ガルバニア鉄鋼公国の神の遣いと苦労人 作:犬山
プロローグ
ガルバニア鉄鋼公国の最前線、第三防衛砦の司令室は、文字通り「死の臭い」に満ちていた。
「第二、第四装甲小隊、共に沈黙! 繰り返す、魔導信号(シグナル)ロスト! 救援を……、クソ、もう持ちません!」
「右翼の蒸気圧、限界突破! 隔壁を閉鎖しろ! 中にまだ生存者がいる? 構うな、防衛線が崩壊するぞ!」
剥き出しの魔力チューブが過負荷で弾け、火花と煤煙が通信室の空気を黒く染める。
指揮官であるキース・ヴァルター少佐は、狂ったように点滅する戦況モニターを、血走った眼で睨みつけていた。モニターが映し出すのは、国境の深い山林を文字通り「蹂躙」しながら進撃してくる、獣化帝国の前衛部隊――三頭の巨大な合成魔獣、そしてそれを囲むように進軍する改造歩兵の群れだった。
獣化帝国側からすれば、これは本格的な侵攻ですらない。こちらの防衛能力を測るための、ほんの「小競り合い(牽制)」程度の兵量に過ぎない。
だが、その程度の戦力に対してすら、ガルバニアの誇る「機械人形(ゴーレム)」たちは、ただのブリキ細工のように踏み潰され、引き裂かれていた。
「……これが、現実か」
キースは拳を机に叩きつけた。あまりの悔しさに、奥歯から血の味がする。
公国を支配する「機械神の教会」の神官どもは、いつも偉そうに『我が国の鉄の技術は世界一であり、機械神の加護がある』と抜かしていた。だが、いざ実戦となればどうだ。教会から軍部に貸し出された機械人形(ゴーレム)は、不格好な魔力チューブを剥き出しにした、蒸気と鉄の塊に過ぎない。重く、鈍く、魔獣の圧倒的な生物的スピードの前には、格好の的にすらなっていなかった。
モニターの向こう、最前線のぬかるんだ泥を蹴立てて、第二小隊の『鉄騎兵(アイゼン・ハウンド)』が咆哮を上げていた。キースが訓練学校時代から目をかけていた、若き操縦士ニコルの一機だ。
「うおおおおおッ! 墜ちろ、化け物どもがァ!」
ニコルの絶叫と同期するように、鉄騎兵の背部ボイラーから狂ったような量の黒煙と蒸気が噴き出す。圧力レバーを限界まで引き絞り、過給圧で軋む鋼鉄の右腕。そこにマウントされた巨大な超振動杭(パイルバンカー)が、激しい火花を散らしながら、突撃してきた合成魔獣の胸元へと突き立てられた。
ドンッ! と、肉と骨を粉砕する重低音がモニター越しに響く。
「やったか!?」というオペレーターの悲鳴のような歓声。しかし、硝煙の向こうで笑ったのは、胸を深く抉られたはずの魔獣だった。
痛覚を持たない合成生物は、傷口から紫色の腐血を撒き散らしながら、その巨大な三つの顎(あぎと)を同時に開いた。
「ア、ガ――」
ニコルが次弾の装填レバーを引くより早く、魔獣の筋繊維に編み込まれた無数の触手が、鉄騎兵の剥き出しの魔力チューブを引きちぎった。心臓部への魔力供給が途絶え、ボイラーが悲鳴を上げて逆流する。駆動力を失い、ただの「重い鉄の箱」と化した機体を、魔獣の硬質な爪が容赦なく一文字に引き裂いた。
バギィィィィィンッ!!
装甲板のボルトが四方に弾け飛び、リベットが激しい銃弾のように周囲の泥へ突き刺さる。超高圧の蒸気が破裂し、鉄騎兵のコックピット・ブロックは、中にいる人間の肉体ごと、ペシャンコに圧し折られて沈黙した。
「クソが……! どいつもこいつも、犬死にさせるために育てたわけじゃないんだぞ……!」
戦力差は明白だった。これ以上ここに留まれば、砦の兵士は全滅する。
キースが、全軍撤退の苦渋の決断を下すため、マイクを掴み、大きく息を吸い込んだ――その時だった。
「――あ」
司令室の最上段、一段高く設置された「特別席」から、場違いに可憐な声が漏れた。
そこにいたのは、今回の防衛戦の『戦勝祈願』のために教会から派遣されていた、若き巫女セシリアだった。煤煙すら寄せ付けない純白の法衣を纏った少女は、これまで戦場の凄惨さに怯えて震えていたはずだった。
だが、今の彼女は違った。
ガタガタと、まるで外部から強大な電流を流し込まれたかのように、セシリアの華奢な身体が不自然に痙攣を始める。
「おい、巫女様!? どうした!」
キースが振り返った瞬間、セシリアの首が、骨の鳴る音を立ててあり得ない角度で跳ね上がった。
その目は完全に白目を剥き、網膜の奥で、淡い青色の光――この世界の魔導光とは明らかに異なる、どこか無機質で冷徹な「電子の光」が明滅している。
彼女の喉から発せられたのは、少女の愛らしさなど微塵もない、何千もの機械の駆動音を合成したかのような、耳障りで、冷酷な二重音声(ステレオ)だった。
『――天の座より、マッチングサーバーに接続。世界認識(ワールド・ロード)完了』
「な……なんだ、この声は……!?」
オペレーターたちが耳を塞ぎ、恐怖に顔を歪める。部屋全体の計器類が、一斉に不規則なエラーログを吐き出し始めた。
『――特殊ミッションを生成。対象:ガルバニア領内における敵性生物(ネームド・ターゲット)の駆除。難易度:C。初期報酬:30,000クレジット。弾薬費・修理費は別途精算。これより傭兵の募集を開始する――』
セシリアの身体から、圧倒的な質量を感じさせる「圧力」が放射される。それは神聖な魔力などではない。もっと実務的で、事務的で、命の重さなど1ミリも考慮していない、冷徹な『システム』の息吹だった。
『――エントリーを確認。レイヴン、がミッションを受託。これより、神託の機体を現地上空へ転送(スポーン)する――』
カチリ、と。
まるで世界のスイッチが切り替わったかのような、奇妙な静寂が数秒だけ戦場を支配した。
直後、セシリアは糸が切れた人形のようにガクリと床に崩れ落ちる。激しい恐怖の後にやってきた、陶酔を伴う狂信の笑みをその顔に浮かべながら。
「き、キース殿……! 神託です! 機械神様が、我が教会の祈りに応え、天より『神の代弁者』を遣わされました! 救世主が、今ここに降臨します!」
「救世主だと……?」
キースは、突如として司令室の机の上で駆動を始めた自分の『携帯端末』に目を落とした。
そのガラス画面に、見たこともない文字列が、恐ろしい速度でスクロールしながら浮かび上がっていく。
[CONNECTING...]
[USER_ID: KO_KO_SEI_A]
[LOAD_OUT: WEAPON_CHECK_OK]
[MISSION: START]
キースの額から、嫌な汗がじわりと伝い落ちた。
この文字列から受ける印象は、教会の言うような「聖なる神の光」などでは断じてない。これは――もっと冒涜的で、命をただの『数字』としか見ていないナニカだ。
「……何が、来るんだ」
キースが窓の外、硝煙の向こうの空を見上げた、その瞬間だった。
大気が、文字通り「破裂」した。
音速の壁をぶち抜いたような絶大な衝撃波(ソニックブーム)が砦を揺らし、窓ガラスが一斉に粉々に砕け散る。
何もない上空、高度数百メートルの虚空に、光の粒子が爆発するように集まったかと思えば、次の瞬間には、そこへ数トンの鉄塊がいきなり“物理的に出現”していた。
その機体を見た瞬間、キースは息を呑んだ。
ガルバニアの機械人形(ゴーレム)のような、武骨な蒸気のロマンなどそこにはない。至高魔導皇国の精密な魔導具とも違う。
それは、あまりにも細く、装甲を極限まで削ぎ落とし、ただ「速度」と「殺戮」のためだけに洗練された、歪なまでに鋭利な、漆黒の異形――。
現地の兵士たちも、敵である獣化帝国も、突然空中に現れたその「未知の怪物」に、ただただ圧倒され、動きを止めていた。
その、漆黒の怪物が動いた。
背部にマウントされた、巨大で不気味な「鉄の筒」が、機械的な駆動音すらなく滑らかに跳ね上がる。照準を合わせるような予備動作すら一切ない。ただ、銃口が地上の魔獣へと向けられた、その瞬間だった。
――カツン。
キースの手元の端末が、冷たく、不気味な電子音を鳴らす。
[SYSTEM: AP 100% / BOOST OUTPUT MAX]
[TARGET: UNKNOWN BIOWEAPON]
[STATUS: READY... FIRE]
直後、世界から「音」が消えた。
閃光、ではない。それは空間そのものを焼き裂くような、狂おしいほどの「青白い光の帯」だった。
火薬の爆発音も、魔導の詠唱もない。ただ、空気が激しく電離するバリバリとした怪音と共に、光の槍が地上の合成魔獣へと突き刺さる。
ズドォォォォォンッ!!!
一瞬遅れて、鼓膜を狂わせるほどの爆音と、地響きが砦を襲った。
着弾の衝撃波だけで国境の山林が文字通り「扇状」に吹き飛び、巨木が消し飛ぶ。さっきまでニコルたちを蹂躙していた、あの強固な皮膚を持つ巨大魔獣の一頭が――上半身を丸ごと「消失」させていた。肉が弾け飛んだのではない。あまりの高熱と質量によって、文字通り蒸発したのだ。
「な……に、を……?」
キースの思考が完全に停止する。大砲(カノン)? いや、こんな威力の火器がこの世にあっていいはずがない。城壁を穿つための要塞砲を、あの細い鉄塊は「手持ちの道具」のように扱ったのだ。
挨拶も、宣戦布告も、何の一言もない。
物理法則を嘲笑うかのような不気味な無音のまま、黒い機体が、地獄のトップスピードで地上へと急降下を開始する。
これが、キース・ヴァルターと、画面の向こうの「名もなき狂人」との、最悪のすれ違いの始まりだった。