僕と私の前走曲
日にあまり当たっていないような、白くて細い指で赤いネクタイを手に取る。
全身が映る鏡で確認しながらネクタイをしっかり締める。
もう一年もネクタイを結んでいるので、手つきは慣れたものだ。
─ネクタイばっちり?
──ばっちりばっちり。あ、ちょっと待って。結び目が少し傾いてる。
右に傾いてるから左に傾けて……。
─これでいい?
──うん、完璧!
壁の木製の長押しに掛かっているハンガーから青緑色のブレザーを手に取る。
胸元には赤いエンブレム。県立北高校の制服だ。
ボタンを全部閉めながら、改めて全身を確認する。
そこにはきっちりと制服を着こなしている、幸の薄そうな小柄な少年の姿が写っていた。
─今日は特に上に羽織らなくても大丈夫……だよね?
──そうだね。今朝の天気予報で最低12度の最高20度って言ってたし、大丈夫だと思う。
─OK!ありがとう。
ふすまを開けた廊下の先にあるリビングにに出ると、新聞を読んでいるおじいちゃんと奥で朝ご飯の後片付けをしているおばあちゃんがいる。
「いってきます」
「いってらっしゃい。今日はいつごろに帰るんだっけ?」
おばあちゃんがこちらを振り返って聞いてきた
─あれ、昼前に終わる?
──もう、昨日の夜に時間割を確認したでしょ。2年生の一般生徒は午前で終了。
午後までいるのは入学式にかかわる生徒だけ。
「……始業式だし、早めに終わるんじゃないかな。多分昼には帰る」
「はぁい。お昼ご飯を準備して待ってるわ。気を付けてね」
「いってらっしゃい」
「うん、終わったら一応電話するよ。いってきます」
外に出ると、桜の花びらが舞っていた。
近くの家の桜からこちらへ落ちてきたようだ。
毎年花弁はこの辺り一面に散って広がっていくのが恒例だ。
──今年の桜は遅咲きだね。いつもならもう散ってる頃なのに。
─毎年この時期でいいよ、登校中に花見ができるのはいい事だよ。
──帰ってきたら掃除だね。
─気が早いよ、おねえちゃん。まだ咲いたばかりなんだから。週末までは桜を楽しもうよ……。
──ふふ、銘だってもう終わりを見てるじゃない。
─少しくらい現実逃避させてよ、もう……。
──むくれないで。行こう?
─うん。
自転車のペダルに足を掛け、学校に向かった。
******
自転車を漕いでいる少年の名前は枕木銘。存在しない姉の名前は真倉茗。
3年前の事故の後、
僕たちは所謂”二重人格”というものだ。いつも脳内で会話している。
─クラス分け、どうなるかな?
──新しい教室に入るまでのお楽しみね。
─鶴屋とは同じクラスになれるかな?
──鶴屋さん……、あれから会っていなかったね。
─そうだね。去年の文化祭の日以降、顔を合わせる機会がなかった。
合同授業がない他クラスだと、こんなに接点がない物なんだね。
──2組と7組で物理的距離もあったからかな。
銘はいつもお弁当だし、食堂にも行ってないからなおさら機会がなかったかも。
─今年は機会があるといいな。
──たとえクラスが違っても、確実に6月には会えるよ。
─6月……。待ってると遠いね。
──過ぎればあっという間だよ。
そんなに気になるなら、自分から会いに行けばいいのに。
─うーん、合わせる顔がないというか、いや、会いたいのはそうだんだけど……。
都合のいい建前が欲しい。
──待ってるだけじゃ都合なんて舞い込んでこないと言いたいところなんだけど、今回はその理屈が通ってしまうのが何とも言えないね。
─鶴屋、元気かな?
──きっとね。
目の前の信号が赤信号になったので、立ち止まった。
交差道路の信号が変わり、停車していた車が速度を上げて横切っていく。
─あれからもう3年か、長かったけどたしかに過ぎればあっという間だったかも。
──私からすれば怒涛の勢いだったよ。
この世界の事を考える余裕なんてなかったし、生きることに必死だった。
─大変だったな、リハビリに受験勉強に剣道部復帰。
──ごめんね、あんまり力になれなくて。
─そんなことないよ、おねえちゃんはずっと僕のために力になってくれた。
今の僕があるのは、おねえちゃんのおかげなんだよ。
おねえちゃんがいなかったら、きっと日常動作だってリハビリが遅れたと思う。
おねえちゃんと話したかったから、字を書くのだって頑張れたんだよ。
学校に行こうって諭してくれたのも受験勉強に付き合ってくれたのもおねえちゃんだった。
だから僕はおねえちゃんを”名前が違う人”じゃなくて”おねえちゃん”って呼んでるんだよ。
──私は最低限の社会的行動はした方がいいって言っただけ。
それから今に至るまでの努力は、私の力じゃなくて銘自身の力なんだよ。
─その力の原動力がおねえちゃんだと僕は言ってる。
──剣道に関しては本当に力になれなかったのに。
─もういいよ、レギュラーになれなかったし、剣道部とも合わせる顔がない。
正直鶴屋よりも剣道部員との方が会いたくないな。
それに、文芸部に入るのが運命なんでしょ?
──運命は感じたけど、こんな形で銘の人生を変えたくなかったな。
銘には自由に生きて欲しかった。
─たしかに身体に不自由を感じることはあるけど、剣道部退部と文芸部入部は僕の自由意思による決定だよ。
──私は選ばせてしまったと思ってる。
─それでも、僕とおねえちゃんが今こうして存在するには文芸部にいる必要があったんでしょ?
──それはそう。私は3年前の七夕に語り部の彼に会ってしまっている。
私が異世界人と自覚して、銘の中にいると知ったきっかけ。
本来、文芸部というかSOS団には異世界人はいないけど、この世界で異世界人という特殊属性を持つ自覚がある人物はSOS団に集められてしまうはずなんだ。
彼が私も銘の事も知っていたのがその証拠。
私たちの
─僕は嬉しいよ。今までおねえちゃんのために何かすることはなかったから。
世界とかその辺の事情はまだよくわからないけど、そのためのプロローグなんだよね。
おねえちゃんと出会うための運命の物語、僕も楽しみだ。
横切っていた車が止まる。
進行方向の信号が変わったので、僕は再び自転車を漕ぎ始めた。
─新学期は今日からだけど、4月はそこまで動かないんだったっけ?
──原作開始自体は今日の入学式。今月の必須事項は長門有希の文芸部入部くらいかな。
涼宮ハルヒには体験入部の時に会えると思う。
本格的に動くのはGW明けだね。
─じゃあ4月中に物語を完成させた方がいいかな?
──完結はさせないで欲しいな。5月に彼に見せる時点ではまだ途中の方が都合がいい。
5月に世界は終わるけど、それは本当の終わりではなく始まりにすぎない。
結末はまだ決まっていないという伏線を示すには、完結した物語より中途半端な状態の方がいいと思うんだ。
─そこも伏線だったんだ。
──今のところはこれを含めて2つだけだよ。
─5月に見せる前提なら、4月中に大まかな部分は作っておきたいね。
──そうだね。まだ題材と状態しか決まってないもの。
始まりの物語はこれから作っていきましょう。
そうこうしているうちに、もう学校に着いてしまった。
さぁ、世界を大いに盛り上げる学園生活を始めよう!
涼宮ハルヒの憂鬱アニメ20周年おめでとうございます!
春にAbemaで再放送を見たのをきっかけに書き始めました。
一般シスコン薄幸少年と異世界人の世話焼きおねえちゃんの二重人格です。
どうぞよろしくお願いいたします。