ある銀行の・・・   作:適当でいいです

29 / 49
第29話

「ゴールド担保額が……! 基準値を割り込んでいる顧客のログが、一斉にフラッシュしています!」

 

私が第2融資課のフロアに足を踏み入れると同時に、真っ赤に染まった投資管理システムのモニターを前に、部下が悲鳴に近い声を上げた。

 

「しょうがないさ」

 

私はブリーフケースをデスクに置き、極めて冷静に、努めて低い声で返した。

 

「ゴールドがいつか下落するサイクルは来る。それは確信できていたさ。……だが、まさか同時にドル円がこれほどの急激な円高に振れるとはな……」

 

私の視線の先にあるメインモニターには、株式、コモディティ、為替、すべての市場が歪みを爆発させているチャートが映し出されていた。

 

うちの顧客の中には、資産運用としてアメリカ株を買っている事業者や個人も非常に多い。実際、連合が主導した投資講習会でも、インフレヘッジの王道として米国株価指数の構成銘柄を推奨していたからだ。

だが、それがこの局面で裏目に出る。

株価そのものの暴落(株下げ)に加えて、ドルに勝つほどの急激な円高の直撃。

この二つが同時に押し寄せたことで、顧客たちの米国株資産の「円建て評価額」は、かつての円安株高のときとは真逆のベクトル――すなわち、マイナス方向への強烈な『ダブルダメージ』となって口座を直撃していた。

 

「だが、ここでも『ゴールド担保』が確実に生きる」

 

私は動揺する部下たちの肩を叩き、モニターの別の数字を指差した。

 

「いくら昨夜盛大に急落したと言っても、ゴールドの現在価格は、今年の始値から見ればまだ、たったのマイナス0.5%になっただけだ。

 去年、あるいはそれよりも前から購入して担保に組み入れている顧客であれば、今でも十分に分厚い含み益の状態を維持している」

 

これこそが、地銀連合が「バブルの天井」を警戒し、融資条件の審査をギリギリまで厳しく絞り込んできた最大の理由だった。

目先の利益に欲張って、値上がりしたゴールドをさらに再評価し、それを原資とした「追加融資」のレバレッジを顧客に組ませていなければ、この程度のファーストインパクトで即座に連鎖破綻(デフォルト)が起きるような影響はないはずなのだ。

規律を守ったウチの顧客たちの防壁は、まだびくともしていない。

 

――そう、私たちが自分たちに言い聞かせるように実務的な確認を行っている間にも。

 

デスクの隅でリアルタイムの推移を刻む監視用モニターの中で、アメリカ市場の主要指数である『US500(S&P500)』『US100(ナスダック100)』、中小型株指数『US2000(ラッセル2000)』。

そして欧州の巨大企業指数『EU50(ストックス50)』の4大インデックスは――まるで意思を持った巨大な黒い刃のように、下へ下へと、際限のない巨大な陰線をリアルタイムで描き続けていた。

 

こういう未曾有の市場クラッシュが起きたとき、普通の銀行であれば、行内で激しい対立が勃発する。

「今すぐ全額回収に動くべきだ」と主張する融資課・リスク管理部門と、「そんなことをしたら顧客が本当に倒産してしまう、追加融資で支えるべきだ」と叫ぶ営業課。

現場の責任者たちは今後の方針を巡って怒号を飛ばし合い、経営陣の決断が遅れる間に傷口はさらに広がっていくものだ。

 

しかし、地銀連合の組織構造においては、そんな不毛な社内政治は1%も発生しない。

 

なぜなら、危機発生時のマクロな基本方針やリスクコントロールのグランドデザインは、すべて中央の「連合ブレイン」が一括して思考し、決定しているからだ。

我々地方の各銀行は、その決定を現場で「いかに迅速かつ正確に実行するか」という実務だけに100%集中すればいい。

 

世間の意識が高いビジネスパーソンから見れば、「自分で考えない指示待ち人間(ロボット)」と揶揄されるかもしれない。

だが、この極限のパニック相場において、「現場が余計な感情で考えること」こそが最大のイエローカードであり、組織を滅ぼす毒になるのだ。

 

現に、あの産業用メモリの急落ニュースから24時間が経とうとしていたが、地銀連合のシステムは、どこまでも冷徹に、そして機械的に稼働し続けていた。

 

株安と円高のダブルパンチを受け、『投資枠+ゴールド担保評価額』のトータル時価が、事前に契約条項で定めていた基準値を下回った顧客。

彼らに対しては、人間の行員が机を叩いて悩む猶予など一瞬たりとも与えられない。

 

システムが自動で検知した瞬間、

まず、顧客の端末へ「前提崩壊と追加担保請求」のメール通知が自動送信される。

同時に、本部のコールセンター(オペレーター)から機械的な警告の電話が入る。

そしてその日のうちに、厳格な法的効力を持つ「ローン格下げ(ペナルティ金利適用、あるいは融資枠縮小)の通知書」が封書で自動発送される。

 

そこには「長年のお付き合い」も「社長の熱意」も一切介在しない。契約条項という名の冷たい数式が、ただ淡々と執行されていくだけだ。

私たちがやるべきことは、画面に表示される進捗ログに目を通し、システムが弾き出した「執行リスト」の通りに事務手続きのボタンを押すことだけ。

 

考えることは、この仕事には存在しない。

だからこそ、この世界同時不況の初動において、我が第2融資課のフロアには、他行のようなパニックの怒号はいっさい響いていなかった。ただ、冷徹な規律のシステムが駆動する電子音だけが、静かに空間を満たしていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。