翌日 島根県 松江市 斎藤ファンド本社
夕立で落雷が轟音を立てている。時刻は17時半。定時だ。
「落雷が収まるまで待機してくれ。安全のためだ。」
全社に総務役員(相変わらずの雑用係っぷり・・・)から指示が下りた。その分きちんと残業代が出るということだ。
過ごし方は自由というが、だからと言ってやることがない。
なので先輩と雑談をしてみる。いつものチャットではなく口頭で。
「先輩。昨日の極論チェックですが、調べたら無茶苦茶な指示と言われたんですけど・・・」
「AIに聞いたのか。そうだ。滅茶苦茶だ。論理学とかいう高尚な学問からしたらな」
先輩は苦笑した。
「だが赤坂、人間は論理的合理性で殴ればいうことを快く聞いてくれない。
表面上は指示に従うが、絶対に心の内には恨みが発生する。
正論で人を動かしている人間がメディアに出ているだろうが、あれはその恨みを金や権力で握り潰せるから成立しているだけだ」
赤坂は黙って聞いていた。
「例えば俺が今ここで、
『お前は去年こんなミスをした。だから俺より能力が低い』
と事実だけを並べて論破したとする」
「はい……」
「論理的には正しいかもしれない。
でもお前は明日から俺のチャットに即返信しようと思うか?」
赤坂は少し考えた。
「……思わないです」
「だろうな」
先輩はコーヒーを一口飲む。
「だからウチは人を論破しない。
論破は気持ちいいが利益を生まない。
相手を動かしたいなら、恨みを残さない方が期待値が高い。
見ろ赤坂。『交渉術』と検索するだけで本が山ほど出てくるだろ」
先輩は通販サイトの検索結果をスクロールした。
「つまりな、世の中の人間は昔からずっと他人を動かす方法に困っているんだよ」
「確かに……」
「もし正論だけで人間が動くなら、こんな本は一冊で済む」
赤坂は思わず笑った。
先輩は続ける。
「だが現実は違う。相手には相手の事情がある。感情がある。プライドがある。疲労もある。」
「……はい」
「だからウチの極論チェックは論理学じゃない。感情を抑制するための安全装置だ。」
雷鳴が遠くで響く。
「相手を論破するための武器じゃない。」
先輩はコーヒーを一口飲んだ。
「自分が思い上がらないためのブレーキだ。」
同日 埼玉県 草加市 ANSEN
部長の高橋と係長の古谷が開店1か月の売り上げと利益を計算する。
たった1日で・・・
当然出た数字は『売上』『粗利』のみ。
「あの・・・部門別決算は・・・」
宮内店長はもうこの連中がやる常識外のことに、自分のような業界人が理解できない理論に基づいた計算があると詮索してしまっていた。
「え?それ毎月やるんですか?アイスの売り上げは夏の今は多いでしょうけど、それを見て12月の仕入れ決めるのですか?」
「まだ完成形でもない状態の記録を労力かけてやる必要はありません。それよりは顧客動向の実証試験に労力を割くべきです。一応は結果の数字は必要なので集計しただけなので、こんなものでいいでしょう。」
「商品毎の売り上げ個数は私がPOS端末で見てます。気になるのでしたら後でデータを吐き出させてお送りしますよ。宮内さんの見解も気になりますから」
宮内は一瞬言葉を失った。
「……私のですか?」
「はい」
中川は当たり前のように頷いた。
「私は数字を見るのは得意ですが、小売の経験はありません。古谷さんも同じです」
「おい」
古谷が眉をひそめる。
「いや事実じゃないですか」
中川は平然と続けた。
「例えばアイスが売れているとして、それが単なる気温なのか、商品の配置なのか、近隣競合の欠品なのかは私には分かりません。ですが宮内さんは二十年以上現場を見ている」
宮内は思わず黙り込んだ。
これまで数ヶ月。
自分はずっと彼らに否定され続けている気がしていた。
だが違った。
彼らは経験を否定しているのではない。
経験を『絶対視』していないだけだった。
「ですからデータを見てください」
中川はモニターを閉じた。
「宮内さんが気付くことと、私達が気付くことは違うはずです。違うから価値がある」
これに勇気づけられた宮内さんはある特大の疑問点をぶつける。
「では、現場経験者として聞きたいのですが、なぜ総菜の割引を一切しないのですか?」
普通のスーパーなら夕方の7時前後になると仕入れ料金を捨てた上に廃棄料金を取られるくらいなら半額でもいいから客に買ってもらう方が赤字だが得。
おまけに他の割引されていない商品などを購入してもらえれば黒字となる計算をしている。
しかしこの店ではそれを一切やらない。
「宮内さん、仮に7時に割引にするとしますよ。客はどういう行動をしますか?」
「7時を狙って来店するでしょう・・・」
「そうです。その影響は甚大です。なにせそれをするということは『7時以降にやってくる残業組の弁当と総菜が消えている』現象になるからです。」
宮内は言葉を失った。
確かにその通りだった。
普通のスーパーなら問題にならない。
だがANSENは違う。
この店は最初から、
『仕事帰りのサラリーマン』
だけを狙い撃ちにしている。
そのターゲットの中には、
定時で帰れる人間もいれば、
2時間残業して帰ってくる人間もいる。
もし毎日七時に半額シールを貼れば――
定時組が得をする代わりに、
残業組は毎日売れ残りしか見られなくなる。
「それだけじゃありません」
古谷が続けた。
「7時から割引が始まると知った客は、6時に来なくなります」
「……あ」
「6時に来ていた客が7時を待つようになる。すると売上のピークが後ろへずれる。すると閉店間際に客が集中する。するとレジ要員が必要になる」
中川も頷く。
「しかも毎日です」
高橋が笑う。
「割引というのは値段を下げる行為じゃないんですよ」
「え?」
「客を教育する行為です」
宮内の背筋に寒気が走った。
「一度でも学習した客は待つようになる」
高橋は続ける。
「100円安くなるまで待つ」
「半額になるまで待つ」
「閉店前まで待つ」
「今日は残っているかなと考える」
「つまり客に思考コストを発生させる」
古谷が言う。
「我々はその逆をやりたい」
「客には考えてほしくないんですよ」
高橋が言った。
「ANSENに来たら、いつ来ても同じ値段。」
「6時でも。」
「7時でも。」
「8時でも。」
「だから疲れたサラリーマンは迷わない。」
ここで宮内が完全に理解する。
この会社は、「廃棄ロス」より「客の行動パターンが変化することを恐れている、と。