Another Childhood   作:やまうぇ

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第14話 名前が先に行く

強化合宿の最終日、大喜は朝から同じ球を何度も取り損ねていた。

 

相手役の選手が、身体の近くへ速い球を送ってくる。大喜はラケットを出して返す。触ることはできる。けれど、返した後の足が止まり、次に奥へ送られると一歩目が遅れた。

 

指導者が球出しを止める。

 

「猪股。今、一本目を返すことしか考えてないだろ」

「……はい」

「反応は間に合ってる。返した後の準備が遅い。もう一本来る前提で立て」

 

大喜はコート中央へ戻った。

 

前にも後ろにも体重を預けすぎない。相手が打つ前から動ける状態を作る。ただし、先に行き先を決めない。

 

言葉では分かっている。

 

それでも、身体の近くへ強い球が来れば、返すことに意識を持っていかれる。次の一球が見えた時には、床を蹴る足が遅れている。

 

もう一度、シャトルが飛んでくる。

 

大喜は身体の前で受けた。

 

返す。

中央へ戻る。

奥へ来る。

 

今度は、間に合った。

 

打点は低くなったが、シャトルを相手コートへ返す。続いてネット際へ落とされた球にも、ラケットを出した。

 

三本目を返したところで、指導者が声を上げる。

 

「今の感覚を忘れるな。一本取ったところで、ラリーは終わってない」

「はい」

「次が来るぞ」

 

大喜は慌てて中央へ戻った。

 

隣のコートから笑い声が聞こえる。大喜も口元を緩めたが、すぐに腰を落とした。

 

合宿に来てから、何度同じ注意を受けただろう。

 

反応だけに頼らない。

先に準備する。

読んだつもりで、足を止めない。

 

最後の練習を終えた後、大喜は体育館の壁際に座り、ノートを開いた。汗で湿った手をタオルで拭いてから、今日指摘された内容を書き込んでいく。

 

身体の近くへ打たれた後、戻りが遅い。

右前へ出た時、踵が落ちる。

相手のラケットを見ることに集中しすぎて、自分の足が止まる。

 

ページの上には、関東大会の後から増えた文字が並んでいた。

 

兵藤との最後の一本も、その中にある。

 

ネットを越えなかった返球。倒れかけた兵藤が差し出したラケット。奥へ意識を移したために遅れた一歩。

 

思い出せば、今でも指先にシャトルへ触れた感覚が戻ってくる。けれど、合宿では一つの球を長く悔やんでいる余裕がなかった。

 

拾えなければ、すぐ次の球が来る。

拾えても、返し方が甘ければ叩かれる。

 

一つ直すと、それまで見えていなかった別の遅れが見つかる。

 

大喜はページの端に、短く書いた。

 

次の一本まで準備する。

 

書いた文字を読み返し、最後の「する」を二重線で消した。

 

次の一本まで準備。

 

その方が、今の自分には合っている気がした。

 

ノートを閉じると、体育館では他の選手たちも荷物をまとめ始めていた。数日間続いた合宿が終わる。

 

帰れば、また栄明中の体育館が待っている。

 

関東大会の敗北が消えたわけではない。

それでも、帰る時のノートは、来た時より数ページ重くなっていた。

 

夏休みが終わる少し前、栄明中では登校日があった。

 

教室には宿題を抱えた生徒と、部活のために早く来た生徒が入り混じっている。夏休み中の出来事を話す声が重なり、窓の外からはグラウンドで練習する運動部の掛け声が聞こえてきた。

 

大喜は自分の席で、合宿のノートを見返していた。

疲れている時に書いたページは字が乱れている。内容を思い出しながら読み直していると、机の前に影が落ちた。

 

匡が一冊の雑誌を持って立っていた。

 

「大喜、これ見た?」

「何?」

 

匡は表紙をこちらへ向けた。

ジュニア世代のバドミントン選手を扱う雑誌だった。大会結果や選手紹介、強化合宿の記事が載っている。

 

大喜は表紙を見てから、匡の顔を見る。

 

「匡が買ったの?」

「結果を見ようと思って」

「俺の記事を探したんじゃなくて?」

「まだ何も言ってないけど」

 

匡は大喜の机へ雑誌を置き、付箋が挟まれたページを開いた。

 

見開きの端に、数人の選手の写真が並んでいる。

 

その中に、大喜の姿があった。

 

試合中、相手の返球を待っている写真だった。ラケットを身体の前に構え、膝を曲げている。目はシャトルの方へ向いているが、口元には力が入っていた。

 

写真の下には、短い紹介文が載っていた。

 

小学生全国王者。中学一年で関東大会上位進出。世代別強化合宿にも選出され、来年の全国大会候補として注目を集める。

 

大喜は最初に自分の名前を見て、その後、文章をもう一度最初から読んだ。

 

「載ってる」

「載ってるな」

「本当に俺?」

「写真も大喜だよ」

「ほんとだな」

 

大喜はページへ顔を近づけた。

紙の中の自分は、ずいぶん真面目な顔をしていた。試合中なのだから当然のはずなのに、自分が普段している表情とは違って見える。

 

匡が写真を指す。

 

「顔、固いな」

「最初に言うの、そこ?」

「記事の内容は読めば分かるし」

 

後ろの席に鞄を置いていた雛が、二人の間へ顔を出した。

 

「何の話?」

「大喜が雑誌に載った」

「見せて」

 

雛は匡の肩越しにページを覗き込んだ。写真を見た途端、眉を上げる。

 

「固いね」

「二人とも同じところしか見ない」

「だって、証明写真みたい」

「ラケット持った証明写真なんてないでしょ」

「試合してます、っていうより、絶対に瞬きしませんって顔」

「そんな顔してないよ」

 

大喜が抗議すると、雛は雑誌と大喜の顔を交互に見比べた。

 

「今の方が大喜っぽい」

「何が違うの?」

「今は眉間に力入ってない」

 

言われて、大喜は自分の額に触れた。

雛は新体操の大会で撮られた写真を思い出したのか、ページを見ながら続ける。

 

「でも、写真って変なんだよね。一瞬しか写ってないのに、ずっとそういう顔で試合してたみたいに見えるから」

「雛も載ったことあるの?」

「あるよ。私はすごくきれいに決まってる写真だった」

「自分で言うんだ」

「だって本当に決まってたし。ただ、その直前に手具落としてるけど」

 

大喜は写真から雛へ顔を上げた。

 

「それ、記事には?」

「載ってない。成功した方だけ」

 

雛は平然と言ってから、紹介文へ目を移した。

 

「大喜も同じじゃない?関東大会で負けたことは書いてあるけど、最後のシャトルをネットにかけたとか、合宿で何回も同じところを狙われたとかは書かれてない」

 

大喜は机の上のノートを見た。

そこには、雑誌に載っていないことばかり書かれている。

匡が紹介文の最後を指でなぞった。

 

「来年の全国大会候補、だって」

「早いよ」

 

大喜は思わず言った。

 

「何が?」

「記事が。俺、まだ合宿で言われたことも直せてないのに、もう来年の全国まで行ってる」

 

雛は腕を組み、紹介文を読み直した。

 

「読む人は、次にどうなるかを知りたいんじゃない?」

「そうなんだろうけど」

「大喜は、まだ次じゃないの?」

 

雛の問いに、大喜は答えず、開いていたノートの角を指で押さえた。

 

関東大会は終わっている。強化合宿も終わった。

 

次へ進まなければならないことも分かっている。

 

それでも、次へ進むことと、終わった試合をきれいに片づけることは同じではなかった。

 

匡が大喜の手元を見る。

 

「雑誌の大喜は来年の全国候補だけど、今の大喜はパンの袋が開かなくて困ってる」

 

大喜の机には、昼食用に持ってきたパンが置かれていた。袋の端は途中まで裂けた後、妙な方向へ曲がっている。

 

「困ってない」

「開いてないよ」

「今から開けるところ」

 

雛がパンの袋を見て笑う。

 

「全国候補、包装に苦戦」

「まだ負けてないから」

「記事にする?」

「しなくていい」

 

大喜は袋の反対側から開け直した。今度は簡単に開く。

 

「ほら」

「再戦で勝利」

「もういいって」

 

三人が笑っているところへチャイムが鳴った。

匡は雑誌を閉じようとしたが、大喜は一度その手を止めた。

 

「今日、貸して」

「いいけど」

「サンキュー」

 

匡は雑誌を大喜の机へ残し、自分の席へ戻った。

閉じられた表紙の下には、もう自分の名前は見えない。

 

それでも、一度読んだ「来年の全国大会候補」という文字は、大喜の中に残った。

 

昼休みになる頃には、雑誌の記事を見た生徒が増えていた。

教室へ戻る途中、別のクラスの男子に声をかけられる。

 

「猪股、雑誌載ってたな」

「うん」

「来年は全国だろ?」

「まだ予選も始まってないよ」

「でも候補って書いてあったじゃん」

「候補は、出場決定じゃないから」

 

大喜がそう返すと、相手は笑いながら肩を叩いた。

 

「猪股なら行けるって」

 

応援してくれているのは分かっていた。

 

大喜は「ありがとう」と答えた。

 

教室へ入れば、今度はクラスメイトが記事の写真を見たいと言う。

 

廊下では強化合宿について聞かれ、階段では全国大会の話を振られた。

 

同じ質問に、少しずつ言葉を変えて答える。

 

合宿はきつかった。

強い選手ばかりだった。

来年のことは、まだ分からない。

 

けれど、何度答えても、周囲の話は最後には同じ場所へたどり着いた。

 

次は全国だ。

来年は勝つ。

大喜なら行ける。

 

その言葉が嫌なわけではない。期待されることから逃げたいわけでもなかった。

 

ただ、口にする人たちの中では、来年の大喜がもう試合会場に立っているように聞こえた。

 

本人はまだ、夏休み最後の登校日の教室にいる。

机の中には提出前の宿題があり、足元には合宿で使ったラケットバッグがある。

 

放課後、体育館へ入ると、男子バドミントン部でも雑誌の記事が話題になっていた。

 

同じ一年の部員が、大喜の姿を見つけて駆け寄ってくる。

 

「猪股、記事見た。来年の全国候補って書いてあったな」

「候補って書かれてるだけだよ」

「書かれるだけでもすごいって。俺なんか大会結果の一覧に名前載るだけで喜ぶよ」

 

相手は笑っていたが、声には羨ましさも混じっていた。大喜は返す言葉を探す。

 

「一緒に載れるように頑張ろう」

 

言ってから、違ったかもしれないと思った。

相手は一瞬だけ目を丸くし、それから苦笑した。

 

「それ、全国候補に言われると結構重いな」

「あ、ごめん」

「謝るなよ。余計にへこむから」

 

冗談めかした声だった。

大喜も笑ったが、自分が何を言えばよかったのかは分からなかった。

 

同じ部にいても、見られている場所は同じではない。

誰かに期待されることが重いと感じながら、その期待を得たいと思っている選手もいる。

 

大喜が雑誌に載らない方がよかったと言えば、相手の気持ちを雑に扱うことになる。

 

かといって、素直に喜ぶだけでは、まだ届いていない自分を見失いそうだった。

 

大喜はラケットバッグを置き、練習用のグリップへ巻き替え始めた。

 

そこへ、針生がシャトルの入ったかごを持ってくる。

 

「大喜、入れ」

「はい」

「合宿帰りの動き、見せろ」

 

大喜は巻きかけのグリップを急いで押さえた。

 

「今からですか?」

「雑誌読む時間はあったんだろ」

 

大喜の手が止まる。

 

「見たんですか?」

「部室で朝から騒いでたら、嫌でも聞こえる」

「写真、固かったですか」

「そんなの知らないな」

「見てないんですか?」

「写真でシャトル返せるなら、今から見てやるよ」

 

針生はネットの向こう側へ歩いていく。

大喜はグリップの端をテープで留め、コートへ入った。

針生がラケットを構える。

 

「何持って帰ってきた」

「先に準備することと、読んでも足を止めないことです」

「口ではできてるな」

「言い方」

「じゃあ、俺も教えてもらおうかね」

 

針生は同じ構えから、ネット際へシャトルを落とした。

大喜が一歩出る。

次の球は奥。

 

大喜は身体を反転させたが、一歩目で床を強く踏みすぎた。足が詰まり、シャトルの下へ入るのが遅れる。

 

どうにか返した球は、コート中央へ浮いた。

 

針生が打ち込む。

 

シャトルが大喜の足元へ落ちた。

 

「今の、最初から前って決めてただろ」

「落とすと思ったので」

「思うのはいいが、それなんじゃないのか?」

 

大喜はシャトルを拾い、針生へ返した。

 

「もう一本お願いします」

「言われなくても」

 

次も、同じ構えだった。

 

前か、奥か。

 

今度は先に決めない。大喜は床を細かく踏み、どちらへでも動ける状態で待った。

 

針生が奥へ送る。

大喜は下がる。

追いつく。

返した後、中央へ戻る。

今度は前。

 

踏み込んで、ネットより低い位置からシャトルを持ち上げた。

 

また奥へ来る。

 

大喜は歯を食いしばり、後ろへ走った。

 

ラリーが続く。

 

針生は大喜が拾うほど球を速くした。前後だけでなく、身体の近くへも打ってくる。合宿で何度も遅れた場所だった。

 

大喜はラケットを立て、身体の前で受ける。

 

返した直後に足を動かし、次の球へ入る。シャトルを打ち返す音が、一定の間隔で体育館に響いた。

 

針生がクロスへ沈めた球に、大喜は飛びついた。

床に片手をつきながらも、シャトルをネットの向こうへ返す。

針生のラケットが届かず、シャトルがコートへ落ちた。

 

「よし」

 

大喜が声を漏らす。針生は落ちたシャトルを見た後、舌打ちした。

 

「今のまで取るかよ」

「取りました」

「見れば分かる」

 

針生は不満そうにシャトルを拾ったが、次に構えた時の口元は緩んでいた。

 

大喜は息を整えながら、腰を落とす。

 

「もう一本」

「調子乗んな、全国候補」

 

大喜は顔を上げた。

 

「やっぱり見たんじゃないですか」

「見てねえ。うるせえから覚えただけだ」

「同じです」

「違う。次いくぞ」

 

針生がシャトルを上げる。大喜は言い返すのをやめ、足を動かした。

 

雑誌の文章も、廊下で言われた言葉も、ラリーが続く間は頭から消えた。

 

取れなかった球が来る。

次はどう動くかを選ぶ。

判断が遅れれば届かない。

読みすぎれば逆を取られる。

 

コートの中にいる時だけは、来年の自分ではなく、今の身体で打つしかなかった。

 

練習が終わる頃、大喜のシャツは汗で背中に張りついていた。針生から受け取ったシャトルをかごへ戻す。

 

「合宿前よりはマシになったな」

「それ、褒めてます?」

「全国候補なら自分で考えろ」

「やっぱ記事読んでますよね」

 

針生は答えず、シャトルのかごを持って歩いていった。

 

翌朝、大喜は栄明中へ向かう道で千夏と会った。

千夏は大喜に気づくと、歩く速さを合わせた。

 

「雑誌、見たよ」

 

大喜は昨日から何度も聞いた言葉に、肩をすくめた。

 

「ちーちゃんも?」

「花恋が写真を送ってきたから、帰りに本屋で読んだ」

「買ったの?」

「今回は立ち読み」

「今回は?」

 

千夏は大喜を見る。

 

「前にも、大喜くんが載ってる雑誌を買ったことあるでしょ」

 

小学生の頃だった。本屋で偶然見つけた、小さな写真と紹介文。何度も同じページを開き、花恋にからかわれた。

 

あの時は、雑誌の中の大喜ばかり見ていた。

 

知らない大会で勝ち、知らない人に名前を読まれている大喜。その姿から、自分も前へ進みたいと思い、夢佳と栄明を目指すきっかけにもなった。

 

大喜は記憶をたどるように首を傾げた。

 

「小学生の時の?」

「うん」

「よく覚えてるね」

「大喜くんが載ってたから」

 

千夏は迷わず答えた後、自分の言葉が真っすぐすぎたことに気づいた。言い直す代わりに、バッグの位置を肩へ戻す。

 

大喜は気づいた様子もなく尋ねた。

 

「今回の写真も固かった?」

「固かった」

「やっぱり」

「匡君と雛ちゃんにも言われた?」

「最初に言われた」

 

千夏は笑った。

 

「でも、今回は写真より、記事を読んだ大喜くんがどんな顔するのかなって思った」

 

大喜の歩みが緩む。

 

「俺の顔?」

「前は、雑誌の中の大喜くんを見てたから」

「今は違うの?」

「今は、本人が近くにいるし」

 

千夏は前を向いたまま答えた。

 

「大喜くん、あの記事、嬉しかった?」

 

大喜はすぐには答えなかった。

雑誌に載ったこと自体は嬉しい。小学生の頃から積み重ねてきたものを、知らない人にも見つけてもらえた。

けれど、紹介文を読み終えた時、最初に感じたのは喜びだけではなかった。

 

「嬉しいよ」

 

大喜は歩きながら言う。

 

「でも、変な感じもした」

「変?」

「記事の俺は、もう来年の全国に行きそうだったから」

「行きたくないの?」

「行きたいよ」

 

大喜の返事は早かった。

 

「絶対行きたい。でも、今の俺は合宿で同じ球を何回も取れなくて、昨日も針生先輩にそこばっかり狙われた」

 

千夏は記事の文章を思い返す。

来年度の全国大会出場が期待される。

そこには、大喜が昨日取り損ねたシャトルのことは書かれていない。

 

「じゃあ、大喜くんが記事より遅れてるってこと?」

「え」

 

大喜の顔が曇る。千夏は慌てて首を振った。

 

「あ、えっと違う。そうじゃなくて」

「結構はっきり言ったけど」

「記事が勝手に早いねって」

「記事が?」

「だって、大喜くんに聞かないで、もう来年まで行ってるから」

 

大喜は一度瞬きをし、それから吹き出した。

 

「雑誌に聞かれる人なんていないでしょ」

「でも、本人より先に決めるのはずるい」

「ずるいの?」

「大喜くんは今日の練習してるのに」

 

千夏は真面目な顔で言う。

大喜は笑いを残したまま、ラケットバッグの肩紐を直した。

 

「ちーちゃんに言われると、記事の方が悪い気がしてきた」

「悪いとは言ってないよ。載ったのはすごいし、私も嬉しかった」

「どっち?」

「両方」

「ずるいって言ったのに?」

「そこは別」

 

千夏は言い切り、歩調を上げた。大喜も隣へ並ぶ。

 

小学生の頃、千夏は雑誌の中の大喜を見て、自分の知らないところへ進んでいくように感じた。

 

今は違う。

 

記事の中で名前だけが先へ進んでも、隣を歩く大喜は、そのことに戸惑い、今日の練習を考えている。

千夏が見ているのは、完成した紹介文の中の選手だけではなかった。

記事には載らない失敗を持ち帰り、次の日も体育館へ向かう大喜だった。

 

「今日、何の練習するの?」

 

千夏が尋ねる。

 

「身体の近くに打たれた後の戻り。あと、前に出た後に踵を落とさない」

「細かいね」

「そこ狙われると負けるから」

「じゃあ、私も今日は五十本」

「何が?」

「夢佳にパス出す」

 

大喜は千夏の顔を見る。

 

「夢佳さん、練習来てる?」

 

千夏の返事が遅れた。

 

「来てるよ」

「話せた?」

「普通の話はする。練習の話も」

「試合の話は?」

「してない」

 

千夏は前を向いたまま答えた。

 

「夢佳からも言わないし、私から聞くのも違う気がして。テレビ電話の後、話してみようと思ったんだけど、結局ちゃんとは話せてない」

 

「でも、一緒に練習はしてるんだよね」

「うん」

「パスは取ってくれる?」

 

千夏は大喜を見る。

 

「取ってくれるよ」

「じゃあ、練習中に無理に話さなくていいんじゃない?」

「どうして?」

「俺だったら、苦しい球打ってる時に急に大事な話されたら、たぶん拾えない」

 

千夏は思わず笑った。

 

「夢佳、そこまで不器用じゃないよ」

「じゃあ、ちーちゃんがパス出せば取ってくれるんでしょ」

「うん」

「なら、今はそれでいいんじゃないかな」

 

その言葉が妙に大喜らしかった。

正しい答えを出そうとしているのではなく、自分が分かる範囲で考えている。

 

千夏は足元に落ちていた小石を避ける。

 

「今日もパス出してみる」

「毎日出してるんじゃないの?」

「そうだけど。今日はちゃんと相手を見る」

「いつも見てるでしょ」

「大喜くん、たまに細かいね」

「ちーちゃんが変な言い方するから」

 

二人は校舎へ入り、体育館へ向かった。朝の体育館には、まだ部員の姿がない。

 

千夏はバスケコートへ進み、大喜はバドミントンコートのネットを準備する。それぞれの場所へ向かう前、千夏はボールを一度床へついた。

 

大喜がネットの高さを確認する。

 

千夏がシュートを打つ。リングへ当たったボールが、手前へ跳ね返る。自分で拾い、もう一度同じ場所へ戻った。

 

大喜もシャトルを持ち、合宿で繰り返した動きを始める。

相手はいない。それでも、返した後に次の球が来るつもりで足を動かす。

 

しばらくすると、体育館の扉が開いた。

 

女子バスケ部の部員たちが入ってくる。夢佳もその中にいた。

 

千夏はボールを腰の横へ抱え、夢佳の方を見る。

 

「おはよう、夢佳」

「おはよ、ナツ。もう汗かいてるじゃん」

「夢佳が遅いんだよ」

「朝から元気すぎ」

 

夢佳は以前と変わらない調子で返し、ボールかごから一つ取った。

 

けれど、シュート位置へ向かう前に、リングを見上げる時間があった。

 

誰かが気づくほど長い時間ではない。

 

千夏は何も言わず、夢佳の前へ回った。

 

「パス出すよ」

「何本?」

「十本。外したら最初から」

「それ、ナツの気分で増えてない?」

「嫌なら全部決めて」

「言ったな」

 

夢佳は構える。

 

千夏がパスを出す。夢佳が受け、シュートを放つ。

 

一本目は入った。

二本目も入る。

三本目がリングの外側に当たり、横へ跳ねた。

 

夢佳は舌打ちする。

 

「今の、パス低い」

「人のせいにしないで」

「もう一回」

 

千夏はボールを拾った。試合のことには触れない。励ましの言葉もかけない。

 

ただ、今度は夢佳が取りやすい高さへパスを出す。

 

夢佳は両手で受けた。その瞬間だけ、二人の視線が合った。

 

夢佳は何も言わず、膝を曲げる。

 

シュートがリングを通った。

 

隣のコートで、大喜は足を動かし続けていた。

千夏と夢佳が何を考えているのかは分からない。

ボールの音だけが、一定の間隔で聞こえてくる。

 

大喜は、自分の前に相手がいるつもりでラケットを構えた。

 

一本返した後に足を止めない。

次がどこへ来ても動けるようにする。

 

放課後、男子バドミントン部の練習前に、監督が部員たちを集めた。

 

大喜の記事が載った雑誌は、部室の棚に置かれている。休憩中に読んだ部員も多く、まだ話題は続いていた。

 

監督は全員を見回す。

 

「雑誌に名前が載った者もいるが、記事はこれまでの結果と、書いた人間の予想だ」

 

何人かの視線が大喜へ向く。大喜はラケットを身体の横へ下ろしたまま、顧問を見る。

 

「載った本人も、周りも、それで練習内容を変える必要はない。名前でシャトルは返せないからな」

 

短い言葉だった。

 

監督はすぐに今日の練習メニューを読み上げ始めた。

部員たちもそれぞれの位置へ散る。

 

大喜はラケットを握り、コートへ入った。

 

名前でシャトルは返せない。

 

その言葉を頭の中で繰り返すことはしなかった。

先輩が球出しの位置につき、すぐに最初のシャトルを上げたからだ。

 

大喜は一歩目を出す。

前へ入る。

返す。

戻る。

次の球を追う。

 

練習後、大喜は壁際に座ってノートを開いた。机ではなく膝の上だったため、文字が少し斜めになる。

 

先を意識しすぎない。

身体の近くを返した後、ラケットを下げない。

取った球ではなく、その次まで。

 

今日できなかったことを書き、その下に明日確認する内容を一つ加える。

 

ノートの脇には、匡から借りた雑誌が置かれていた。

開けば、来年の全国大会候補として紹介された自分がいる。

大喜は雑誌を開かず、ノートの次のページをめくった。

 

新しいページの上に、明日の日付を書く。

 

雑誌の中の名前は、もう来年へ進んでいた。

ノートに書かれているのは、今日取れなかった三本だった。

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