ある銀行の・・・   作:適当でいいです

52 / 55
第52話

2036年 4月

 

ハイブリッドローン融資課係長としての私の出番はなかったが、矢島課長は多忙を極めていた。

本来の融資課長としての日常業務をこなしつつ、欧州の優秀なサプライチェーン企業へ次々とアプローチをかけ、挨拶や三重F銀行の持つ顧客基盤の特徴を精力的に説明して回っている。

実務の合間を縫って私もオンライン会議に同席させてもらったが、まさに頭取が仰っていた通りの「クサい芝居」の連発だった。上から目線で接するのではなく、飽くまで『頼りないが親切な地元のパートナー』として懐に入り込む演技だ。

 

欧州企業の中には、ごく稀に勘違いをしている連中も混ざっている。

画面越しやメールの文章の端々から、「日本にはない我が社の高度な技術が欲しいから、頭を下げてきているんだろう」という特有の優越感が隠しきれていない。

 

(ふん……その自慢の技術の買い手がつかず、資金繰りに窮して超低金利の日本の銀行に泣きついた挙句に行き場が無くなっているくせに)

 

思わず腹の中で毒を吐く。もちろん、課長の教え通り、そんな感情はおくびにも出さないが。

 

『こんな面倒くさいオンライン会議や、メールでの不毛なスタンプラリーを何度も往復させるのは時間の無駄じゃないか?』

 

そうストレートに不満をぶつけてくる企業もいた。

それ自体は言い分として正しい。なにせ今の地銀連合の決定権限とシステムなら、書類二発で即座に結審させることだって可能なのだ。だが、それをしてしまえば「有能すぎ」て相手に警戒感を抱かせてしまう。

人付き合いも企業交渉も同じだ。優勢すぎる力を見せつけられた相手は、怯えて身を引くか、より強い力を求めて離れていく。

 

金で動く者は、より高い金(条件)を提示する者へ流れる。

ならば、力関係で動く企業は、より強大な力を見せつける競合行が現れれば簡単にそっちへ乗り換えるだろう。

そうさせないための「契約書」であり、あえて「無能でトロい地方銀行」を演じることで相手を持ち上げ、心地よい錯覚に浸らせる必要があるのだ。制度と心情。その「塩梅」の維持こそが、この泥臭い交渉の核だった。

 

課長が流暢な英語で相手と渡り合っているが、私にはさっぱり聞き取れない。

なにせ少し前までは地方の信用金庫で働いていたのだ。英語の書類を読むことはできても、実戦の英会話など使う機会すら存在しなかった。

それを考えると、矢島課長は地銀連合にスカウトされる前から、元々桁外れのエリート銀行員だったのだろう。

 

……プツン、と通信が切れる。

さっきまで画面の前で「頼りないが人の良い中堅地銀の課長」を演じ、時にしどろもどろな顔を見せていた矢島課長は、涼しい顔のまま席を立った。

そして、会議室のカメラの画角を完全に外れ、廊下へ出てから――初めて、いつもの冷徹な仮面へと表情を戻した。徹底されたプロ意識だった。

 

「これでまた一社、我々のネットワークに組み込まれることになる」

 

今回の相手は、本命の標的ではない。ここ四日市の企業が飛びつくような工業系や化学系ではなく、イタリアの革製品メーカーだった。だからこそ、一地銀の課長と係長という頼りない布陣で対応しているのだ。今も日本中の連合加盟行たちの中で連合を知る者だけで手分けしてこの芝居がかった交渉をしている。

もちろん、「お目当ての欧州企業のサプライチェーンすべてを地銀連合の傘下に組み入れます」と、一枚の包括契約書で強引に処理することだって技術的にはできる。だが、丁寧なプロセスも無しに「決定事項ですから」と押し付ければ、頭取、ひいては連合本部の目指す『対等なパートナーシップ』の第一歩で確実に躓く。だからこそ、こうして不格好なオンライン会議を重ね、泥臭いプレゼンと相談を繰り返しているのだった。

 

オフィスへ戻り、自席の端末を立ち上げる。

管理者権限で、ある「注目すべき人物たち」のポートフォリオ画面を呼び出した。

 

ハイブリッドローン資金を使って、あの新規投信(NT倍率投信・インバース投信)を購入している顧客たちだ。

普通の客は自己資金(余剰資金)で買っている。だが、画面にリストアップされた者たちは違った。

住宅ローン型と事業者型で合計40名。

彼らのポートフォリオに並ぶ銘柄や比率には細かな違いがあるものの、根底に流れる「ある一つの美しい設計思想」が明確に読み取れた。

 

『ハイテク株(現物)を買い、TOPIX先物・CFDを買い、さらにNT倍率インバース型投信を買う』

 

――見事なヘッジ構造だった。

 

彼らはハイテク株の爆発的な成長力を信じている。しかし、AIバブル崩壊後の現在の内需主導による相場が続くならTOPIXレバレッジでしっかり拾う。

そして万が一、ハイテクもTOPIXもまとめて崩れ落ちるような「日本市場全体の暴落」が起きた場合――落下スピードが圧倒的に速い『はず』のハイテク株と、内需系で比較的下げ渋る『はず』のTOPIXの歪みを突き、NT倍率インバース投信で損失をある程度は相殺(カバー)する仕組みだ。ディール部門のような正確なヘッジ計算はできないだろうから、各自の『たぶんこのくらいの配分で行けるはず』と目分量で組んでいるだろう。

 

つまり、思想だけはプロ仕様の「保険(リスクヘッジ)」である。

 

(これほど見事に商品の歪みとシナジーを理解しているとは……)

 

しかし、それでも市場は裏をかいて来ることもある。

 

「もし、日本市場が全体的に下落し、ハイテクも内需も一緒に下落するとヘッジは不発。さらに内需の方がダメージが大きいイベントで下げた場合はヘッジどころか3つの要素すべてがマイナス方向に足並みそろえて突っ走ることも想定される。

 だが、分かっているさ。この市場に『すべてのリスクに備えられるヘッジなど無い』と。そんなものがあればとっくに金融の教科書に載っているだろう。」

 

それでもこの構造(ポートフォリオ)に気付き、動いたのは素晴らしい。

 

営業の連中がここまで高度な組み合わせを説明できるはずがない。

ゴールドや米国債のような従来型のリスクヘッジなら営業トークで教えることもあるが、上市されたばかりの新規性の塊のような金融商品を使って「ヘッジ型ポートフォリオ」を提案するなど、背負う説明責任が重すぎて現場の営業には絶対に不可能だ。

つまり彼らは、自力でこの答えに辿り着いたのだ。

 

「さて……この投信の真の威力がどれほどのものか。相場が荒れた時、君たちのポジションがどう躍動するのか……画面越しにじっくり見させてもらうよ」

 

暗いモニターに映る顧客リストの数値を指でなぞりながら、私は静かに口元を緩めた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。