「導いて、【ポラリス】」
マリがパワースイッチを押すと、コアの目覚める軽い振動と共に計器やモニターが一斉に起動し始める。
世界で最初に製造されたイドラ【
明るくなったコックピット内に、かつて「英語」と呼ばれていた旧言語音声がノイズ交じりに流れ始めた。
『──
「うわぁ何言ってるか分っかんない!」
『
現在人類の意思疎通は、イドラに使用される
一応英語が共通語の元になってはいるのだが……こうもノイズ混じりでは流石にさっぱりである。モニターに走る文字列とにらめっこしながら、マリは呻いた。
「んも~OSの更新してって散々言ったでしょ、お父さん……」
『
「待って待って勝手に進まないで!」
『
「だから待……、? 星鞍、マリ。これで良い?」
『
名乗ったとたん、ポラリスの音声が急速にクリアになる。耳ではノイズが聞こえるものの、彼女の頭にはポラリスの言葉が明瞭に響いた。
『
「お父さんを覚えてるの!? パイロットデータも残ってないのに、何で……」
『
「……そっか。よろしく、ポラリス」
知らない言語同士ですらイドラと通じ合える。マリの持つイドラ粒子への適性は、通常の人類とは一線を画すものだった。
『
「一旦待機。ちょっと他にやることあるから」
『……
返答までやや間はあったが、ポラリスは指示通りスリープモードに移行する。ポラリスから降りたマリは、男からタブレット端末を受け取ってサインする。
「イドラの状態は、いかがでしたか?」
「とりあえず大丈夫そうです。ありがとうございました」
「……これから、何かアテはありますか? 普段の生活に、ナユタ様の医療費も」
契約者家族への詮索は御法度と知りつつも、男は少女に今後降りかかるであろう試練を気にせずにはいられなかった。
保険金は決して端金ではないが、真っ当に暮らそうと思ったらそう何年も持つものではない。
「とりあえず保険金と貯金でイドラをオーバーホールして……お父さんの知り合いを頼ろうと思います。前々からお父さんに『お前が後を継いでくれ』って言われてて……その時が今ってだけです」
マリの声には、悲壮な覚悟が滲んでいた。
「そうですか……。私の方でも、できる範囲の協力をさせていただきます。何かあれば、いつでもご連絡を」
「はい。ありがとうございました」
男が深々と一礼して去ろうとした時だった。
警告音が空から降り注ぐ。周辺一帯を支配するように鳴り響く大音量は何度聞いても慣れることのできない、逃げ出したくなる威圧感を伴っていた。
その意味に気が付いた男の顔色が一気に青ざめる。
「侵入警報……!!」
海上都市はドーム状の外壁に囲われている。うねるような警報音は、外郭を防衛する外地部隊が突破され人の居住圏へと侵攻を許してしまった証。
マリも眉根を寄せ、黒いスキニーのポケットから携帯端末を取り出した。
「
「そこは、確か」
「お母さんが入院してます!」
答えるやマリはイドラに乗り込み、起動させる。
「導いて、ポラリス!!」
『
ゆっくりと立ち上がるポラリス。その足元に駆け寄り、男は大声で静止した。
「落ち着いてください! 無謀です!!」
生前のセンリから聞いた話で、マリがイドラを扱う才能に恵まれていることは男も把握している。
「十分な訓練を積み、ベテランに守られ、比較的安全な戦場を選び……それでも三割以上が初陣で機体に中破以上の損傷を負います。戦死者も少なくありません」
だからこそ必死で説得する。彼女が、初陣で散るなどあってはならない。
「何の戦闘訓練も受けていない貴方が単独で出撃したところで、無駄死にです! IDHCは重要施設、内地の防衛部隊も急ぎ駆けつけるはずです」
男の言葉をコクピットで聞きながら、マリはイドラをその場で軽く足踏みさせる。不気味なほど滑らかで、人間じみた動きだった。
「ですから──」
『
「ダメ。……内地のパイロットは、信用できません」
「何故です! 貴方より経験も」
「守ってくれなかったんです!!」
「──」
爆発したような大声に、男の説得がやんだ。
「私が生まれて本当にすぐです。入院していた病院が、ゾディアクスの襲撃を受けて……」
本来ならば即座に駆け付け、守ってくれるはずだった内地の防衛部隊。彼らはあろうことか母子の入院する病院を囮にし、隊の被害軽減に利用したのである。病棟への直接攻撃、そして撃ち込まれた大量のイドラ粒子の中毒症状により多数の犠牲者が発生した。
男は俯き、自らにしか聞こえぬ声で呟く。
「『無辜の盾』事件……やはり」
「私はイドラ粒子に耐性があって無事でした。でもお母さんは、粒子中毒で今でも意識不明です。粒子との接触も徹底的に絶っていて……だから私、お母さんの手も握った記憶がない」
事件の日、マリには尋常ならざるイドラ粒子が蓄積された。今や彼女の体は、傍に立つだけで母親を苦しめる呪物と化している。
「私にはパイロットの才能がある。もう
この体質を、母親を守るために使いたい。そう思って彼女は今まで生きてきた。その意思に呼応したか、ポラリスの脚部スラスターが淡く光り始める。
これ以上の説得は無用だ、と男に告げるように。
「……分かりました。しかし、必ず生き残ってください。貴方にはこれから先も、責務があるんです」
「ありがとうございます、気にかけてくれて」
マリはそう言って、ポラリスを本格起動させる。
コアが唸り、イドラ粒子の供給を開始。循環する粒子の反重力作用により、ポラリスは階段を上るように空中へ踏み出した。
『
「うん」
十分に地上と距離が取れたのを確認し、マリはさらにコアの出力を上げる。
「……それじゃ、行ってきます」
ノズルから赤みがかった金色の尾をたなびかせ、蒼穹へと一番星が舞い上がった。