Another Childhood   作:やまうぇ

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第18話 あと一本

全国大会の会場は、入口の手前から普段の体育館とは違っていた。

 

各県の名前が入ったジャージを着た選手たちが、ラケットバッグを背負って受付の列を作っている。階段を上がる保護者や部員の手には大会プログラムがあり、壁に貼られた組み合わせ表の前では、何人もの人が指で線を追っていた。

 

体育館の奥から、シャトルを打つ乾いた音が聞こえてくる。試合前の練習だけでも、音が途切れることはなかった。

 

大喜は受付を済ませると、組み合わせ表の前に立った。

 

猪股大喜。

 

自分の名前は、一回戦の欄に印刷されている。その先には、まだ顔も知らない選手の名前が並び、反対側の山には針生の名前があった。

 

昨年は関東大会で敗れた。代表合宿には呼ばれたが、全国のコートで一勝したわけではない。

ここでは、小学生の全国優勝者という紹介だけで試合は進まなかった。

隣に立った匡も、組み合わせ表へ顔を近づける。

 

「一回戦からだな」

「うん」

「針生先輩とは?」

「決勝まで当たらない」

「そこまで行けば、だけど」

「行くよ」

 

大喜の返事は早かった。

匡は大喜の横顔を見た後、自分の手に持っている大会プログラムを閉じた。

 

「じゃあ、先に俺が席取ってくる」

「ありがとう」

 

大喜が振り返ると、匡はもう観客席へ向かっていた。

 

栄明の部員たちは、コートを見下ろせる位置にまとまって座っていた。雛も応援に来ており、ペットボトルを二本抱えている。

 

大喜が荷物を置くと、雛は一本を差し出した。

 

「大喜、これ」

「俺の?」

「予備。試合の日、飲むの忘れそうだから」

「忘れないよ」

「昨日までの大喜ならね」

 

大喜はペットボトルを受け取り、ラケットバッグの横へ置いた。

 

観客席の入口がざわついたのは、その直後だった。

千夏と花恋が並んで階段を上がってくる。

 

千夏は栄明の生徒たちにも知られている。女子バスケ部の中心選手で、朝から体育館にいる一つ上の先輩。隣を歩く花恋を知っている者は少なかったが、二人が一緒にいるだけで周囲の顔が自然とそちらへ向いた。

 

小さな声が近くから聞こえる。

 

「鹿野先輩だ」

「隣の人、誰?」

「モデルみたい」

「友達かな」

 

千夏は聞こえていないように歩いていたが、花恋は周囲を見回して口元を緩めた。

 

「ちー、見られてる」

「花恋もでしょ」

「私は知らない人がいるから」

「それだけじゃないと思う」

「千夏がそれ言う?」

 

花恋は楽しそうに笑った。

二人が栄明の席へ近づくと、千夏が匡と雛へ花恋を紹介した。

 

「匡くん、雛ちゃん。こちら花恋。私と大喜くんの幼馴染で、針生君とも昔から知り合いなの」

「花恋です。今日は二人の応援で来ました」

「蝶野雛です。大喜、こんな美人な幼馴染が二人もいるなんて聞いてない」

「今言うこと、それ?」

 

少し離れた場所で準備をしていた大喜が振り返る。

花恋は大喜へ手を振ってから、千夏の肩へ軽く触れた。

 

「ほら、千夏。やっぱり見られてるって」

「花恋も同じでしょ」

「私は今日だけだから」

「私も試合を見に来ただけだよ」

 

二人が並んで席につくと、花恋はコートを見下ろした。

 

「大喜くんが小学生の時の全国、見に行けなかったんだよね」

「うん。部活があったから」

「じゃあ今日は、最初から見ないと」

「そのつもり」

 

千夏は膝の上に置いた差し入れの袋を持ち直した。

 

大喜の一回戦が始まる。

相手は大喜より背が高く、浅い返球へ迷わず踏み込んできた。短いサーブを浮かせ、次の打てる球も奥へ逃がした大喜は、最初の二点を続けて失う。

 

普段通りに見える動きの中で、ラケットを握る肩だけが高かった。

 

観客席で、雛がペットボトルの蓋へ指を置く。

 

「大丈夫かな」

「まだ二点」

「分かってるけど、硬くない?」

「硬い」

 

匡は大喜のラケットではなく、打った後の足を見ていた。

 

「でも、戻れてる」

「じゃあ合ってくる?」

「たぶん」

 

三本目。相手の返球が中央へ浮く。大喜は前日の練習で止まった腕を振り切ったが、シャトルはサイドラインの外へ落ちた。

 

三対〇。

 

次に同じ高さの球が来た時は、力を抑えて相手の身体の横へ送った。崩れた返球をネット前へ沈め、最初の一点を取る。

 

そこからは急がなかった。打てる球では振り切り、外しても同じ選択から逃げない。ラリーを重ねるうちに足が動き始め、中盤で追いつくと第1ゲームを奪った。

 

第2ゲームでは序盤から主導権を握り、初戦をストレートで勝ち切った。

礼を終えてコートを出ると、栄明の部員たちが声をかける。

 

「ナイス、大喜」

「初戦突破」

「ありがとうございます」

 

大喜は一つずつ頭を下げた。

通路へ出たところで、千夏が待っていた。

 

「大喜くん」

「ちーちゃん」

 

試合前より肩が下がっている。千夏はそれを見てから、手に持っていた袋を差し出した。

 

「これ、よかったら」

「ありがとう。何が入ってるの?」

「ゼリーとタオルと、塩分補給の飴。全部一気に使わなくていいからね」

「分かってるよ」

「朝から何回も荷物を確認する人は、試合が始まると逆に忘れそうだから」

 

大喜は袋の中を覗いた。

 

「匡たちにも同じこと言われた」

「じゃあ、忘れたら三人に怒られるね」

「それは困る」

 

大喜は袋をラケットバッグへ入れた。ファスナーを閉めかけて、ゼリーの位置が潰れないようにタオルの上へ置き直す。

 

「試合の合間に使う」

「うん。次も見てるね」

「行ってくる」

「今度は最初から肩下げてね」

「そこまで見てたの?」

「見に来たから」

 

大喜は返事をするまでに一拍かかった。

それから、照れたように笑う。

 

「分かった」

 

大喜がコートへ戻ると、花恋が入れ替わるように千夏の隣へ来た。

 

「差し入れ、ちゃんと使ってもらえそうだね」

「うん」

「今、袋の中を置き直してた」

「潰れないようにしただけでしょ」

「そこまで見てたんだ」

「見に来たから」

 

千夏が先ほどと同じ言葉を返すと、花恋は声を抑えて笑った。

 

二回戦の相手は体格が大きく、身体の近くへ来る強打にラケットを押された。

大喜は一度受け損ねた後、握りを短く持ち替え、同じ場所を面で受ける。球の重さに慣れると、浮いた返球へ先に入り、二点差で第1ゲームを取った。

 

第2ゲームも相手のミスを待たず、自分から攻めてストレートで勝ち切った。

 

三回戦の相手は、簡単には点を落とさない選手だった。

派手な強打はないが、決めたと思った球を何度でも中央へ返してくる。長いラリーに焦れた大喜は、早く終わらせようとして二本続けてネットへかけた。

 

観客席から見ていた匡が、膝の上で手を組み直す。

 

「今、急いだ」

「大喜が?」

「相手が全然崩れないから」

「疲れてるのかな」

「疲れてる。相手も」

 

雛は長いラリーを終えた二人を見る。

 

「こういう時、どっちが先に嫌になるかだね」

「新体操にもあるの?」

「同じ動きを何十回も直す時はあるよ。先に適当になった方が負け」

「試合じゃないけど、分かりやすい」

「試合じゃなくても勝ち負けはあるの」

 

大喜は次のラリーから、相手が崩れるまで余計な角度を狙わず、長く続くことを受け入れた。最後にクリアが短くなった時だけ踏み込み、ストレートへ打ち切る。

 

三回戦もストレートで取った。

 

反対側の山では、針生が二回戦で敗れた。

試合を終えた針生は、タオルを首にかけたまま観客席へ戻ってきた。花恋が席を立ち、通路へ出る。

 

「おつかれ」

「負けた」

「見てたよ」

「それが一番きついな」

 

針生はタオルで顔を覆い、すぐに外した。花恋は慰めるような声を作らず、手すりへ背中を預ける。

 

「途中、足痛めた?」

「ちょっと張っただけ。言い訳にはならない」

「言い訳にしろとは言ってないよ」

「じゃあ聞くな」

「聞かないと、また一人で怒ってるでしょ」

 

針生は返事をせず、コートを見た。

花恋も隣へ並ぶ。

 

「また次ね」

「すぐ次の話するなよ」

「じゃあ、今日は悔しがってていいよ」

「許可されると腹立つ」

「面倒くさいね」

 

針生は鼻で笑った。

 

「知ってる」

 

しばらくして、針生は準々決勝を控えた大喜のところへ来た。

 

「大喜」

「針生先輩」

 

大喜は針生の顔を見て、言葉を探した。

 

「……お疲れさまでした」

「そういう顔すんな」

「してません」

「してる。あと、俺の分まで勝つとか言ったら殴る」

「言おうとしてません」

「ならいい」

 

針生は大喜のラケットケースを手の甲で叩いた。

 

「俺の負けを、お前の荷物にするな」

「はい」

「お前は自分の試合だけやれ」

「針生先輩は?」

「俺は俺で勝手に悔しがる」

 

針生はそれだけ言い、観客席へ戻っていった。

 

準々決勝の相手は、シャトルへ触るまでが速かった。

大喜が奥へ送っても早い打点から押し返し、短く落とせば先に前へ入る。返す場所まで待たれ、序盤は五対一と離された。

 

大喜は一度シューズの裏を床へこすり、相手の位置を見直した。

 

観客席で、雛がスコアボードを見る。

 

「今までより離されたね」

「うん」

「匡、今回は合ってくるって言わないの?」

「俺に聞かないでよ」

 

匡はコートの中の大喜を見たまま答える。

 

「相手の方が先に、大喜の返す場所を待ってる」

「じゃあ、どうするの?」

「大喜が決める」

 

インターバルでも、大喜は水を一口だけ飲み、すぐに立ち上がった。

コーチからは、相手の速さへ無理に合わせないように言われた。どこへ返すかは、自分で決めなければならない。

 

大喜は空いた場所ではなく、相手の身体へ球を集めた。早く入られても大きく振らせず、短くなった返球へ自分から前へ出る。相手の速さを止める形をつかむと、点差は縮まった。

 

終盤は強打を身体の近くで受け、ネット際へ入ったままクロスへ押し返して第1ゲームを取る。第2ゲームも待たずに打点を選び、最後は短くなった球を迷わず沈めて勝ち切った。

 

準々決勝も勝ち切った。

 

二日目へ進むことが決まり、観客席から拍手が起こる。

 

コートを出た大喜は、タオルを頭からかぶった。足を止めると、息が一気に上がってくる。

匡が水筒を差し出す。

 

「お疲れ」

「ありがとう」

「最後、よく追いついたな」

「途中で足止まりそうだった」

「止まってなかった」

「外からだとね」

 

大喜は水を飲み、タオルで顔を拭いた。

雛が予備のペットボトルを掲げる。

 

「こっちも残ってるよ」

「ちゃんと持ってたから」

「差し入れも使った?」

「使った」

「確認ばっかりされてるね」

「信用ないな」

 

大喜は笑ったが、座ったまましばらく立ち上がらなかった。

会場を出る前、千夏が通路で待っていた。

 

「お疲れさま」

「ありがとう」

「足、大丈夫?」

「疲れたけど、大丈夫」

「今日はよく食べて、よく寝てね」

「みんな同じこと言う」

「みんな正しいこと言ってるから」

 

千夏は大喜のラケットバッグを見る。

差し入れの袋は、朝より薄くなっていた。

 

「ゼリー、飲んだ?」

「準々決勝の前に」

「じゃあ、次は水」

「ちーちゃんも確認すること増えてない?」

「三回確認する人に言われたくない」

 

大喜はタオルを肩へかけ直した。

 

「明日も来る?」

「来るよ」

「朝から?」

「最初から最後まで」

 

大喜の手が、ラケットバッグの肩紐で止まる。

 

「そっか」

「嫌だった?」

「違う。来てほしい」

 

前日と同じように、返事だけは早かった。

千夏は表情を緩める。

 

「じゃあ、今日は寝て」

「分かった」

「本当に?」

「帰ったら荷物確認してから」

「それ、寝るの遅くなるやつでしょ」

 

大喜は笑いながら、栄明の部員たちの方へ戻っていった。

 

その夜、大喜は机の上にラケットと練習ノートを置いた。

ノートには、一回戦から準々決勝までの短い記録が並ぶ。

 

初戦、最初の三点。

三回戦、決め急いだ二本。

準々決勝、正面へ返した球。

 

書き終えると、大喜は組み合わせ表を開いた。残っている名前は四つだけだった。

 

あと二試合。

 

スマートフォンが震える。

千夏からメッセージが届いていた。

 

明日も最後まで見るね。

 

大喜は返信欄へ文字を打つ。

 

明日は勝つ。

 

そこまで入力して、消した。

 

代わりに、ありがとう。明日も行ってくる、と送る。

 

スマートフォンを伏せ、ノートを閉じた。ラケットケースの位置を直しかけた手を止め、そのまま部屋の明かりを消した。

目を閉じても、初日のラリーが何本も戻ってくる。アウトになった球、決まった球、追いついた球。

その中へ、観客席の千夏が何度も混じった。

 

二日目の会場は、初日より静かに感じられた。

 

残っている選手が少ない分、一つのラリーへ集まる視線が増えている。空いているコートは多いのに、会場の中央だけが狭くなったようだった。

 

準決勝の前、大喜は通路で細かく足を動かしていた。

 

そこへ千夏が来る。

 

「大喜くん」

「ちーちゃん」

 

大喜が動きを止めると、千夏はスポーツゼリーを差し出した。

 

「昨日と違う味。準決勝前でも重くなさそうなの」

「ありがとう」

「今すぐ全部飲まなくていいからね」

「そこまで子供じゃないよ」

「昨日から何回も言われてるのに、毎回答えるね」

 

大喜は袋を受け取り、端を折ってラケットバッグへ入れた。

千夏は何かを言いかけ、口を閉じる。

 

「何?」

「勝ってね、って言おうと思ったんだけど」

「言わないの?」

「言わなくても、大喜くんは勝ちたいでしょ」

「うん」

「だから、最後まで見てる」

 

大喜の指が、バッグのファスナーに触れたまま止まった。

千夏は続ける。

 

「あと、楽しんできて」

「楽しむ?」

「勝つためにやってるのは分かってるよ。でも、大喜くん、バドミントンしてる時にずっと怖い顔してたら、大喜くんじゃないみたいだから」

 

言ってから、千夏は自分の言葉が強かったと思ったのか、両手を前へ出した。

 

「パワー送るね」

「パワー?」

「効くか分からないけど」

「どうすればいいの?」

「手、出して」

 

大喜は戸惑いながら片手を出す。

 

「両方」

「こう?」

「うん」

 

千夏は大喜の両手を包み、目を閉じて力を込めた。

 

「むむむ」

「声に出すんだ」

「集中してるから話さないで」

 

離れた場所で見ていた花恋が、口元へ手を当てる。

 

「ちー、本気だね」

「花恋、静かにして」

「邪魔してないよ」

「笑ってるでしょ」

「応援してるの」

 

千夏は大喜の手を離した。

大喜は両手を一度開き、握り直す。

 

「行ってきます」

「うん。行ってらっしゃい」

 

準決勝の相手は背が高く、奥からの球で大喜の打点を後ろへ下げた。強く返そうとするほどシャトルが短くなる。

 

大喜は速度を落とし、奥を待つ相手には前へ運び、前へ寄れば頭上を越した。大きく振り回すのではなく、構え直す時間を一球ずつ奪っていった。

 

観客席の花恋が千夏の手元を見る。

 

「今、同じことしてたね」

「何が?」

「手、握り直してた」

「グリップの確認でしょ」

「そういうことにしておく」

 

千夏は返事をせず、コートへ目を戻した。

 

第1ゲームを大喜が取った。

 

第2ゲームも中盤まで競った。深い返球に押されても、大喜は浮いた球をただ返さず、身体の近くで受けて中央へ戻る。

 

十八対十六からの長いラリー。奥と手前へ何度も振られながら拾い続け、相手の返球が短くなった瞬間に前へ出た。前日までならつないでいた高さを、今度は振り切って足元へ沈める。

 

最後も浮いた球を迷わず決め、決勝進出を決めた。

 

決勝進出が決まった。

 

拍手をしながら、千夏はコートを出る大喜を追った。花恋が隣で小声を出す。

 

「パワー、効いたんじゃない?」

「大喜くんが頑張ったからでしょ」

「半分くらいは?」

「ゼリーの分なら」

「手は?」

「知らない」

 

千夏はペットボトルの蓋を開けたが、口をつけずに閉め直した。

 

決勝の相手は、第1シードの三年生だった。

準決勝も短い時間で終えている。派手な動きはないが、どの球にも早く入り、崩れた姿勢で打つことがほとんどなかった。

 

試合前の礼を終える。

 

相手は大喜を見て、短く言った。

 

「よろしく」

「お願いします」

 

第1ゲームは、大喜が先に流れを掴んだ。

相手が構え直す前に打点へ入り、同じ準備から球の高さを変える。前へ詰めすぎて頭上を抜かれた後は、半歩手前で止まり、浅くなった返球だけを攻めた。

 

第1シードもすぐに打点を上げてきたが、大喜は先に触る位置を譲らず、第1ゲームを取った。

 

観客席から、栄明の声が上がる。

 

第2ゲームも大喜が先行した。

相手は身体の近くと奥を使い分けて大喜を詰まらせたが、大喜は返した後の足を止めない。

 

十八対十五、十九対十六とリードを広げ、二十対十七でマッチポイントを迎えた。

 

観客席の空気が変わった。雛はペットボトルを膝へ置き、匡も手すりから手を離した。

近くから、抑えきれない声が聞こえる。

 

「あと一本」

「いける」

「このまま取れる」

 

千夏は前の席の背もたれに置いていた指を離した。

 

最初のマッチポイントでは、ライン際を狙った面がずれ、甘く浮いた球を叩かれた。二本目はネット前へ先に入ったところを頭上へ抜かれ、二十対十九になる。

 

三本目、長いラリーの末に打ち切れる球が来た。だが最初のミスがよぎり、大喜は中央へ入れにいく。待っていた相手に拾われ、最後は浅くなったクリアを身体の横へ打ち込まれた。デュース。

 

続く二点でも、大喜は強く打とうとしてネットへかけ、次はサーブへの一歩を遅らせた。第2ゲームを落とした。

 

ベンチへ戻ると、大喜はタオルで顔を覆った。コーチの話へ頷き、水を飲む。ラケットの持ち方、相手の返球位置、次のゲームの入り方。言われたことにはすべて返事をした。

 

それでも、コートへ戻る直前に一度だけ、二十対十七と表示されていた場所を見た。

 

ファイナルゲーム。大喜の足は動き、強打もネット前の球も拾えていた。序盤は互いに譲らなかった。

 

ただ、攻められる球が来るたび、強く打つか安全に返すかの二つが並び、打点が一拍遅れた。

相手はその迷いへ先に入り、大喜が入れにいった球を身体の近くへ返して主導権を奪った。

 

中盤から点差が開く。大喜は一本取るたびに急いで構え、最後まで追った。それでも決着は相手のスマッシュだった。ラケットは届いたが、シャトルは面の端に触れて床へ落ちた。

 

大喜は、全国優勝まであと一本のところから逆転され、準優勝となった。

 

観客席から大きな拍手が起こる。

大喜は床のシャトルを拾い、ネット前へ歩いた。相手も息を切らしながら近づいてくる。

 

二人は握手をした。

相手は手を離す前に、大喜を見る。

 

「マッチポイント、怖かった」

「俺もです」

 

大喜が答えると、相手は一度だけ笑った。

 

「またやろう」

「はい」

 

礼を終え、大喜はコートを出た。

 

表彰式では、銀色のメダルを首にかけられた。写真撮影では笑い、名前を呼ばれれば返事をした。

 

栄明の部員たちが近づいてくる。

 

「準優勝、おめでとう」

「惜しかったな」

「中二で全国二位はすごいよ」

 

大喜は一つずつ頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

「はい。また頑張ります」

 

言葉も表情も崩さなかった。

雛がメダルを見る。

 

「重い?」

「そんなに重くないよ」

「首じゃなくて」

「雛」

 

匡が止めると、雛は口を閉じた。

大喜は首からメダルを外し、手のひらへ乗せる。親指が銀色の縁を一度なぞった。

通路へ出ると、千夏が待っていた。

 

「大喜くん」

「ちーちゃん」

 

千夏はメダルを持つ大喜の手を見る。それから顔を上げた。

 

「準優勝、おめでとう」

「ありがとう」

 

大喜は笑った。

 

千夏も口元を緩めたが、そのまま次の言葉へ進まなかった。

大喜の親指が、もう一度メダルの縁へ触れる。

 

千夏はそれを見ていた。

 

「見てたよ」

「うん」

「最後まで」

 

大喜は短く息を吐いた。

 

「見に来てくれて、ありがとう」

「うん」

 

そこへ匡が近づいてくる。

 

「大喜、集合呼ばれてる」

「あ、分かった」

 

大喜はメダルを握り、千夏を見る。

 

「あとで、また」

「うん」

 

大喜が集合場所へ向かう。

花恋は通路の端からその背中を見送り、千夏の隣へ立った。

 

「何か言いたかった?」

「うん」

「言わなかったんだ」

「今言ったら、全部同じ言葉になりそうだったから」

 

花恋は大喜の背中から千夏へ顔を向けた。

 

「すごかった、とか?」

「それも本当なんだけど」

「次は勝てる、とか?」

「それも違う気がした」

 

千夏は手すりへ手を置く。

 

「だから、今日は見てたって言った」

「ちーらしいね」

「どういう意味?」

「急いで答えを出さないところ」

 

千夏は返事をせず、集合場所へ戻る大喜を目で追った。

 

帰りのバスで、大喜は窓側の席に座った。

銀色のメダルはラケットバッグの内側へしまってある。外からは見えない。それでも、何度かバッグの内ポケットへ手が触れた。

 

一つ後ろの席には匡がいた。

声をかけることはできる。

何を言えばいいか分からないまま、匡は窓へ映る大喜の横顔を見ていた。

 

全国大会の翌日。

 

栄明中では、夏休み中も各部の練習が行われていた。体育館へ向かう廊下には、朝から運動部の生徒が行き来している。

大喜は角を曲がる手前で、近くにいた生徒たちの声を聞いた。

 

「猪股、惜しかったな」

「大喜なら勝てると思ってたんだけどな」

「二十点まで行ってたんだろ?」

 

悪意のない声だった。

本気で勝てると思ってくれていたのだろう。

大喜は曲がり角の手前で足を止めた。ラケットバッグの肩紐を持ち直し、すぐに歩き始める。

 

体育館へ行く前、匡が後ろから追いついてきた。

 

「大喜」

「何?」

「売店、寄る?」

「夏休みも開いてるの?」

「大会期間で部活多いから、午前だけ」

「行く」

 

新体操部へ向かう雛も、二人を見つけてついてきた。

 

「私も行く」

「雛、朝ご飯食べてないの?」

「食べたよ」

「じゃあ何買うの」

「練習後の分」

「まだ練習前だけど」

「先の準備は大事でしょ」

 

三人で校内の売店へ向かった。

 

雛は棚を見ながら、残っているパンを順番に読み上げる。匡は聞いているのか分からない返事を続けていた。

 

大喜は棚の前で足を止める。

 

「大喜、焼きそばパンあるよ」

 

雛が指す。

 

普段ならすぐ手に取るパンだった。

大喜は一度そちらへ手を伸ばし、隣にあったクリーム入りのパンを取った。

匡が大喜の手元を見る。

 

「それ、前に甘すぎるって言ってなかった?」

「え?」

 

大喜は袋の表示を読む。

 

「……ほんとだ」

 

雛は笑いかけ、途中で口を閉じた。

大喜は棚へ戻そうとしたが、手を止める。

 

「今日はこれでいい」

「無理して食べなくてもいいぞ」

「パンで無理って何」

「甘すぎるんだろ」

「昨日よりは甘くないと思う」

「比べるものが違うよ」

 

雛が返すと、大喜はようやく笑った。

三人はパンを持って売店を出る。

匡も雛も、決勝の話はしなかった。

 

体育館へ入ると、大喜はすぐにシャトルケースを開いた。

ウォーミングアップを終え、匡に球出しを頼む。攻められる高さへ上がった球を、何度も打った。

 

一本目はネット。

二本目はアウト。

三本目はコートの内側へ落ちる。

 

大喜は落ちたシャトルを拾い、同じ位置へ戻った。

 

「もう一回」

「今の入ったよ」

「もう一回だけ」

「さっきもそれ言ってた」

「今度で終わり」

「それ、信用できないな」

 

匡はシャトルを持ったまま止まった。

 

「休憩は?」

「あと一本」

「大喜」

 

呼ばれても、大喜はラケットを構えたままだった。

 

匡は息を吐き、新しいシャトルを出す。

大喜は前へ踏み込み、強く打った。

コートへ入る。

 

それでも、ラケットを下ろさなかった。

 

「もう一回」

 

匡は次のシャトルを取らず、水筒を大喜へ投げた。

 

「先に飲んで」

「まだできるよ」

「できるかじゃなくて、飲んで」

「匡、今日うるさいね」

「昨日から大喜が面倒だから」

 

大喜は水筒を受け取った。

言い返しかけ、蓋を開ける。

体育館の入口には、雛が立っていた。新体操部へ向かう途中で足を止め、大喜の練習を見ている。

 

「雛も何か言う?」

「今日は言わない」

「何で?」

「言ったら、大喜がもう一球増やしそうだから」

 

大喜は水を飲み、タオルで口元を拭いた。

 

隣のバスケコートでは、千夏がボールを持ったまま大喜を見ていた。

針生が練習を終え、ラケットを肩へ乗せて近づいてくる。

 

「見てたか」

「うん」

「あいつ、昨日からずっとあれだろ」

「朝はもっと早かった」

 

針生はバドミントンコートを見る。

大喜は休憩を終えると、すぐにシャトルを手に取っていた。

 

「今の大喜に、すごいとか惜しかったとか言っても、たぶん腹立つぞ」

「準優勝なのに?」

「準優勝がすごくないって話じゃねえ。俺が負けた時、何言われても腹立っただけだ」

「何て言われたかった?」

「知らねえ。放っとかれても腹立ったと思う」

「難しいね」

「負けた直後の選手なんて、だいたい面倒だろ」

 

針生は言い終えると、ラケットのグリップを握り直した。

 

「悪い。余計なこと言った」

「ううん。針生君が自分の話をするの、珍しいから」

「忘れろ」

「それは無理かも」

 

針生は舌打ちをして、バドミントンコートへ戻っていった。

 

千夏は大喜の方を見る。

 

匡が新しいシャトルを持つ。

大喜は構える。

球が上がる。

大喜が踏み込む。

 

打ったシャトルはネットへかかった。

 

大喜は落ちた場所まで歩き、自分で拾い上げる。羽根を指で整え、匡へ投げて返した。

 

「もう一回」

 

匡はすぐには球を出さなかった。

大喜が構えを解かずに待つ。

しばらくして、匡がシャトルを上げた。

 

千夏はボールを持ったまま、その一本を見ていた。

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