九頭竜に至る集団報告   作:redhot

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九頭竜事件のその後

【第四十五章:フィクションの具現】

 

 

 

九頭竜事件の終息――トオルの消失と、八冊の原本の消滅、そして門の閉鎖――の後、日本は平穏を取り戻したかに見えた。しかし、それは表面だけのことだった。まるで九頭竜という巨大な門が開かれた余波のように、日本各地で、これまで存在しなかった「場所」が出現し始めたのである。

 

 

 

最初に報告されたのは、日本海の水深八百メートルの海底に突如として現れた巨大な構造物だった。潛水調査船「しんかい」のソナーが捉えたそれは、明らかに人工的な建築物――十数階建てのマンションだった。窓には明かりが灯り、時折、窓の向こうを人影が横切るのが確認された。後にこれは「海底マンション」と通称されることになる。

 

 

 

次に現れたのは、長野県の未踏の山林の奥深くに出現した図書館だった。外観は古代ギリシャの神殿を思わせる石造建築で、内部には地球のいかなる言語でもない文字で書かれた書物が、天井まで届く書架に無数に収められていた。後に「セラエノ図書館」と通称されることになるこの場所は、ラヴクラフトの作品に登場する同名の図書館と、あまりにも符合する特徴を備えていた。

 

 

 

さらに、半魚人を思わせる異形の住民たちが暮らす漁村が、九州の離島の入り江に出現した。村の名は「蔭洲升(いんすむす)」。これもまた、クトゥルフ神話に登場する「インスマス」を想起させる名称だった。

 

 

 

そして、これらの出現と同時期に、北海道の原野に忽然と姿を現したのが、猫たちが二足歩行で歩き、人間の言葉を話すという幻の村「ウルタール」だった。

 

 

 

いずれも、それまではフィクションの中にだけ存在すると思われていた場所である。しかし、それらは九頭竜事件の後、現実の日本に、確かな質量と物理的な座標を持って出現したのである。

 

 

 

【第四十六章:脅威の評価】

 

 

 

特対室は、これらの異常地点の評価を急いだ。評価は、ウルタールを除く三地点について、極めて厳しいものとなった。

 

 

 

海底マンション――内部の調査を試みた潛水艇は、いずれもマンションの玄関らしき開口部に近づいた時点で通信が途絶し、母船に帰還することはなかった。後に送り込まれた遠隔操作型の無人探査機が捉えた映像には、玄関の内側に立つ無数の人影が映っていた。人影は一様に痩せ細り、目は虚ろで、口を開けて何かを呟いていた。音声解析の結果、彼らは「中へどうぞ」「お待ちしていました」と、日本語で繰り返していることが判明した。

 

 

 

セラエノ図書館――最初に踏み込んだ調査隊六名のうち、生還したのは一名だけだった。その一名も、発見された時には両眼が白濁し、口からは支離滅裂な言葉を吐き続けていた。後に精神病院に収容された彼が唯一繰り返した言葉は、「読んではいけない。読んではいけない」という警告だった。図書館の書物は、読む者を別の次元へと誘う門としての性質を持っていることが、後に判明する。

 

 

 

蔭洲升――調査隊は村の住民たちと接触に成功したが、住民たちは一様に無表情で、調査隊をじっと見つめるだけだった。村の奥にあるという「教会」に近づこうとした調査員たちは、住民たちによって海中へと引きずり込まれ、二度と浮かび上がることはなかった。

 

 

 

ウルタールだけが例外だった。猫たちは人間に対して友好的であり、調査隊が丁寧に接すれば、言葉を交わすことも、村の様子を教えてもらうこともできた。ウルタールの猫たちは言った。「我々はただ、ここに住んでいるだけだ。害を加えられなければ、害を返すこともない」と。

 

 

 

しかし、他の三地点は違った。海底マンション、セラエノ図書館、蔭洲升――そのどれもが、放置すれば日本を滅ぼすに足る脅威であった。海底マンションは周囲の海水を徐々に汚染し、セラエノ図書館は読者を狂気に誘い、蔭洲升は訪れる者を海の底へと引きずり込む。これらは、いずれもが「門」の性質を持っていたのである。

 

 

 

【第四十七章:受刑者調査隊】

 

 

 

政府は、これらの異常地点の調査を継続するために、極めて異例な決断を下した。調査員の公募である。しかし、通常の公募ではない。対象は、無期懲役または死刑判決を受けた受刑者たちだった。

 

 

 

法務省と特対室の合同で策定された「特別調査員制度」は、以下の条件で受刑者たちに提示された。

 

 

 

一、異常地点の内部調査に志願した受刑者は、調査の結果に関わらず刑期の大幅な減免、または死刑の執行停止が認められる。

 

二、調査中に得られた情報を無事に持ち帰った場合、さらなる減免が検討される。

 

三、調査中に死亡した場合、遺族に対して特別一時金が支払われる。

 

四、調査を拒否することも可能であり、拒否による不利益は一切生じない。

 

 

 

これは、事実上の「特攻」であった。しかし、志願者は予想外に多かった。死刑囚の中には、残された家族に金を残せるならと志願する者もいた。無期懲役囚の中には、塀の中での終わりなき日々より、一瞬の意味を選ぶ者もいた。彼らは「調査隊」として編成され、それぞれの異常地点へと送り込まれていった。

 

 

 

ウルタールへの調査隊は、猫たちとの友好的な接触に成功し、村の構造や住民の生態について貴重な情報を持ち帰った。猫たちは、自分たちは「元々この世界にいたわけではない」こと、しかし「招かれざる客ではない」ことを調査員に伝えたという。

 

 

 

しかし、他の三地点は違った。

 

 

 

海底マンションに送り込まれた受刑者調査隊は、三度にわたって編成され、計十一名が潛水艇でマンションへと向かった。その全員が、玄関に到達した時点で通信を絶ち、帰還することはなかった。後にマンションの窓を遠隔カメラで撮影した映像には、窓の向こうに立つ新たな人影が映っていた。人影の数は、調査隊の人数と一致していた。

 

 

 

セラエノ図書館に送り込まれた受刑者調査隊は、計八名。生還者はゼロだった。しかし、一名が死の直前に持っていたボイスレコーダーが、後に回収された。そこには、調査員が書物を手に取り、読み始め、そして突然絶叫する音声が記録されていた。絶叫は次第に言葉を失い、最後には人間のものとは思えない低い唸り声に変わっていた。

 

 

 

蔭洲升に送り込まれた受刑者調査隊は、計六名。彼らは村の住民たちと接触し、教会への立ち入りを試みた。その全員が、住民たちによって海へと連れて行かれ、二度と姿を現すことはなかった。

 

 

 

【第四十八章:生還者ゼロ】

 

 

 

特対室の報告書には、海底マンション、セラエノ図書館、蔭洲升の三地点について、簡潔にこう記されている。

 

 

 

『生還者、ゼロ』

 

この四文字が、すべてを物語っていた。国家が、死刑囚という「使い捨て」の人員を用いてすら、内部の情報を得ることのできない場所。それが、九頭竜事件の後に日本に現れた「フィクションの具現」だったのである。

 

ウルタールだけが、ただ一つの例外として、友好的な関係を築ける場所だった。猫たちは、時折、他の三地点について尋ねられると、耳を伏せてこう答えたという。

 

「あそこは、まだ開いてはいけない門だ。開くべきでない時に開いてしまった門だ。九頭竜が閉じられた時に、一緒に閉じられるはずだったのに、閉じ損ねた。だから、まだあそこにある」

 

特対室の分析官の一人は、報告書の末尾にこう書き加えた。

 

『九頭竜の門は確かに閉じられた。しかし、その門が開かれていた間に、この世界には無数の「副次的な門」が開いてしまったのかもしれない。海底マンション、セラエノ図書館、蔭洲升――それらは、九頭竜という巨大な門の「余波」として生じた、いわば裂け目のようなものなのだろう。そして、それらを閉じる鍵は、今の我々にはない。トオルは去った。彼が戻ってくるのを待つしかないのか。あるいは、別の鍵を見つけるしかないのか。いずれにせよ、これらの場所は、今日も静かに、次の訪問者を待っている』

 

現在も、海底マンションの窓には明かりが灯り、セラエノ図書館の書架は読者を待ち、蔭洲升の住民たちは海の底から訪問者を見つめている。そしてウルタールの猫たちだけが、人間に対して静かに語りかけるのである。

 

「焦らなくていい。いつか、門は閉じられる。すべての門は、いつか必ず閉じられるのだから」

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