ガルバニア鉄鋼公国の神の遣いと苦労人 作:犬山
セシリアは、薄暗い聖堂の中でゆっくりと目を細めた。その綺麗な瞳の奥に、鋭い警戒の光が宿る。
「……それは、どういうことでしょうか。キース殿」
キースは隠すつもりもなかった。むしろ、この理不尽なツケを教会に回せるなら好都合だとすら思っている。彼は外套のポケットから、型落ちの電信端末を取り出しながら、素直に吐き出した。
「言葉通りの意味さ。さっき中央銀行から緊急の監査報告が届いてな。俺が管理してる砦の口座から、身に覚えのない謎の金が強制的に引き落とされていたんだ。その明細に記載されていた奇妙な暗号コードが、昼間、あの鉄塊が消えた直後にこの端末の画面に浮かび上がった不気味なログに、どうも酷似してくてな」
セシリアの眉が、ほんの僅かに動いた。彼女は一歩、キースの方へと歩み寄る。
「その端末……画面を見せていただけますか?」
「ああ、別に構わんが」
キースは、仕事でも私用でも使い古している安物の端末を差し出した。液晶画面には、先ほど確認した [AMMO: -4,200 C] という無機質な文字列が、いまだにエラーログのように居座り続けている。
セシリアは端末を受け取ると、それを壊れ物でも扱うかのように両手で包み込み、凝視した。微かに震える彼女の指先が、機械のボタンをなぞる。教会の最高技術をもってしても解析できないはずの「神の代弁者」との繋がりが、この泥臭い軍人の、どこにでもある平凡な機械の中に確かに存在している。
沈黙ののち、セシリアは顔を上げ、大真面目な顔で言った。
「キース殿。この端末は、神聖なる機械神様、そして代弁者様との紐付きを証明する、極めて重要な聖遺物となる可能性があります。……こちらで詳細な解析と祈祷を捧げたいのですが、このまま教会で預かってもよろしいでしょうか?」
「おいおい、勘弁してくれ」
キースは呆れたように片手を振り、セシリアの手からひょいと自分の端末を引ったくるように取り返した。そのまま腰のホルダーへと仕舞い込む。
「そいつは支給品じゃねえ、俺の私物だ。中に個人的な連絡先も入っていれば、明日も朝から軍の本部や他の砦との定時連絡、それに主計兵との予算のすり合わせで使わなきゃならん。明日も仕事があるんだよ。ダメに決まってるだろ」
「ですが、これは神の――」
「おい、それに話が逸れてるぞ」
キースはセシリアが伸ばしかけた手を無視して、自分のホルダーに端末を仕舞い込み、本来の目的である本題を突きつけた。
「端末の解析なんてどうでもいい。俺が聞いてるのは、その『経費』の話だ。神の使いだか何だか知らんが、あいつのせいで現にうちの運営予算が削られてる。あいつが教会の管轄だって言うなら、この消えた分の金を、そっちの国庫から今すぐうちの口座へ『補充』してくれるんだろうな?」
そのあまりに現実的で生々しい要求に、セシリアは一瞬だけ言葉を詰まらせ、困惑したように目を泳がせた。それから、先ほどまでの尊大な態度を少し崩し、渋るような声で答えた。
「……それについては、私一人の裁量では、今すぐにお答えすることは不可能です。上層部へ掛け合い、大司教閣下や枢機卿の方々に対応を仰がねばなりません」
「チッ、やっぱりそうかよ」
キースはあからさまに落胆の溜息を漏らした。
教会と軍部は、公国の主導権を握り合う巨大な二大組織だ。いくら神の使いが絡んでいるとはいえ、臨時の巨額な公金を右から左へすぐさま明け渡すなど、仕組みとしてできるはずがない。そのためには双方の上層部への政治的な根回し、帳簿の書き換え、そして果てしない書類手続きという「人間の都合」が必要不可欠だった。
「なら、ここにいても時間の無駄だな」
キースは首を振り、回れ右をして聖堂の出口へと歩き出した。
「待ってください、キース殿。まだお話の途中です。代弁者様との今後の通信管理について――」
「悪いが、俺にはまだ、昼間の戦闘の後片付けが山ほど残ってるんだ」
キースは振り返りもせず、片手を上げてセシリアの言葉を遮った。
「泥まみれになった鉄騎兵(ゴーレム)の清掃に、負傷者の泥臭い手配、それに明日の一番には、軍の本部と国防大臣への状況報告会議が控えてるんだよ。これ以上、上を怒らせたら俺の首が飛ぶ。勘弁してくれ、これ以上付き合ってたら朝になっちまう」
「キース殿……!」
背後からセシリアが引き留める声を背中で聞き流しながら、キースは地下聖堂の重い鉄扉を押し開けた。
背後からセシリアが引き留める声を背中で聞き流しながら、キースは地下聖堂の重い鉄扉を押し開けた。
吐き出した冷たい溜息は、不気味な蒸気管の隙間へと消えていく。
神の使いの奇跡に酔いしれる国の中で、キースだけが、明日という冷酷な現実と、懐にある型落ちの端末の重みに、ただひたすら胃を痛めていた。
誰もいない薄暗い回廊に出たところで、キースは外套のポケットからクシャクシャになった煙草を一本引き抜き、火をつけた。
紫煙を肺腑に詰め込み、暗い天井を見上げながら、キースは苦々しく顔を歪める。
「……チッ。選ばれたってのは、こういうことかよ」
そう低く呻いた彼の懐で、型落ちの電信端末が、ただ次の『次の試練』を待つように、怪しく、静かに明滅していた。