「ああぁ、胃がわさわさする」
土曜日の夕闇に、矢指 伊蔵が工場の高い天井のハロゲンライトに照らされ、コンクリートの床に濃い影を映し、マシニングセンタの前で頭を抱える工員を遠目に見て気を揉んでいると
「何かお困り事がございますでしょうか」
背後からの突然の声に振り向き、黒髪のおかっぱ頭に黒縁の眼鏡、黒い背広の出る所は出て引っ込む所は引っ込むナイスバディ、禍金 忌離子に
「申し遅れました。私、斯ういう者になります」
名刺を差し出され
「禍金機械商会さん。機械商さんですか?私は中年男性の中堅社員に見えますが、生憎と最近入社の下っ端のパート社員でして…」
済まなそうに言うと
「いえいえ、機材や消耗品の発注だけではございません。禍金機械商会では、萬、工場のお悩み事を承ります」
禍金が言うのに
「出来れば自分の手柄で、失敗すれば松浦さんの責任。此処の専務とやら、やっぱり酷すぎです」
竹箒を操る手を止め、思わず吐き出すと
「それでは此方を…」
矢指は禍金にペーパーナイフを差し出され
「此れは、懐かしいですね。日本刀の形状の…良く出来ている。刀身を鞘から抜く事が出来て…この刃文がまた芸が細かい。もう何十年も前の修学旅行で、土産物屋に並んでるのを乏しい小遣いから本気で買おうかと思って…でも此が何か?」
滔々と思い出を語っていると其処に禍金の姿は無く
(仕方がない。此処で助太刀せぬは武士の名折れ。武士では無いけど)
思い
「松浦さん。手伝わせて貰えますか?」
マシニングセンタに詰めより
「矢指さん。此れ、どうしたら…」
顔面蒼白の松浦を見て
「現在は松浦さんの部下ですから矢指にして下さい。普段の実力を出せば良いことですよ」
マシニングセンタの向かいの簡易定盤になっている作業台に置かれた見本と図面に視線を落とし
(納期は月曜日の午前10時。土曜日の昼に持って来て間に合う訳無いぞ)
怒りを露にする
矢指がマシニングセンタの右手にある操作盤のキーをポチポチと押しながら
「無いですね。この対話式の半自動プログラミングで出来れば良かったのですが」
言うと
「ああぁ」
再び頭を抱える松浦を見て
「大丈夫、出来ますよ、此処迄で加工に2万円位掛かっていると思いますが、旋盤工程は済んでいてボールエンドミルにキー溝用のラフィングと2枚刃。材料と工具も有って、此方の4軸が後付けの外部機器になっています。此れを使うので外部機器の制御の命令がどうなっているのか調べて、然うして軸の側面にボールエンドミルで半円形の溝を図面の型で掘ります。此の溝に鋼球が嵌まって軸が前後に滑べる事で出力軸が溝の型に割り出され曲げ加工機みたいな仕事をする。専用量産機の部品です。しかし見本を見て下さい。赤黒く焼けて、恐らくは金属疲労で割れた出力軸の部分にネジ穴を切って溶接で継いでサンダーで均して、応急修理して駄目だったのでしょう。急遽の新造になって…発注元も困ってる。助けてあげましょう」
励ますと
「よし、何をしたら良いでしょう?」
松浦は前向きで
「私は、今から資料室でマシニングの取扱説明書を調べて、旋盤に行って4軸に旋盤用の爪が使えるか見ます。無ければ生爪から削らないと、芯押し台を載せてっと、何れにしても時間が足りません。松浦さんは日曜日の休日出勤の申請を出してきて下さい。私も出社ます。1日がかりです。覚悟して下さい」
指示を受け
「分かりました!」
駆け出そうとするのを
「あ、待って下さい。松浦さん一人の休日出勤にして下さい」
呼び止め
「でも、それでは矢指さんの手柄を横取りする様な事になりませんか?」
怪訝な面持ちを見て
「前にもお話ししましたが嫁の実家が後継者難の農家で自宅も買い手がつきましたし、正社員の話はお断りして地元に帰りますので、手柄に成るなら松浦さんに差し上げます」
宥めた
「我が社は、幾つもの工場で匙を投げられ盥回しにされて来た、非常に難しい曲げ加工機の心臓部たる加工を1日と言う短納期で仕上げ出荷致しました。この技術を我が社だけに留める訳には参りません!皆さんのお力添えをお願いします!」
工場の食堂には従業員が集められ新品の様に汚れのない綺麗な作業着にネクタイの男が演説していて
「あれ、凄いのかい?」
矢指は隣のパイプ椅子に座っていた油汚れが染み付いた作業着の工員にホワイトボードに磁石で留められたパンフレットに目配せして小声で訊かれ
「複合加工機です。旋盤加工から其のまま工作物を外さずフライス加工が出来る、お値段も凄いですよ」
呆れ果てると
「反対です!フルに活用出来る従業員が居てこその機械です。そんな金が有るなら、まず工員の賃金を上げて下さい」
松浦が立ち上がり発言し
「専務!あんた何様だ、社長の留守に勝手をやって!」
続く者があるが
「何、言ってんだ!工場が発展しねぇと、給料も上げられないだろ!」
反対する者もあり
「賃金を上げろ!」
「会社が大きくならないと」
分断される事態に
「皆さん!私はこんな人たちに負ける訳には行かない!」
専務は松浦を指差し言い放つ
「専務って確か…」
矢指が小声で訊ねると
「社長の妻の姉の息子。つまり義理の甥っ子でね、無職で仕事を探していたのを社長に拾い上げて貰って…でもね最近の業績悪化を見かねて偉い大学出て商社勤務だった社長の息子が『親父の会社を立て直す』って意気でね、専務にしたら、今更、従兄弟に自分の上の椅子に座られても、ね?反感を買ってでも今のうちに存在感を出しておかないと、社長の家族の経営陣から少しばかり外れている訳でさ、自宅に自動車に二人の息子に、相当な借金もあるみたいで、遠戚の縁故で頭半分抜けたのを良いことに年齢の近くて工場の古株の松浦ちゃんにライバルを蹴落とさんとばかり辛く当たるんだよ、酷い話だよ」
マシンガントークが炸裂した
「いいか、離婚するんだ、それで嫁と娘は生活保護にして、お前は目出度くも、この仕事を続けられる。どうせ別居してるんだろ?辞めるなんて馬鹿を言うな」
専務の妄言に
「公正証書原本不実記載。偽装離婚は立派な犯罪です。それに別居ではなく単身赴任です。勤めて半年のパート従業員がですよ、犯罪までして続けたい仕事ではありません。こんな仕事はさっさと辞めて妻子の元に帰りたいです」
矢指は答えるが
「何を言ってるんだ?お前の事は俺が一番良く分かってる。急ぎの仕事をやっつけたのお前だろ?お前は、あのクラスの複合加工機を使いたいに決まってる。一緒によ、松浦を追い出して…」
聞き流され
「専務がね、そうやってパワハラで追い込むから可愛そうに松浦さん萎縮してしまって…私は手伝っただけだ。松浦さんが辞めたら社長との約束の期日まで待つ迄もなく、即、辞職します」
態と荒い口調で言うと
「おい、後悔するぞ!!」
鬼の様な形相で脅しに掛かかられる
昼休みも終わりに近付き解放された矢指が食堂から業務時間の騒音が嘘の様な静けさ漂う工場に戻ってきて、松浦の姿を認め
「復習ですか?」
声を掛けると
「はい、矢指さん」
松浦はマシニングセンタの取扱説明書の頁を捲る手を止め
「キー溝と側面のパターンの始点の位置関係に公差が入っています。其処だけ気を付ければ松浦さんなら出来ます。良品で上がったとなれば此れからも定期的に注文が有ると思いますので…」
言葉に何かを察し
「やはり辞めてしまわれるので?」
寂しそうな顔をして
「はい、お世話になりました。あの専務に、復讐を!なんて考えていましたが、あの調子では遠からず自滅しそうです。それに派手にやると松浦さんに迄、御迷惑をお掛けしそうで、ははは」
乾いた笑いに
「寂しくなります。奥様と伊代ちゃんによろしく」
涙ぐみ
「最後に一緒に仕事が出来て光栄でした」
矢指は凛として言った
「義によって助太刀致す、拙者、割烹着に眼鏡の熟女大好き侍!」
矢指は日本刀の形をしたペーパーナイフを掲げる様にして声を高らかに上げ、ビニールハウスの脇でタブレット端末を必死に操作していた中年女性は
「気は済んだの?」
ため息混じりで
「うん」
素直な返事にタブレット端末を手渡し
「伊蔵さんがやるのよ、これから」
言うと
「此は…晴れだの雨だの気象に気温や湿度から、葉や茎の写メから病気の診断、市場価格の動向まで…時代は進歩してるね」
感嘆で
「こんな零細農家にもDXの波が押し寄せているの、得意でしょ、そういうの」
農道に停められた軽トラックの後のあおりがパタンと下ろされレジャーシートが荷台に広げられると
「はい座って。電話じゃ詳しく分からなかった、松浦さん大丈夫なの?」
矢指は素直に従い夫婦で軽トラックの荷台に腰掛け
「松浦さんにしか作れない製品が有ったら、彼処の専務も簡単には追い出せない。病気や怪我で定年後に再雇用の熟練工が続々と引退で、若手もあの専務の悪辣な行いで辞めてゆくから、逆に予定を前倒しで辞めてしまった方が松浦さんが攻撃を受けなくなると思った。仕事を受注しても、『難しい仕事は出来ません』とか言って突っ返したら、益々、自分の株を落として業績悪化。馬鹿でなければ松浦さんを攻撃出来ない。機械のパラメータ弄って2~3台、再起不能な迄にぶっ壊してやろうかと思っていたけど松浦さんに迷惑を掛けてもな。今は此の土地で育てた野菜を松浦さんに届けたいと思う」
一気に溜まっていた物を吐き出す様に語り
「本当ね、伊蔵さんの勤め先の工場が倒産になった時も松浦さんは色々と助けて下さった。美味しい野菜で御恩返しをしないとね。…一寸貸して、はい、お茶」
保温の水筒から蓋にもなっているカップに注がれた熱い茶が取替っこに渡される。
「ありがとう。愚痴っぽくなってしまって」
カァーカァー
黄昏る遠くの空で烏が鳴いていた
「銀行には恨み辛みがあるわよね」
「仕事も有れば技術者も居たのに、支払い危機と流動性危機の区別の付かない銀行屋の信用収縮で資金繰りが悪化して社長と一緒に金策に駆けずり回って、最終手段に献血と言って…身内に頭さげて借金する事を言うのだけど其の相手が悪かった。松浦さんには何度も大きな仕事で社外から助太刀に入って貰っていて信頼に信用を重ねてきた協力会社だったのが債務整理で少額の資金提供を笠に着て整理屋と結託して工場をバラバラにしてくれたのがあの専務で…もう製造業は精神的に無理だ」
「農家になるの」
「伊代には悪い事したな。親父の仕事の所為で中学生の途中で住み慣れた家を売る事になり転校になってしまって」
「良いんじゃない?不登校気味だったのが此方の学校では友達も出来て楽しそうよ。前の土地では『お前の親父、ドテイヘン!』って男の子にイジメられていたみたいで」
「ドテイヘン…機械工か」
「それに『伊代は自然の中で育てたい』って思っていたの、親の事も心配だったし。戻って来られて万々歳」
「椙代さん。優し過ぎ」
矢指の表情は晴れやか
「伊蔵さん?未だ松浦さんの助太刀したいって思ってる?」
「そんな事は」
「やっぱり…優しいにも程があるわよ、伊蔵さんの学生時代からの友達の誰か一人でも、幸せに楽しく機械工の仕事をしているの?お通夜みたいな飲み会を家で催したの記憶してる?ええぃ、答えぬか伊蔵!」
その手には日本刀の形をしたペーパーナイフが握られていて
「何時の間に!」
矢指の目は驚愕に見開かれ
「『幸せにする』と約束しながら、妻に心配ばかり掛ける此の不届き者!成敗いたす、其処に直れぇーーー!」
軽トラの荷台から転げ落ち
「平に~平に御許しをぉ~」
逃げ出した
キャッキャと戯れ農道を駆ける二人を微笑ましく見ている、黒髪のおかっぱ頭に黒縁の眼鏡、黒い背広の出る所は出て引っ込む所は引っ込むナイスバディ、禍金 忌離子は言った。
「あ~ら、ごちそうさま」