ある銀行の・・・   作:適当でいいです

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第36話

「みなさん、預金の引き出し、またはお預け入れのお客様はATMか窓口へ一列にお並びください! ローンに関するご相談、お問い合わせは窓口のみでの受付となっております!」

 

神戸E銀行のロビーには、クレーム処理部門の女性行員だけでなく、普段は奥に引っ込んでいる管理職までが総出で駆り出され、怒号を上げる群衆の整理に追われていた。

怒り狂ったハイブリッドローン破綻組が窓口に詰め寄っているが、大山は冷ややかにそれを見つめていた。

どうせローンに関する怒号の8割は、契約書を読み直せば一瞬で片付く、聞くだけ無駄な言いがかりだ。ルールを破り、目隠しをして津波に飛び込んだのは彼ら自身なのだから。

 

「さて……今は大変なことになっているだろうね。他行は」

 

低く落ち着いた声が、ロビーの雑踏を遮断するように響いた。

大山の直属の上司、樫村融資課長だ。

樫村のデスクを囲むように、大山を含めた4人の係長が集まる。窓越しに伝わってくる地元の悲鳴を背にしながら、融資課の心臓部だけは不気味なほど静まり返っていた。

世界中の株式市場がクラッシュして2週間半。そして、日銀の緊急利上げから数日。

 

「ええ、間違いなく」

 

大山は短く答えた。

他行の融資ポートフォリオは、今頃全滅に近い状態だろう。価格が暴落した日本国債を大量に抱えている。

さらに安全資産であり、暴落ヘッジのはずのアメリカ国債もこのショックを吸収し切れずに火を噴いている。

他行やその提携証券会社のディーリング部門の赤字は、もはや目も当てられないはずだ。

 

しかし――我が地銀連合の財務状況だけは、この歴史的大暴落の直撃を食らいながらも、信じられない強固さで耐え凌いでいた。

理由は、徹底的に張り巡らされた「2つの安全弁」にある。

 

かつて栃木B銀行の加賀部長が口にしていた、地銀連合加盟行に対するあの厳格な投資制約。

『顧客の投資管理システムを握っている以上、我々の投資はインサイダー取引に該当する恐れがある。ゆえに、株価平均ETFを毎日均等に買い、5%の利益が載ったロットから翌営業日の寄付きで機械的に成行売りする』

 

この一見、あまりにも融通の利かない退屈なルールこそが、最大の伏線だった。

 

他行や大手の証券会社は、「市場の波を捉える」だの「利益の最大化」だのと御託を並べ、強欲の皮を突っ張らせて限界までポジションを引き付けようとしていた。部分利確など、ほんの申し訳程度にしか行っていないところが大半だ。

数年間続いたAI-IoTバブルが、プロであるはずの彼らの脳を狂わせ、危機管理のネジを緩め切っていた。そして、そのパンパンに膨らんだポジションを持ち越した最悪のタイミングで、このメガショックを喰らったのだ。

 

対して、ウチはどうだ。

5%の利益が載った瞬間に、システムがそのロットを強制的に利確(キャッシュアウト)してしまう。

バブルの絶頂期、他行が多額の利益を上げて浮かれている間、地銀連合の収益は完全に負けていた。それも、盛大に、無様に。

 

しかも、連合が毎日購入していたETFのポートフォリオには、もう一つの仕掛けがあった。

日経平均などの株価平均ETFは当然として、業界別のETFも網羅されていたが、その購入比率が最も高かったのが『ディフェンシブ銘柄群(インフラ・食品・医薬品など)』のETFたちだったのだ。

景気が良かろうが悪かろうが、人間が生きていく上で絶対に切り離せない地味な銘柄たち――。もちろん、今からこれを買うのは落ちるナイフというやつで、時期が遅すぎる。

 

地銀連合の各行は東証に上場している。

当然、運用の詳細までは開示していないが、世がバブルに沸いているというのに、他行に比べて有価証券運用益が異常に低い。そのため、毎年の株主総会では物言わぬ株主たちからすら「無能」「機会損失だ」と激しい抗議の声を浴びせられ続けてきた。

だが、経営陣は顔色一つ変えず、人事変更の株主提案もすべて平然と否決させてきた。

 

『我が行は、有価証券のあぶく銭よりも、本業である地域融資の健全性を第一としております。健全な経営で地域を支え、それによって得られる信頼こそが、地銀にとっての最大の利益なのです。

 資料をご覧ください。キャッシュフローで我が行の健全性の高さがお分かりいただけるでしょう。』

 

総会でそんなクサイ綺麗事を大真面目にのたまってのける経営陣。

これも連合の指示なのだろう。

 

そして――地銀連合の財務が耐え切れている、もう一つの決定的な理由。

それは、彼らが裏で仕込んでいた「ヘッジ(防衛策)」の中身そのものにあった。

 

「他行の連中は今頃、血眼になって米国債の売り注文を出しているでしょうね」

 

窓の外の怒号を聞きながら、一人の係長が乾いた声で言った。

他行のポートフォリオの主軸は、日本国債、そしてアメリカ国債の「10年物」や「30年物」といった長期債だろう。理由は単純、期間が長ければ長いほど、表面上の利回りが高くなるからだ。

バブルの好景気の中で少しでも利回りを稼ぎたい他行にとって、それは当然の選択だった。

 

しかし、我が地銀連合の選択は、常軌を逸したほど慎重だった。

連合地銀たちが保有する国債は、一番長くても『12ヶ月物』。主軸は『3ヶ月物』と『6ヶ月物』――。満期までの期間が極端に短い、超短期のアメリカ国債だけでポートフォリオを固めていたのだ。

当然、利回りは長期債に比べて遥かに低い。バブル期には「ドブに金を捨てているような運用」と笑われた代物だ。

 

だが、債券という名の「時間泥棒」の正体を、他行は理解していなかった。

10年物国債は、10年経つか、途中で売却(決済)しない限り現金に戻せない。10年間持ち続ければ、どれだけ債権市場価格が暴落していようが、購入時のドル価格に利回りが上乗せされて返ってくる。

しかし、途中で決済すれば、その時点での暴落した市場価格で叩き売る大損の取引になる。

今、日銀の緊急利上げという大爆撃によって、アメリカ国債すらも歴史的な暴落を見せていた。今売れば、確実に致命傷になる。

 

『なら、売却せずに満期まで持っていればいいではないか』。普通の人間ならそう考えるだろう。

 

だが、今起きているのは「取り付け騒ぎ」なのだ。

窓口に殺到した群衆に返すためのキャッシュ(現金)が手元で尽きてしまえば――損をすると分かっていても、生き残るために、その暴落した長期国債をロスカットして現金化しなければならない瞬間が強制的にやってくる。

他行のバランスシートの『その他有価証券』の欄に記載されていた美しい数字は、今この瞬間、実質30%以上も急減しているはずだ。

 

「10年もの間、資金を拘束されるリスクを背負いながら、12ヶ月物と比べても1%以下の利回り差しかない。……割に合わん」

 

大山は、連合のブレインたちが弾き出したであろう冷徹な数式を脳裏に浮かべ、低く呟いた。

1%の欲のために足腰を縛られた他行は、自らの重みで溺死する。対して、連合の国債は『3ヶ月』『6ヶ月』経てば、市場価格に関係なく、勝手に満額+利息の現金(キャッシュ)となって金庫に転がり込んでくるのだ。

そして新たに入ってきたキャッシュも加えて新たにアメリカ国債の短期物を買うのだ。

取り付け騒ぎなど、この圧倒的な流動性の前にはただの羽虫に等しい。

 

「……そういえば、他行はゴールドの現物でのヘッジ運用も自前で派手にやっていましたね。うちはやらなかったんですか?」

 

部下が尋ねる。

大山は小さく首を振った。

 

「ゴールドというヘッジは、ハイブリッドローンを通じてすでに『顧客(事業者)』に持たせてある。銀行が自前でさらにゴールドを抱え込むなんて、ただのリスクの二重取りだ。連合のブレインが、そんな無駄(ムダ)を許すわけがないだろう」

 

顧客の頭を締め上げ、顧客の金庫にゴールドを積ませ、銀行自身はいつでも動かせる「数ヶ月物の生キャッシュ」だけを握りしめて嵐を待つ。

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