11月11日土曜日。雨がザーザーなっておる音がかすかに聞こえる中、俺はむしゃむしゃと飼葉を食べてその時に備えていた。
『うう、悔しい〜……』
『ドンマイドンマイ……よく頑張ったよ』
3度目の馬運車に乗り込んでやってきた東京競馬場。今日、ここで一頭の馬がメイクデビューを迎えた。
同じ馬主を持つ後輩フジノラウリオンちゃんは本日1800メートルの新馬戦に出走したのだ。
結果はニ着の馬とハナ差での三着。あと少しで一着取れるかというところまで来ていただけに悔しいのだろう。
ちなみに一着はアグネスタキオンの産駒っぽかった。流石は光速のプリンセスの子供といったところだろう……。
……『新時代の扉』、面白かったな。
『雨さえ振ってなければな……なんか、芝がぬかるんでて凄い走りたくかったです……』
『雨か……まあ、ここでもわかるくらいザーザーならね……』
今日は本当に雨がひどい。雷の音もたまに聞こえてくるし、昨日に比べてかなり肌寒く感じる。正直、こんな雨の中でレースするの? と戦々恐々してるところだ。
そういえば、ウマ娘のキセキとかもすごい雨のなかでレースしてたな。友達に聞いたところによると、確か当日台風が来てたのに競馬やってたんだっけ?
そんな中でも競馬をやるとは……なんていうか、開催者の執念が感じられるな……。
『でも、今回のレースで感じは掴んだし、次のレースでは勝てると思います!』
『それはよかった。次は勝てるといいね』
『ハイ!』
うん、いい返事だ。ラウリオンちゃんは元気があって素直だし、スイープ師匠とはまた違った可愛さがある。
もちろん悔しい気持ちもあるだろうに、もう次のレースに目を向けている。その姿を見ていると、俺も負けていられないと思えてくる。
「しゅう〜そろそろ時間だぞ」
『あ、はい』
天野さんの声掛けで俺は起き上がり、馬房を出る。天野さんは本来、牧場の厩務員であり、厩舎の人間ではないのだが、お手伝いとしてちょくちょくやってきてくれている。正直、慣れ親しんだ人と話すのは気分がいいし、えーねぇやマイねぇの近況とかも教えてくれるから俺としても助かる。
えーねぇは最近秋華賞……と同じ日に開催した山中湖特別なるレースに出て見事勝利したらしい。流石えーねぇと言いたいところだが、本人は少し荒ぶってたみたい。何か不機嫌なことでもあったのかな?
『あ、マグさんついに出番ですね』
『うん、いよいよだ……』
いよいよ初の重賞挑戦。現状、俺の厩舎にはスイープ師匠にシーイズトウショウさん、そしてアサカディフィートさんの三頭しか勝てた馬がいない重賞レース。ここで勝てば俺は現役四頭目の重賞馬になれるということだ。
『やってやる……』
俺は闘志を燃やしながらパドックに向かった。
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「お、なかなか状態いいな」
東京競馬場のパドック周回。大勢の観客が馬の状態をつぶさに観察し、各々の予想を張り巡らせていた。
ある者は自身の持つ競馬新聞に印をつけ、またある者は巨大なカメラを手に持ち連写する。中には早々に歩様の観察を切り上げ、マークシートを片手に馬券機に向かう者もいた。
そんな中、一人の男がじっと一頭の馬を見ていた。それを見た友人は片手にポンと手を置きながら、男に話しかける。
「よう、決まったか?」
「あ、ああ……俺、今回もマグナアニマに賭けようかなって思ってんだよね……」
「またあのタイシン産駒か……好きだねぇ……」
からかうような友人の言葉に少し気恥ずかしさを感じながらも男はマグナアニマをじっと見つめる。
あの馬には新馬戦から妙に惹かれるものがある。新馬戦では二歳オープンの芙蓉ステークスの勝ち馬であるドリームジャーニーと接戦を繰り広げ、続く未勝利戦では後方一気の追い込みで半馬身差一着を勝ち取ったのは記憶に新しい。
それでも、今回の京王杯2歳ステークスでは現時点で10番人気と低い評価に甘んじている。
「確かにあの末脚はすごいと思うけど、ナリタタイシンの産駒だぜ。そもそも1800メートルと1400メートルじゃ距離も違いすぎる。今回は二歳とはいえ、G2レース。おまけに騎手は女性騎手だろ。流石に厳しいと思うけどね……」
友人の言葉ももっともだ。何せナリタタイシンの産駒には活躍馬がほとんどいない。1999年に初年度産駒がデビューを果たし、そこから2005年に至るまでに生まれた160頭の産駒の中で中央で勝ち星を収めたのは僅か5頭のみ。
昨年度と今年の中央デビューの産駒は1頭ずつという悲惨な状況下にある。
いかに未勝利を勝利したとはいえ、重賞では通用しない……これが世間の総評である。
そもそも京王杯2歳ステークスは1400メートル。前走の1800メートルでのレースは参考にならないだろう。その上、騎手は女性ときた。女性騎手が中央競馬の重賞で勝利したのは海外からやってきた「ローレン・ロケット」騎手が2002年に中山大障害で勝利した1回のみ。女性騎手は重賞では通じないというのが世間の総評であり、正直電光掲示板の予想通りの結末になる可能性が非常に高い。
「損しそうだし軸にするのは避けたほうがいいと思うぞ。俺はゴールドアグリとマイネルレーニアとアドマイヤヘッドの三連複かな……状態良さそうだし」
「新潟2歳ステークスのワンツースリーだろそれ。流石にそれ三連複は極端すぎない?」
「いいだろ。まあ、この三頭のどれかが一着だと思うぞ」
前走のG3新潟2歳ステークスで勝ち馬となったゴールドアグリ。そして、それに続く二着三着の馬に賭けるという友人に呆れながらも、男はパドックを観察する。
「……それでも、あの馬気になるんだよな……うん、やっぱり俺、マグナアニマに賭けよう」
「物好きだな……俺はマイネルレーニアとゴールドアグリ軸に三連複流し買うかね。片方5頭ずつでも合計二千円程度だし」
そう言いながら男の友人は二枚のマークシートにそれぞれ記載する。
宣言通り、マイネルレーニアとゴールドアグリを軸にした三連複流し。その買い目には、マグナアニマの名前も入っていた。
「……結局買うのかよ」
「まあ、お前がそんなに推すんなら一応な。他はガチ予想だし、負けても……まあ、これくらいなら大丈夫だろ」
友人のもの言いに呆れながらも男はマークシートに予想を記載し、パドックを後にする。賭けたのはマグナアニマに単勝一万円。勝てば配当は七十倍を超えるだろう。
「マジかよ……思い切ったな……」
「いいから行こうぜ」
元々この金は今日の勝ち分だ。負けたところで元は取れてるし問題ない。そう考えながら、ほのかな期待を胸に二人は馬券機に向かうのだった。
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「とまーれー!」
職員さんの掛け声とともに俺達は一斉に立ち止まり、騎手が来るのを待つ。
『よし、今回は負けないぞ……』
『うう、緊張してきたぁ……』
『ていうか、人間さんいすぎじゃない? だいぶ遠くまで来た気がするし、どうなってんの……?』
他の馬たちの様子は落ち着いたものだ。一部困惑している馬とかもいるけど、基本的には大人しく騎手を待っている。
(それにしても、本当に人が多いな……やっぱり、重賞レースだけあって特別なんだろうな)
『ふふふ、今日も俺が勝ってやるぜ……』
そう言うのは7番のゴールドアグリ。どうやら既にG3レースを勝っている重賞馬らしく、現状画面を見ると一番人気に輝いている様子だ。ちなみに天野さんによるとタニノギムレット産駒らしい。破壊神の産駒……なるほど、勝ち気そうなわけだ。
(……てか、俺十番人気? 嘘だろ……?)
前回勝ったから多少は人気上がってると思ったが、やはり現実は優しくないな。
まあ、重賞レースなわけだし、正直勝っているのは当たり前の連中ばかり集まってるだろうからな……。前走が重賞なら、上位人気がその馬たちに偏るのも無理ないし、仕方がないのかな……。
(でも悔しいな……)
そんな事思ってると由紀さんが走ってくる。俺のもとに駆け寄ってきた由紀さんはぽんぽんと俺の首筋叩きながら、鐙に足をかけて一気に跨った。
「よしよし、がんばろうね、マグちゃん」
口調はいつもの感じだが、少し震えてるのが分かる。どうやら相当緊張してるみたいだ。
ブルルッ……
伝わるかは分からないが、俺は心配な気持ちを込めて鼻を鳴らした。すると、由紀さんは少し困った笑みを浮かべてぽんぽんと叩いた。
「ごめんね、マグちゃん。心配かけちゃった……でも、大丈夫!」
そんな由紀さんの様子に厩務員さんもまた心配そうに由紀さんを見つめている。
「……やっぱり、緊張してますか?」
「まあ、はい……私にとっても中央重賞は参加すること自体久しぶりなんですよね……こっち来てからあんまり勝ててないし……」
「そうなんですね。……でも、自分は応援してますよ。ここで勝てば女性騎手初の重賞制覇になりますしね」
そうなのか……女性騎手で重賞を獲った人っていないのか。由紀さん自身参加すること自体久しぶりと……そりゃ緊張するはずだ。
「でも、大丈夫です。同じくらい、ワクワクしてますから」
そう言いながら笑みを浮かべる由紀さんはなんとも頼もしく感じた。どうやら、心配とかは不要だったみたいだな。
俺は由紀さんの合図とともに俺はレース場に向かう。
ワァァァァァァァッ!!
『うおっ!?』
誘導馬の案内のもと、レース場にやってくるや否や、凄まじい大歓声に思わずビクッとする俺。これが重賞の熱気……実際に見るのと感じるのとでは大違いだな。
(おもしれぇ……)
思わず武者震いをする。ここで勝ったら絶対気持ちいいだろうな……由紀さんにも重賞初制覇をプレゼントしたいし、何より、あの名馬ナリタタイシンの息子として恥じないレースをしてやろうじゃないか!
『東京11レース第42回京王杯2歳ステークスG2芝1400メートル、出走メンバーをご紹介します。一番ヒシプレミア492キロプラス2、尾野次郎55キロ。二番アロマンシェス438キロマイナス2、桂浦正樹55キロ。三番……』
実況のアナウンスと共に湧き上がる観客たち。もうすぐ俺の番となったところで一気に観客の盛り上がりが爆発する。
『七番、一番人気ゴールドアグリ474キロマイナス4、鞍上は庵道克己55キロ』
今までと比べ、観客の盛り上がり方の桁が違う。やはり、重賞馬は特別ということか……上等!
「大丈夫だよ、マグちゃん。こんなの気にしないで、下剋上目指しちゃおうね」
由紀さんの言う通り。周りの評価なんか気にしない。勝てばいいのだから、俺は堂々としてればいい!
『続いて8番マグナアニマ420キロ増減なし、由紀心華55キロ』
俺の紹介と共に少し盛り下がる観客たち。なめんな! 絶対見返してやるからな! 周りの評価気にしないといいつつ、そんなことを考える俺は由紀さんの合図とともにパドックに向かうのだった。