「コピー本ですよ」
大団 円が、黒髪のおかっぱ頭に黒縁の眼鏡、黒い背広の出る所は出て引っ込む所は引っ込むナイスバディ、禍金 忌離子に紙袋を手渡し
「“機械工伝説テッサク”確かに4冊」
禍金が中身を確認して
「予備で作った同じ物が、もう1冊有りますけど、要りませんか。サービスにしときますよ」
「其方は大団様がお持ち下さい」
「大切にして下さいね。久し振りに漫画を描きました。フリーハンドで現場で描く図面をマンガって言ったりしますけど」
自作の漫画本をパラパラと捲り、顔を上げると、禍金の姿は無かった
「大団さん。帰っちゃいますか」
工員が青褪めた顔で走り寄る
「精神病の再就職支援の日雇いで、此れから日給を受け取って帰ります」
「其れは知っていますが」
「不具合でも有りましたか」
「順調に加工していますが」
「17時の定時には勝手に終わります。後は時間まで見ていて外すだけですから、御自分の手柄にして下さい。然ういう約束でしたよね」
「でも、凸凹工科大の工学部の教授に再計算を依頼してある、サイクロイドのプログラムが未だ出来てないんですよ。あんな旧式のマシニングで、どうやってやったんですか」
「他の機械は別の加工で使っていますよね。此の工場で納期を守って作ろうとしたら、どの道、此れ以外に方法は有りません。大丈夫。製造部の部長が言ってましたよね。技術は無料で何処からともなく際限もなく沸いて溢れ出る物だって」
「言ってないと思うんですが」
「似たような事は言ってましたよ。技術的特異点と言います。突然、努力も才能も必要無しに出来る様になりますから。心配は無用です」
「大団さんも然うだったんですか」
「勿論ですとも。ある日、突然、天から覚りの光明が降り注いだのです」
「兎に角、一寸、来てください。其の部長がお呼びです」
「やだ〜もぅ帰るぅ〜」
「駄駄を捏ねないで下さい。来て貰わないと、今日の給料を出して貰えませんよ」
「大団さんがやったのね。此の漫画を描いたのも」
「部長。犯人探しですか。犯罪者の扱いですか。『良い仕事してますねぇ〜』とか言えませんか。その漫画は4万円で個人的に請け負った仕事と同じ物ですからね。欲しかったら1万円で買って下さい」
大団は漫画本を取り返しマシニングセンタの前で2人は睨み合う
「10円の間違いでしょ。工場の教本にして配布するから、同じ物をコピーして100冊持ってきて」
「1冊1万円でぇす。本にする物理だけでコピーが12枚を両面で240円に表紙のカラーコピーが50円。千枚通しで穴開けて糸で縫った中綴じ製本24頁。製本の原価だけで300円で、中身の漫画には数字じゃ表せない膨大な労力が掛かっている。先払いで4万円だったから製本迄しましたけどね。労力と天秤に掛けると4万円でも安かったと思っています。其れを無料で持ってこいと?」
「分からない人ね。儲かるでしょ。副業は禁止よ。事務所の複写機を使って良いから、迅速に持って来なさい」
「部長が自分で描いて、自分でコピーして下さい」
「これぐらい黙ってしたらどうなの。現場の機械工が栃狂った給料で贅沢な暮らしをして工場の経営を圧迫してるのよ。下手な漫画の複製ぐらい喜んでやりなさいよ」
「自分に出来ない事を、他人に頼む時の態度を、御存知ですか?」
「出来るわよ。これぐらいの事は」
「其れでは、とても鬱陶しく思いますので、お願いします。御自分でどうぞ」
「なんですってぇ」
「御存知ないようなので、お教え致しますね。此方を向いて正座した上で、両の掌と額が此の工場の切削油の染み込んだコンクリートに付くまで伏せ、その姿勢を保ちつつ『お願い致します』ですよ」
2人が再び睨み合うと
「大団さん。すいません。このマシニングの段取りを、もう一度教えて頂きたくて、お帰りの処をお引き止め致しました次第でして」
話を逸らそうと工員が慌てて割り込んだ
「4つ爪の旋盤のスクロールチャックを、機械のテーブルの上に載せて、主軸をフリーにしてダイヤルゲージで、くるくる芯出しして内側から固定して、円の外周に歯を刻み込み歯車を製作する。問題は歯車の歯の形状が通常のインボリュート歯形ではなくサイクロイド歯形になっている。つまり恐ろしく精度が求められると言う事です。発注元は凸凹工科大学工学部電気電子システム工学科。第4研究室。もしかしなくても先端半導体の製造に関わる研究に使われる」
マシニングセンタのテーブルは小刻みに動き続け2枚刃のエンドミルが大きな歯車の形を浮かび上がらせようとしていた
「御明察です」
「先に作った3枚はどうしました?」
「受け取りに来て持って帰りました。それで先方の組み付けが、動作の様が流麗優美と大絶賛で」
「それは良かった。それでは、お先に失礼します」
「待って下さい。プログラムが驚きの短さなのに研究室の技術者が舌を巻く高精度」
「優秀なのに、何でこんな仕事をしてるんです」
「教えて下さい」
大団は食い入るように見詰められ、隣の作業台に置かれていた図面を手渡し
「図面から拡大コピーしたサイクロイド歯形1枚の詳細図です。此れが円周に連なって歯車になっている。サイクロイド曲線の媒介変数も出ています。しかし此れを連ねただけでは左から右へ直線の歯車になってしまう。其処でボールペンで書き込んであるのが2次元ユークリッド空間での、反時計回りを正方向とした、原点中心の θ回転の回転行列。更に三角関数の加法定理を用いて数値制御のプログラムに起します。角度θを変数R。原点中心にR回転して変数XとYがXAとYAに写るとすると、XA=XcosR−YsinR。YA=XsinR+YcosR。古い機械ですが、カスタムマクロが導入されていて関数も使えるから出来た芸当ですね」
解説すると
「ひぃぃ」
部長が三角関数と聞き悲鳴を上げる
「プログラムした形状は1つだけで、他は角度を変えた複製と言う事ですか」
「はい。WHILE文で角度を変えながら同じプログラムを繰り返しています。注意点は角度は全て弧度法で統一する事。機械内部の角度計算が弧度法なのと、分数で表すと誤差が小さくて済むからです。此れを全部1000分の1㎜単位の数字でプログラムするからTBのUSBメモリが一杯になって膨大な数字の羅列で正しいか間違っているか確認の仕様が無い。計算中の小さな誤差でも積もりに積もって大きな数になっているかも知れない。常に原点を基準にして、言い方が正しいか分かりませんけど、新鮮な数字で加工する」
大団の言葉を工員は手帳に書き込み
「ありがとうございました。工作物を固定する工夫と手技。ダイヤルゲージの使用方法。プログラミングの発想。勉強に成りました」
頭を下げ
「じゃあ、お先に…」
大団は帰宅しようとするが
「大団さん。未だ量産品の仕事を続けるつもり?」
部長が立ち開かる
「1日6時間、週休4日。堪えられません」
「仕事で重要なのは、お金じゃあないのよ」
「休みです」
「遣りたい仕事より。出来る仕事よ」
「出来るは此の場合、他より優れている状態。遣りたいは欲求。正しい2分法としては、出来るか出来ないか。遣りたいか遣りたくないか。お聞きしますが、部長は出来ない仕事か、遣りたくない仕事か何方を選びますか?同じ事ですよね」
「そんなのは詭弁でしょ」
「詭弁ですよね」
2人は三度睨み合い
「大団さん、もう1つだけ。これも大好評ですが、今言った量産品の改善はどうやって?」
「電話で面会の約束を取り付けて、菓子折り持って、頭を下げて教えて貰いました」
「何て事をするのよ!」
部長が食ってっかかり
「何処の誰が組んだプログラムか解っているのに使い方が解らずに生産性が悪化の一途を辿っていました。此れ以上に安く早く確実な方法がありますか?」
四度睨み合う
「コミュニケーション能力ですね」
カシャコーン、カシャコーン
従業員外立入禁止の扉の向こうは、洋墨の匂い
「書店長。お願いします。勤務時間を増やして下さい」
前掛け姿の、大団の操作する包装機械が漫画本を包み込む音が響き
「1000円。工学書の選書に御客様への御提案に勉強になるわ」
書店長がコピー本を閉じつつ言う
「1万円です。最初に4冊4万円で買ってくれた人が気分を悪くしますよ。10円とか言った人より100倍は増しな方ですけど」
「信用第一ね」
「先人の築き上げた信用を目先の少額の為に『儲かるでしょ』とか言って、自分でも気付かないうちに二束三文で売り払ってしまっていて火の車。そんな工場を見て信用って大切だと思いました」
「此の漫画の登場人物で原型になった人物はいるの?」
「鉄作の父親に一鉄がいますよね?町工場の職人を親爺と言ったりしますけど、自主廃業になりました、御世話になった工場の親爺が原型です」
「その親爺さんは何て言うかな、円ちゃんが工場の仕事を辞めるって言ったら」
「同じです。機械加工の技術に関しては頑固一徹の職人気質ですけど、個人の意志と意欲を何より尊重する人です」
「羨ましいな。然ういう信頼関係みたいなの」
「工学書の選書とか元機械工にやらせて下さい。それで今日はPOPを作ってきました」
「助かるけど。工学書って訳が分からないし。工学書協会の特約常備店で、系列で当店だけ置かないも出来ないしね。工場の仕事で儲けてるんじゃないの?以前にも『大団を出せ、小売の販売員なんぞやらせとくな!』って、作業着が怒鳴り込んで来たでしょう?」
「其の工場は倒産しました。製造の業界全体でサービス残業が常態化していて、賃金÷実際の労働時間=最低賃金以下です。同じ貧困労働なら、好きな仕事をしたいですよ」
「円ちゃん。出来る人じゃないの?」
「出来ると、大嫌いな仕事を為なければなりませんか?」
「然うじゃないけど」
シャッ、シャッ、シャッ
大団は話しつつも、雑誌に付録を挟み込み、素早い手付きでビニール紐を結わえ掛ける
「努力した結果の出来るなのに、望まない未来の為に何を頑張っていたのかと、後悔ばかりで泣きたくなります」
「努力して出来る様になると、嫌いな仕事から抜け出せなくなるでは、誰も出来る様に努力しないよね」
「工場に勤めたら1社ですけど、適切に工学書の御提案が出来れば、書店を訪れる全ての工員が熟練工の叡智を授かれると考えて下さい」
「書店員って社員割引が何より有り難い、活字中毒者の集まりだから、二足の草鞋を改めて、只のアルバイトから書店員になる覚悟は有る?」
「お話ししませんでしたか?大好きな作品の小説家の先生に憧れて、同じ大学に入りたいと勉強を頑張ったんです。誰も味方が居ませんでした。親も教師も予備校の講師も『凸凹工科大が狙えるぞ!』『文系じゃあ卒業しても仕事が無いぞ!』って捻じ曲げられて高等学校中途退学。其れでも工場の仕事を押し付けられて、頑張りました…けど、底無しの底辺で。現在の工場も、再就職支援で通わされてる精神科医に『勿体ないよぉ、君ぃ〜ふぉふぉふぉ』って言われて病気の原因に連れ戻されただけなんです。精神科に通院して精神状態を悪くしていたら本末転倒ですよ。意味が有ったと思いたい。大嫌いな工学の勉強も、書店員になる為には必要な事だったと思えたら、少しは救われる気がすると思うんです」
「愚問だったか」
「皆が幸せ。大団円です」
「本を陳列して開店の時間。台車を使ってよ、腰を痛めない様に、書店員を長く続けたいなら、ね」
「有り難うございました」
書店員の感謝の言葉に見送られ、書店の自動扉が開く。1冊の本を手に持ち、黒髪のおかっぱ頭に黒縁の眼鏡、黒い背広の出る所は出て引っ込む所は引っ込むナイスバディ、禍金 忌離子は言った。
「あーら、お読み頂きまして有り難うございました」