ある銀行の・・・   作:適当でいいです

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第12話

発売から3か月が経過した。

 

あれほど本店ロビーを埋め尽くしていた「当初の申し込みの怒涛の勢い」は、流石に落ち着きを見せ始めている。だが、皮肉なことに講習会の部屋は、相変わらず朝から晩までパンパンの満室状態が続いていた。

 

理由は単純だった。このハイブリッドローンの適性検査には、「受講回数の制限」が一切ないからだ。そのため、一度落ちた受講客が一向に他行へ掃けていかないのである。

 

通常の銀行であれば、一度審査に落ちた顧客は門前払いにするか、再申請まで数ヶ月のペナルティ期間を設ける。しかし、我が地銀連合のスタンスは完全に真逆だった。

 

「何度落ちようが、再受講だろうが、再々受講だろうが、一向に構いませんよ」

 

それが、連合の掲げる絶対のルールだった。

通常の財務状況や担保評価といった「銀行としての基本審査」さえ通っている企業(ハコ)であるならば、あとは経営者本人の『実力(知性)』だけが合格条件になる。

 

テストの解答を丸暗記するだけの無能は、問題の数値をわずかに変えた「事業経営テスト」の罠にあっさりと引っかかって落ちる。

だが、連合が求めているのは、インフレ地獄の日本経済で、連合の「神のシステム(需給最適化)」の末端を担えるだけの、規律ある、学習能力を持った精鋭だ。

 

だからこそ、何度打たれても、泥水をすすってでもマニュアルを理解しようと喰らいついてくる「執念のある凡人」を、連合は見捨てない。

彼らが講習を通じて学習し、知性をアップデートして合格ラインに達するまで、何度でも無料で席を提供し続ける。

 

一見すると、これもまた「他行ではあり得ないほど親切で、気が長い仏のような対応」に見えるだろう。

 

「……受講制限をつけないことで、彼らは『自分が落ちたのは銀行のせいではなく、自分の実力が足りないせいだ』と錯覚し、より熱心に講習(教典)にのめり込むわけですか」

 

他行の類似商品に流れた浅ましい無能どもが、今頃「サイン一枚のザル融資」で破滅へのカウントダウンを始めているのとは対照的に、ここでは地銀連合による、静かで完璧な「洗脳と選別」が、100%の純度で完成しつつあった。

 

チーン、と終了のチャイムが鳴る。

 

「はい、今回の講習はここまでです。速やかにご退出をお願いします」

 

講師の事務的な声とともに、講習室からぞろぞろと参加者たちが帰っていく。

 この教室での居残りは一切許されていない。廊下にはすでに、次のコマの受講生たちが並んで待機しているのだ。インターバルはわずか10分。大都市・神戸の圧倒的な処理件数をバグなく捌くためには、ミリ単位のタイムスケジュール厳守が鉄則だった。

 

その代わり、アフターフォローの網の目は恐ろしいほど緻密に張り巡らされている。

講習内容に関する疑問は、専用アドレスへのメールか、もしくは講師室の窓口で直接質問をぶつけることができる。さらに、回答までに1週間以上の時間はかかるものの、各支店に設置されたポストへ投函する『Q&A用紙』まで用意されていた。

 

至れり尽くせり、ではない。文字通り、疑問を放置して不合格(脱落)になる言い訳を、システム側がすべて先回りして潰しているのだ。

 

すれ違う受講生たち――泥臭い作業着姿の中小企業の経営者や、マイホームを夢見て有給を取ってきたであろう普通の会社員たちは、一様に疲れ果てた、しかしどこか充血した目で口々に呟いていた。

 

「……俺たちの経営って、こんな基礎的なことすら知らないでやっていたのか。そりゃあ、大手に勝てるどころか、今までいいように食い物にされるわけだ」

 

「こんなに必死に勉強するの、受験生以来かもな。でも、この『公式』通りに投資を頑張って、浮いた分を少しずつ繰り上げ返済に回していけば……本当に住宅ローンの完済年数も、総支払額もこれだけ減らせるかもしれない」

 

パンフレットの試算表を指でなぞる彼らの横顔には、絶望ではなく、確かな『希望』が宿っていた。

 

――連合の餌(カモ)になる。

その本質だけを聞けば、彼らは地銀連合という名の巨大な悪魔に魂を売っているように見えるだろう。だが、現実は全く逆だ。

 

従来の銀行がやっていた「ただ5%や10%の高金利を突きつけ、返せなくなったら担保の家や工場を冷酷に毟り取る」というぬるま湯の地獄。

そこから彼らを掴み上げ、頭を無理やり掴んで「生き残るための冷徹なアルゴリズム」に叩き込む、連合の熱湯という名の天国。

 

彼らは今、搾取されるだけの『家畜』から、システムを駆動させるための『兵隊』へと、自ら望んで生まれ変わろうとしていた。

 

「大山さん、これが我々の『正しい銀行の姿』ですよ」

 

いつの間にか隣にいた樫村課長が、ポストに熱心にQ&A用紙を投函する経営者の後ろ姿を見つめながら、静かに言った。

 

「奪うだけではない。知性を与え、規律を与え、我々の輪の中に囲い込む。これ以上の救済が、今の日本にありますか?」

 

「……ええ。おっしゃる通りです」

 

私は温厚な笑みを崩さないまま、深く頷いた。

受講ポストの回収ボックスには、すでに溢れんばかりの用紙が詰め込まれている。

 

これまでの銀行が扱ってきた一般融資や事業者ローンなど、従来の手続きを粛々とこなすのが既存の「第1融資課」。

そして、この新設された爆弾商品――事業型、および住宅型ハイブリッドローンの手続きを一手に引き受けるのが、私たちが所属する「第2融資課」の仕事であった。

 

「非常に残念ですが、適性検査の投資パートが不合格でした。再挑戦されるか、あるいは第1融資課の事業者ローンへの切り替えをお考えになられては?」

 

私は、アクリル板の向こうに座る精肉店の店主に、温厚な、しかし一切の妥協のない声で冷徹に事実を告げた。

 

灘ロジスティクスの書類を精査する合間に、私の元にはこうして日々の「選別」の現場が持ち込まれる。

この店主の場合、第1融資課が担当する担保審査や財務状況のチェックは何の問題もなかった。このインフレ地獄の時代において、真面目に黒字経営を維持している。だが、それはあくまで「ギリギリの黒字」だ。ここから店主自身の十分な生活費や、将来への莫大な余剰を抜くのは難しいと言わざるを得ない、カツカツの経営状態だった。

 

おそらく、今から彼が隣の第1融資課の窓口に行って事業者ローンを申請すれば、優遇金利2%での融資を得られる確率は……五分五分といったところだろう。運が悪ければ、5%以上の高金利をふっかけられてジリ貧になる。だからこそ、彼は1.5%のハイブリッドローンという蜘蛛の糸にしがみつきにきたのだ。

 

私は手元のタブレットに表示された、彼の適性検査の結果に再び目をやった。

 

事業経営テスト:92点

 

投資テスト:71点(※合格ライン:75点)

 

事業経営テストはさすがだった。この時代に店を潰さず黒字を維持しているだけあって、原価管理やリスク排除の勘所は高得点を叩き出している。

しかし、投資テストがわずかに足りない。連合が設定した合格ラインは100点満点中75点。対して、彼のスコアは71点。

 

わずか、4点。

されど、不合格(デッドライン)だ。

 

「4点……4点だけ、おまけしてくれませんかね、係長さん」

 

店主は油の染み込んだ作業着の袖を強く握り締め、すがるような目で私を見た。

 

「あとネジ1本、白菜1個の利益率を削れって言われりゃあ、俺は事業テストの通りにやってみせます。でも、あの株とかFXというのは別々のやり方ばかりで、どうしても頭がこんがらがっちまって……。

 頼みます、1.5%で貸してください。そうじゃないと、来月の仕入れが……」

 

信金時代の私なら、「熱意」や「実直さ」を稟議書の行間に滲ませて、なんとか上を説得する方法を考えただろう。4点くらい、実務の裁量でどうにでもなる、と。

 

しかし、今の私は神戸E銀行の第2融資課係長。地銀連合の末端の「脳」だ。

私は、穏やかな笑顔のまま、ゆっくりと首を横に振った。

 

「申し訳ありません。これが弊行の『ルール』ですので。……ですが、店主さん。先ほども申し上げた通り、我が行の講習会には受講制限も、試験の回数制限もございません。

 あなたの『事業の知性』はすでに合格しています。足りないのは、ほんの少しの『公式の暗記』だけだ」

 

私は、彼が落とした投資テストの、間違えた箇所のデータをプリントアウトして机に滑らせた。

 

「来週の火曜、夜19時からの講習枠を、いま私がここで押さえましょう。もう一度だけ、この『公式』を頭に叩き込んで、テストを受けてみてください。私は、あなたが『こちらの輪』に来られるのを、いつでもお待ちしていますよ」

 

「……あ、ありがとうございます……! もう一回、死ぬ気で勉強してきます!」

 

店主は何度も頭を下げながら、プリントを宝物のように抱えて帰っていった。

 

後ろ姿を見送る私の胸に、罪悪感は一切なかった。

 4点をまけて2%の融資にハメ込むのは、従来の銀行のやり方だ。それは優しさに見えて、ただの放置であり、数年後の倒産への執行猶予に過ぎない。

 75点を取れるまで彼を調教(アップデート)し、完璧にリスクヘッジができる状態で1.5%の神のシステムへ迎え入れることこそが、本当の救済。

 

「……随分と板についてきましたね、大山係長」

 

いつの間にか後ろの席から書類を覗き込んでいた樫村課長が、満足そうに鼻を鳴らした。

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