『よし、やるぞ……』
『今日は人間さん多いな……緊張する……』
パドックには何時も以上の人間さんがいる。あまりの多さに少しキョロキョロしてしまう子もいるわね。
まあ、無理もない。なんて言ったって、今日は最強の3歳の女の子を決める大一番……秋華賞の日なのだから。
私はそっと息を吐き、目の前の光景に意識を向けた。この日のために、一生懸命頑張ってきたのだ。
負けられない。あの子のお姉ちゃんとして、私はこんなところで、負けるわけにはいかないのだから。
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『ファンファーレが鳴り響く中、いよいよ始まります。第11回秋華賞。秋の女王の冠は果たして誰の手に……3歳牝馬限定戦、芝右回り2000m。18頭立てで争われます』
ファンファーレが鳴り響き、実況の言葉とともに各馬はゆっくりゲートのなかに入っていく。
一番人気のローズステークスの勝ち馬アドマイヤキッス。2番人気のオークス馬カワカミプリンセス。そして、三番人気の桜花賞馬キストゥヘヴン。
これらの馬は実に堂々とゲートのなかに収まっていく。もちろん、彼女たちだけではない。
忘れな草賞を制覇したニシノフジムスメにマーメイドステークスの勝ち馬ソリッドプラチナム。G2勝利馬のヤマトマリオンに十二番人気ながら桜花賞三着と好成績を残したG3馬コイウタに至るまで……G1の舞台に挑むにふさわしい強豪ばかりが集められている。
『枠入り完了────スタートしました!』
ガコンっとゲートが開くと同時に一斉に飛び出す牝馬達。上がっていくのは大外枠の十八番コイウタ。
デイリー杯クイーンCを勝利し、桜花賞でも三着と好成績を残していたが、オークスの3コーナーで右肩ハ行を発症し競走を中止。休み明け初戦ということもあり、十二番人気にまで落ちていた。
(ふざけないでよね……私はまだまだやれるってこと見せてやる!)
コイウタはそのまま先頭に立つ。しかし、周囲の馬たちは焦ることなくピッタリとついていく。
秋の女王────その栄光を目指し、人馬ともに闘志を燃やし、その足を前へと進めていた。
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バッと馬群の中から1頭の馬が飛び出す。その馬はどんどん他の馬との差を突き放しながら、前へ前へと行ってしまう。
『2番ユーロペ、抜け出した。二馬身三馬身四馬身とつけ離していきます。二番手にマイネルグリッツァ、三番手にエビスゴッデスと続いています』
私はいつもの定位置につく。だいたい前方の三番手から4番手……ここが私の位置だ。
(以前はしゅうくんみたいに後ろから一気に突き抜ける〜なんてことしたかったけど、なかなか上手くいかないんだよな……)
何度か走り方を試してみて、結果としてこの走り方が一番しっくり来た。天野さんが以前言ってたけど、お祖父ちゃんがそういう走り方を得意としてたって言うし、多分そこらへんが遺伝してるのかもしれない。
『その後方にはアサクサゼットキとマイネトップレディ。15番ダンシングオンが7番手に上がっていきます』
他の馬たちもどんどんペースアップしていく。やっぱり手ごわい。どの馬もピッタリとついてきているし、後方にいる馬も何やら怪しげな雰囲気を漂わせている。
『……でも、負けない。こんなところで負けるわけには行かない!』
私がデビューしてからどれだけの時が経っただろうか? 多分、1年くらいは時が経ってると思う。
最後にしゅうくんと会ったのも走ったのも、もう1年以上前のことになるんだ……。
しゅうくんとはよくかけっこをしていた。私も走るのはそこそこ好きだったし、最初はお姉さんとして年下の面倒を見てあげよう、くらいの気持ちでいた。
『行くぜ、えーねぇ!』
そう言いながら、私を追い越そうとするしゅうくんは1歳年下とは思えないほどに速く……そして、怖かった。
自分がお姉さんだっていう行持もあったし、なんとか前をキープしていたけど、いつもいつもヒヤヒヤしてたのをよく覚えている。
現に、私の弟のごうくんも含め、同年代でしゅうの相手になる馬は1頭たりともいなかったのだから……。
(でも、しゅうくんと走ってたおかげでかけっこ……レースの楽しさを知ることができたわけだし、そこは感謝しないとね)
しゅうくんとのかけっこは本当に楽しかった。負けるかもしれないといつもヒヤヒヤしていたけど、歳下に負けてたまるかっていう気持ちもあって、なんて言うかほかの遊びではあまり感じられない不思議な気持ちにさせてくれたんだよね。
だからかわからないけど、正直実の弟のごうくんよりもしゅうくんとかけっこしてた時間のほうが長かったと思う。その経験が今も生かされてるのだから、世の中はわからないものだよね。
(アレから1年経ったけど、これまで戦ってきた馬にしゅうくんみたいなプレッシャーがある馬はいない……)
それでもなかなか勝ちきれないわけだけど、これまでのレースでは不思議と怖いと思うことはなかった。
今走ってる馬たちにしたってそうだ。きっと、この人達はしゅうくんよりも弱い。
ビシィ!
鞭がはいると同時に私は馬群を抜け出し、前に行こうとする。
私は誰よりも早く、ゴールを駆け抜けるために力いっぱい地面を踏み込む!
『さっきも言ったけど、俺が重要だと思ってるのは地面を蹴る力なんだよね。でも、ずっとそれだと疲れちゃうから最後の最後で本気出すみたいなことを意識してるんだ』
1年前の牧場での一幕を思い出す。これはしゅうくんから教えてもらったことだ……。歳下から教えてもらったことをいつまでも意識するなんて少し恥ずかしいかもしれない……。
(でも……)
『だから、えーねえもそうすれば多分速く走れるようになるよ』
(この言葉があるから、私はもっと速くなれる!)
私は踏み込んだ足を力強く前に進ませ、一気に先頭を突き抜ける。そして────
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『四コーナーカーブ! 前3頭のリードが縮まり、トシザサンサンとコイウタが後退していく! アサヒライジングだ! アサヒライジングが一気に前に来た!』
闘志を燃やして逃げを決めていたコイウタだが、徐々に後退していく。その隙をついてアサヒライジングが一気に突き抜けようとする。
『よし……これならいけるかも〜!』
アサヒライジングにとって、G1制覇は悲願だ。桜花賞で四着、優駿牝馬で三着……初の海外遠征で挑戦したアメリカンオークスで二着と好成績を残しつつもなかなか勝ちきれない。
もちろん、自分が修めている成績がほかの馬に比べれば優秀も優秀であることは百も承知している。
『でも、ここまで惜しいと私だって悔しいんだよね……ここまで来たら、一度くらいは勝ってみたい!』
G1という頂に立ってみたい。その思いがアサヒライジングの足を加速させる。
────しかし
『おーっほっほ! プリンセスの惨状ですわぁ!』
『っ!?』
『カワカミプリンセスだ! カワカミプリンセスがやってきた!』
後方から一気に足を延ばしてやってきたのはカワカミプリンセス。アサヒライジングは負けじと粘ろうとするが、徐々に差は縮まっていき……
『アサヒライジングか、カワカミプリンセスか、カワカミプリンセスだ! カワカミプリンセスが一着ゴールイン!』
ゴール板を駆け上がったのはカワカミプリンセスだった。
『おーっほっほ! これが『姫たる者』の力ですわ!』
ゴールとともに鳴り響くカワカミプリンセスと騎手を称えるエール。それを聞きながら、敗北を喫した馬達は悔しそうにその光景を眺めるのだった……。
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『……勝ったのはあの子か……やっぱり強そうだな……』
馬房のなかで天野さんと一緒にレースをみてポツリとつぶやいた。
「カワカミプリンセスが来たか……アメリカのオークスで2着だったアサヒライジングが来ると思ってたんだけどな……」
天野さんは紙切れを眺めながら何か言っている。そう言えば、パドックにいる人たちも同じ紙切れを持ってたりするな……。
ブルルッ
「あ、ごめんごめん、なんでもないよ……それよりもえい! 頑張ったじゃないか! オクトーバーステークス優勝おめでとう! これでえいもオープン入りだな」
ぽんぽんと頭を撫でる天野さん。
結局私は間に合わなかった。何度か走ってきたけど、なかなか勝利をつかみきれず、桜花賞やオークス、そして今日の秋華賞にも出ることはついぞできなかった。それが本当に悔しい……。
『私もあの場所で走ってみたかったな……』
ブルルッ
「……どうした? 勝ったのにえらく不機嫌だな」
どうやら天野さんに見抜かれてしまったらしい。私は少し恥ずかしくなり、天野さんに顔を寄せる。
(でも、何はともあれこれでオープン入り……長かったけど、これなら重賞に挑戦できるかもしれない)
1歳の時点でアレだけ早かったしゅうくんの事だし、きっと凄いレースに勝てそうな気がする。仮に勝てなかったとしても、お姉さんとしてできるだけかっこいい姿を見せたいものだ。
……なんなら、自分の血の繋がった弟よりも弟だと思ってるかもしれないな。
そう呆れながらも私は闘志を燃やすのだった。