一般ファデュイはただ帰りたかっただけ。 作:モラがない
三歳になった春、私は初めて誰の手も借りずに廊下を歩いた。
それはほんの十歩にも満たない距離だった。右足を前へ出す。少し遅れて身体が付いてくる。
次の一歩を踏み出した瞬間、ぐらりと世界が傾いた。慌てて左手を壁へ突く。掌へ伝わる漆喰の冷たさと、ざらりとした感触だけが今にも転びそうになる身体を支えてくれた。何とか姿勢を立て直し、小さく息を吐く。
今の私には歩くという行為は思っていたよりずっと難しかった。
以前なら研究室の端から端まで歩くことなど呼吸と大差なく、考え事をしながらでも身体は勝手に均衡を保ってくれていた。
しかし今や脚は短く、重心は覚束ない。少し力を入れ過ぎるだけで身体は前へ倒れ、逆に慎重になり過ぎれば今度は後ろへ尻餅をつく始末。自分の身体でありながら、まるで借り物を動かしているような奇妙な感覚だった。
それでも、不思議と苛立ちはしなかった。多少不便ではあるもねの、歩けるというその事実だけで十分だった。いい加減誰かに抱き上げられて移動するには飽き飽きしていた頃だったから。
目の前へ続く長い廊下は、私が歩きたい方向へどこまでも伸びている。その自由さは生まれて初めて手に入れたものだった。
窓から吹き込む風が薄いレースのカーテンをゆっくり揺らし床へ落ちた陽射しが波のように形を変える。裸足の足裏へ伝わる床板は昼の日差しでほんのり温かく、磨き上げられた木目は滑らかだった。歩く度、小さな足音が静かな廊下へ乾いた音を残していく。
私は立ち止まり、耳を澄ませた。
遠くから金属が触れ合う澄んだ音が聞こえる。庭師が鋏を入れているのだろう。
さらに奥では鍋へ木匙を当てる軽い音が続いている。恐らく厨房だろうか。香辛料を炒る匂いが風へ乗って僅かに届いてくる。
少しすると、廊下の向こうから使用人が二人歩いてきた。片方は洗濯籠を抱え、もう片方は白い布を畳みながら何か話している。
二人は私へ気付き、小さく笑う。
「カリム様、お散歩ですか」
私は頷く。「お気をつけて」と言い残すと二人は足を止めず、そのまま通り過ぎていった。
足音が聞こえなくなると、その場には風の音だけが残った。窓の外では鳥が鳴き、庭木の葉が擦れ合う音がかすかに響いている。
私はもう一度歩き始めた。
それから数日間、毎日同じ時間に屋敷を歩いた。これといった目的はない。少なくとも、誰かへ説明できるような目的は。
朝は父が玄関で靴を履き替える。
昼前には商談相手を迎える馬車の音が聞こえ、午後になると母は決まって庭園へ出ては天気が良いと花を愛でる日もある。乳母は決まってその間だけ私を探しに来る時間が少し遅くなる。
同じ時間になると、同じ人が、同じ場所を歩き、同じ扉が開き、同じ窓から同じ匂いが流れてくる。私は廊下の角へしゃがみ込み、その様子をぼんやり眺めていた。
誰も私を気にしない。
三歳の子供が退屈そうに座っている。大人たちにはそれ以上の意味はなかったのだろう。
私は視線を廊下の先へ向ける。突き当たりにある一枚の扉だけが昼過ぎになると誰にも開かれなくなる場所だった。
重厚な胡桃材の扉。
磨き込まれた真鍮の取っ手。
そこは父の書斎である。私はその扉を見つめたまま、何も考えずに立ち止まる。
扉の前まで来ると、それは思っていた以上に大きかった。
遠くから眺めているだけでは分からない。子供の目線で見上げる胡桃材の扉は壁の一部のように重々しく、丁寧に磨き込まれた木目は陽の当たり方によって褐色にも黒にも見えた。取っ手は私の頭より少し高い位置にあり、磨かれた真鍮が窓から差し込む光を鈍く反射している。
私はしばらく扉を見上げた。
ここ数日、この時間になると誰も来ないことは確認している。父は商談へ出掛け、母は庭園にいる。使用人たちは昼食の片付けや買い出しで持ち場を離れ、二階へ上がってくる人間はほとんどいない。
それでも耳を澄ませた。
廊下を風が抜ける音。
遠くで誰かが食器を重ねる乾いた音。
庭から聞こえる小鳥の囀り。
足音はない。
私はようやく取っ手へ手を伸ばした。指先が触れた瞬間、小さく肩が震えた。これは後ろめたさから来る罪の意識だろうか?
冷たい。昼の陽射しが差し込む廊下とは違い、金属だけが朝の冷たさを残していた。小さな掌ではとても握り切れない。両手で包み込むように掴み、体重を預ける。
しかし動かない。
ではもう一度。
今度は足を踏ん張りながら身体ごとぶら下がるように力を掛ける。するとかちり、と小さな音が鳴った。
取っ手がゆっくりと下がったので、私はそのまま肩で扉を押した。蝶番が長い眠りから目を覚ますように低く軋み、扉がほんの僅かだけ開いた。
紙だった。乾いた羊皮紙。
革張りの装丁。
長い年月を吸い込んだ木材。
まだ乾いていないインクの匂い。
微かに混じる蝋燭の煤。それらが静かに溶け合った、古い書庫だけが持つ独特な匂いだ。
私は目を閉じる。
懐かしかった。以前、私がまだ独立した個だった時の研究所とは壁や家具、積み重ねられている知識すら何もかもが違うが、それでも本だけは同じ匂いがした。
何十年も人の手を渡り、何百回も頁を捲られ、それでも静かに知識を抱え続ける紙の匂いだけは、世界が変わっても変わらないらしい。
思わず深く息を吸う。
胸の奥へ、その空気がゆっくり満ちていく。
それだけで荒れ狂う波が少しだけ静かになった。
扉をさらに押し開けながら中へと入ると、部屋の中は思っていたよりも薄暗かった。
厚いカーテンが陽射しを和らげ、窓辺から差し込む柔らかな光だけが室内を照らしている。光の帯へ浮かぶ埃は空気そのものが形を持ったようにゆっくり漂い、誰もいない静寂だけが部屋全体を包んでいた。
壁一面を埋め尽くす本棚。
天井近くまで積み上げられた蔵書。
書棚は分野ごとに整然と並べられ、一冊一冊の背表紙には幾度も触れられた跡が残っている。新品の本はほとんどない。角は丸く擦り減り、革は手脂で艶を帯び、何冊かは頁の端へ小さな栞が挟まれたままだった。
本を集める蒐集家の部屋というよりは、商いに関連する雑多な本を手当たり次第集めている印象を受けた。商人の家であるため当然といえばそうだ。
胸が高鳴る。
ようやく見付けたのだ。知らない世界の中で、以前の人生と同じ匂いがする場所を。
本棚の前で足を止める。
近付けば近付くほど、その存在は家具というより建築物へ近付いていった。三歳の身体では中段の棚でさえ目の高さより少し上にある。見上げると、首の後ろがじわりと張る。それでも最上段は見えなかった。
少しだけ可笑しくなる。以前では擬似的な宇宙を創造していた人間が、今や本棚一つ見上げるだけで首を痛めてしまうのだから。人生というものは、案外縮尺が当てにならないものだ。
棚板へ手を伸ばすが、やはり届かない。
したかなく棚の僅かに空いた縁を支えに爪先立ちになると、あと少しで届きそうだった。
指先が革の背表紙を掠める。
しかしそれだけだった。背表紙にすら触れられない。腕を下ろし、もう一度本棚を見上げ、次に近くに置かれていた椅子へと目を向ける。
あれは父が読む時によく使っているものだ。座面は革張りで、脚には床を擦った細かな傷が幾筋も残っている。誰かが乱暴に扱った傷ではない。本棚との間を何度も往復し、その度に少しだけ位置を変えた時間が、木肌へ静かに刻まれていた。
私は両腕で椅子の脚を抱える。
重い。
思った以上だった。
力を込めても、ぴくりとも動かない。それでも身体を預けるように押していくと、ぎ……と、床板を擦る低い音が部屋へ響いた。
力を込める度、木と木が擦れ合う鈍い音だけが返ってくる。三歳の身体では、大人が何気なく動かしている家具一つさえ満足に扱えないらしい。私は一度手を離し、小さく息を吐いた。
別に今日でなくてもいい。
そんな考えが頭を過る。
けれど、その考えはすぐに消えた。今日でなくてもいいのと、今日やらなくていいのは、少し違う。
私はもう一度椅子へ両手を添える。今度は押すのではなく、身体ごと預けるように寄り掛かった。床板が低く唸る。椅子がほんの少しだけ前へ滑る。たったそれだけの変化だったのに、妙な達成感があった。
押す。
止まる。
押す。
止まる。
その繰り返しだった。
途中で何度も腕が疲れ果て、掌も慣れない運動にじんじんと痛み始める。それでも椅子は少しずつ本棚へ近付いていく。その様子を見ていると、以前に大型観測装置の位置を数ミリ単位で調整していた頃を思い出した。
あの頃も似たようなものだった。
巨大な装置を相手にしているようで、実際に向き合っていたのは数ミリの誤差だった。研究というものは案外地味で、一つの発見の裏側には誰にも見向きもされない小さな作業が際限なく積み重なっていた。
ようやく本棚の前まで椅子を運び終えると、私は少し離れて眺めた。
椅子は目的の本からはほんの少しだけ右へ寄っていた。
また椅子へ手を掛ける。
少しだけ左へ。
今度は行き過ぎてしまった。
誤差を修正する。
ようやく納得できる位置へ収まる頃には額へ薄く汗が滲んでいた。
別に多少のズレなんて気にしなくても良かったかもしれない。それでも観測機器のレンズが一度だけ傾いて見えたあの日から、私は「少しくらい」を信用することはなくなっていた。その融通の効かない癖は、どうやら二度目の生を経ても治らないらしい。
いよいよ椅子へと手を掛ける。見上げていた時にはそれほど気にならなかった高さも、いざ登ろうとすると三歳の身体には随分と大きかった。片膝を掛けようとしても足先は空を切り、腕だけで身体を持ち上げようにも思うように力が入らない。もう一度だけ身体を寄せ、座面へ腕を押し当てるようにして重心を移した、その瞬間だった。
「……ぁ」
後ろへ傾いた身体がぐらりと揺れる。反射的に目の前へ両手を伸ばし、掴んだのは本棚へ隙間なく並ぶ革張りの背表紙だった。胸が棚板へ当たり、額が一冊の本へ軽く触れる。驚くほど静かな音だった。革が擦れる乾いた感触だけが額へ残り、そのまま私は動きを止める。危うく椅子から落ちる所だった。
鼻先を掠めた空気を、もう一度ゆっくり吸い込む。
乾いた羊皮紙。革張りの装丁。木材。少しだけ残るインクの匂い。
それぞれを言葉で切り分けることは出来ても、部屋そのものを満たしている空気はそのどれとも少し違っていた。長い年月の中で少しずつ混ざり合い、何度も頁が捲られ、人の手を渡り、陽を浴び、季節を越えてきた本だけが持つ独特な匂いだった。私は目を閉じる。そうした方がこの部屋の空気が少しだけよく分かる気がした。
夜明けまで灯りが消えなかった研究室。壁一面へ積み上げられた書架。読み掛けの論文を抱えたまま仮眠を繰り返した日々。もう二度と戻ることのない場所ばかりだった。
世界は変わった。身体も変わった。積み重ねた時間も、築き上げた理論も失われた。それでも、本だけは変わらない。人が頁を捲れば少しずつ色を変え、陽を浴びれば焼け、指先が触れれば角が丸く擦り減っていく。その当たり前だけは、世界が違っても驚くほど変わらなかった。
私はゆっくりと目を開く。目の前にはようやく手が届くようになった背表紙が静かに並んでいる。どれもまだ読んだことがない本ばかりだった。急ぐ理由はない。本は逃げない。昨日そこへあったものは今日もそこにあり、今日あるものは明日もきっと変わらず私を待っている筈だ。その静かな確信だけを胸のどこかへ置いたまま、私は指先を一冊の背表紙へそっと伸ばした。
どれを読むべきだろう。
そんな贅沢な迷いを抱いたのは、随分久しぶりの事だった。
◇
七歳になっても、私は相変わらず父の書斎へ入り浸っていた。最初の頃は椅子を運ばなければ届かなかった棚も今では爪先立ちをすれば二段目まで手が伸びるようになっている。
身体は少しずつ成長していた。けれど、その成長が嬉しいというより、届く本が増えることの方が重要だった。背丈というものは、知識へ近付くための道具に過ぎない。そう考えるような子供が健全かどうかは分からないが、少なくとも私にとっては庭で駆け回るよりも、父の書斎で古い紙の匂いに包まれている方がずっと自然だった。
商人の家らしく、書斎の蔵書は統一感がない。学者の書庫なら分野ごとに思想が見えるのだろうが、父の本棚には利益の匂いが染み付いていた。各国の地誌、交易路を記した地図、香辛料の価格変動をまとめた帳簿、薬草図鑑、鉱石の見分け方、古い王朝の伝承、砂漠の民が語る歌、船乗りが残した曖昧な航海記録。
父はそれらを商売のために集めたのだろう。どの土地で何が採れ、どの季節に道が閉ざされ、どの町で商人が嫌われ、どの国の役人が賄賂を好むのか。本に書かれた知識は父にとって損を避け、利益を生むためのものだった。だからこそ、実用から外れた頁ほど私には面白かった。商人が見落とす箇所、帳簿の隅に書き込まれた古い伝承、植物図鑑の注釈、地図の端へ残された「この先、不可解な霧あり」という一文。利益にならない情報ほど、世界の本質に近い場所へ置き去りにされていることがある。
最初に七つの国の名を見た時、私はそれを地理の分類だと思っていた。
スメール、モンド、璃月、稲妻、フォンテーヌ、ナタ、スネージナヤ。
国境があり、独自の言語があり、産物があり、気候がある。そこまでは何も不思議ではない。どの世界にも文明があり、文明がある以上、人は土地を分け、名前を付け、争い、商い、記録を残す。以前の世界での知識と照らし合わせれば、むしろ幼い分類に見えた。
通信網は貧弱で、輸送は遅く、加工技術は粗い。加えて衛生観念も未熟だった。地図一つ取っても測量の精度は甘く、古い写本には明らかに誇張された山の高さや旅人の恐怖で膨れ上がった怪物の絵が平然と載っている。前の世界なら学生の演習課題にもならない。そう切り捨てることは簡単だったし、実際、私は最初そうしていた。
しかし読み進めるほど、その判断はまだ軽率であると認めざる得なかった。文明が遅れている事と世界が単純であることは同じではない。未熟な観測者が拙い言葉で記録したものの中に、生来の理論ではどうしても説明できない現象が混ざっていた。
それらはこの世界、テイワットでは元素と呼ばれているものだ。炎、水、雷、草、氷、風、岩。
最初は比喩だと思った。次に宗教的誇張を疑った。さらに読み進めて、地方差のある民間伝承かもしれないと考えた。だが、国も時代も著者も違う本の中へ、同じ分類が何度も現れる。炎、水、雷、草、氷、風、岩。呼び方は多少違ってもその枠組みだけは揺らがない。偶然にしては整い過ぎていた。
私はその日、書斎の床へ座り込んだまま日が暮れるまで頁を捲り続けた。窓から入る光が少しずつ傾き、床へ伸びる本棚の影が私の膝を越え、やがて開いた頁の上まで届いても目を離せなかった。問題は読めるのにてんで理解できないことだった。元素。神の目。地脈。どれも本の中では当然のように語られている。著者たちは誰一人、それを不思議だとは疑っていない。
文明水準だけ見ればこの世界はため息を吐きたくなるほど粗末だが、その世界の足元には私の知らない法則が埋まっていた。低い文明の上に高度な未知が剥き出しで転がっている。その不均衡が不可解で、美しかった。荒れた土の中から、磨かれていない宝石を見付けたような感覚だった。
その日から、読む本が変わった。交易路の記録を読む時も、私は値段や距離ではなく、旅人がどの地点で「奇妙な風」を感じたのかを探した。植物図鑑では花の色より、元素に触れた時の変化を追った。鉱石の文献では産地ではなく、なぜ一部の鉱石だけが元素を帯びるのかを考えた。父が商人として線を引いた地図の上へ、私は別の線を引いていく。地脈の流れらしきもの。異常気象の分布。神の目を得た人物の出身地。怪物の発生場所。どれも不完全で、幼稚で、推測に過ぎない。それでも、紙の上へ点を置き、点と点を繋いでいくと、世界が少しだけ別の顔を見せる気がした。らしくない高揚感に胸を躍らせていた。
意外なことに母は私が書斎へ籠もることを心配しなかった。むしろ、本を読む娘を微笑ましく思っていたのだろう。時折、扉の隙間から覗き込み、「暗くなる前には出ていらっしゃいね」と声を掛ける。その声に私は頷き、実際には暗くなってからもしばらく本を読んだ。
父は私が自分の蔵書へ触れることを嫌がらなかった。高価な本だけは扱いに気を付けなさい、と言ったが、それ以上の制限はない。彼にとって私は、本が好きな少し変わった娘だった。何かを深く疑われることはなかった。その距離感がありがたく、理解されないことは寂しさよりも先に自由をくれる。
ただ、一度だけ母が不思議そうに私の手元を覗き込んだことがある。私が開いていたのは、スメール各地の植生をまとめた本だった。頁の余白には、子供の筆跡にしては細かすぎる印が幾つも並んでいた。降水量、土壌、成長速度、元素との関連性。母はそれを読むことはできなかっただろう。ただ、私が絵を見るためではなく、何かを確かめるためにその本を開いていることくらいは感じ取ったのかもしれない。彼女はしばらく黙って私の横顔を見つめ、それから困ったように笑った。
「カリムは本当に、本が好きなのね。いつかは商人ではなく、学者にでもなってしまいそうね」
私は顔を上げて、少しだけ首を傾げた。子供らしい仕草としては自然だったと思う。母はそれ以上何も聞かず、私の髪を撫でて部屋を出ていった。手の温度だけがしばらく頭に残った。その温度が消えるまで、私は頁を捲らなかった。理由は分からない。ただ、音を立てるのが少し惜しかったのだ。
七歳の私が書斎で得たものは、七つの国の名前でも、元素の分類でも、神々の伝承でもなかった。この世界には私の知識では届かない場所がある、という事実だった。
知らないものがある。理解できないものがある。以前の人生で積み上げた理論を持ち込んでも、なお説明できないものが目の前にある。
だから面白い、とはその時まだ言葉にしなかった。ただ翌日も、その次の日も、私は書斎へ向かった。扉を開け、紙と革の匂いを吸い込み、昨日と同じ場所へ座る。床板は夕方になると少し冷たくなり、窓の外では市場から戻る馬車の音が聞こえた。母が呼びに来るまでの時間、私は頁の中へ沈んでいく。神の目はなぜ人を選ぶのか。どうすれば手に入るのか。
答えはどこにもなかった。
けれど問いだけは増えていき、久しく感じていなかった充足感を感じた。