ヒュヒュヒュ
小芥子を削る木工轆轤の様に鋼帯を振り乱し円筒形の金属の回転が停まると、鑿の役割を果たしていたバイトが工作機械の右奥へ移動し
コンコンコン
ATCがエンドミルへと切削工具を交換して
シャシャシャ
円筒形の金属に溝を掘る
「凄い…カッコイイですよ、此れは…」
工員は溜め息を漏らし
「自分でも段取りから遣ってみたいと思いませんか?」
笛吹 率も溜め息を漏らす
「いやぁ…俺なんか未だ未だ」
「其処の材料も同じ手順で工作物を交換してパレットに載ってるだけ遣っておいて下さい。ボーっと加工を眺めていないで数値制御のプログラムも一緒に見て、命令が何を遣ってるか考えながら」
「了解です!」
威勢の良い返事に
「はぁ」
笛吹が再び深い溜め息を漏らすと
「何かお困り事がございますでしょうか」
黒髪のおかっぱ頭に黒縁の眼鏡、黒い背広の出る所は出て引っ込む所は引っ込むナイスバディ、禍金 忌離子が声を掛けてきて
「どちら様で?」
怪訝の面持ちで
「申し遅れました、私こう言う者になります」
差し出された名刺を
「禍金機械商会。機械商さんですか?生憎と…」
返そうとするが
「いえいえ、禍金機械商会では機材や消耗品の販売だけではございません。萬、工場のお悩み事を承ります」
「清掃のパートの契約なのに教育係を押し付けられて、今日で辞めますので」
「それでは此方を…」
更に差し出された紙の束に目を見張り
「独国·メルヘン街道。グリム童話の世界を巡る魅惑の1ヶ月。グリム兄弟生誕の地ハーナウから、“赤ずきん”のシュヴァルムシュタット、“ホレおばさん”ルートも“茨姫”ルートも捨てがたい。“ほら男爵”のボーデンヴェルダー、“ハーメルンの笛吹き男”のハーメルン、“ブレーメン音楽隊”のブレーメン、“船の精クラバウターマン”のブレーマーハーフェン、“ウサギとハリネズミ”のブクステフーデ。往復の航空券に旅行券も」
顔を上げると禍金の姿は無かった
「何も『払わない』とは言ってないでしょ。社員達は仕事が始まったばかりよ。一人だけ帰るつもり?」
作業着の女が声を荒らげると
「朝6時から始業の8時迄2時間の機械の清掃の仕事です。もう10時です。初日から約束を破りますか?もぅ、破られていますが」
笛吹も声を荒らげ
「シャキーン!シャキーン!って、マシンニングも複合加工機も動かしといて、その技術をどうするつもり?一人で抱え込んで!この吝ん坊の柿の種!」
「テーブルを寄せないと掃除の邪魔になりますので。社長さん。契約です賃金を払ってください。クレーム入れますよ」
手に持ったスマートフォンのアプリ画面を見せる
「クレーム入れるのは弊社ですからぁ~、それに金じゃァないでしょう?この仕事は楽しまないと駄目。『面白いです。お金を払いますので私に遣らせて下さい!』って言う位じゃないと一人前になれないわよ」
「もういいです」
笛吹の顔は青ざめているが
「逃げるのか!聞いたわよ、独国旅行に行きたいんですって?私も最近になって行って来たけどね、ソーセージとかジャガイモとか酸っぱいキャベツとか黒パンの大味で不味い料理ばかりで本当に後悔だけ。行く意味なんて無いから、お金じゃないの、夢みたいなことばっかり言ってる駄目人間は機械加工の仕事に命を賭けて遣れ!これは命令!」
社長に人格否定の追い討ちを掛けられ
(何か食べに欧州に行くなら仏国か伊国でしょうに。目的意識もなく唯唯浪費としか思えない行動をするのは、会社経営のみならず色々と他の才覚にも欠けてる人に見えて仕方がない)
黙りこくる笛吹は
「今日は定時で上がって良いから。明日には此この契約書を書いて持ってくるのよ。保証人になる人にも直ぐに連絡をして」
重ねて暴言を浴びせかけられ
「お支払い頂けない様ですと、社長さんは余り重要視されていない様ですが代わりを頂いて上がります」
静かに言った
「良いんですか?笛吹さん。此のままメールで皆に送ってしまいますよ。でも本当に面白い。アンデルセンの“裸の王様”が女王様になるだけで、こんな破廉恥なお話になって」
笛吹が送った電子メールをスマートフォンで見た工員はくすくすと笑いを堪えながら言う
「然うして下さい」
「弊社の社長みたいです。シンクタンクだかコンサルティングファームのペテン師に騙され『女王様は裸だよ!』って指摘されてるのに『あの子供は馬鹿だから此の素晴らしい衣装が見えないのね』って…うふふ。工場長しか新しい複合加工機を扱えなくて…涙が出てきた。隣国の王様は『国民の中には馬鹿もいる』って無駄な出費をせず難を逃れるおまけ付き」
「童話と言うのは意外と辛辣な風刺や皮肉になっていますね」
シューン
マシニングセンタが緑色のランプを灯し正常停止する
「どうかな?」
工員は慣れた手つきでマイクロメータを使い、万力に固定された工作物のエンドミルで加工された箇所の寸法を計る
「ありがとうございます。納期に間に合いそうです」
「アップカットとダウンカットの違いです。何方が正しく何方が間違っていると言う訳ではありませんが、此の場合ダウンカットが向いています。どうしてもバイスの掴みが弱いので、切削抵抗の力の方向が外側に向いてしまうアップカットは振動の原因になり向いていない。切粉が排出され易く面が綺麗に仕上がるのでアップカットにしてしまいがちですが」
「基本的な事ですよね。忙しさに感けて忘れていました。もう辞めたいと思っていたけど笛吹さんみたいな人に居て貰えると頑張れそうです」
「機械の清掃をしていますと定盤が物置になっていたり、工具や計測器が乱雑に置かれているのが目に付き可成り荒んだ印象を受けてしまいました」
「誰かが辞めた。と言う訳でもないけど。コンサルティング会社が入って社長が無茶を言い出してから工場内がギスギスして慢性サボタージュで」
「サブプログラムごと固定サイクルにしてあるので、後は数値制御プログラムが勝手にワーク原点を切替えてモーダルで4回繰り返します。此を9回36個」
笛吹がディスプレイのMDIモードからソフトキーを押しシングルブロックを解除し改めて起動ボタンを押すと
「簡単ですね」
背広の男は素っ気なく言い
「然うですね」
笛吹は無表情
「絵も描けませんか?社内新聞に載せたいので」
「趣味で絵本を描いているので少しなら」
「機械加工の話に寄せて、少年が創意工夫と技術で熟練工も顔負けの金属の加工をしてのける。そんな感じで4コマ漫画を描いて貰いたいんです」
「即興で掌編小説を書く事はありますが、小説でも漫画でも短いと簡単に書けると言う訳ではないですよ。寧ろ短く纏める方がずっと難しい」
「何とかお願い出来ませんか?資料集めやプロット作りは此方でやりますので」
「『お話を考えるのは好きです』然う言う人がいますよね。魔夜峰央先生が“パタリロ!”の作中でタマネギ部隊の1人に『頭の中にあるうちが最高傑作』と言わせていて、つまり文なり画で表現しようとする時に文才や画才の無さと向き合わざるを得ない。自らの非力と向き合う事こそが創作の苦しみだと思います。音楽でも映像でも同じではないでしょうか?頭の中にある世界が緻密で大きければ大きい程に拙い具現化との隔たりに苦しめられる。資料集めと称し古本屋で立ち読みしながら物語を空想して創作で一番楽しい部分は自分が遣るから、辛い部分は全部遣って下さい。虫がいい話ですね」
「然う言うんじゃないんです。お手伝い出来ればなぁっと思っただけでして」
「それに経験の無いこと書けません。面白いSFを書く作家って凄いと思います。想像だけで物語を紡げるなら童話作家を目指したい」
「笛吹さん。機械工の経験が無いんですか?」
「機械工をして、面白い。楽しい。然そういう経験が有りません」
夕暮れの工場の事務所
「清掃のパートの処をご無理を言いまして。助かりました」
作業着の男が両の手を着き応接テーブルに頭を叩き付けんばかりに下げ
「お役に立てましたら何よりです」
笛吹がスマートフォンの画面を見て腰を上げ様とすると
「笛吹さんッ!漫画の“ナッちゃん”を御存知でしょうか?弊社の社長も大学生の頃に父親である先代の社長を事故で亡くし、本来は親思いの非常に情に厚い女性でありまして、卒業すると直ぐに後継者として工場の熟練工共を纏め上げ危機からのV字回復ッ!数々の非礼は工場長である私の責任でもあります。社長も工場をより良くせんと契約致しましたが、社長の生真面目さと純粋さに漬け込む悪しき入れ知恵断じて赦し難き、社員からも不評の嵐のコンサルとは今期の契約で終了したいと存じますればぁ~」
工場長は熱く語り出した
「面をお上げ下さい。誤解があった様です。生真面目さ故に工場の為と吹き込まれると、それこそ真面目に実行してしまう。短期的に数字は良くなるのかも知れませんがコンサル等と言うのは契約期間だけの刹那的助言に留まり勝ちですね」
「身に沁みました。社長が独国へ行きましたのも協力会社からの要請で、長期旅行では難しくなりますが社長に随伴と言う形でなら…こんな零細企業でも世界と対等に渡り合う仕事をしていまして、遣り甲斐なら文句無しです。ご不信は御尤も。書面上の待遇で弊社の誠意を顕す覚悟です」
「工場長さんは此の工場に勤めてお長いのですか?」
「新卒で入社しまして今日まで」
「工場の危機に新米社長を助けてですか。失礼ですがご結婚は?」
「仕事仕事の人生で独り身の儘で」
「社長さんも?」
(駄目だ まだ笑うな)
笛吹は自分に言い聞かせ
「左様に存じております」
工場長は顔を真っ赤にしている
「本日は有り難うございました!」
工場の正面玄関の前で90度お辞儀をする工場長を背後にして
(計画通り)
笛吹は不気味に嗤った
工場の朝礼
「ごめんなさい。私の判断ミスです」
社長は頭を下げ
「皆が多忙だから『未だ未だ』って我慢していたんです。俺も笛吹さんや工場長みたいに動かしてみたいですよ」
静まりかえり
「全力で連絡を取れる様に手配しています。それから…」
隣の工場長が深刻の表情で
「社長…」
と、目配せし
「私と工場長の役員報酬は半減の上で笛吹さんの報酬に充当します」
「昨日の午前6時から何度も好機は有ったはずで何を言われても『何故、昨日の内に…』となりますよ。“裸の女王様”を騙したペテン師は責任を取るのですか?」
「ごめんなさい」
平謝り
「笛吹さん。絶対に何処かの工場に再就職しますよ。俺は笛吹さんに教えて貰いたいんで此処は辞めます」
「僕も辞めます」
「皆さん待って下さい!」
工場長は顔面蒼白で止めに入り
「私は1ヶ月だけ待ちます。お世話になった工場ですので、でもコンサルとの契約は終了させて笛吹さんを呼び戻して下さらないと、その後に続ける自信は有りません。倒産コンサルティングなんて冗談じゃないですよ」
「俺も」
「僕も」
「儂も」
社長と工場長は頭を下げ謝罪を続けた
飛行機は巡航高度に達し
「ふぅ…」
笛吹は溜め息をつき
「独国へは御旅行で?」
隣席の旅客は笑顔
「準備だけして行けず仕舞いだったのに背中を押してくれる人がいて…先ずハーメルンから、それからメルヒェン街道を…頂いた航空券の日付が今日なんですよ」
「ハーメルンと言えば“ハーメルンの笛吹き男”」
「1284年の6月に実際に起きた出来事とされています。笛を吹く派手な男が現れ鼠の大群を率いてヴェーザー川で溺死させますが、市長は約束した駆除の成功報酬を支払わず、今度は130人もの子供を率いて丘に消えた…」
空港の青い空を仰ぎ見る、黒髪のおかっぱ頭に黒縁の眼鏡、黒い背広の出る所は出て引っ込む所は引っ込むナイスバディ、禍金 忌離子は言った。
「あ~ら、Gute Reise!(良い旅を!)」