地銀連合中央が描いた、欧州の中堅・中小企業を狙い撃ちにする提携戦略。
この窒息相場において、これが「地銀連合だからこそできる、他行には絶対に真似できない芸当」である理由は、金融の実務を見れば火を見るより明らかだった。
世界的な金融クラッシュの波は、当然ながら日本の他の銀行もモロに直撃している。それどころか、多くの銀行は利上げによる国債暴落に加え、急激な外貨建て資産(欧米株や海外債券)の急落というダブルパンチを喰らっていた。下手をすれば、当の欧州の銀行以上に致命的なバランスシートのダメージを負い、自らの資本を守るだけで手一杯になっているところが大半なのだ。
この世界的な大混乱の中で、傷を負いながらもなお、海外へ打って出るだけの狂気的な余力(流動性)を残しているのは──。
潤沢な預金基盤を持つメガバンクか、ごく一部の超有力地銀、そして、網の目のように資本を結束させた我ら「地銀連合」をおいて他になかった。
案の定、情報感度の高いメガバンクや有力地銀は、すでに欧州戦線に向けて動き始めているという。彼らが使っているのは、まさに私が当初想定していたような「資本提携からの技術提携(あるいは買収)」という、直球かつオーソドックスな手口だ。
しかし、今回私たち三重F銀行に正式な話が下りてくるより前に、地銀連合の中央がこれほど精緻な「インフラの強奪」へと舵を切っていた背景には、冷徹なまでの政治的計算があった。
当然だ。メガバンクのように派手に動いて、欧州のトップランク企業を「札束」で脅したり、これまでの円安地獄時代の鬱憤晴らしと言わんばかりに傲慢な買収劇を繰り返せばどうなるか。
欧州委員会(EC)や規制当局が「外資による重要技術の脅威」として警戒度を上げ、介入してくるハードルはグッと低くなる。
「気持ちは否定しないがね、大山くん」
頭取は椅子の背もたれから上体を起こし、眼鏡の奥の目を禍々しく光らせた。
「円安時代に欧州から散々買い叩かれた恨みを、この金融クラッシュのどさくさに紛れて晴らしたいという現場の感情は分からんでもない。だが、そんな一過性の感情(プライド)で動いて、この千載一遇の機会を潰すような間抜けに、連合の主導権を渡すわけにはいかないのだよ。だからこそ、我々は『商流の裏方(黒子)』に徹する。彼らが気づいたときには、地銀連合のインフラなしでは呼吸もできない体にしておく」
私は頭取の言葉を反芻しながら、自分の果たすべき役割を再定義していた。
メガバンクが正面玄関から札束の暴力で突入し、欧州当局の目を引きつけてくれている今こそ、我々地銀連合が勝負をかける絶好の好機。彼らがヘイトを集める盾(タンク)となってくれる間に、私たちは地方の優良サプライチェーンという「見えない毛細血管」を伝って、欧州の心臓部へ深く、静かに毒を注入していく。
四日市でインバース投信という牙を配り終えた私は、もはや単なる不正調査の係長ではない。この巨大な国際金融の寄生スキームを現場で動かす、最前線の執行官(エージェント)として、ヨーロッパの窒息を看取る席へと進むことになる。
「大山くん、この顧客は君が担当だったな?」
頭取の問いかけとともに、プロジェクターに映し出されたのは12社の企業リストだった。
四日市支店で私が「生存者リスト」としてピックアップしたあの優良事業者たちだ。
内訳は、化学メーカーが2社。加工機械およびその位置制御モジュール企業が7社。そしてIT企業が3社。
欧州、とくにドイツという国は、世界シェアは高いが規模は小さい、各自に独自の強みを持つ「隠れたチャンピオン(中堅化学企業)」が数多く存在する。その多くが非上場企業であり、堅実な経営を行ってきた。だが、だからといって今回の世界的な金融ショックの中で、彼らのキャッシュフローが無傷でいられたわけではなかった。
今回ターゲットにするのはその中でもさらに小柄な企業ばかりだが、それでも日本の化学企業にはない、特異なニッチ製品や特許素材を、メンバー限定の「割引価格」で安く仕入れられるメリットは計り知れない。
そして、残りの機械系7社とIT企業3社こそが、今回の合流計画における「真の本命」だった。
欧州ハイテク企業の真の強みは、伝統的なモノづくりとデジタルが融合した「機械制御プログラム」にある。アメリカのようにソフトウェア単体で勝負するのではなく、重厚長大な機械と組み合わさった瞬間に爆発的な精度と効率を叩き出す──それが彼らの特徴であり、お家芸だった。
翻って、日本の地場の中堅機械メーカーはどうか。ハードウェア(機械そのもの)の耐久性や精度は世界屈指だが、それを動かす制御ソフトやUI(ユーザーインターフェース)の開発まで手が回っているのは、資金力のある一部の大手企業くらいなものだ。
これから、地銀連合のサプライチェーン網という器の中で、日本の誇る精密ハードウェアと、欧州の最先端の制御ソフト(知見)が合流する。これが実現すれば、メガバンクの傘下にある財閥系大企業すら脅かしかねない、怪物的な中小企業連合が誕生する可能性もある。
私は資料を頭に叩き込み、頭取を見据えて短く答えた。
「はい、承りました。四日市の現場へ戻り次第、ただちに各社へのアプローチを開始します」
「うむ。……だが大山くん、くれぐれも『殿様商売』は許すな。我々の顧客(日本企業)にも、絶対にそんな真似をさせるんじゃないぞ」
「はあ……?」
頭取から飛び出した、バンカーらしからぬ泥臭い警告に、私は思わず眉をひそめた。利権を貪り尽くす地銀連合の中央が、今さら倫理観を説くというのか。
「金を出す方が偉い。これは人間の性であり、ビジネスの現実だ。だがな、金を手にした四日市の企業たちが、窒息寸前の欧州企業に対して『俺たち日本企業が金を出して救ってやっているのだぞ』という傲慢な態度で接すればどうなる?」
頭取は椅子の背もたれから上体を起こし、諭すように指を一本立てた。
「──中身の人間関係に、必ず消えない蟠(わだかま)りが残る。欧州の職人やエンジニアたちのプライドをへし折れば、彼らは形式だけの仕事しかこなさなくなり、本当の知見(脳みそ)をこちらに開示しなくなる。それではサプライチェーンを統合する意味が半減するのだ」
傍らの矢島課長も、静かに言葉を添える。
「むしろ、『この世界的な経済ショックの被害者同士、国境を越えて一緒に生き残り、乗り越えよう』という共闘の空気を醸成するのですね。欧州のプライドを傷つけず、彼らに『対等なパートナー』として自発的に動いてもらう。そのための絶妙な距離感と信頼関係を現場でデザインさせるために、私と大山という『現場のプロ』をこの席にお呼びになられた。」
なるほど、と私は内心で深く平伏した。
地銀連合中央のブレインたちの恐ろしさは、金融スキームの冷徹さだけではない。札束でビンタされた人間の「感情のしこり」が、長期的なビジネスにおいてどれほどの機会損失(リスク)を生むかまで、完全に計算に入れているのだ。
善意の救世主の仮面を被り、泥沼のショックを戦う「戦友」として欧州企業の懐に飛び込む。そして彼らが自ら進んで差し出してきた技術とネットワークの裏側で、我々は「信用インフラ」という名の首輪をそっと嵌める。
「よく分かりました。彼らには『最高の盾』と『最高の友』の顔を使い分けてみせます」
私は完璧なビジネススマイルを浮かべ、役員会議室を後にした。四日市へ戻る電車の中で、私の頭はすでに、世界を窒息させる大嵐を利用した「究極の共闘劇」のシナリオで満たされていた。