マリの出撃を見送った男は、社用とは別の携帯を取り出し通信をかける。
「もしもし。エイジス損保の
『あ、お世話なってます。どないしました?』
応じたのは、やや旧東洋訛りの強い男。根越の会社と保険契約を結んでいると同時に、外地の情報筋として個人的な親交もある。
「先ほどのゾディアクス侵入についてです。出撃した女性パイロットを一人、救援していただきたく」
『何で僕に言わはるんです? ウチの管轄地区とちゃうじゃないですか。そもそも内地部隊で間に合うでしょ』
案の定というべきか、素っ気ない正論が返ってくる。しかしネゴシは、どうしても彼をマリに引き合わせたい事情があった。
「彼女は、貴方のおじい様……
『……ほんまですか?』
「可能性は大いにあります。こちらを」
『ほーん。どれど、れ……』
根越はトレーラー内に設置された防犯カメラの映像を送信する。そこにはポラリスが起動し、滑らかに足踏みをしてから離陸するまでの一部始終が記録されていた。
無言で見入ったナズマは、自らを鎮めるように大きく息を吐く。
『ウチのパイロットでも大半はこんな優しい離陸、ようやりませんよ。粒子の出力制御も、機体の姿勢制御も言うことなし。完璧やわぁ』
「彼女はこれを初搭乗で、しかも中破したイドラで実行しています。万が一にも初陣で命を落とさせるわけにはいきません」
『根越さんも人が悪いわ。こんなん見せられたら、最初に渋ったんアホみたいやないですか』
ひとしきり映像に映るマリを褒めちぎったナズマは、先ほどとは態度を一変させた。
『その子、名前は?』
「星鞍マリ、という方です」
『星鞍? ほなセンリさんの……亡くなったんかあの人』
「つい先日、戦死されました。お知り合いでしたか」
『一回一緒しただけですけどね。僕と同じ旧日本姓で、腕も確かやったから……とにかく、急いで向かいます』
「ありがとうございます。お気をつけて」
「ほな、これで」
通信が切られた。誰もいないのを確認した根越は張り付けたビジネススマイルを崩し、舌打ちした後唇をへの字にする。自分の仕事ぶりに納得いっていないことは明らかだった。
「もう少し落ち着いてから、戦場の外で見境なき騎士団と接触させる予定だったが……あのボロボロのイドラで難なく飛行するとは。彼女のセンスを見誤ったな」
そう言って深くため息を吐く彼は、先ほどまでの生真面目で堅苦しい保険担当者とは全く異なる雰囲気を纏っていた。独り言は続く。
「今の彼女に、内地のパイロットとの連携は難しいだろう。雲飼ナズマが上手くやってくれることを祈るしかないか……」
悩みの種を振り落とすように左右に顔を揺すった後、根越は改めてポラリスが飛び去って行った空を見上げる。
澄み切った蒼の中で、一条の薄雲が煮え切らぬ日差しを受けて揺蕩う。いつもと変わらないはずなのに、どこか物悲しい晩夏の晴天が広がっていた。
「この辺りに来るはずよね?」
マリは周囲を見渡す。警報で表示された予測進路を基に、彼女は内地と外郭を隔てる海上で待機していた。まだゾディアクスも、内地部隊も姿を見せていない。
遠く聳える外郭部の分厚い防壁を手持無沙汰に見ていると、唐突に通信が入った。
『防衛局です。貴方のいる座標に間もなくゾディアクスが到達します。防衛隊が到着するにはもう少し時間がかかります。戦闘の用意は』
「あります」
マリは短く即答する。
声の主は極東都市を守る防衛局の職員。内地部隊が一般人より遅れて参戦することにも一切の悪びれを感じていない口ぶりであった。
『では、お願いします。敵は三体、全て獅子型の
「武装は分かりますか?」
『はい?』
「接近戦主体なのか、遠隔攻撃を持ってたりするとか。何か情報はありますか?」
『……』
露骨な溜息。
『特殊な武装はありません。爪と牙による近接攻撃が主です。ご健闘を』
「あ、はい。ありが──」
投げやりな言葉の後、通信は切られた。
「……信じらんない」
あまりの態度にマリは眉を顰め、舌打ちする。いくら部隊外の人間とはいえ、こうまで雑に扱われるとは。
『
「!」
ポラリスの声で、マリは困惑や苛立ちを引っ込める。暗い黄土色の塊が、不気味に陽光を反射しながら急速に接近していた。
獅子型という名の通り、大まかなシルエットはオスのライオンと言えなくもない。しかし体躯はその二倍以上あり、全身を毛ではなくメタリックな装甲に覆われている。鬣に当たる部分は無数の触手がうねっていた。
「うわっキモ……」
初めて生のゾディアクスを見たマリは思わずそんな感想を漏らす。そう言っている間にも両者の距離は縮まり、水面を叩く推進剤の爆音がマリ自身の鼓動より大きくなり始める。
マリは自身の頬を両手で叩き、気合を入れ直す。
「っし。やるわよ、ポラリス!」
左腕で突撃銃を抜き放ち、フルオートでイドラ粒子弾を連射。被弾した触手が続々と千切れ飛んでいく。先手を取ると同時、ポラリスは大きく前方に跳んだ。
弾幕で牽制し、間髪入れず真上からの強襲。マリがセンリから最初に習った、比較的小型なゾディアクス相手のセオリーである。
「【紫電】、抜刀。斬り裂く!」
『
跳躍しながら銃から剣へ。銃身の外装がグリップの方へ折りたたまれ鍔となる。顕わになった量子圧縮装置が九十度立ち上がると、コアから大出力のイドラ粒子が供給され刀身を形成した。
獅子型の頭上をムーンサルトで跳び越していくポラリス。それをなぞるように、赤金色の軌跡が群れを縦断する。機体の姿勢を立て直したマリの視界に、背中からイドラ粒子を迸らせ爆散していく獅子型が映る。残る二匹のうち、一匹は後ろ脚を片方斬り飛ばされていた。
「まず、一匹」
初めて振るった刃の手応えは、思いの外軽いもの。自分だけで十分やれる、とマリは自信を深める。
そんな彼女に、残る二匹は無機質な視線を向けるのみ。足元から噴出される粒子の音だけが海上に響く。
「……」
ゾディアクスに声帯はない。感情もない。食事も繁殖もせず、ただ貯蔵されたイドラ粒子が尽きるまで暴れるだけの存在。
命の危機にあって怯えず、仲間の死に際して猛らず。生き残りは二手に分かれ、左右からポラリスへと迫ってきた。
「【紫電】、照準。撃ち抜く!」
『
囲まれないよう後方へ下がりつつ、マリは紫電を銃へと戻す。刀身を形成していた粒子がそのまま銃身内部へと圧縮されていき、銃口から漏れ出るほどの濃密な輝きを湛え出す。刀身に使っていた粒子を丸ごと弾として放つ、変形時限定の一撃。
足を失い、動きの鈍った一匹に狙いを定めるマリ。
「!?」
トリガーを引く瞬間、唐突にそいつの口が大きく開かれた。せり出した巨大な砲門が火を噴き、マリの放った光弾とぶつかり合う。莫大なエネルギーの相殺により衝撃波が発生し、海面を激しく打ち据える。
「くっ……特殊な武装大アリじゃない!」
ポラリスも後方に吹き飛ばされ、コックピットも大きく揺れる。防衛局の職員に文句を垂れながら姿勢を立て直そうとする。が、機体は意思に反し中々立ち上がってくれない。
「何? どうしたの!?」
『
「もうちょっと頑張って!」
『
マリの操縦が誤っていたわけではない。純粋に、機体を十全に動かせるだけのエネルギーが供給されなくなっている。応急修理を施されただけの中古品で高速機動、さらに高出力の粒子武装を使用すればどこかしら不具合を起こすのは当然ではあった。
ようやく姿勢を立て直した時には、既に水柱を突っ切るように三匹目が突っ込んできている。
「あと一匹。何とか持ってよ」
『
「三分の二倒すのに三分の一しかエネルギー使ってないから平気ね!」
『
エネルギー低下をヤケで誤魔化し、マリは迎撃を試みる。が、紫電を持つ左腕の反応は今までが嘘のように鈍い。ろくに防御もできぬまま強烈な頭突きが直撃し、海面を水切りの要領で吹っ飛んでいく。
「──ここ!!」
が、それは一時的に海上に浮かぶための粒子を使わなくて良くなったということ。歯を食い縛ったマリは持てる推力を総動員。背面のスラスターが火を噴き、機体を強引に上方へと打ち上げる。
『
「か、ぁふっ……! ごめん」
凶悪なGを受け、機体は勿論マリの体も悲鳴を上げる。内臓を絞り上げられ苦悶を吐きつつ、再び足元に半重力場を展開。
都市の方角から、内地部隊らしき一団が遅まきながらやってきたのをセンサーで察知する。が、彼らに僅かでも手柄をくれてやる気はない。
「【紫電】、抜刀」
形成された得物は、イドラの体躯を考えればドスと形容するにも短かった。刃渡り一メートルにも満たないこれが、機体の駆動と両立できる限界だった。
攻めあがってくる獅子型へ向け急降下。例の大砲を使う前に紫電を鼻面に叩きつける。ファーストコンタクトでは一刀両断できたが、出力の落ちた今は獅子型の纏う粒子コートと拮抗し、鍔迫り合いのような形となる。さらにグロテスクな鬣がポラリスの腕に絡みつき、ねじ切ろうとする。
「負けらんない、っつってんでしょ!!」
特殊合金が軋む音に負けじと咆哮し、強引に刃をねじ込もうとするマリ。
『──|BORDER BREAK activated《パイロットの強い意志を確認。ボーダーブレイクを起動します》.』
限界まで見開かれた彼女の眼が、モニターに浮かぶ一行の文字列を捉えた。
「ぅ熱っ! 何……!?」
ポラリスのメッセージと同時に、莫大なエネルギーがマリの体へと流れ込む。
さらにポラリスの出力が急上昇。触手を力任せに振りほどき、敵を海面へと蹴り飛ばす。
『
「ポラリス……? そっか。私、ポラリスと直接繋がってる」
体が爆発するのではないかというほどの昂りは、しかしマリにとって全く不快ではなかった。むしろ感覚が冴えわたり、ポラリスの状態をより詳細に把握できるようになる。
「コア周りが熱で……出力の低下はこれね。今は粒子を、私を通して全身に配ってるんだ」
『
ボーダーブレイク。コアに組み込まれた稼働リミッターを解除し、イドラ粒子を機体内だけでなくパイロットの体にも集積させる。本来機体が扱える以上のイドラ粒子を運用でき、大幅なパフォーマンス向上が期待できる……とされている。
通常運用の数倍に及ぶイドラ粒子を一身に受け止められる人間が今まで存在しなかったため、未だ「理論上は可能」「イドラのシステム内に名前が確認されたことがある」の域を出ない、文字通り人とイドラの境界を越える現象。
「……ねえ、ポラリス」
新品同様の数値を示す各種計器に見入っていたマリだったが、ふと自らが尋常ではない汗をかいていることに気が付く。
「確かにすごいけど、これ私が危ないんじゃない? すんごい熱い」
ほぼオールグリーンな数字の中、パイロットの体温だけは危険な領域に達しようとしていた。
『
「『そうですよ』じゃないのよ最初に言って!」
大急ぎで紫電に粒子を集中させ、量子の刀身を形成するマリ。眼下では獅子型が咢を開き、大砲の発射姿勢に入っていた。
「【紫電】、一閃。終わらせる!」
『
半身で腰を落とし、紫電を体の後方に寝かせて構えるポラリス。その様子は神話の英雄のように決まっていた。密度を増した刀身は黄金色に輝きつつ伸長し、ポラリスの身の丈を超えるほどになる。
「やるわよ、ポラリス」
『
獅子型の口が紅い輝きで満たされ、イドラ粒子の塊が投射される。それと同時に光刃を振り出し、ポラリスは驀進する。
「いっけぇぇえー!!」
光弾にイドラ粒子刃を衝突させ、鎧袖一触に断ち割った。
結束を失い大気中に拡散していく光弾を背にさらに前進。返す刀で今度こそ標的を海面諸共にぶった斬る。莫大な熱が迸り、最後の一匹も成す術なく爆散した。
「──よっし!」
水蒸気爆発の白煙を切り裂いて空へ舞い戻ったポラリスのコックピット内で、マリは疲労も痛みも忘れ拳を握る。志半ばで散った
「お父さん、お母さん。私、頑張るから」
親孝行の第一歩を立派に踏み出したマリ。そこへ、上空から一機のイドラが近づいてきていた。