Another Childhood   作:やまうぇ

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会話文が難しい


第13話 誕生日のテレビ電話

関東大会の体育館は、県予選の会場よりも音が近かった。

 

高い天井で跳ね返った打球音が、別のコートの音と重なって降ってくる。笛、シューズ、応援の声。壁際に立っているだけでも、会場全体が絶えず動いているのが分かった。

 

大喜はラケットケースを足元に置き、壁に貼られた組み合わせ表を見上げた。

 

県大会でつながった線が、ここまで伸びている。

 

その先には、全国大会の文字があった。

 

隣に立った匡も、同じ表を見ていた。応援用の荷物を両手に抱え、空いている指で大喜の名前を示す。

 

「ちゃんと書いてあるな」

「何が?」

「大喜の名前。学校で聞いてると、もう全国まで書いてありそうだったから」

「書いてないよ」

「見れば分かる」

 

匡は表の先へ指を動かした。

 

「来年は、俺もここに名前載せる」

 

普段と変わらない声だった。大喜は匡の横顔を見る。こちらを励ますためではなく、匡自身が決めたことを口にしている顔だった。

 

大喜は組み合わせ表へ向き直った。

 

「じゃあ、来年は一緒だな」

「今年の大喜が終わったみたいに言うなよ」

「言ってないって」

 

係員に呼ばれ、大喜はラケットケースを持ち上げた。匡は抱えていた荷物を床へ置き、タオルを一本抜き取る。

 

「持ってるから、行ってこい」

 

大喜は頷き、コートへ向かった。

 

初戦の相手は、県外の二年生だった。

礼を終えて構える。相手の最初のサーブは短かった。大喜が前へ入って返すと、次の球が頭上を越えて奥へ伸びた。

 

追いついて返したものの、身体が流れる。相手はすでに中央へ戻っていた。

 

二本目も、同じように大喜を前へ誘った。今度は奥を警戒して踏み込みを抑える。すると、ネット際へもう一度沈められた。

 

開始から三点を連続で失った。

 

相手は大喜の球を見てから動いているのではない。大喜がどちらへ重心を置くかを先に見て、次の球を選んでいた。

 

いつものように相手の癖を探そうとするほど、こちらの癖を使われる。

 

大喜はシャトルを受け取り、サーブ位置へ戻った。

 

すぐに答えを出そうとするのをやめた。

 

相手が構える。大喜は前にも後ろにも体重を預けず、床を踏む。短いサーブにはラケットだけを先へ出し、返した後で身体を戻す。奥へ振られても、決めようとせず高く返し、中央へ戻る時間を作った。

 

派手な得点はなかった。

 

それでも、相手が大喜の動きを利用できる場面は減っていった。点差が一つ縮まり、二つ縮まる。

 

長いラリーの途中、相手が初めて先に打ち急いだ。シャトルがサイドラインを越える。

 

そこから大喜は逆転し、初戦を取った。

 

コートを出ると、匡がタオルを差し出した。

 

「最初、ずっと逆に動かされてたな」

「見てた?」

「見てるよ。応援に来たんだから」

 

大喜はタオルで顔を拭いた。勝てた安堵より、最初の三点の方が頭に残っていた。

 

「俺、分かりやすかった?」

「相手には分かりやすかったんじゃない」

「それ、結構きつい」

「勝った人が言ってもな」

 

匡はそう返したが、すぐに次のコートへ目を向けた。

 

「ああいう相手にも途中から合わせるんだな」

 

声に羨ましさが混ざっていた。大喜は返事をしかけたが、次の試合を告げる放送が流れ、言葉を飲み込んだ。

 

二回戦、三回戦と進むにつれて、相手の球は速くなった。

 

返しただけでは次を叩かれる。浮かせなくても、打点の高さで押し込まれる。先に動けば逆を取られ、待てば一歩目が遅れる。

 

大喜は何度も崩された。

 

それでも、崩された後にもう一度中央へ戻った。簡単に決められないなら、相手にも簡単には決めさせない。一本ごとに選び直し、勝ち上がった。

 

通路ですれ違う選手たちの声に、自分の名前が混ざり始めた。

 

「埼玉の一年だろ」

「小学生で全国取ってた猪股」

「次、兵藤と当たるらしいぞ」

 

聞こえても、振り返らなかった。

 

あと一つ勝てば全国大会。

 

その試合で、大喜の前に兵藤将太が立った。

 

県予選を優勝した上級生で、大喜より一回り身体が大きい。構えた時の姿勢には余計な力がなく、ラケットをどこへ出すのか、打つ直前まで読めなかった。

 

礼を終え、試合が始まる。

 

最初のラリーで、兵藤は大喜の身体の近くへ強く打ち込んできた。

 

大喜は反応した。ラケットにも当てた。

 

だが、シャトルはネットを越えただけで、浅く浮いた。

 

兵藤が前へ出る。

 

次はネット際へ落とされると思い、大喜も足を出した。兵藤のラケット面が一瞬だけ上を向く。

 

シャトルは大喜の頭上を越え、奥へ落ちた。

 

速さだけではなかった。

 

兵藤は、大喜が反応できることを分かったうえで、その反応の次を狙っていた。

 

強打を拾っても、返した先で待たれている。ネット前へ入れば、身体の向きを見て奥へ運ばれる。相手の球を読もうと視線を集めるほど、別の場所へ動かされた。

 

大喜は第1ゲームを落とした。

 

ベンチに戻り、タオルを首へかける。汗が顎から落ちて、床に小さな跡を作った。

 

顧問が戦術を伝える声は聞こえていた。

 

真正面で受けないこと。打たれてからではなく、打たせる場所を先に作ること。

 

分かる。

 

けれど、兵藤はその場所へ素直に打ってこない。

 

フェンスの向こうで見ていた針生が、大喜と目を合わせた。何か助言をするのかと思ったが、針生は腕を組んだまま言った。

 

「やっと嫌な相手だって分かった顔してんな」

「最初から分かってました」

「だったら、もっと困らせろよ。向こう、まだ余裕あるぞ」

 

言い方は腹が立つ。

大喜はタオルをベンチへ置いた。

 

「分かってます」

「返事はいいから、一本取ってこい」

 

大喜はコートへ戻った。

 

第2ゲーム、大喜は兵藤の球を待つのをやめた。

 

何を打つか見極めてから追うのではなく、兵藤が打ちやすい体勢になる前にシャトルへ入る。速く決めるのではない。時間を渡さないために、打点を前へ移す。

 

ネット際ではすぐに触る。奥では高く返さず、兵藤の身体へ向けて速い球を送る。兵藤のラケットが一度詰まった。返球が中央へ浮く。

 

大喜は踏み込み、空いたサイドへ打ち込んだ。

 

声が上がる。

 

兵藤が初めて大喜から目を外し、シャトルの落ちた場所を見た。

 

その一本から、ラリーの形が変わった。

 

大喜が先に触れば兵藤が押し返す。兵藤が強く打てば大喜が身体を入れて拾う。楽に取れる点は、どちらにもなかった。

 

大喜は第2ゲームを取り返した。

 

ファイナルゲームに入る頃には、脚の奥に重さがたまっていた。

 

兵藤も呼吸を少し乱している。それでも、構えだけは崩れない。大喜が一本追いつくたび、次は同じ場所へ違う球を打ってくる。

 

点差は開かなかった。

 

大喜が先にネットへ入る。兵藤が奥へ逃がす。追いついて返すと、今度は身体へ打ち込まれる。

 

ラケットに当てる。

 

返す。

 

中央へ戻る。

 

次の一歩を出す。

 

何本続いたのか分からなくなった頃、兵藤の返球が浅くなった。

 

大喜は前へ出た。

 

兵藤の体勢は崩れている。コートの奥も空いていた。

 

決められる。

 

大喜がラケットを振る。

 

だが、兵藤は倒れかけた身体のまま、ラケットを差し出した。シャトルがフレームに当たり、力なくネットを越える。

 

大喜はもう奥へ意識を移していた。

 

足を止め、前へ戻る。

 

ラケットを伸ばす。

 

シャトルには触れた。

 

白い羽根はネットの上部に当たり、大喜側のコートへ落ちた。

 

試合終了の声が聞こえた。

 

大喜は床に落ちたシャトルを見たまま、呼吸を整えた。

 

あと一つ。

 

その一つを取れなかった。

 

ネットの向こうから兵藤が歩いてくる。大喜は顔を上げ、握手をした。

 

「ありがとうございました」

 

声は出た。礼もできた。

 

コートを出て、ラケットケースの前へしゃがむ。ファスナーを開き、ラケットをしまおうとしたが、グリップを握った指がすぐには開かなかった。

 

周囲から声をかけられた。

 

一年生でここまで来たのはすごい。

兵藤をファイナルまで追い込んだ。

来年は全国へ行ける。

 

どの言葉も、間違ってはいなかった。

 

大喜は頷いた。礼も言った。

 

それでも、ラケットをケースへ収めるまでに時間がかかった。

 

隣へ匡が座った。励ます言葉は口にせず、スポーツドリンクを一本置く。ラベルの端が何度も指でめくられたように折れていた。

 

「これ、飲んでないから」

「匡のじゃないの?」

「大喜の荷物から取った」

「じゃあ俺のじゃん」

「そうだな」

 

大喜はボトルを手に取ったが、蓋を開けなかった。

匡はコートを見ながら、膝の上で拳を作っていた。

 

「俺、来年ここに来ても、今の大喜みたいに戦える気がまだしないんだよね」

 

大喜は匡を見る。

 

「そんなの、まだ分からないよ」

「大喜も分からないって言うんだな」

「言うよ」

「学校だと、みんな大喜は何でもできるみたいに言ってるから」

 

匡はそこで言葉を切り、組み合わせ表の方を見た。

 

「でも、負けるんだな」

 

責める言い方ではなかった。

 

自分よりずっと先にいると思っていた相手も、届かない場所を持っている。そのことを確かめるような声だった。

 

大喜はボトルの蓋を開けた。

 

「負けるよ」

 

一口飲む。冷たい水が、熱の残る喉を通った。

 

「悔しいけど」

「うん」

「来年、一緒に来よう」

 

匡は大喜を見ずに頷いた。その言葉で敗北が軽くなることはなかった。

 

ネットを越えなかったシャトルも、全国大会へ進めなかった結果も、そのまま残っていた。

 

それでも大喜は、開けたままだったラケットケースのファスナーを閉めた。

 

同じ頃、千夏たち栄明中女子バスケ部も、全国大会をかけた試合を迎えていた。

 

勝てば全国。

 

千夏はスタートからコートに立っていた。

 

相手は、試合開始直後から夢佳へのマークを厚くした。夢佳がボールを持つ前から身体を寄せ、パスが入れば二人で囲む。無理に奪わなくても、夢佳をリングから遠ざければいい。相手の狙いは明確だった。

 

その分、千夏たちにはシュートを打てる場所が生まれる。

 

最初のクォーター、千夏の前にも一度、きれいにコースが開いた。

 

パスを受ける。

 

リングを見る。

 

打てる。

 

そう判断した時には、相手の手が目の前まで来ていた。

 

千夏はボールを下ろし、味方へ戻した。攻撃を作り直したが、時間を使い、最後は苦しい体勢でシュートを打つことになった。

 

ボールはリングを外れた。

 

守備へ戻る途中、夢佳が横に並んだ。

 

「ナツ、空いたら打って」

 

「うん」

 

「今の、打てたよ」

 

千夏は返事をしなかった。夢佳は責めるのではなく、それだけ言って前へ走った。

 

試合は、点差が開きそうになるたび、栄明が食らいつく展開になった。

 

夢佳が囲まれれば、千夏が空いた場所へ走る。千夏へ寄られれば、別の選手へボールをつなぐ。一本で崩せないなら、何度でもパスを回した。

 

だが、相手も簡単には守備を崩さない。

 

パスの出所へ手を伸ばし、シュートを打つ直前に身体を寄せる。千夏がリバウンドへ飛び込んでも、その外側からさらに大きな選手が手を伸ばしてきた。

 

第4クォーター、残り一分。

 

点差は二点だった。

 

栄明のシュートがリングに当たり、ボールが高く跳ねる。千夏は相手選手と身体をぶつけながら、指先でボールを外へ弾いた。

 

夢佳が拾う。

 

千夏はコーナーへ走った。

 

「ナツ!」

 

パスが来る。

 

受けた瞬間、相手のディフェンスが寄ってきた。リングまでの間に、一人。横からもう一人。

 

千夏は一歩踏み込み、ボールを持ち上げた。

 

打つふりをして、夢佳へ戻す。

 

二人のディフェンスが千夏へ寄った分、夢佳の前が空いた。

 

何度も練習してきた場所だった。

 

夢佳の手から、ボールが離れる。

 

千夏はリングを見上げた。

 

ボールが縁に当たる。

 

一度跳ねる。

 

落ちかけて、もう一度外側へ弾かれる。

 

相手がリバウンドを取った。

 

残り時間を止めるため、栄明はファウルへ行く。最後までボールを追った。相手のフリースローが外れれば、もう一度攻める時間が生まれる。

 

それでも、届かなかった。

 

ブザーが鳴る。

 

夢佳はリングを見上げていた。

 

千夏は肩で息をしながら、その横顔を見た。夢佳の右手は、シュートを放った時の形のまま下りていない。

 

整列の声がかかる。礼をして相手チームと握手を交わす。

 

ベンチへ戻るまで、夢佳は何も言わなかった。

 

タオルを受け取っても、顔を拭かなかった。ボトルにも手を伸ばさず、膝の間で両手を組んでいる。

 

千夏は隣に座った。

 

何かを言わなければいけない気がした。

 

だが、「惜しかった」では足りない。「次がある」と言える試合でもない。全国へ行くための最後の一戦は、もう終わっている。

 

夢佳が先に口を開いた。

 

「ごめん」

 

千夏は即座に首を振った。

 

「夢佳だけじゃないよ」

「分かってる」

「私も、最初の方で打てたのに打たなかったし。それだけじゃなくて、みんな――」

「分かってるって」

 

夢佳の声が強くなる。

千夏は口を閉じた。

 

夢佳は俯き、組んでいた指へ力を込めた。

 

「私だけのせいじゃないって、分かってる。でも今は、それ言われても無理」

「……うん」

「ごめん。ナツに怒ってるわけじゃない」

 

夢佳は立ち上がり、ボトルを持った。

 

「ちょっと、一人にして」

 

千夏は追わなかった。体育館の出口へ向かう夢佳の背中を、ベンチから見送る。

 

励ましたかった。

最後のシュートだけで決まった試合ではないと伝えたかった。

 

けれど、その言葉を今の夢佳へ重ねても、夢佳が抱えている一本を取り上げることはできなかった。

 

千夏は自分の手を見た。最後のパスを出した手だった。夢佳なら決めると思った。

 

それは信じていたからなのか。

自分が打つのを避けたからなのか。

答えは出なかった。

 

その夜、大喜は関東大会から帰った後、千夏たちの結果を知った。

 

届いたメッセージは、一言だけだった。

 

負けた。

 

大喜は返信欄に文字を打った。

 

俺も。

 

そこまで入力して、消した。

 

同じ日に負けた。

 

全国に届かなかったことも同じだった。

 

だが、大喜がネットへかけたシャトルと、夢佳が外したシュートは、同じものではない。自分が悔しいからといって、千夏の悔しさまで分かったことにはならなかった。

 

大喜はもう一度、文字を打った。

 

お疲れさま。今日はゆっくり休んで

 

返事はすぐには来なかった。

 

スマホを机へ置き、ラケットケースを開ける。湿ったグリップテープを外し、新しいものへ巻き直していると、画面が光った。

 

うん。ありがとう。

 

続きはなかった。大喜も送らなかった。

 

数日後、大喜のもとに、世代別代表の強化合宿への招集が届いた。

 

全国大会への出場は逃した。

 

それでも、小学生全国大会での実績やこれまでの代表活動が評価され、強化指定選手には残っていた。

 

通知を開いたまま、大喜は自分の名前を何度も確認した。

 

嬉しい。

 

だが、すぐに喜んでいいのか迷った。

関東大会で負けた自分が、全国へ進んだ選手たちと同じ体育館へ呼ばれている。

 

机の上には、兵藤との試合を書き留めた練習ノートが開かれていた。最後のネット前。身体の近くへ打たれた球。相手を見ようとして、相手に先に見られていた序盤。

 

招集通知をノートの横へ置き、スマホを手に取る。

 

千夏へ送る文章を打った。

 

代表の強化合宿に呼ばれた。

 

その下に「ごめん」と打ち、すぐに消した。

 

謝るのは違う。

 

けれど、自分だけ次の予定を伝えることに、落ち着かないものがあった。

 

大喜は一文だけを送った。

 

返事が届いたのは、十分ほど後だった。

 

すごい!

 

続けて、もう一件表示される。

 

行ってらっしゃい。帰ってきたら、話聞かせてね。

 

大喜はスマホを持ったまま、椅子の背にもたれた。

 

「すごい」と言われると、関東大会で声をかけられた時のように困ることがある。

 

それでも、千夏の「すごい」は素直に受け取れた。

先へ行っていいと言ってもらえたように見えたからだった。

 

合宿先には、全国大会へ出場する選手が何人も集まっていた。

 

大喜を知っている相手もいれば、組み合わせ表でしか見たことのない名前もある。

 

最初のゲーム形式で、大喜は年上の選手に身体の近くばかりを狙われた。

 

ラケットには当たる。

 

だが、次への動きが遅れる。返した直後に空いた場所へ運ばれ、触れないままシャトルが落ちた。

 

二本目も、同じ場所だった。

 

大喜は今度こそ詰まらないように早く構えた。相手はそれを見ると、何でもないように奥へ送った。

 

追いつけない。

 

関東大会で兵藤に動かされた時と同じだった。

 

練習後、合宿の監督が大喜を呼んだ。

 

「猪股、反応は速い」

「はい」

「だから反応で何とかしようとしすぎる。上では、打たれてから間に合っても、その次が間に合わない」

 

大喜はタオルを握った。

 

「相手が打つ前に準備しろ。ただし、先に決めつけるな。準備するのと、飛びつくのは違うぞ」

「はい」

「返事だけは誰より速いな」

 

近くにいた選手が笑った。大喜も笑いながら頭を下げた。

 

厳しい練習だった。

 

午前はフットワークと基礎打ち。午後はゲーム形式。夕食後には、撮影された練習映像を全員で確認する。

 

失敗した場面を考えている間にも、次のシャトルが飛んでくる。悔しがる時間があるなら、足の置き方を変えなければならない。

 

合宿二日目の夜、大喜は夕食を終えて宿舎の部屋へ戻った。

 

同室の選手たちはベッドの上でストレッチをしたり、今日のゲームについて話したりしている。

 

大喜はスマホを手に取り、画面の日付を確認した。

 

八月二十六日。千夏の誕生日だった。

 

毎年、直接会って祝ってきたわけではない。練習や試合が重なれば、メッセージだけの年もあった。

 

今年も文章を送ればいい。

 

そう考えてメッセージ画面を開いたが、大喜は文字を打たなかった。

 

スマホを持って部屋を出る。廊下の端にある窓際まで歩き、人が通らないことを確認してから、千夏へテレビ電話をかけた。

 

一度目の呼び出し音が鳴る。

 

二度目。

 

三度目の途中で、画面が明るくなった。

 

「大喜くん?」

 

千夏は自分の部屋にいた。髪を後ろでまとめ、学校では見ない部屋着を着ている。画面へ顔を近づけたため、最初は額しか映っていなかった。

 

大喜は思わず笑った。

 

「近いよ、ちーちゃん」

「え?」

 

千夏がスマホを離す。今度は遠すぎて、肩から上が画面の端へ小さく収まった。

 

「それは遠い」

「テレビ電話、慣れてないんだもん」

「俺も」

「大喜くんからかけてきたのに?」

「顔見た方が、誕生日っぽいかなって」

 

言ってから、自分でもよく分からない理由だと思った。

 

千夏も画面の向こうで目を丸くしていた。

大喜は姿勢を直す。

 

「ちーちゃん、誕生日おめでとう」

 

数秒、返事がなかった。画面が止まったのかと思い、大喜がスマホを動かす。

 

「聞こえた?」

「聞こえてるよ」

 

千夏は口元を手で隠した。

 

「ありがとう」

「なんで隠すの?」

「今、たぶん変な顔してるから」

「いつもと同じだけど」

「それ、どういう意味?」

「悪い意味じゃないよ」

 

普段ならすぐ返せる冗談だった。

けれど、大喜が「おめでとう」と言った時の声が、千夏の耳にはまだ残っていた。

 

「メッセージだと思ってた」

「その方がよかった?」

「そういうことじゃないよ」

 

千夏は机の上にスマホを立てかけた。画面が安定し、後ろに練習着の入ったバッグが見えた。

 

「電話、嬉しい」

 

大喜は窓の外へ顔を向けた。暗いガラスに、自分の顔が薄く映っている。

 

「なら、よかった」

 

廊下の奥から、部屋で話している選手たちの声が聞こえた。千夏の部屋からも、階下で食器を片づける音が届く。

 

「ケーキ食べた?」

「食べたよ。ろうそくが多くて、お父さんが途中で刺す場所なくなってた」

「十四本?」

「数字のろうそくにすればよかったのに、一本ずつ買ってきたの」

「全部立てた?」

「端の方、火が近すぎてクリーム溶けてた」

 

大喜が笑う。千夏も笑った。

 

誕生日らしい話をしている間だけ、全国へ届かなかった試合が、画面の外へ置かれていた。

 

話題が途切れると、大喜は窓枠に背を預けた。千夏が先に尋ねる。

 

「合宿、どう?」

「きつい」

「それは聞かなくても分かる」

「今日、同じ人に何回も同じところ狙われた」

「直せた?」

「直そうとしたら、今度は逆に打たれた」

「じゃあ、まだ直せてないね」

「そうなんだよね」

 

大喜はスマホを持ち直した。

誰かに話すと、失敗した場面が少しだけ違って見えた。恥ずかしい失敗ではなく、次に直す場所として口にできる。

 

「でも、来てよかったと思う」

「うん」

「全国に出てないのに、俺がここにいていいのかなって最初思ったけど」

 

千夏はすぐには返さなかった。

大喜がそんなふうに考えていたことが意外だった。

 

自分から見れば、大喜が代表合宿に呼ばれるのは不思議ではない。小学生で全国優勝し、海外遠征も経験している。けれど大喜の中には、兵藤に届かなかった一本がまだ残っている。

 

「大喜くん」

「何?」

「私、メッセージですごいって送ったよね」

「うん」

「嫌だった?」

 

大喜は首を振った。

 

「ちーちゃんのは嬉しかった」

 

答えが早すぎたことに気づき、大喜は言葉を足した。

 

「合宿、行っていいって言われた感じがしたから」

「行っていいに決まってるよ」

 

千夏の声が強くなる。

 

「負けたからって、次に呼ばれたところまで行かないのは違うでしょ」

「うん」

「大喜くんが呼ばれたのは、それまで頑張ってきたからだよ」

 

言い終えてから、千夏は口を閉じた。

さっきまで心配していた自分が、今度は「すごい」と同じことを別の言葉で伝えている気がした。

 

だが、大喜は困った顔をしなかった。

 

「ちーちゃんに言われると、そうかもって思える」

 

画面越しに目が合う。

千夏は何か返そうとして、机の上に置いていたタオルを畳み直した。一度畳んだものを開き、端を合わせ、また同じ形にする。

 

「私も、早く次の試合したい」

「もう練習してるんでしょ?」

「してるよ。でも、まだ夢佳とちゃんと話せてない」

 

大喜は黙って待った。千夏は畳んだタオルの上へ手を置く。

 

「試合の後、夢佳だけのせいじゃないって言ったの」

「うん」

「そしたら、分かってるけど今は無理って言われた」

「そっか」

「私、励ますつもりだったんだけど。夢佳が悪いって思ってるみたいに聞こえたのかもしれない」

「ちーちゃんは、そういう意味で言ったんじゃないんでしょ?」

「うん。でも、言った後に違うって思っても、もう言っちゃったから」

 

大喜は関東大会の後を思い出した。

 

一年生でここまで来たのはすごい。

来年は行ける。

 

優しい言葉だった。

言った人を嫌だと思ったわけでもない。

 

それでも、その時は受け取れなかった。

 

「俺も、負けた後にすごいって言われて、返事に困った」

 

千夏が顔を上げる。

 

「嫌だった?」

「嫌じゃない。でも、今はそこじゃないって思った」

「夢佳も、そうだったのかな」

「分からない。夢佳ちゃんじゃないから」

「そうだよね」

 

大喜は正しい答えを持っていなかった。千夏も、答えを求めて話したわけではなかった。

 

「明日、夢佳ちゃんは練習来るの?」

「分からない」

 

千夏はバッグへ目を向けた。

 

「でも、私は行く」

「うん」

「来たら、もう一回話してみる。話せなかったら、一緒に練習する」

「それがいいかは分からないけど」

「そこは、いいと思うって言ってよ」

「だって、俺も分からないし」

「正直すぎる」

 

千夏は頬を膨らませた。けれど、すぐにその表情を崩した。

 

「でも、大喜くんらしいね」

「褒めてる?」

「たぶん」

「たぶんなんだ」

 

二人の笑い声が重なる。

大きく笑うような話ではなかった。それでも、普段なら返せる言葉が戻ってきたことが、千夏には嬉しかった。

 

沈黙が来ても、今度は慌てて話題を探さなかった。

 

大喜は窓の外を見る。

千夏はタオルから手を離す。

 

違う大会で負けた。

悔しかった一本も違う。

 

一人は合宿先にいて、もう一人は自分の部屋にいる。

 

それでも、その夜だけは、どちらかが相手を励ます側ではなかった。

 

千夏が画面へ顔を近づけた。

 

「大喜くん」

「何?」

「今日、誕生日って感じ、あんまりしてなかったんだ」

「ケーキ食べたのに?」

「ケーキは食べたけど」

「じゃあ、今は?」

 

千夏はすぐには答えなかった。

 

机の上のスマホを持ち上げる。画面の中では、大喜が合宿先の廊下に立っている。練習後なのか、前髪がまだ整っておらず、首にはタオルがかかったままだった。

 

「今は、した、かな」

 

大喜は照れたように笑った。

 

「よかった」

 

廊下の奥から、同室の選手が大喜を呼ぶ声がした。

 

「猪股、ミーティングの時間!」

 

大喜は後ろを振り返る。

 

「今行きます!」

 

返事をしてから、画面へ向き直った。

 

「ごめん、戻らないと」

「うん。呼ばれてたね」

「帰ったら、合宿の話する」

「負けた試合の話も聞かせて」

 

大喜は一度瞬きをした。

強くなった話ではなく、負けた話も聞くと言われた。

 

「うん」

「私も、夢佳と話せたら話す」

「話せなくても、教えて」

 

千夏は頷いた。

 

「分かった」

 

大喜は通話終了の表示へ指を近づける。

 

「じゃあ、もう一回だけ」

「何?」

「誕生日おめでとう、ちーちゃん」

 

千夏は今度は顔を隠さなかった。

 

「ありがとう、大喜くん」

 

通話が切れ、画面が暗くなる。

 

大喜が部屋へ戻ると、同室の選手がベッドの上から顔を上げた。

 

「誕生日?」

「はい」

「誰の?」

「幼馴染です」

「女の子?」

「そうですけど」

「テレビ電話で祝うんだ」

 

大喜は自分のベッドへ腰を下ろし、スマホを枕元に置いた。

 

「昔から知ってるので」

「何歳から?」

「物心つく前からですね、生後数ヶ月だとか」

 

相手は何か言いたそうな顔をしたが、ミーティング開始を告げる声が廊下から聞こえ、話はそこで途切れた。

 

大喜はノートとペンを持ち、立ち上がる。

 

部屋を出る直前、スマホの画面がまだ暗いことを確認した。それからポケットへ入れ、廊下へ出た。

 

翌朝。

 

体育館に並んだ選手たちの前で、合宿の監督がシャトルを持ち上げた。

 

「反応してから動くな。相手が打つまでに、相手を読んで先に動ける状態を作れ」

 

大喜は腰を落とす。

昨日までなら、相手のラケットが動く瞬間を見逃すまいと、上半身へ意識を集めていた。

 

今日は足の裏で床を捉えた。

 

前にも後ろにも決めつけない。けれど、どちらへでも出られるようにする。

 

シャトルが放たれる。

 

大喜は一歩目を出した。

 

兵藤との最後の一本は、まだ消えていない。

 

千夏たちの夏も、夢佳との会話も、まだ終わってはいない。

 

それでも、次の球はもう飛んできていた。

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