Another Childhood   作:やまうぇ

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第26話 春を待つ

アジア大会が終わっても、千夏の毎日は変わらず続いた。

朝は高校体育館へ向かい、放課後もボールを追う。中高連絡通路で大喜と会えば、これまでと同じように名前を呼び合った。

 

「おはよう、ちーちゃん」

「おはよう、大喜くん」

 

大喜は前日の練習でシャトルを何本も潰した話をした。千夏も、五対五で先輩のパスを取り損ねた話を返した。

 

分かれ道へ来ると、大喜は片手を上げ、中学体育館の方へ走っていく。

千夏も高校体育館へ向かった。二歩進んでから、結び直す必要のない髪へ手をやる。

 

大喜は何も変わっていない。

変わったのは、自分の方だった。

 

秋が深まるにつれ、女子バスケ部の練習はウインターカップ県予選へ向けて厳しさを増していった。

五対五の途中、千夏は左サイドでパスを受けた。正面のディフェンスとの間には、シュートを打てるだけの距離がある。

 

リングを見る。

一度ボールを下ろしかけたところで、監督の笛が鳴った。

 

「鹿野、今のは打てる」

「はい」

「迷ってからパスを戻すな。打つか、最初から次を使うか、先に決めろ」

 

練習が再開される。

 

次の攻撃でも、同じ位置で千夏の前が空いた。

パスを受ける。今度はボールを下ろさず、そのまま跳んだ。

 

放った球はリングの手前へ当たり、外れる。

千夏は着地すると、跳ねたボールへ走った。相手より先に指をかけ、外へ残す。拾った先輩がゴール下へ持ち込み、得点した。

 

守備へ戻りながら、千夏は一度だけ左手を握った。

 

外れた。

 

それでも、打たなかった時より次の動きは早かった。

 

練習後、千夏はノートを開いた。

 

左サイド。受ける前に足を作る。空いたら打つ。

 

その下に「外さない」と書き、二重線で消した。

 

代わりに書く。

 

外した後を止めない。

 

県予選が近づいた頃、部室前の掲示板にベンチ入りメンバーが貼り出された。

千夏は人の肩越しに自分の名前を見つけた。それでも列が短くなるまで待ち、前まで行ってもう一度確かめる。

 

鹿野千夏。

 

夏の大会でもベンチには入った。けれど、今回は展開次第でコートへ出すと監督から伝えられている。

 

「見すぎても消えないよ」

 

後ろから渚に声をかけられ、千夏は横へ動いた。

 

「分かってる」

「本当に? 指で確認しそうな顔してたけど」

「してないよ」

「じゃあ、出番呼ばれても驚かないでね」

「驚かない」

「その顔で?」

「どんな顔?」

 

渚は答えず、掲示板の名前を指で叩いた。

 

「出る準備しときなよ。ベンチに座る準備じゃなくて」

「もちろん」

 

返事をしてから、千夏はもう一度だけ自分の名前を見た。

 

翌朝、中高連絡通路の掲示板前に大喜と匡が立っていた。

匡が先に日程表を見つけ、大喜を呼び止めたらしい。千夏が近づくと、大喜が振り返った。

 

「ちーちゃん、メンバー入ったんだ」

「うん」

「おめでとう」

「ありがとう」

 

千夏は「まだ出られるか分からないけど」と続けかけて、やめた。

大喜は登録されたことだけを喜んでいるわけではない。そのことは、声を聞けば分かった。

 

匡は日程表から離れた。

 

「俺、先に行く」

「待ってよ、匡」

「大喜、まだ話すでしょ」

「匡がいても話せるけど」

「俺は朝練に遅れたくない」

「俺だって同じだよ」

「じゃあ、あとで走ってきて」

 

匡はそれだけ言って歩き出した。

大喜が追いかけようとしたところで、千夏が笑う。大喜は一度匡の背中を見てから、掲示板へ向き直った。

 

「試合、土曜日だよね」

「うん」

「練習と重なってないか、確認してみる」

「重なってたら、そっちを優先してね」

「分かってる。でも、行けるなら見たい」

 

大喜は日程表の千夏の学校名を目で追った。

 

「出たら、ちゃんと打つ?」

「シュート?」

「うん」

「打つよ。逃げないで」

 

公園で交わした言葉が、二人の間へ戻ってくる。

大喜は笑った。

 

「じゃあ、見ないと」

「練習と重ならなかったらね」

「うん。確認してみる」

 

県予選一回戦の日、大喜は男子バドミントン部の練習と重なり、会場には来られなかった。

朝、千夏のスマートフォンにメッセージが届いた。

 

『今日は行けなくてごめんね、頑張って。』

 

千夏は靴紐を結び終えてから返信した。

 

『うん。練習頑張ってね。』

 

送った後、もう一行を打つ。

 

『私も頑張る。』

 

今度は消さずに送信した。

 

試合で千夏が呼ばれたのは、第三クォーターの途中だった。相手が前から強く当たり、栄明のボール運びが詰まりかけている。

 

「鹿野、入るぞ」

「はい」

 

コートへ入った千夏は、逆サイドでパスを受け、リングへ一歩入ることで守備を引きつけた。外で待つ先輩へ戻すと、そのシュートが決まる。次の守備でも抜かれた後まで追い、ゴール下へのパスへ指をかけた。

 

ベンチから声が飛ぶ。

 

「鹿野、ナイス!」

「次も一本!」

 

千夏はマークする相手の前へ戻った。自分のシュート機会はなかったが、流れの中で役割を果たし、試合を終えた。

 

栄明は一回戦を突破した。

翌日も、千夏はベンチに入った。

 

第二クォーターの終盤にコートへ出ると、千夏はリバウンド争いでこぼれた球を外へ残し、拾った先輩から始まった速攻の最後まで走った。出場時間は短かったが、前日よりコートの中で選べることは増えていた。

 

栄明は準々決勝にも勝った。

 

栄明は準々決勝にも勝った。

次の準決勝までは、一か月以上の間が空いた。

 

その間、県予選を勝ち進む栄明を紹介する小さな記事に、千夏の名前が載った。

写真は試合中の一枚だった。コートの端を走る千夏は横を向き、顔も大きくは写っていない。紹介文も数行だけだった。

 

その記事を先に見つけたのは、大喜だった。

 

昼休み、中高連絡通路の窓際で、大喜がバスケ雑誌を開いて待っていた。千夏を見ると、ページの端を折らないよう、指で押さえたまま差し出す。

 

「ちーちゃん、ほら、ここに載ってるよ」

「え?」

 

示された場所に、自分の名前があった。

千夏は雑誌へ顔を近づける。短い文章の中に、確かに鹿野千夏と印刷されていた。

 

「大喜くんが見つけたの?」

「うん。栄明の記事があったから買った」

「買ったの?」

「ちーちゃんの名前、あったし」

 

大喜は特別なことではないように答えた。

千夏はもう一度、自分の名前を見る。

 

小学生の頃、大喜の名前が初めて雑誌へ載った時、千夏は同じページを何度も開いた。

今は、大喜が千夏の名前を見つけている。

 

「記事、短いけどね」

「短くても載ってるよ」

「写真も小さいよ」

「ちーちゃんだってちゃんと分かるよ」

「本当に?」

「うん。走ってる時の顔だから」

「走ってる時の顔って何?」

「前しか見てない顔」

「それ、褒めてる?」

「褒めてるよ」

 

大喜は雑誌を閉じ、千夏へ差し出した。

 

「これ、貸すよ」

「大喜くんが買ったのに?」

「俺はもう読んだから」

「何回?」

「……二回」

「二回読んだんだ」

「短いから、すぐ読めるし」

 

千夏は雑誌を受け取った。

ページの端には折り目がなく、何度も開いた跡だけが残っていた。

 

「ありがとう」

「うん」

「見つけてくれたの、嬉しい」

「俺も嬉しかった。ちーちゃんの名前があったから」

 

予鈴が鳴る。

大喜は言った後で急に恥ずかしくなったのか、窓の外へ顔を向けた。

千夏は雑誌を胸元へ寄せたまま、しばらく動けなかった。

 

準決勝の前日、大喜からメッセージが届いた。

 

『明日、行ける』

 

千夏は画面を閉じ、一度机へ置いた。

すぐにまた手に取る。

 

『分かった。見つけられるかな。』

 

返事はすぐに届いた。

 

『もちろん、すぐに見つけるよ。』

 

その文字を見て、千夏はスマートフォンを伏せた。

 

準決勝当日、千夏が大喜を見つけたのは、試合前のアップが終わる頃だった。

観客席の端に、中学男子バドミントン部のジャージを着た大喜が座っている。隣には大喜の母親もいた。

 

目が合う。

 

大喜は大きく手を振らず、胸の前で拳を一度上げた。

千夏も同じように返し、すぐにベンチへ戻った。

 

栄明は前半から守備で流れを作り、わずかなリードを保った。

 

第四クォーターに入った千夏は、最初の守備で速攻を追い、相手のシュートを外させる。次の攻撃では空いた場所でパスを受け、迷わず打った。球はリングの奥へ当たって外れたが、着地と同時に戻り、相手の速攻をサイドライン際へ追い込んだ。

 

乱れたパスを栄明が取り返し、そのまま試合を逃げ切った。決勝進出が決まる。

 

決勝進出が決まる。

 

整列を終え、千夏は観客席を見る。

大喜はまだ立ったまま拍手をしていた。

 

試合後、体育館の廊下で大喜が待っていた。

 

「決勝進出、おめでとう」

「ありがとう」

「出たね」

「うん。シュートは入らなかったけど」

「惜しかった」

「二本とも?」

「二本とも」

 

大喜は当たり前のように答えた。

千夏は首にかけていたタオルの端を折る。

 

「大喜くんに見られてると思ったら、一本くらい入れたかったな」

「次も打つ?」

「打つよ」

「じゃあ、次は入るかもしれない」

「すごく普通のこと言ってる」

「絶対入るって言った方がよかった?」

「それはそれで困っちゃうかも」

 

大喜が笑う。

千夏もつられて笑い、折っていたタオルを元へ戻した。

 

「決勝、来られそう?」

「まだ分からない。練習の時間、確認してみる」

「重なってたら、そっちを優先してね」

「分かってる。でも、行けなくても結果は追うよ」

「うん」

 

千夏は頷いた。

 

「分かった」

 

県予選決勝は、その翌週に行われた。

大喜は男子バドミントン部の練習と時間が重なり、会場には来られなかった。

 

朝に届いたメッセージには、『今日は行けないけど、応援してる。頑張って』と書かれていた。

 

千夏は『分かった』と返す。

 

一度送信してから、もう一通送った。

 

行ってきます。

 

決勝の相手は、夏のインターハイ出場校だった。パスを受ける前から身体を当て、リバウンドでも跳ぶ位置を先に奪う。栄明は食らいついたが、点差を詰め切れない。

 

第三クォーター終盤、千夏の名前が呼ばれた。

 

「鹿野、流れ変えてこい」

「はい」

 

入って最初はパスコースから押し出された。それでも味方のドライブに合わせてゴール下へ入り、外れた球を指先で残す。次の攻撃では左サイドで受け、守備との距離を見てすぐに跳んだ。リングへ当たった球が内側へ落ち、ネットを通る。

 

千夏は喜ぶ前に守備へ戻ろうとした。

 

「戻って!」

 

千夏も走った。しかし相手は最後まで崩れず、栄明が得点するたびに確実に返した。ブザーが鳴っても点差は残り、栄明は県予選決勝で敗れた。

 

栄明は県予選決勝で敗れた。

 

千夏はコートの中でスコアボードを見上げた。

悔しさは、夏と同じように身体へ残った。

それでも、夏と同じ場所には立っていなかった。

 

自分で打った。

相手の強さも、自分に足りない速さも、コートの中で知った。

 

整列を終え、ベンチへ戻ると、先輩が千夏の肩を叩いた。

 

「鹿野、あの時間よかった」

「ありがとうございます」

「でも、一本入ったところで終わらないで」

「はい」

「もっと欲張っていいよ」

「はい」

 

返事には、迷いがなかった。

 

帰宅後、千夏は練習ノートを開いた。

 

左サイドのシュート。入った。

 

そう書きかけ、最後の二文字を消す。

 

左サイド。迷わず打てた。

 

その下には、守備で遅れた位置と、リバウンドで押し込まれた回数を書いた。ページはすぐに埋まった。

机の上でスマートフォンが震える。

 

大喜からだった。

 

『試合、お疲れさま。結果見た』

 

千夏は『ありがとう』と打つ。送信する前に、もう一つメッセージが届いた。

 

『行けなくてごめん。見たかった』

 

準決勝の観客席にいた大喜の姿が浮かぶ。千夏は打ちかけた言葉の後ろへ、もう一文を加えた。

 

『ありがとう。今日は一本、入ったよ』

 

少し間を置いて、返事が届く。

 

『そっか。次は見たい』

 

千夏は練習ノートへ目を向けた。決めたシュートより、守備で遅れた位置や、押し込まれたリバウンドの方が多く残っている。

 

『次はもっと決めるから』

『うん』

 

千夏はスマートフォンを伏せ、ノートの一番下へ同じ言葉を書き足した。

 

次はもっと決める。

 

冬が深まると、中高連絡通路の窓際には冷たい空気がたまるようになった。

立ち止まって話していると身体が冷えるため、千夏と大喜は歩きながら話した。

 

「今日、寒いね」

「うん。ラケット持つ手が固まる」

「ボールも冷たいよ」

「バスケのボールって、冬だと痛そう」

「強いパスを取り損ねると痛い」

「どのくらい?」

「大喜くんがスマッシュを身体で受けるくらい」

「それは痛い」

 

大喜が本気で嫌そうな顔をする。

千夏は笑った。

 

話す内容は、これまでと大きく変わらない。

それでも、名前を呼ばれるたび、返事をするまでの間が以前より長くなる日があった。

 

二月が近づいた頃、千夏は花恋と駅前の店へ行った。

店内にはバレンタイン用の箱が並び、赤や金の包装が照明を反射している。

 

千夏は同じ棚の前を三度通った。

最初に手に取った箱を戻し、別の箱を見て、また最初の箱へ戻る。

花恋は少し離れた場所で、仕事先へ持っていく個包装の菓子を選んでいた。千夏が四度目に青い箱へ手を伸ばすと、ようやく口を開く。

 

「ちー、それにするんじゃないの?」

「まだ決めてないよ」

「最初からずっと、それに戻ってる」

「そう?」

「うん。私は待ってる間に二つ決めた」

 

花恋の籠には、大袋のチョコが二つ入っていた。

 

千夏は箱を手に取る。

 

派手ではない。けれど、去年まで選んでいたものより、少しだけ特別に見える。

 

「毎年渡してるから、迷う方が変かな」

「毎年と同じなら、そんなに迷ってないと思う」

「……そうかも」

 

千夏は青い箱を籠へ入れた。

 

「花恋は、針生君に渡さないの?」

「健吾に?」

「うん」

「今年はみんなと同じのでいいかな」

「そっか」

「ちーみたいに、同じにできなくなったら考える」

 

花恋はそれだけ言い、会計の列へ向かった。

 

その夜、千夏は小さなカードを机へ置いた。

 

大喜くんへ。

 

最初の一行を書いたところで、ペンが止まる。

 

いつもありがとう。高校でも頑張ってね。

 

どちらも嘘ではない。

 

千夏は迷った末に、短く書いた。

 

高校でも頑張ってね。

 

バレンタイン当日、千夏は放課後の中高連絡通路へ大喜を呼んだ。

遠くで部活へ向かう生徒の声がする。大喜は練習着の上に制服の上着を羽織り、ラケットバッグを背負ったままやって来た。

 

「ごめん、待った?」

「ううん。今来たところ」

 

千夏は鞄から紙袋を取り出す。

毎年渡してきたはずなのに、持ち手から指を離すタイミングが分からなかった。

 

「はい」

「あ、バレンタイン」

「うん。毎年のことだけど」

 

大喜は両手で受け取った。

 

「毎年でも嬉しいよ。ありがとう、ちーちゃん」

 

返事が早くて、千夏の方が困る。

大喜は袋を覗き込まず、持ち手が折れないように握り直した。

 

「高校でも頑張ってね」

「うん」

「もうすぐ卒業だし」

「そうなんだよね。まだ全然そんな感じしないけど」

 

大喜は連絡通路の窓から、中学体育館の屋根を見た。

 

「春からは高校だね」

「うん。私が先輩だからね」

「よろしくお願いします、千夏先輩」

「それ、変」

「じゃあ、ちーちゃん先輩」

「もっと変」

「前にも言った?」

「中学に入った時」

「ああ、言ったかも」

 

二人の笑い声が通路へ残る。

大喜は紙袋をラケットバッグへ入れ、タオルの上に置き直した。

 

「帰ってから食べる」

「大事にしすぎて忘れないでね」

「忘れないよ」

「本当に?」

「ちーちゃんからもらったのに、忘れないって」

 

何でもないことのように言われる。

千夏は返事の代わりに、鞄の肩紐をかけ直した。

 

三月十四日。

 

卒業式を数日後に控えた放課後、大喜からホワイトデーの包みを渡された。

中には、練習後にも使いやすいリップクリームと、小さな焼き菓子が入っている。

 

「こういうの、使うかなと思って」

「うん。使う」

「よかった。花恋ちゃんに聞こうか迷ったけど、聞いたら絶対何か言われそうで」

「言うと思う」

「だよね」

 

千夏はリップクリームの箱を指で回した。

無香料で、色もつかない。部活の前後にも使いやすそうだった。

 

「大喜くんが選んだの?」

「うん」

「よく分かったね」

「冬、よく唇押さえてたから」

「見てたんだ」

「近くで話してたら分かるよ」

 

大喜は答えた後、急に恥ずかしくなったのか、ラケットバッグの肩紐を引き上げた。

 

千夏は包みを鞄へしまう。

いつもなら外ポケットへ入れる大きさだったが、今日は教科書の間へ挟んだ。

 

大喜の卒業式の日、空はよく晴れていた。

 

校庭には卒業生と保護者が残り、卒業証書の筒を持った生徒たちが何度も写真を撮っている。校庭の端に並ぶ木々には、まだ花がない。近づいて見ると、枝先には小さなつぼみが膨らんでいた。

 

高校の授業を終えた千夏が中学校舎の近くまで行くと、大喜は匡と雛のそばにいた。

 

雛は胸元の花が横を向いていることに気づかないまま、友人へ大きく手を振っていた。匡が卒業証書の筒で花を指す。

 

「雛、花曲がってる」

「え、嘘。写真撮った後に言わないでよ」

「撮る前は前向いてた」

「途中で気づいたなら教えてよ」

「俺、大喜の母さんにカメラ渡されてたから」

「匡の今日の仕事、ずっとカメラ係じゃん」

「雛よりは役に立ってる」

「私は写真を華やかにする係だから」

 

大喜が笑いながら、雛の花へ手を伸ばしかける。

 

「俺が直して壊したら怒るでしょ」

「分かってるじゃん。触らないで、大喜」

 

雛がそう言ったところで、大喜が千夏に気づいた。

 

「ちーちゃん」

 

制服の胸元には卒業式の花があり、手には卒業証書がある。

千夏は三人の前まで歩いた。

 

「卒業おめでとう、大喜くん。匡くんも、雛ちゃんも」

「ありがとう」

「ありがとうございます」

「千夏先輩、来てくださったんですね。ありがとうございます!」

 

雛は千夏へ頭を下げてから、大喜の方を向いた。

 

「大喜、今日くらい優勝した方も数えたら?」

「何それ」

「さっきからアジア大会で負けた話ばっかりしてるから」

「別に、ばっかりじゃないよ」

「卒業式なのに反省会してた」

「匡も話してたでしょ」

「俺は大喜が言うから聞いてただけ」

「匡、裏切ったな」

 

雛は呆れたように息を吐く。

 

「私は今日くらい、中学で全国に出た自分を褒めます」

「自分で?」

「大喜も匡も、誰かに言われないと勝った方を忘れそうだから」

「匡はまだ全国出てないよ」

「高校で出るんでしょ」

「出る」

「ほら、もう次の話してる」

 

雛の言葉に、千夏は笑った。

大喜も言い返すのをやめ、胸元の花を指で直した。

 

その後、家族も交えて何枚か写真を撮った。

雛は友人に呼ばれ、千夏へ「失礼します」と言ってから走っていく。匡も担任に呼ばれ、校舎の方へ向かった。

 

大喜と千夏は、校庭の端にある木の近くへ移った。

風が吹き、まだ固い枝先が揺れる。

 

「中学、終わっちゃった」

「寂しい?」

「変な感じ。明日も普通に体育館へ行きそう」

「行くんじゃないの?」

「行く。今度は高校の練習」

「じゃあ、あんまり終わってないね」

「確かに」

 

大喜は卒業証書の筒を持ち替えた。

 

「ちーちゃんと朝練してた最初の日から、早かったな」

「本当にね」

「俺、シュート邪魔したよね」

「驚かせたからでしょ」

「ヘアピンつけてた」

「そこまで覚えてるの?」

「うん。俺があげたやつだったし」

 

千夏は髪の横へ手をやりかけ、途中で止めた。

 

今日、そのヘアピンはつけていない。

それでも大喜の記憶の中には、あの朝の自分が残っている。

 

「春から、また近くなるね」

 

千夏が言うと、大喜は迷わず頷いた。

 

「うん。高校でもよろしく、ちーちゃん」

「こちらこそ。大喜くん」

 

校庭の向こうから、大喜の母親が名前を呼んだ。

大喜は返事をしてから、千夏へ片手を上げる。

 

「また明日」

「うん。また明日」

 

卒業して数日後、大喜は高校男子バドミントン部の練習へ参加し始めた。

夕方、校門前で千夏と会った大喜は、いつもより汗の残った髪でラケットバッグを背負っていた。

 

「高校の練習、どうだった?」

「きつい」

「大喜くんが言うなら、本当にきつそう」

「針生先輩、最初から全然手加減しないし」

「でも、楽しそうだね」

「分かる?」

「分かるよ」

 

大喜は少し笑った。

 

「春から毎日これか」

「嫌なの?」

「全然。早く慣れたい」

「大喜くんなら、すぐだよ」

「ちーちゃんは?」

「私も、新一年生が入る前にもっと動けるようにならないと」

「じゃあ、お互い頑張ろう」

「うん」

 

二人で校門を出る。

春からは、今までより近い場所で、それぞれの競技を続けられる。

 

千夏は鞄の中にあるホワイトデーの包みを思い出した。リップクリームはまだ使わず、机の上へ置いたままだった。

 

分かれ道の手前で、スマートフォンが震える。

 

母からのメッセージだった。

 

今日は早めに帰ってきて。お父さんから話があります。

 

千夏は画面を見たまま足を緩めた。

 

「ちーちゃん?」

「お母さんから。今日は早く帰ってきてって」

「何かあった?」

「お父さんから話があるみたい」

「そっか」

 

大喜はそれ以上聞かなかった。

分かれ道で、いつものように片手を上げる。

 

「気をつけて帰ってね」

「うん。大喜くんも」

「また明日」

「また明日」

 

大喜の背中が角の向こうへ消える。

 

帰宅すると、玄関には父の革靴があった。

リビングの扉は半分開いている。中から紙をそろえる音と、母の低い声が聞こえた。

千夏が鞄を下ろすと、テーブルの上に置かれた書類の端が見えた。

 

父の会社名。

その下には、英語で書かれた見慣れない地名が並んでいる。

 

千夏はリビングの前で足を止めた。

窓の外では、まだ咲いていない桜の枝が夜の風に揺れていた。

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