2037年 1月
事前情報の通り、日本銀行は「0.25%」の利下げを断行し、日本の政策金利は1.5%へと引き戻された。
この変更を受け、各金融機関の各種ローン適用金利も一斉に引き下げへ動いた。
そしてその裏で、皮肉な『逆転現象』が鮮明に浮かび上がることとなった。
思い出してほしい。
地銀連合以外の多くの他行は、あの2年半前の金融ショックで致命的な打撃を受け、疲弊し切っていたのだ。
政策金利が0.25下がったのに対し、他行が提示したローン金利の下げ幅は、せいぜい0.2%前後に留まった。
——政策金利が0.75%も暴力的に引き上げられた時には、平気で最低金利を2%や3%以上の便乗引き上げをして顧客に押し付けたというのに、だ。
値上げ(利上げ)の波には積極的になだれ込む癖に、値下げ(利下げ)イベントになると途端に出し渋り、理由をつけて出し惜しむ。そんな露骨なスタンスが白日のもとに晒されていた。
「まあ、他行のほとんどはモロに金融クラッシュと取り付け騒ぎの直撃を受けたからな。はいそうですかと『元の金利水準』に戻せるほどの体力なんて残っていないんだろうさ」
私は冷え切った自席のデスクで、他行の金利一覧表を眺めながら呟いた。
「上げる時は上げに乗っかって、下げる時には嫌々下げているようにしか見えませんよね……顧客からしたら溜まったもんじゃないですよ」
部下が苦笑いを浮かべる。
「ああ。もちろん裏を明かせば、経営の悪化や債権の焦げ付きを防ぐためという真っ当な理由は存在する。だが……その苦境を生み出した過去の経緯そのものが真っ当じゃないからな。顧客の目にはただの身勝手に映る。
一方で、我々地銀連合は0.25%の政策金利引き下げに対し、一般の優良顧客向けローンでも『0.3%』は引き下げている」
「引き上げた時の比率の分だけ、誠実に戻したってことですね」
「そういうことだ」
政策金利が1%だった時代、ウチの一般の優良顧客向けローン金利は最低でも2%前後からだった。
政策金利はあくまで「中央銀行が一般銀行に貸し出す際の基準金利」であり、民間銀行も営利企業である以上、そこに一定のスプレッド(利ざや)を上乗せしなければ商売が成り立たない。銀行間の金利競争とは、まさにこの上乗せ分をどこまで削れるかの削り合いなのだ。
政策金利が1.75%まで跳ね上がった際、我が行のローン金利も一時的に最低3.75%付近まで引き上げられていたという。
今回はその跳ね上がり分を、本来の比率通りに整えて戻したのだ。結果として政策金利の減少幅(-0.25%)以上に、実質的なローン金利が下がる(-0.3%)。仕組みとしては単純な計算だった。
そして、この「真っ当な金利引き下げ」に真っ先に飛びついてきたのが、皮肉にも住宅ローン型の『元・顧客たち』だった。
かつて「ゴールド必須の契約条項が気に食わない」と騒ぎ立てたり、例のゴールド不正事件を格好の口実にして、自ら捨て台詞を残して縁を切っていった連中だ。その彼らが、恥を忍んで再び我が行の窓口へ相談の列を作っていた。
他行が利下げを出し渋る中、この三重県内で「約束通り、真っ当に金利を下げる数少ない銀行」が、我々地銀連合だったからだ。
「大学の講義で昔聞いたことがあります」
窓口に並ぶ人波を遠目に見下ろしながら、部下がボソリと呟いた。
「『本当の善人は、危機に瀕した時の言動で見極められる』……みたいな格言」
「知らない格言だな」
私は資料をバインダーに挟み込みながら、小さく口元を緩めた。
「だが、まさに今の状況にはピッタリじゃないか。……ただし、一つだけ訂正だ。我々は『善人』なんかじゃない。ただの銀行という泥臭い営利団体さ」
冷たい決算数字が並ぶモニターの前で、私は静かに視線を走らせた。
他行に裏切られ、身勝手な都合で戻ってきた顧客たちの顔を、淡々とシステムに登録していくために。
「ハイブリッドローンですか? あちらは改めて適性審査と講義を受講していただく必要がございます」
一階ロビーの受付の女性行員が、窓口で身を乗り出す客へ丁寧かつ機械的に対応している声が、吹き抜けを通じて上階の融資課まで届いてくる。
過去に一度能力審査をパスしていたとしても、自分の意思で一度システムの外へ出てしまったのだ。
再加入を望むなら、どれほど不満を漏らそうが、最初からもう一度テストを受け直してもらうしかない。それが地銀連合の鉄の掟だった。
(まあ、今の金利水準ならハイブリッドローンと一般優良顧客向けローンの金利差なんて大してありはしないんだがな……)
自席でキーボードを叩きながら、冷ややかに思索を巡らせる。
特に住宅型ローンであれば、主な違いは「投資枠(運用の自由度)」が付与されているかどうか程度だ。事業者型のように、地銀連合が誇る広大なサプライチェーン網の恩恵やビジネスマッチングが受けられるわけでもない。それでも彼らは、かつて自ら投げ捨てた「優待権」を求めて必死に窓口へ押し寄せていた。
「この出戻り組が一斉に押し寄せてくる光景……なんだか、あの神戸の時と同じだな」
私は窓越しに下のロビーの喧騒を見下ろし、小さく呟いた。かつて自分が目撃した、あの混迷の光景がデジャヴのように脳裏をよぎる。
今回のこの異様な盛況ぶりには、もう一つ明確な理由があった。
押し寄せている顧客の中に、三重県内シェア第2位——つまり、我が三重F銀行のすぐ上に位置するライバル行の顧客たちが多数含まれていたのだ。
県内首位に君臨する昭和以前からの名門地銀は、今回の利下げ局面でも盤石な体力を維持し、我が行と同等の金利引き下げを即座に断行した。
だが、そのすぐ下の2位行が金融クラッシュの傷を癒やしきれず、金利引き下げを出し渋って沈没したのだ。受け皿の1つの壁が崩れ去れば、顧客が溢れ出して流れ込んでくるのは当然の帰結だった。
首位の名門地銀も、我々と同程度の金利引き下げを行っている。
そうなると、今や三重県内で住宅ローンを借り換える客もしくは新規の客の選択肢は極めてシンプルだった。
『余分なコストを払って安定したメガバンクに逃げるか、首位のあの名門地銀にすがるか、それとも勢いに乗る三重F銀行(地銀連合)に飛び込むか——』
「選択肢を奪われた人間ほど、扱いやすいものはないな」
私は静かに息を吐き出し、画面上に次々と申請されてくる新規・再申請の審査ファイルを1つずつ開き始めた。