あるファンドの・・・   作:適当でいいです

3 / 14
第3話

誤解を恐れずに言えば、斎藤ファンドの面々は重度の『ポジポジ病』だった。

だが彼らのそれは、素人のように不安からポジションを握り直す悪癖ではない。牙を研ぎ澄まされたマシンによる、冷徹な狩りのサイクルだった。

 

相場の変動が大きくなると見るや、ターゲット高値を5SMAが上抜いた瞬間に、ドカッと巨額の買いを入れる。狙い通りに跳ね上がり、RSIが60に到達した確定足で、すさかず75%を部分利確。残りの25%はそのまま持ち越す。

この一度目の部分利確さえ成功してしまえば、あとはこちらの勝ちだ。残されたポジションは、買い値から単純計算で3倍以上の値下がりでも起こさない限り、トータルで損になりようがない「無敵の弾丸」へと化す。

 

もしトレンドが反転し、今度はターゲット安値を5SMAが下抜けたなら、間髪入れずに空売りをドカッと叩き込む。今度はRSIが40に達した瞬間に、同じように75%を利食う。

 

これを機械的に繰り返す。

 

だが、相場に絶対はない。売り買いのドテン(ポジションの反転)を繰り返し、往復2回セットで連続で損失を出したとき、彼らは冷徹に席を立つ。

『もうこの銘柄は旬が過ぎたな。レンジ(横ばい)に入った』

見切った獲物には一秒の未練も残さない。

次の候補が控えているならそちらへ。居ないなら、同じ手法を走らせている別銘柄の口座へ、ドテン、ドテン、ドテンと息つく暇もなく資金を載せ替えていく。

 

この狂気的なまでのルール遵守が、彼らに途方もない果実をもたらしていた。

12年間、リーマンショックの残滓やコロナ禍の荒波をくぐり抜けながら、叩き出した運用利回りは平均して年8〜9%。

 

2016年の設立時、メンバーたちが意地と執念で持ち寄った21億円の自己資本は、2028年の今、46億円という巨体にまで膨れ上がっていた。

 

雑居ビルの一室、46億の砲弾を備えた怪物の群れが、ついに次の獲物を見据えて動き出そうとしていた。

 

「社長、確定申告書類の確認を」

 

「うむ」

 

『斎藤ファンド株式会社』の代表取締役社長である工藤は、差し出された書類に静かに目を落とした。

12年で資産を46億円にまで膨らませた、年利平均8.5%を叩き出す超優良ファンド。そのトップに君臨する工藤の正体は、元税理士だった。

 

だが、この会社において「社長」や「役員」という肩書きは何の権威も持たない。

金を稼ぎ出すのは、完全に現場のトレーダーたちだ。

工藤をはじめとする経営陣の役目は、経理や総務、人事、法務、そして最低限の営業といった、現場の人間たちが『雑務』と吐き捨てて投げ出した業務を完璧にこなすことだけだった。

 

決して、役員たちが会社を乗っ取ったわけではない。むしろ逆だ。

 

「面倒な事務手続きは、いくらでも金を出すからあんたらでやってくれ。ただし、もし勝手な真似をして俺たちの投資の邪魔をするなら……分かっているよね?」

 

それが現場の、かつて詐欺で地獄を見た者たちの冷徹な総意だった。

 

書類の上、あるいは法的な制度上では役員たちが上にいる。だが、社内の主導権と圧倒的なパワーバランスは完全に現場が握っていた。

金を出す主(オーナー)であり、金を稼ぐ職人でもある現場が、経営陣を顎で使う。

そんな奇妙にねじれた歪な構造こそが、この島根の雑居ビルで誰にも見つからずに牙を研ぎ続けてきた、斎藤ファンドの本当の姿だった。

 

工藤は、寸分の狂いもない納税額が記載された書類に、慣れた手つきで承認の印を捺した。

 

なお、社名に冠された『斎藤』という名は、設立当初に現場のメンバーたちが「いかにもありそうなファンド名」として適当に付けただけの固有名詞だった。

初期メンバーに斎藤などという男は一人もいなかったし、オフィスの地名でもない。かつて自分たちを騙した詐欺師どもや、嗅ぎ回る役所の目を晦ますための、ちょっとした煙幕に過ぎなかった。

 

そんな偽りの名を冠したオフィスで、今日も「教育」という名の調教が行われている。

 

「よしよし、そうだ。いいか、トレンドなんてものが起きる確率は極めて珍しい。

 たいていは、ちょびっと跳ねて終わる。統計上、77%はそうなるんだ。だからRSIを控えめに設定して、その『ちょびっ』を確実に毟り取る。取ったらその通貨ペアはもう用済みだ」

 

指導係の先輩トレーダーの言葉に、まだあどけなさの残る青年が恐る恐る口を開いた。

 

「でも、もし本当にバンドウォークをして、大相場になったら……」

 

「したら、どうなる?」

 

先輩は鼻で笑った。

 

「残したたった25%の持ち玉をダラダラ延ばすとして、日足なら最低でも2ヶ月はかかる。その2ヶ月の間に、別の通貨ペアで『ちょびっ』を3回か4回、投入可能資金の100%で捉える方が、トータルの利益は遥かに上だ。計算すれば分かるだろう」

 

斎藤ファンドは、過去の怨念だけでカチコチに固まった閉塞的な組織ではない。持続可能な復讐を続けるため、しっかりと新人や転職者を募り、教育を行っていた。

 

今、指導を受けているのは、入社一年目のFX課の新人くんだ。地元の商業高校から直に採用した。

この会社は、大卒なんてコストの高い人材はハナから取らない。

考えてもみろ。目の前のモニターに表示された数字を、感情を殺して機械的に裁くだけのこの作業に、大学で習うような高尚な『経済学』が一体何の本用に立つというのだ。

 

必要なのは、世界の未来を予測する知性ではない。寸分の狂いもなく計算を回し続ける、冷徹な歯車になれる才能だけだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。