ある銀行の・・・   作:適当でいいです

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第11話

システム部の素早いコード書き換えにより、神戸E銀行の予約画面から「重複(エラー)」の赤文字が消え去った。

整然と割り振られた専用枠に沿って、顧客たちが次々と指定の教室へと吸い込まれていく。

 

解禁されたハイブリッドローンには、『事業型』と『住宅ローン型』の2種類が存在する。

どちらも、表面上のスペックは従来のローンより「ほんの少しだけ金利が低い」だけ。しかし、一般家庭をターゲットにした『住宅ローン型』の講習内容は、事業型とは全く異なる異様な空気を放っていた。

 

事業型のような経営分析の講習はない。代わりに用意されているのは、わずか3コマの「金利動向の経済学」の講習。

そしてこの講習、事業型とは違って、講師たちは「なぜそうなるのか」という論理(理由)を一切説明しないのだ。

 

「――原油や銅などのコモディティ価格がこのような推移を見せた場合、それは市場のインフレ懸念が極めて強い組み合わせであると機械的に覚えてください」

 

教壇に立つ講師が、淡々とスライドをめくる。受講している一般の会社員や主婦たちは、大学の経済学部の講習に片足を突っ込んだような専門用語の羅列に、必死でメモを取っている。

 

「お手元のシートの各項目に、それぞれ10%ずつリスクを割り振ってください。その合計が50%を超えた時、変動型金利を選択し続けることは皆様にとって著しく不利になります。ですが、ご安心ください。弊行のハイブリッドローンは、いつでも固定金利へのコース変更が可能です」

 

講師は、ここでフッと温和な笑みを浮かべる。

 

「もちろん、ご自身の判断が誤りだったと思われたなら、再度、変動金利コースに戻ることも可能です。ただ、この往復を1度行った場合、その後1年間はコース変更ができませんので、その点だけはご注意ください。……賢く金利をコントロールし、少しでも早くローンを返済して、この大切な家をお子様に受け継ぎましょう」

 

私はガラス窓の向こうから、その光景を眺めていた。

あまりの「破格の条件」に、胃の腑がじわりとひっくり返るような錯覚を覚える。

 

普通、銀行という組織は金利が上がればその分だけ利益を貪れる「変動金利」のまま顧客を縛り付けたいはずだ。それを、顧客自身の判断でいつでもノーペナルティで固定金利に切り替えさせ、おまけに「やり直し(往復)」まで認めている。

 

国や他行が、インフレの荒波の中で国民から毟り取ることしか考えていないこの2030年において、地銀連合が提示しているのは、まるで神の慈悲だ。

 

「ゲロが出るほどの優しさ、ですか……」

 

隣に立った樫村課長が、私の呟きを拾って低く笑った。

 

「ええ、表向きはね。理由を教えず『公式』だけを叩き込む。そして、顧客自らの手でスイッチを押させる。……彼らは気づいていないのですよ、大山さん。自分たちが今、連合の作った『アルゴリズム』の精巧な歯車として、完璧に調教されているという事実にね」

 

「カモフラージュの幽霊信金(・・・・)、どうしますか?」

 

大混乱から一転して静まり返った執務室で、私は手元の極秘系統図を睨みながら、樫村課長に問いかけた。

 

実は、ハイブリッドローン法改正の翌週に全国の連合加盟行が一斉に奇襲投入をかけた際、連合のブレインたちには一つの巨大な懸念があった。

 それは、世界を疑うのが仕事のヘッジファンドや財務官僚が、加盟行の提携先を徹底的に調べ上げた場合、すべてが「ウロボロスの輪」のように一つの巨大な意志に繋がっていることに気づかれるリスクだ。

 

その対策として連合が各地に極秘裏に設立していたのが、通称『幽霊信金』と呼ばれるダミー組織だった。

 

カモフラージュのロジックは、実に徹底していた。

 

幽霊信金のホームページは、わざと2000年代初頭のような使いにくい最悪のUI(ユーザーインターフェース)にし、提携先や資金の出所を意図的に隠蔽する。

 

さらに、この幽霊信金を、連合内の資金力のある主力行がそれぞれの比率分だけ裏で受け持つ。

関係性は『A銀行とB信金』『B信金とC銀行』『C銀行とD・E信金』のように数珠繋ぎにされ、『AとG』は一切の接点を持たない。

もし資金やシステム、人員を流したいなら、Aから順にB、C、D、そしてGへとロンダリング(迂回)しながら流す。

 

この構造は幽霊信金だけでなく、主力である連合加盟行自体にも適用されている。

繋げばわざと枝分かれにした部分があるので、若干いびつだが並べると一つの輪になるようにできている。

 

だが、問題は「全行がハイブリッドローンを即発売し、他行では絶対にやらない『事業経営テスト』や『講習会』を徹底している」という、あまりに強烈な共通点だ。これは連合の思想の核心であり、絶対に外せない。しかし、だからこそ目立つ。

 

そこで連合は、事業経営について触れず、投資講習もせず、テストすらも「形だけ」しかしない、ルールが極限まで緩い幽霊信金をいくつも用意した。

 

「無能を演じること。これが、幽霊信金の職員に与えられた職務でしたからね」

 

樫村課長は皮肉を込めて言った。

当然、彼らも連合の支配下にある。職員にはあえて「指示待ち型の無能寄りの人員」を大量に配置し、外向きに『どんくさい、地方の冴えない信金』を完璧にプロデュースしていた。

ただし、彼らを統制する現場のリーダー格の同僚行員や重役には、連合が『本体の地銀に組み込むほどではないが、それなりに使える実務家』を引っ張ってきて運営させていたのだ。

 

将来、連合の正体を世界に明かした時、もしこの幽霊信金たちの杜撰な実態が暴かれても、世間は『あの完璧な地銀連合でも、末端の信金までは制御が効かず、運営の判断ミスを起こすんだな』と勝手に納得してくれる。

人間の心理の隙を突いた、完璧に合理的な「トカゲの尻尾」だった。数年程度の動向で、この複雑な迷宮をすべて暴き出すのは不可能なはずだった。

 

――だったのだが。

 

「……まさか、他行がここまで『本物の無能』だとは、連合の天才たちも計算が立ちませんでしたか」

 

私は呆れを通り越して、乾いた笑いを漏らした。

 

蓋を開けてみれば、法改正直後から、連合とは何の関係もない有象無象の類似銀行たちが、あちこちで「サインするだけの劣化コピー類似商品」をバカみたいに乱立させ始めたのだ。

結果として、市場には「似たような商品」が溢れかえり、連合の同時多発投入は、その混沌としたトレンドの中に完全に埋没した。

 

わざわざ金をかけて作った、精巧な「幽霊信金」という偽りの迷宮。それが、他行の本物の無能さによって、ただのムダ金になってしまったのだ。

 

「連合のブレインたちは、自分たちの『高い知性や理性』を、他行の演算(シミュレーション)に代入しすぎたのですよ」

 

樫村課長は、心底忌々しそうに吐き捨てた。

敵が合理的に動くという前提で完璧なチェスを組んだら、相手がチェス盤の上でただ暴れて勝手に盤面をかき乱した。そんな間抜けな喜劇が、この2030年の金融市場の裏側で起きていた。

 

「まあ、結果的にカモフラージュとしての価値は落ちましたが、後々の『連合でも凡人組織なんだ』という宣伝(フェイク)にはそのまま使えます。計画自体は変えないでしょうね」

 

私が何気なくそう言うと、樫村課長は手にしていた万年筆をピタリと止め、ひどく愉快そうに目を細めた。

 

「……そうです、大山さん。連合のブレインなら、まさに今君が言った通りの結論を出しますよ」

 

樫村課長の言葉に、私は自分の背筋をかすかな戦慄が駆け抜けるのを感じた。

 

他行の予想以上のマヌケさによって、数珠繋ぎの複雑な隠蔽システムは空振りに終わった。普通なら「無駄金を叩いた」と頭を抱える局面だ。

だが、私の脳は即座にそれを『将来、連合の正体が露見した際、我々の全能感を消して当局を油断させるための肉粉(デコイ)として再利用できる』と、一瞬で損益を通算して処理していた。

 

私の思考回路は、いつの間にか「無能な他行」の浅ましいバカさ加減ではなく、冷徹な「連合」のアルゴリズムに完全に同調していたらしい。

温厚な元信金マンの皮を被りながら、私の脳の帳簿は、すでに加賀部長たちのそれと同じ色に染まりつつあった。

 

「では、マヌケな有象無象のノイズに紛れて、我々は『本物の選別』を淡々と進めましょう」

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