あるファンドの・・・   作:適当でいいです

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第6話

同日。島根県松江市、斎藤ファンド本社

 

「ほ、本当に……いいんですか?」

 

「ああ。あらかじめ言っとくが、証券口座の資金をどこか外部に送金したら一発で横領になるからな。『出金』のページだけは絶対に触らないように」

 

斎藤ファンドでは、各部署に毎年一名ずつ新人を採用している。

いま、金融部株式現物課のデスクで身を硬くしているのは、今春入社した新人の赤坂だった。半年のOJT研修を終え、彼女は今日、ついにデビュー戦の場に立っていた。

 

金融部は、扱う商品によって細かく課が分かれている。

『株式現物課』『株式信用課』『FX課』

根底にあるテクニカル理論は同じだが、許容されるレバレッジの倍率や、市場の流動性といったリスク計算の微差が、そのまま課の専門性の違いとなっていた。

 

「500万円……ですか」

 

「そう。それでマニュアルと研修の通りに、淡々とトレードすればいいから」

 

配属された口座の残高を見て、赤坂は茫然とした。

だが、指導役の先輩社員は、彼女の沈黙をまったく別の意味に捉えていた。

(大手ファンドなら、新兵でも億単位の枠を持たされるからな。少なすぎてがっかりしたか?)

 

しかし、赤坂の胸中は真逆だった。

(500万!? こんな大金、本当に私が動かしちゃうの!?)

 

地元の商業高校を卒業して、まだたったの7ヶ月ほど。

研修で先輩たちのモニター越しに数千万円、数億円という数字は見ていた。だが、いざ自分の人差し指一つに委ねられたのは、自分の手取り月給の30倍を軽く超える命金だ。

これで緊張するなと言う方が無理だった。キーボードを叩く指先が、じっとりと汗ばんでいく。

 

「他人の言葉は信じるな。マニュアルの数字だけを信じろ。……いけ、赤坂」

 

先輩の静かな声に背中を押され、彼女は深く息を吐いた。

島根の雑居ビルから世界へ。少女が冷徹な『歯車』へと変わる、最初のクリックが迫っていた。

 

一方で、同じフロアの『FX課』でも、もう一人の新人のOJTが始まっていた。

 

一般的な証券会社や甘口の投資顧問であれば、まずは安全性の高い株式現物課で市場の空気に慣れさせ、段階を踏んでから信用取引やFXへステップアップさせる、というマニュアルを組むかもしれない。

だが、斎藤ファンドの哲学は違った。彼らにとって、現物株と信用株、そしてFXは、全く別の遺伝子を持つ別の生き物だった。

 

『テクニカルの基本は同じだが、リスクの計算方法も撤退の基準も、現物とFXじゃ天と地ほどの差がある。その違う現物の生ぬるい理論をわざわざ植え付けてから、信用やFXに送り込む意味がどこにある?』

 

このファンドの思想はどこまでもシンプルだ。

現物株の感覚でFXのレバレッジを扱えば、一瞬の躊躇が致命傷になる。

ならば、最初から信用の流儀を、FXの血も涙もない資金管理の手順を骨の髄まで教え込む方が、余計な先入観を植え付けずに済む。組織としても、本人としても、それが最も混乱の少ない最短ルートなのだ。

 

「いいか。お前が覚えるのは、逃げ足の速さだけだ。現物課みたいに『いつか戻る』なんて夢を見るな。逆を突かれたらコンマ一秒で切れ」

 

指導係の冷淡な声が、FX課のブースに響く。

甘えを一切排除し、最初から戦場の最前線に適合させるスパルタ教育。

 

島根の片隅で、ある者は現物株の500万円に震え、ある者はFXの鋭利なリスク管理のナイフを握らされる。

こうして斎藤ファンドの新たな血肉たちは、それぞれの戦場に最適化された歪な怪物へと仕立て上げられていくのだった。

 

翌日 東京オフィス

 

なんと甘美な響きだろう。まるで兜町の一流金融企業にでもなったかのようだ。

 

しかし、実態は違った。そこは一等地のオフィスビルではなく、事業部長・高橋の個人名義で借りた、ただの賃貸アパートの一室に過ぎない。

場所は葛飾区。2029年現在の検索エンジンで「23区 家賃 最安」と打ち込んで最上位に出てきたエリアだ。一応、築浅のまともな建物であることだけが辛うじての救いだった。

 

「そうですか、物件が見つかりましたか」

 

「はい。こちらが現場のデータです」

 

古谷と中川が、埼玉・草加で見つけてきた居抜き物件の写真や動画、周囲の交通量のデータを、アパートの折りたたみデスクに広げて高橋に報告する。

 

「それで……そちらの方は?」

 

二人の視線が、高橋部長の後ろに控えていた男に向いた。

 

「ああ、ご紹介します。宮内さんです。先月まで、中堅スーパーチェーン『ジーエン』の静岡エリアマネージャーとして働いていた方です」

 

ジーエン。関東一円に展開する、よくあるスーパーのチェーンだ。

特別に商品が安いわけでも、鮮度が抜群なわけでもない。運送網や在庫管理に特異なテクノロジーがあるわけでもない。至って平凡で、至って普通のスーパー。

 

正直、ジーエンのノウハウでなくても、どこのスーパーでも良かったのだ。

高橋たちが求めているのは、天才的な経営マジックではない。現実のスーパーがどうやって商品を仕入れ、どうやってパートを動かし、どうやって日々の売上を立てているのかという、泥臭い実務の『基本構造(データ)』そのものだった。

それを知るためだけに、彼らはこの男の経験を買い取ったのだ。

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