ある銀行の・・・   作:適当でいいです

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第40話

「NT倍率投信、ですか?」

 

矢島課長から回ってきた新商品の目論見書(プロスペクタス)の束を見て、私は思わず声を漏らした。

 

「ああ。今度、ハイブリッドローンの審査合格者──つまり、今回のショックを生き残った『規律ある顧客』限定で、クローズドに販売する予定になっている」

 

NT倍率。

Nは「日経平均株価」、Tは「TOPIX(東証株価指数)」。

算出方法から計算対象企業、さらにはその構成銘柄数にいたるまで、両者はまったく異なる性質を持つ。

 

日経平均は、一部のハイテク・半導体関連の値がさ株に指数が極端に偏重する。対してTOPIXは、ハイテクだけでなく内需やディフェンシブ銘柄も含め、旧プライム市場の全銘柄を網羅している。投資界隈の常識として、「本当の日本経済の実態」を映し出す鏡は、日経ではなくTOPIXの方だ。

 

地銀連合中央は、この古くから存在する指数「日経平均 ÷ TOPIX」の歪みそのものを、投資信託という商品にして販売すると言うのだ。しかも、それだけではない。その逆方向を突くインバース──すなわち「TOPIX ÷ 日経平均」の数値を追いかける『1倍リバースNT倍率投信』までラインナップに並んでいた。

 

「あの激震を経て、FXのボラティリティに恐怖し、為替の相対取引から手を引いてしまった顧客が一定数いるのは分かっている」

 

矢島課長はデスクの上の資料をトントンと揃えながら、冷徹なビジネスマンの顔で言った。

 

「だが、彼らの眠っている手元キャッシュをそのままにしておくのは銀行として機会損失だ。彼らにさらなる生存のチャンス──あるいは、日経ハイテク株のバブル崩壊をヘッジする手段を与えるために、この投信を独占販売する。……もちろん、連合が裏で組成するアクティブファンドだ。信託報酬(手数料)は、それなりに分厚く剥ぎ取ることになるがね」

 

私は目論見書をじっと見つめた。

 

なるほど、と合点がいった。

為替レバレッジを怖がった顧客に、今度は「より安全に見える株の指数」という衣を着せて、再び地銀連合の資金循環システム(エコシステム)へ引きずり戻す罠。そして、なぜわざわざ「インバース(TOPIX優位)」を用意したのか。

 

それは、仮に世界が窒息しているこの2035年、日経平均を支えているハイテク大手のメッキがさらに剥がれ落ちるような「次の一撃」が、海の向こうからやって来た時、レバレッジをかけずに相対取引に逃げる入口を用意しておくため。

 

「いい商品ですね、課長。

 これなら、技術はあっても為替で痛い目を見た実需の経営者たちが、喜んで飛びつきますよ」

 

「あ、大山係長。お疲れ様です!」

 

営業課のフロアに足を踏み入れると、数人の若手行員が慌ててパソコンの画面を隠すようにして私に一礼した。私はいつもの無害な営業スマイルを返し、雑然としたデスクの並びをぐるりと見渡す。

 

どこに行っても、営業課という場所の空気は似ている。

ホワイトボードに殴り書きされた今月の融資目標、受話器を肩に挟んで顧客に頭を下げる中堅、そして、張り詰めた焦燥感。

 

奈良と埼玉の『戦後処理』に赴いた別の転籍者たちからは、こんな報告が入っていた。

──『現場のヒアリング完了。テスト簡易化の裏には、営業課からの凄まじいノルマ圧力があった模様』。

 

さもありなん、だ。

他行に大口顧客を奪われ、一番しわ寄せが来て胃に穴をあけるのは、いつだって前線の営業課なのだから。それは銀行だろうが一般企業だろうが、組織の不変の構造だ。

 

「そういえば、神戸にいた時も……あの乗り込んできた営業課長がいたな」

 

神戸E銀行の営業課長が「これ以上審査を厳しくして現場の足を引っ張る気か!」と融資課に怒鳴り込んできた。あの時は、樫村課長が「規律を舐めるな」と冷徹に一蹴してくれたおかげで追い返せた。

 

だが、ここ三重F銀行ではどうだったのだろうか。

当時、県内5位の弱小行というビハインドを背負い、上位の有力地銀に顧客を根こそぎ奪われかけていた、ここの営業課。彼らが発した「客を他行に渡すな、テストなんて形式だけで通せ」という怒号や圧力が、あの更迭された係長たちを動かしたのではないか。

 

「大山さん、何か気になる案件でも?」

 

営業課の古参の女性行員が、怪訝そうな顔で声をかけてきた。私はポケットの中のレコーダーの感触を確かめながら、人当たりのいい声を出す。

 

「いえ、今度ハイブリッドローンの合格者限定で組成される、新しい投信の件でね。営業課の皆さんが一番アプローチしやすい顧客層を、事前にすり合わせておこうと思いまして」

 

「ああ、あれですか!助かります。今、本当に現場は弾(優良な貸付先)がなくて、みんな殺気立ってるんですよ」

 

彼女の言葉の裏にある「殺気」の温度を、私は脳内の天秤にかける。

このフロアのどこかに、あの係長たちに『簡易テスト』を強要した本星(営業の幹部)が隠れているかもしれない。そいつの声をこのレコーダーに吹き込ませるか、逆にシロであることを証明するまで、私の三重での「裏の任務」は終わらない。

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