、それでも重賞を勝つほどならば、一度くらいは走らせてもいいかもしれない。
「はい、チーズ」
カメラマンの言葉とともに笑顔を見せる。実際、この笑顔は本物だ。自分の馬が勝ってくれると本当にうれしいものだ。
「……でも、中央はこの比じゃなかったな……重賞制覇だってのに、おかしな話だよな……」
忘れもしない。鶴田さんの宣言通り、あの日マグナアニマが俺に中央初勝利をプレゼントしてくれた時のことを。
会社は軌道に乗り事業も順調。天涯孤独だった叔父から受け継いだ遺産もあり、「過去2か年いずれも年間所得2,000万円以上」「資産1億円以上」という条件を満たした俺は中央の馬主となった。
その時の俺は……正直中央のレベルを甘く見ていたと思う。シルヴァブレイブ地方で二冠を取ってくれて、それ以外の馬も少ないながらも勝ってくれている。この調子なら、中央のデビュー戦や未勝利くらいなら突破できると甘く考えていたのだろう。
『一着は10番ユートピア。二着の馬と九馬身差の圧勝です』
「そんな……」
期待を込めて送り出したシルヴァブレイブの全弟「セルヴァブレイブ」の新馬戦。その結果は……十二着と惨敗だった。
セルヴァは地方で2冠を取ったシルヴァの全弟だ。素質だって、セルヴァに負けてない。ならば、デビュー戦くらいは楽々と勝ってくれるだろうと楽観視していたのだ。だからこそ、目の前の現実が信じられなかった。
「……いや、相手が強すぎたんだ……次はいける……次は……」
今回の一着馬は後にGI馬となるユートピア。新馬戦の時点で九馬身差なんだし、この言葉も間違いではないだろう。
だが、そもそもセルヴァと十一着馬との差は既に六馬身。この現実に目を背け、もう少し鍛えれば次は勝てるとこの時は思った。
……そんな思いをぶち壊すかのように、セルヴァブレイブは負け続けた。
3歳となったセルヴァは11月以降も勝つことはできず、そのまま未勝利で中央登録抹消。そうして地方に移ったセルヴァは驚くことに二連勝を遂げる。
この時、俺は中央と地方がどれだけ差があるのかを思い知ったわけだ。
もちろん、地方馬のすべてが弱いわけじゃない。
ハイセイコー。
オグリキャップ。
イナリワン。
ドクタースパート。
そして直近ならば、アローキャリーやトウカイポイント。
地方から中央へ乗り込み、GIを勝利した名馬たちだって数多く存在している。
だが、そんな名馬はごく一部というのが現状なのだろう。馬主になってから9年。中央の資格を取ってから4年。その4年間で俺は一度も中央の勝利を味わっていない。
昨年は自家生産馬や庭先取引で購入した計一二頭の馬の内八頭を中央デビューさせたが、そのいずれもが未勝利のままターフを去っている。
「だからこそ、あの瞬間は本当にうれしかった」
マグナアニマが未勝利を勝ってくれた時はガッツポーズどころの騒ぎではない。あの時俺は後々思い出して恥ずかしくなるほどに叫んでしまった。念願の中央……それも、ナリタタイシンの産駒で勝つことができたのだから。
例年は4〜5頭ほど馬を買って出走させてるわけで、今回は痛い出費になってしまい2頭しかデビューさせることもできない。正直、元も全然取れてないけど、それでも構わないと思っている。それくらい、うれしい出来事だったのだ。
「それに、もしかしたら元は案外すんなり取れるかもしれないしな……」
マグナアニマは重賞を獲れる器である。これは厩舎で実際に見てくれている鶴田さんの言葉だ。思えば、鶴田さんのような一流の調教師と知り合えたのも幸運だと言える。
鶴田さんと出会ったのは叔父の葬式だった。彼は叔父と知り合いだったらしく、その縁もあって馬の世話を引き受けてくれた。
────スイープトウショウ、チョウカイキャロル、タヤスツヨシ
そんな名馬を育てた人が中央馬主になりたての若造の馬を見てくれるなんて、ある意味破格と言えるかもしれない。そんな人が重賞を勝てると断言した。ならば、本当に獲れるのかもしれない……重賞を……ひょっとしたら、その先だって。
「取らぬ狸の皮算用かもだけど……楽しみだな」
マグナアニマだけじゃない。最近はフジノラウリオンだっていい動きをしていると言う。
フジノラウリオンは懇意にしている牧場が年齢を理由に畳むこととなり、最後の子ということでほとんどタダ同然にいただいた馬だ。
母方の先祖にあの名牝「クリフジ」がいて、父親もフジキセキだったからそれにあやかった名をつけたわけだ。
そんなラウリオンは当初、俺の目からも鶴田さんの目からもあまり期待はできないかもしれない馬だった。ところが、マグナアニマと一緒だと調教でやる気を見せるらしく、徐々にいい動きになっていっているとのことだ。
「これなら案外、いいところまでいくかもしれないな……」
鶴田さんはそう言った。彼女のデビューも楽しみだ。
去年の八頭に比べ、今年は自家生産も含めて半分程度しかいないが、あわよくばマグナアニマ以外も勝ちを取ってほしいものである。
「まずは重賞……頑張ってほしいな」
ブルルッ……
ここでウッドエルナンドが不機嫌そうに顔を寄せてくる。
「おっと、ごめんな。今日の主役はお前だってのに、別の馬のこと考えちゃって……」
これらは今考えるべきことじゃない。
流石に今一緒にいる馬の眼の前で別の馬のことを考えるのは失礼が過ぎるな。今は「黒潮菊花賞」という栄誉あるレースを頑張って勝ち取った彼を労うべきだ。
俺はウッドエルナンドに向かい合い、機嫌を直すべく何度も撫でる。
すると、さっきまで不機嫌そうだった彼は、少しだけ気持ちよさそうに目を細めた。
「……本当に、よく頑張った」
俺はそう呟きながら、ウッドエルナンドの首を撫で続けるのだった。
ウッドエルナンド
父 ファーディナンド
母 モリノレディー
オリジナル馬。ファーディナンドのラストクロップ世代。ファーディナンド事件の後のデビューのためか、そこそこ話題になっている。森沢としては、少し複雑な気分。
モリノレディー
父 ナリタタイシン
母 ファイアーレディー
ファイアーレディーの1998。史実では名前もつけられず、デビューすることもなかったが、この世界線だと森沢が購入。現在は知り合いの牧場に繁殖牝馬として預託している。
森沢は叔父から引き継いだ遺産+会社で手に入れたお金で馬主をしており、引退した牝馬は叔父からの付き合いがある生産牧場に繁殖牝馬として預託。種付け権利は森沢所有。牧場と相談しながら種付したりしている。
セールなんかにも手を出しており、現在預託している繁殖牝馬は9頭。内数頭が受胎中。来年生まれるので、何頭かは主人公と関わりができるかもしれない。
また、最近は主人公を購入した牧場とも個人的に交流した中で縁が深くなっており、何頭かの繁殖牝馬を預託しようとも考えてる。
牧場側もそれに向けて立て直し中。現在、海外重賞を制覇したマイネベレーザが生まれた牧場ということで注目も多少は上がっており、これなら数頭くらいなら預かれるかも……というところまで来ている。