日足チャートを見ると、ある日は猛烈に買い戻され、翌日にはそれ以上の勢いで叩き落とされるという、機関投資家のハメ込み(踏み上げ)を伴う不気味なギザギザを描きながら落ちている。
だが、時間軸を週足に切り替えると、そこには一切の迷いなく、驚くほど綺麗に巨大な陰線が突き刺さっていた。
日米欧の主要株価市場の騰落率は、ショック発生の月曜日から現時点である金曜日の日中時点ですでにマイナス16%。
「ふむ……当行のFX取引金額が通常の3.8倍か。すばらしいな」
課長席の横に立ち、最新の決済データを眺めながら私が呟くと、樫村課長が深く椅子の背もたれに体を預けて口元を綻ばせた。
「教育が効きましたね、大山係長」
「ええ。ですが、その一方で1階の窓口と事務フロアは、文字通りの地獄絵図(パニック)になっているようですが」
私たちは苦笑いを交わしながら、手元の資料に目を落とした。
私のデスクの上には、部下が時間ごとにプリントアウトしてくれた、受け持ち顧客たちの投資商品推移のスクリーンショットが何枚も重ねられている。
株もゴールドも、絶対価値を持つ資産はすべて一斉に下落していく暗黒期。
そんな中、規律ある顧客たち、あるいは私たちの講義内容を必死に思い出し、分厚いマニュアルを引っ張り出して実践した者たちが、資産の逃避先として「相対価値」のゲームであるFXへと徐々に資金を移動させている軌跡が、紙ベースのデータで実に見事に浮き彫りになっていた。
もちろん、すべての顧客がFXに馴染めるわけではない。レバレッジをかける証拠金取引というだけで本能的に恐怖を覚える者もいるし、これほどの大荒れ相場ならなおさら手を出したくないという堅実な経営者も多い。
だが、私たちのマニュアルは、そうした層を決して見捨ててはいなかった。マニュアルには明確に、もう一つの絶対的な逃げ道が表記されている。
『FX等の相対価値取引を行わない場合は、間違っても他の投資商品へ色気を出さず、全てのポジションを清算して【現金(キャッシュ)】で保有せよ』
そしてその直後には、太字でこう釘を刺してあるのだ。
『間違っても、この局面で「ディフェンシブ銘柄(医薬品・インフラ・通信株など)」を買うような愚を犯してはならない』
世間一般の投資本や他行のアナリストどもは、「暴落時には景気に左右されにくいディフェンシブ銘柄で防衛を」と親り顔で宣う。
だが、あれは金融実務の現場から言わせれば、ただの欺瞞だ。
ディフェンシブ銘柄の防衛力など、「他のハイテク株や新興国株に比べれば、下落の速度が多少マシ」という相対的な慰めに過ぎない。
市場全体の流動性が枯渇する全体の下落相場(ベアマーケット)において、それらの株が単体で上がる保証などどこにもないのだ。
「他行の言う通りに『ディフェンシブ株だから安全』と信じてナンピン買いした連中は、今頃、株安と円高のダブルパンチに加えて、そのディフェンシブ株のジリ安にまでじわじわと首を絞められているでしょうね」
私がそう言うと、樫村課長は冷徹な執行人の目で、手元の「悪意あるスライド顧客リスト」のノートを見つめた。
システムの設定を弄って往生際悪く株にしがみついた者。ディフェンシブという甘い言葉に釣られて現金を溶かした者。
そして、私たちの教えを守り、FXの相対市場へ逃げ延びるか、あるいは「何もしない(現金化)」という最強の規律を全うした者。
1週間の嵐を経て、地銀連合の要塞の中では、顧客たちの命運の差がこれ以上ないほど残酷に、そして決定的に開き始めていた。
私と課長がそんな会話を交わしている融資課フロアののほほんとした空気とは裏腹に、その真下にある事務方と窓口のフロアは、文字通りの戦場であり地獄だった。
事務方のデスクには、システムから弾き出された『ハイブリッドローン担保比率条項違反者』のリストが秒単位でリアルタイム送信され、プリンターが悲鳴を上げるような速度で警告書類を吐き出し続けている。
ヘッドセットをつけたテレオペたちが、感情を殺した声で機械的に違反者への督促電話をかけ続けるすぐ隣のエリアでは、別の行員たちがローン格下げの告知書を封筒に叩き込み、のりを貼って仕分ける作業を通常の倍以上の速度で淡々とこなしていた。
さながら、不良債権の高速処理工場だ。
そして、一階の窓口には、地獄の蓋が開いたような光景が広がっていた。
「どうして急に金利が上がるんだ!」
「これまでずっと遅れずに返済してきたじゃないか!」
「頼む、今回だけでいいから融資枠の引き下げを待ってくれ!」
そこに並んでいるのは、規律を破ってハイブリッドローンの契約条項を切られた顧客たちだった。
契約書にサインしたはずの文言を棚に上げ、ある者は顔を真っ赤にして根拠なき抗議を怒鳴り散らし、またある者は涙を浮かべて哀れな懇願を繰り返している。
中には、かつて地銀連合の厳しい規律を嫌い、「もっと親身になって融資してやる」という甘い言葉に乗せられて他行(兵庫産業銀行など)へ移っていった元顧客たちの姿もあった。
他行の高額手数料の投信と高レバレッジローンで完全に身ぐるみを剥がされ、破綻寸前になってから「昔のよしみで助けてくれ」と恥も外聞もなく縋(すが)り付きに駆けつけてきたのだ。
だが――彼らは皆、手遅れだった。
そして冷酷なようだが、彼ら規律なき顧客や裏切り者たちは、もはや我々第2融資課の行員が貴重な時間と精神を1秒たりとも割く価値のない『選別済みの対象』だった。
そのため、彼らの相手はすべて、一階の窓口対応の女の子たちや、彼女らの後ろに控えるクレーム処理専門の事務系中間管理職たちに完全に丸投げされていた。
窓口のパーテーションの向こうで、行員たちは「契約条項に基づいた自動執行ですので、現場の裁量ではどうすることもできません」というテンプレのセリフを、死んだような魚の目で、壊れたテープレコーダーのように繰り返している。
いくら大声を上げようが、いくら床に跪いて涙を流そうが、地銀連合のシステムが下した「判決」が覆ることは絶対にない。
規律を守った優良顧客の資産を徹底的に守り抜く裏側で、規律を破った者たちを一切の感情を排して切り捨てる。これが、バブル崩壊という大津波のただ中で、我々が生き残るための唯一絶対のルールだった。