ある銀行の・・・   作:適当でいいです

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第53話

2036年 6月

 

「係長、メモリの受注制限のニュース見ました? 各国政府まで食い込んで、なんだか凄いことになってますね」

 

隣の席で端末のニュース画面を眺めていた若手部下が、身を乗り出すようにして声をかけてきた。あのメモリ供給枠の凍結(ロック)に端を発したAIバブル崩壊から、早くも2年が経とうとしている。

 

「ああ」

 

私は手元の書類をトントンとデスクで切り揃えながら、静かに頷いた。

 

「去年の今頃は、メモリメーカーがわずかに枠を開けた瞬間に、世界中の企業が一斉に群がって取り合っていたからな。『自社だけが助かればいい』っていう各企業の露骨な早食いが、市場全体の首を絞めていたんだよ」

 

「株主対策もありますもんね。『枠を確保しました』って言わないと怒られるから、みんな必死で……。でも、そのせいで市場全体が共倒れになりかけてたってことですか」

 

「そういうことだ。だからこそ、各国当局も業界も『もう性善説じゃ無理だ』と腹をくくったんだろ。受注の総量制限と公平な配分制限っていう、かなり強硬な手段に出た」

 

「でも」

と、部下は首をかしげる。フロアの向こうで鳴り響く電話のベル音を背に、疑問を口にした。

 

「一社あたりの上限を決めたところで、ダミー会社(ペーパーカンパニー)を作って裏から別名義で発注するズルとか出てきませんかね?」

 

「もちろん、そんな抜け道を探す奴は山ほどいるさ」

 

私は冷めきったお茶の入った湯呑みで一口だけ喉を潤した。

 

「だが考えてみろ。対象は世界中の電子機器から医療機器、自動車部品まで全方位だ。そんな膨大な発注の中から『どの会社がダミーか』なんて、いちいち調査できると思うか?」

 

「……無理ですね。途方もない作業になります」

 

「だろ? だから上流にあるメモリ供給元の『蛇口』そのものを締めることにしたんだよ。翌年の放出予定枠をあらかじめ設定して、各国政府が戦略備蓄として管理する。それも過去の実績配分に応じてな。その予備を確保した状態で注文を受けるが、ビッグテックが何千万個発注しようが、うちの地元の町工場が百個発注しようが、会社規模に応じた一定比率でしか出荷しない」

 

「規模に関係なく、比率で一律出荷ですか」

 

「そうだ。ついでに『わざと大きく注文して比率や数量を引き上げるズル』対策として、代金は全額前払い、キャンセル料は通例の三倍だ」

 

「うわ……徹底的ですね」

 

部下は感心したように息を吐き出し、椅子の背もたれに体を預けた。窓の外には、四日市のどんよりとした梅雨空が広がっている。

 

「でも、そこまでやってくれたおかげで、ようやく『今年を耐えれば来年はマシになる』って希望が見えてきたわけですね」

 

「ああ。だからナスダックも日経平均も、上値は重いが日足レベルでエネルギーを溜めてる。直近高値をブレイクアウトしそうな、もどかしくも期待できる相場になってきているんだよ」

 

「なるほど……あ! 係長、その相場に関連してなんですけど――」

 

何かを思い出したように、部下が慌ただしくマウスのホイールをスクロールさせた。カチカチという乾いたクリック音が融資課のシビアな空間に響く。

 

「例のNT投信ですが、情勢がインバース型から『通常のNT倍率投信』へ一気に反転してきています。今や過半数が通常型に切り替わっていますよ!」

 

「……これがあるから相場は読めないんだ」

 

私は眉間を押さえ、小さく息を吐いた。

 

「まさか、うちの営業が下手に煽ったりはしていないよな? 『ハイテクはもうダメですからインバースを』なんて言っておいて、今度は『買いの時代です』なんて……」

 

「あ、それはないと思います。もともと積極勧誘は禁止されている商品ですし……」

 

「そうであってくれ」

 

ただのFXでさえ、ドテン(ポジション反転)のたびにスプレッドを取られる。ましてや、購入手数料1.5%もあるこの投信で安易な乗り換え営業などを仕掛けたら、顧客からの信頼崩壊は待ったなしだ。

 

「念のため、営業課に『NT倍率投信シリーズは存在の紹介に留めているか、乗り換えをそそのかしていないか』をそれとなく聞いてみるよ。営業課の課長と係長に釘を刺しておかないと、何をするか分からん。」

 

周囲では営業マンたちの元気な声や、隣の席で激しく叩かれる電卓の音が忙しなく交錯している。私はこのタスクをノートにメモして別のことに注目する。

 

それはあの新規投信を巧みに使いこなし、自力でリスクヘッジを組み上げた、選ばれし40名の管理画面だ。

 

(……やはりな。全員、NT倍率インバース投信には含み損が出ている。だが、誰一人として焦って損切りしていない)

 

ただの塩漬け(ガチホ)ではない。彼らが保有するハイテク現物株とTOPIX先物・CFDの含み益がインバース投信のマイナスを上回り、ポートフォリオ全体ではしっかりプラスを維持している。

 

ヘッジの目的上、相場が目標通りハイテク復活に向かえば保険であるインバース投信がマイナスになるのは当たり前だ。重要なのは、そのマイナスが全体に与える影響を完全にコントロールできているか、である。

 

見れば、何名かは投信の保有枚数を微調整していた。現物株の一部を利食いしたタイミングに合わせて、ヘッジの比率を調整したのだろう。

 

(見事だ……)

 

モニターの青い光を浴びながら、私は静かに口元を緩めた。

彼らはもう、営業トークに惑わされる無知な顧客ではない。己の規律に従って資金を動かす、真の相場師へと進化を遂げつつあった。

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