ある銀行の・・・   作:適当でいいです

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三重F銀行編
第39話


「矢島課長、こちらが本日のテスト問題になります。ご確認をお願いします」

 

「分かった。そこに置いておいてくれ」

 

本来なら、係長である私の決済だけで通過し、そのままローン申請者に配られるはずの書類だ。

しかし、あの不正発覚の直後ということもあり、いまはすべての問題を課長である矢島が直接検閲する運用に変えていた。

 

当然、一般の行員たちは「不正があったこと」すら知らされていない。

何も知らない部下たちに対して、私と矢島課長はあらかじめ完璧な言い訳を用意していた。

 

『世界的な金融ショックはまだ底が見えない。審査のハードルを少し厳しめに調整するから、これからは課長と相談しながら進める』

 

これなら、現場のモチベーションを削ぐことなく、不自然なトップダウンの介入を「リスク管理」という大義名分で覆い隠せる。現場の行員たちは、むしろ「うちの課長は危機管理能力が高い」とすら思っているはずだ。

 

問題の詰まったファイルを渡し、課長がチェックのために席を立とうとした瞬間。私はスラックスのポケットの中で、冷たい機械の感触を指先に確かめていた。

超小型のボイスレコーダーだ。

 

地銀連合の中央(本部)は、今回のテスト簡易化不正について、現場の係長たちの独断ではなく「さらに上からの見えない圧力」があった可能性を、まだ完全には捨てていなかった。

確かに連合中央は、上からの監査という視点でデータやログ、事情聴取で徹底的に検証した。だが、監査の目が届かない「支店内の空気」や「居酒屋での密談」、「役員からの暗黙の了解」といった現場の泥臭い動機までは、中央の人間には調査できない。

 

神戸を発つ前、樫村課長から耳元で囁かれた言葉が脳裏に蘇る。

 

『大山、現地に行ったらまず支店の空気を読め。不正のあったフロアの力関係を注視しろ。もし上からの圧力や、不自然な忖度と思われる兆候があれば……神経質なまでにすべてメモに残し、私に直接送れ』

 

私は矢島課長の後ろ姿を、油断なく見つめた。

この男は、本当に「不正を知らなかった被害者」なのか。それとも、トカゲの尻尾切りで生き残った、もう一匹のトカゲなのか。

 

「……どうかしましたか、大山さん?」

 

視線に気づいたのか、矢島課長が振り返る。私はすぐにいつもの営業スマイルを張り直した。

 

「いえ。四日市の事業者たちの命運が、そのテストにかかっていると思うと、少し身が引き締まりまして」

 

「フッ、手厳しいな。だがその通りだ。さあ、選別を始めよう」

 

レコーダーの録音スイッチは、すでに静かに、赤く点灯していた。

 

2035年

 

世界を揺るがした、あの激動の1年が過ぎ去った。

だが、市場は今もなお、本当の意味での「回復」には至っていない。

 

データを見る限り、最悪の底は打った。

恐怖指数(VIX)はかつての狂乱が嘘のように低下し、日米欧の主要株価平均も、チャート上では教科書通りの「半値戻し」の水準までようやく漕ぎ着けている。

 

客観的な指標はすべて、嵐の終わりを告げているはずだった。

しかし──。

 

『なぜだ……。底を打ったはずなのに、なぜV字回復しない!?コロナもリーマンもV字だったろ!』

『半値戻しから上が重すぎる。出来高が完全に死んでるぞ』

『FRBもECBも、利下げする気配すら見せない。一体いつまでこの高金利の檻に閉じ込められるんだ』

 

各国の投資掲示板やSNSのタイムラインには、行き場のない焦燥感と悲鳴が、冷たいノイズとなって今日も響き渡っている。

 

彼らは理解していないのだ。

相場が暴落を止めたのは、経済が強さを取り戻したからではない。利上げという名の超高金利によって、市場の「膨張のエネルギー(過剰流動性)」そのものが完全に去却され、ただ「これ以上、死体が拡大しないレベルで凍りついた」に過ぎないということを。

 

市場から「祈り」という名のバブルが消え去り、世界が真の「規律」を強制されている窒息期間。

 

私は四日市支店のデスクで、部下たちを指揮しながら、例の「簡易テスト」を通過してしまった事業者たちの取引履歴(例の制約のため聞き取り調査による)を、1件ずつ執拗に追い続けていた。

膨大なデータをスクラップ・アンド・ビルドしていく中で浮かび上がってきたのは、中京圏・東海地方が持つ独特の『堅実性』が、薬にも毒にもなっていたという、あまりにも皮肉な構造だった。

当行の基本スキームは、投資枠として「現物投資10%」、そしてレバレッジ枠として「5%」までの運用を条項により認可している。

 

まず『薬』となったのは、三重の事業者たちの多くが、その5%のレバレッジ枠を限界までフルに使い切ることを、猜疑心から避けていた点だ。他地域の顧客たちほど欲に目が眩まなかった。

その石橋をたたくまでの堅実さゆえに、あの奇襲利上げのショックを、致命傷に至らない「浅い傷」でギリギリ乗り切った生存者が、連合地銀顧客の統計と照らしわせるとわずかながら多かったのだ。

 

しかし、同時に『毒』となったのもまた、彼らの堅実さだった。

「とにかく、毎日確実に、目に見える配当が欲しい」──その頑固な思考が、現場に致命的な盲点を作っていた。

地元の経営者たちの間で広がっていたのは、「クロス円のロング(買い)を維持していれば、毎日スワップポイントが口座に転がり込んでくる」という、歪んだ成功体験だった。

超低金利の銀行預金や、不確実な現物株の配当を遥かに凌駕する、毎日確定で手に入る金利差益。

堅実で、悪く言ってしまうとケチだからこそ、彼らは「これなら絶対に損をしない確実な利回りだ」と信じ込み、そのポジションに全力を注いでしまった。

 

結果はどうだ。

あの緊急利上げと超円高のツイン・ショックが襲う1週間半前から、クロス円は止まるたびにさらに売られる階段状の暴落。クロス円に張り過ぎていた者から順番にシステムのアラートが狂ったように警告音(マージンコール)を鳴らしいただろう。

しかし、一瞬のことすぎてマニュアルという理性とパニックという感情のせめぎ合いで対応できなかった者が多かった。

さらに悪いパターンの経営者たちは「毎日スワップが入るから、いつか含み損の分は戻るはずだ」と現実を直視できず、最後まで損切りの規律(捨てる力)を発揮できないまま、大打撃を喰らった。

 

堅実だから生き残る者、堅実だから全滅しかけている者。

私は手元のタブレットに、完全に二極化された顧客リストをプロットした。

傷は浅いがレバレッジの恐怖に怯える生存者と、スワップの蜜に群がって虫の息になっている生存者。

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