ある銀行の・・・   作:適当でいいです

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第7話

田中さんは、逃げるように、あるいは何かに追われるように席を立った。

彼がカバンに大切そうに仕舞い込んだ『マニュアル』。それは彼にとっての聖書であり、同時に思考を奪う足枷だ。

 

コンサルという体裁で「経営」と「投資」の手順を植え付け、全国の精鋭業者同士をマッチングさせて、既存の市場価格を破壊する。

銀行という表の顔を使いながら、その裏で法規制の届かない「選民思想の経済圏」を構築している。

 

「……さしずめ、影のメガバンクですな」

 

私の皮肉な言葉に、加賀部長は否定しなかった。

それどころか、満足げに窓の外——足利の静かな街並み——を眺め、深く頷いた。

 

「そうです。既存のメガバンクは肥大化しすぎて、地方の細かな毛細血管まで血を通わせることをやめた。だから我々が、新しい血管を作り直しているのですよ。……大山さん、この『仕組み』の美しさが分かりませんか?」

 

「美しさだと? あなたたちは、マニュアルに従えない人間を『バカ』と呼び、実験台にして切り捨てている。それが銀行員のすることか!」

 

私の怒号に、店主がびくりと肩を揺らしたが、加賀部長は眉一つ動かさない。

 

「大山課長。2029年の日本を見てください。為替は170円、実質賃金は下がり続け、地方は沈みゆく泥船だ。全員を助けようとすれば、全員が溺れる。……我々は、漕ぎ手を選んでいるだけだ。力強く、正しく櫂を振れる者だけをね」

 

加賀部長の視線が、初めて私を真っ直ぐに射抜いた。

その瞳には、狂気ではなく、確信に満ちた「選別者の自負」があった。

 

「我々の輪に入れば、田中さんのように金利の呪縛から解き放たれる。仕入れも販売も、最適な相手がシステムで見つかる。……大山さん、あなたはあちら側にいたいとは思いませんか?」

 

「大山さん、こちら側に来ませんか?」

 

その一言で、場の空気が完全に切り替わった。

加賀部長は身を乗り出し、獲物を定めるような冷徹な光を瞳に宿らせる。

やはりそうだ。昨日の応接室で、調査主を執拗に確認していたのは、糾弾を恐れたからではない。自分のスキームを見抜くほどの「精度」を持った個体を選別していたのだ。

 

勧誘。

だが、それはエリートへの招待状というよりは、戦場での徴兵宣告に近い響きがあった。

 

「先ほど、日本の状況を言いましたね。ですが、あれは上位半分の話だ。下位半分は……あなたが想像している以上に、もう手遅れだ。ご存じでしょう? 足利の街並みが穏やかに見えるのは、ただの慣性だ。町行く人々の貯蓄額は、ドルベースで換算すれば今この瞬間も溶け続けている」

 

加賀部長は、窓の外を歩く老夫婦を顎で指した。

 

「今は田中さんのような、我々が再教育した不動産屋を配置しているからいい。周囲より安い家賃、効率的な管理。それによって、なんとか一部の住民を食い止めている。だが、この防波堤がなければどうなる?……早晩、死体の転がるアパートがあちこちに出てくるでしょうな」

 

公式な場では決して口にしないであろう、剥き出しの言葉。

 

「我々は、神になろうとしているのではありません。ただの、合理的な清掃員だ。ゴミを片付け、価値のあるものだけを繋ぎ、この国の命脈を数年だけ引き延ばす。……信金で、沈みゆく泥船と心中するより、我々と一緒に『次』の設計図を引きませんか?」

 

加賀部長の手が、テーブルの上に置かれた『投資マニュアル』に伸びる。

 

「あなたのその『目』は、もはや信金の課長という器には収まらない。大山さん、あなたはもう、気づいているはずだ。……正義感だけでは、腹は膨れないということに」

 

「危ない橋を渡れ、と?」

 

「そうですね。

 じゃあ、とっておきの情報ですよ。」

 

加賀部長は周囲を見渡し、客が3名居て、彼らに聞こえない声にトーンダウンさせる。

 

「我々は地銀同士でネットワーク、いえややこしいですね。

 提携し合う、いわば『地銀連合』を形成しています。

 先ほどの秋田C銀行は弊行と提携しています。

 この提携の輪は日本中を網羅しています。」

 

陰謀論者が好みそうな話題だな。

しかし、それを聞いた瞬間に思った。

もう向こうに行かざるを得ないという圧力に。

 

「先ほどの経営講習と投資講習をクリアし、適正試験を合格した中小企業および個人には事業・投資ハイブリッドローンを新たに連合各行から募集予定なんです。」

 

「プライベートバンクの話は?」

 

「あれは一時的に話を繋げるための方便ですよ。

 で、このローンではいくつか規約があります。

 圧倒的な低金利なのに投資にも一部資金を使ってもよいという商品なので、当然制限がかかります。」

 

制約とは

 

・毎四半期ごとに投資のみの成績から利益が出ていた場合、最低20%以上は現物のゴールドを購入し、融資契約銀行に預け入れること。

 当然、購入手数料、保管手数料、売却手数料が取られる。

 それらの手数料は相場より高い。

 

・投資に使えるのは融資総額の15%以内である。

 またレバレッジ商品(信用取引、FX、先物など)は融資総額の5%以内にすること。

 つまり最大レバレッジをかけたいならレバレッジ商品に5%、株に10%の配分になる。

 

・取引をするにはA証券というネット証券のみ。

 その口座は地銀連合の各行のサーバーとつながっている。

 将来的にはシステム管理する方向だが、今は電子的証拠を残す用途になっている。

 

そして・・・

 

「これは金融庁と地銀連合の間でもう決定していることです。

 まだ詳細は詰めるところはあるので募集は先になりますが。」

 

「……資金の『出口』まで完全に掌握するということだ」

 

「その通り。投資で得た利益の2割を強制的に現物ゴールドに変えさせ、我々が『保管料』を取る。これは事実上の資産課税ですよ。そしてA証券の口座を全地銀のサーバーで監視する。……これで、誰が、いつ、どこで、どれだけの弾を撃つか(注文を出すか)、我々はリアルタイムで把握し、監視できる」

 

「金融庁が認めるとは思えない。これは……銀行業の領分を完全に超えている」

 

「超えなければ、この国が破綻するからですよ、大山さん。預金を集めて貸し出し、わずかな利鞘で食いつなぐモデルは、為替170円の世界で完全に死んだ。我々は『国民の貯蓄を無理やり投資に回す』という政府の悲願を、実務レベルで強制執行しているだけだ」

 

加賀部長は、冷めたコーヒーを最後まで飲み干した。

 

「詳細を詰めるのはこれからだ。……だからこそ、現場の帳簿の歪みを見抜き、かつ、これだけの巨大な『嘘』を飲み込める調整役(レギュレーター)が必要なんだ。……大山さん、信金という小さな鳥籠で、顧客が一人ずつ死んでいくのを看取るのが、あなたの望みなのですか?」

 

私もコーヒーをすする。

 

「当然、顧客の売り買い情報が見れるということで地銀連合は一切のディールは禁止されます。

 インサイダーですからね。

 なので各種ETFを売り買いします。

 5%の含み益が載ったロットはすべて翌営業日の寄りに成行売り、引けに成行買い。

 売りは含み益のルール有りですが、買いは毎日均等にやります。

 これを繰り返すのです。

 もちろん、顧客に投資タイミングの指示なんてしませんよ。」

 

「……なるほど。そういうことですか」

 

加賀部長は、顧客にすら「指示」を出さない。

マニュアルを渡した後は、一切の干渉を断つ。それがこのスキームの、最も狡猾で、最も「適法」に近い部分だ。

 

「指示を出さないからこそ、意味がある。……そうですね、加賀部長」

 

「その通りです。我々が『いつ売れ』『これを買え』と一言でも命じれば、それは不当な介入であり、投資助言業の逸脱だ。だが、彼らは自分の意思で、自分のスマホを叩いている。マニュアルをどう解釈し、どのタイミングで指を動かすかは、あくまで顧客の自由だ」

 

私はゾッとした。

指示がないということは、結果のすべてが「自己責任」という美名の下に、顧客に押し付けられることを意味する。

 

「毎日ETFを買い、5%の益が出たら翌朝売る。……誰にも強制されていないのに、成功体験を積んだ田中さんのような人間は、それを宗教の戒律(ルール)のように守り続ける。……指示など必要ない。一度『正解』を与えれば、人間は勝手に歯車になる」

 

もし相場が急変して大損害が出ても、地銀連合はこう言うだけだ。「我々はただ、一般的な経営資料(マニュアル)を配布しただけです。実際に取引を判断したのは、お客様ご自身ですよ」と。

 

「地銀連合は、ただその背後で、統計的に導き出された『顧客の総意』をETFの波として利用するだけ……。あなたは手を汚さない。ただ、システムが回るのを眺めているだけだ」

 

私の言葉に、加賀部長は満足そうに微笑んだ。

この男は、悪事の手を動かすのではない。ただ、人間が「楽をして儲けたい」「正解に従いたい」と願う本能を利用して、巨大な装置を組み上げたのだ。

 

「……足利を、離れるということですか」

 

「足利だけじゃない。栃木もだ」

 

加賀部長は握った手を離すと、再び「部長」の顔に戻り、冷酷なまでに整った計画を話し始めた。

 

「先ほど言っただろう。このネットワークは日本中を網羅していると。神戸E銀行は、我々地銀連合の『西の要』だ。あそこには、君のように帳簿の裏を読み解き、かつ、このスキームを飲み込める現場の人間が不足している」

 

私が栃木B銀行ではなく、あえて「他県の銀行」へ送り込まれる理由。

それは、私の経歴を完全に洗浄し、外部からは「単なる転職」に見せかけるため。そして何より、地銀連合が「県境という壁」を完全に無効化したことの証明でもあった。

 

「君には、マニュアルを渡し、適性を見極め、我々の『輪』に組み込み、管理してもらう。」

 

「……私は、足利で死ぬまで信金マンとして、街の顔色を見ていくつもりでした」

 

「その街の顔が、もう土気色なんだよ。大山さん」

 

加賀部長はそう言って、初めて自嘲気味に笑った。

 

「給料は今の二倍とは行かないが増えるだろう。役職は係長待遇で用意してある。さすがに地方の信金課長の転職なら、このくらいの待遇になってしまう。

 神戸E銀行の頭取にも話は通してある。……君はもう、ただの銀行員じゃない。日本という国の延命措置を担う、影の執行官の一人だ」

 

喫茶店の外では、夕闇が街を飲み込もうとしていた。

私が守りたかった、古びた商店街。田中不動産の小さな看板。それらすべてが、巨大な「地銀連合」というシステムの網に捕らえられ、合理化という名の搾取(あるいは救済)の中に消えていく。

 

「……分かりました。いつ、発てばいいんですか」

 

「3か月後くらいに退職届を出しなさい。

 それと、転職活動の振りを1か月前くらいから初めればいいだろう。」

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