男子バドミントン部と女子バスケットボール部では、全体練習が終わる時間に多少のずれがある。それでも、大喜と千夏が学校を出る時間は、ほとんど同じだった。
男子バドミントン部の練習が先に終われば、大喜は匡と打ち足りなかった形を確認する。女子バスケ部が早く終われば、千夏は渚とシュートを打ち、練習中に気になった動きを残って確かめる。
どちらかだけが早く切り上げることは、よほどの用事がない限りなかった。その日も二人は、部員たちの片づけが終わる頃に体育館を出た。大喜は体育館の外で水を飲み、持参していたプロテインを手早く飲み切った。千夏もボトルの残りを口にしながら、大喜が空になった容器をラケットバッグへしまうのを待つ。
「今日、長かったね」
「針生先輩が最後にもう一本って」
「大喜くんも断らなかったんでしょ?」
「もう一本ならって思った」
「それが何本になったの?」
「……五本くらい」
「針生君だけのせいじゃないね」
「ちーちゃんだって、まだシュート打ってたじゃん」
「私は三本で終わったよ」
「入るまで三本?」
「三本中二本入ったから」
千夏が答えると、大喜は悔しそうに口を閉じた。言い返せなくなった時の表情は、小学生の頃から変わらない。千夏は笑いながら、大喜と並んで校門を出た。帰り道では、互いの練習について話す。
針生の球が昨日より速かったこと。匡が新しいグリップにまだ慣れていないこと。千夏が守備で声を出すタイミングを遅らせたこと。渚が右側からのレイアップを何本も繰り返していたこと。同じ体育館にいても、見えている景色は違う。
それでも帰る頃には、それぞれのコートで起きたことを、大喜も千夏もある程度知っていた。猪股家へ着くと、台所から大喜の母が顔を出した。
「ただいま」
「ただいま」
「二人ともおかえり。夕食まで少しあるから、先に食べて」
テーブルには、ラップに包まれた小さな鮭おにぎりが二つ並んでいた。大喜はラケットバッグを部屋へ運ぶ前に、麦茶を一杯飲んだ。続けておにぎりを一つ取り、立ったまま食べ始める。
「大喜、座って食べなさい」
「荷物置いてくるから」
「食べてから行けばいいでしょう」
「確かに」
大喜は母に言われて素直に椅子へ座った。千夏も向かいへ座り、おにぎりのラップを外す。体育館を出る前にプロテインを飲んでいる大喜が、帰宅後には炭水化物を取り、夕食まで空腹を我慢しない。それが決まった流れらしい。大喜は食べ終えると、麦茶をもう一口飲み、ようやく荷物を二階へ運んだ。
千夏も自分の荷物を持って部屋へ戻る。着替えてリビングへ下りると、大喜は床に座って、片方ずつ足首を回していた。テレビはついていたが、画面を見てはいない。膝を曲げて立ち上がり、数歩歩いてから、右の太腿を手で押す。次に肩を回し、腕を上げたところで一度止まった。千夏は自分のタオルを畳みながら、その様子を見ていた。
「何してるの?」
「今日、どこが疲れてるか確認してる」
「歩いたら分かる?」
「普段と違えば、だいたい」
「今日は?」
「右脚が重い。肩は平気」
大喜はもう一度右脚へ体重をかけた。
「痛くはない?」
「痛くはないよ。張ってるだけだと思う」
「じゃあ、ストレッチ?」
「うん、アイシングしてからにしようかなって。今日は、自主練というか体幹ちょっとやろうかな」
迷いのない返事だった。大喜は昔から、納得できなければ最後まで体育館へ残る選手だった。試合で負けた翌日ほど早くコートへ立ち、できなかったことがあれば、できるまで繰り返そうとする。だからこそ、きっと家でも何かやってるんじゃないかと思っていたが、自分から減らすと決められるようになったことに、千夏は大喜の変化を感じた。
千夏が隣で自分のふくらはぎを伸ばしていると、大喜はテーブルの端に置いていたノートを開いた。書かれているのは、その日の練習内容だけではなかった。
眠った時間。朝起きた時の身体の重さ。食欲。練習後に気になった場所。どれも長い文章ではなく、後から読み返せる程度の短い言葉で記されている。
大喜は今日の日付の横へ、右脚が重いと書いた。その下には、明日の朝にもう一度確認、とだけ加える。
「毎日書いてるの?」
「うん。書ける日は」
「書けない日もあるんだ」
「眠くて、そのまま寝ちゃう時もあるよ」
「もっと完璧にやってるのかと思ってた」
「そんなわけないじゃん。昨日も途中で寝たし」
「机で?」
「うん、寝落ちしてた」
「風邪引かないでね」
大喜は笑いながらノートを閉じると、無理のない範囲で脚を伸ばし始めた。特別に難しいことをしているようには見えない。自分の身体を確認し、疲れている場所があれば無理に動かさない。熱を持っているところがあれば、タオルで包んだ氷のうを当てる。食事を取り、明日の荷物を準備し、眠る時間を削らない。
一つ一つなら、誰でも知っていそうなことだった。けれど大喜は、それを気が向いた日だけではなく、毎日の練習と結びつけている。
その日の身体が重ければ、いつもより早く眠る。
千夏は、大喜が体育館で努力していることなら、ずっと前から知っていた。けれど、努力は体育館の中だけで終わっていなかった。同じ帰り道を歩くだけでは分からない。練習を終えて同じ家へ帰り、その日の大喜が何を食べ、どこを気にして、何時に休むのかを見るようになったからこそ、気づけたことだった。
長く一緒にいるから、大喜のことはよく知っていると思っていた。それでも、まだ知らない部分がある。その一つを知れたことが、千夏は嬉しかった。千夏も夕食の片づけを手伝い、入浴を済ませてから自分の部屋へ戻った。机に練習ノートを開く。
これまでは、シュートを外した理由や、守備で遅れた場面、その日の反省を中心に書いていた。そこへ、眠った時間、朝起きた時の調子、練習後の疲れ、食欲という項目を加える。小学生の頃、大喜から、疲れている時にも無理のない範囲で身体を動かして整える方法を教わったことがある。あの時は、大喜に言われた通りに身体を動かしただけだった。
今なら、自分でその日の状態を確認し、何を続けて何を減らすかまで考えられるかもしれない。千夏はその日の欄に、脚が重い、夕食は普通に食べられた、と書いた。
翌朝、起きた時にも脚の重さが残っていた。千夏は朝練で、いきなりいつもと同じ速度で走り始めなかった。足首を回し、身体をゆっくり動かしてから、シュート練習へ入る。急に身体が軽くなったわけではない。ただ、普段も意識していたことがより自分事として意識できている気がした。
その夜は、普段より早く眠った。
次の日の朝、昨日より身体が動いた。一度だけでは、たまたまかもしれない。千夏はその日から簡単な記録を続けた。よく眠れた日は、練習の最初から集中しやすかった。夕食を十分に食べられなかった翌日は、朝練の途中で力が抜けた。練習後のケアが十分でなかった時は、次の日の動き出しが重かった。
何か一つをしただけで、突然プレーが上達するわけではない。けれど、自分がどんな状態でコートへ立っているかは、以前より分かるようになった。四日目の夜、千夏はリビングでノートを見返した。大喜は隣でラケットのグリップを巻き直している。千夏は数日分の記録を並べてから、気になっていたことを尋ねた。
「大喜くん、疲れてる日ってどうしてる?」
「その日によるかな」
「基準は?」
「うーん。明日も同じ練習をしたら、もっと悪くなりそうかどうか、かな」
「分かるもの?」
「前は分からなかったよ。今もあってないなって思う時もあるし」
「そうなんだ、代表合宿で教わったの?」
「最初はそうだったかな。でも、合宿でやってたことを全部そのまま続けてるってわけじゃないよ」
大喜は巻き直したグリップの端を押さえた。
「ちーちゃんも、俺と同じようにしなくていいと思う。バスケは動きも違うし」
「うん。だから自分で一週間試してる」
「そうなんだ」
「大喜くんが毎日やってるから」
「俺、365日ずっとはできてないよ」
「できてない日も書けばいいんじゃない?」
「確かに」
大喜は自分のノートを開き、途中で眠って書けなかった日の欄に、小さく「寝落ち」と書いた。千夏は思わず笑った。
「それも記録するの?」
「ちーちゃんが書けって言ったんじゃん」
「もう少し真面目な書き方があると思う」
「見れば分かるからいいよ」
「大喜くんしか見ないしね」
「まあ今はちーちゃんも見てるけど」
「見せてくれたからでしょ」
千夏が返すと、大喜は笑いながらノートを閉じた。会話をしていると、大喜に分からないことを、千夏が説明することもある。千夏が気づかなかったことを、大喜が自分の経験から話す。一方が教え、もう一方が聞くだけではなかった。
「ちーちゃんに聞かれると、俺も何でやってるのか考えるから助かる」
「私も、大喜くんの話をそのまま真似しないように考えるから助かってる」
「じゃあ、お互い得してる?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
大喜は足を組み直した。ジャージの裾が上がり、足首に結ばれたミサンガが見える。大喜はほどけていないか確かめるように、結び目へ一度だけ触れた。
「二人でもっと強くなって、インターハイ行こうね」
「……うん」
「どうしたの?」
「急に言うから」
「約束したじゃん」
「そうだけど」
「忘れた?」
「忘れてないよ」
千夏はノートのページをめくり、顔を隠すように文字へ目を向けた。大喜にとっては、競技の話をしているだけなのだろう。自分が強くなるだけではなく、千夏も一緒に強くなればいいと、何の迷いもなく思っている。だからこそ、不意を突かれる。千夏はペンを握り直した。
「大喜くんに置いていかれないようにするね」
「置いていくつもりないよ」
「競技では、もう先にいるでしょ」
「ちーちゃんはバスケでしょ。比べられないよ」
「そういう意味じゃないの」
「じゃあ、どういう意味?」
大喜は首を傾げたが、千夏は答えなかった。今はまだ、競技者として追いつくことから始めればいい。そのために使えるものなら、何でも試してみようと思った。一週間が過ぎた頃、女子バスケ部の練習後に、渚が千夏のノートをのぞき込んだ。
「最近、よく書いてるね」
「前から書いてるよ」
「前より項目増えてない?」
「練習以外のことも残すようにしたの」
「例えば?」
「寝た時間とか、練習後の疲れとか、ちゃんと食べられたかとか」
「急に健康優良児みたいになったね」
「今までが不健康だったみたいに言わないで」
「でも、千夏って疲れても練習増やす方だったでしょ」
渚は自分のボトルを持ち上げ、残りを飲んだ。
「最近、終わる時間を決めるようになったよね」
「その方が次の日に動けたから。量もだけど質も考えないとなって」
「本当に変わる?」
「私は変わったよ。前の日の疲れを引きずったまま始めることが減った」
「何か特別なことしてるの?」
「特別なことじゃないよ。練習の後に食べて、ちゃんと眠って、疲れてるところがないか確認してるだけ」
「だけって言うけど、私、帰ったら動画見て寝るの遅くなる」
「それを早くするところからじゃない?」
「耳が痛い」
渚は笑った後、千夏のノートをもう一度見た。
「誰に教わったの?」
「大喜くん」
「やっぱり」
「小学生の頃から教わってたこともあるけど、今はもっと細かくやってるから」
「代表選手は、家でも代表選手なんだ」
「家ではソファで寝てる時もあるよ」
「なんか想像できる」
二人が話していると、近くで片づけをしていた部員たちも寄ってきた。
「何の話?」
「千夏が最近、練習の最初から元気な理由」
「元気って言い方やめて」
「大喜くんに身体の整え方を聞いたんだって」
「じゃあ、大喜くんを女子バスケ部の影のコーチにしよう」
別の部員が笑う。
「女子バスケ部の大喜くん」
「本人、バド部なのに」
「知らないところで入部させられてる」
千夏は否定しようとしたが、部員たちの関心はすぐに別の方へ移った。
「何をすればいいの?」
「私も最近、朝から身体が重い気がして」
「ノートって毎日書かないと駄目?」
「ストレッチ増やすの?」
一度に質問され、千夏は手を上げて止めた。
「全部やる必要はないよ。私も大喜くんと同じことをしてるわけじゃないから」
「じゃあ、何から?」
「まず、練習が終わった後にちゃんと食べることと、眠る時間を削らないこと。朝起きて痛いところがあったら、黙って練習しないこと」
「普通だね」
「普通だけど、毎日できてる?」
「……できてない」
「私もできてなかったよ」
千夏が答えると、部員たちの笑いが落ち着いた。難しい方法ではない。だからこそ、聞いただけで満足せず、続ける必要がある。
「ノートは、自分が分かればいいと思う。私は忘れるから書いてるだけ」
「千夏、真面目だから」
「大喜くんも途中で寝て書けない日あるよ」
「代表選手の秘密を暴露していいの?」
「本人が寝落ちって書いてたから」
「かわいいじゃん」
「そこは別にいいでしょ」
話が違う方向へ行きかけたところで、監督が片づけの様子を見に来た。千夏は、自分が一週間続けたことと、部員たちも興味を持っていることを説明した。監督は全員へ同じノートをつけさせたり、新しい準備運動を一斉に始めさせたりはせず、自主性に任せる方針のようだ。
「自分で身体を管理する意識を持つのは悪くない。ただし、痛みがある時に自分たちだけで大丈夫だと決めるな」
監督は最後に、そう釘を刺した。千夏は頷き、部員たちにも同じことを伝えた。渚はその日の夜から、スマートフォンを見る時間を決めたらしい。
次の日の練習前、眠そうな顔で千夏のところへ来る。
「昨日、早く寝ようと思ったら逆に眠れなかった」
「一日で変えようとしなくていいんじゃない?」
「千夏、急に余裕あること言うね」
「まあ同じこと言われたから」
「出た、影のコーチ」
「私は聞いたことを伝えただけ」
「そういうことにしておく」
部員たちは、それぞれできる範囲で生活を見直し始めた。続かない日もある。それでも、疲れていることを隠して練習へ入るより、言葉にする選手が増えた。
週末、女子バスケ部は近隣校との練習試合を行った。試合前、千夏は普段と同じように身体を動かしながら、前日の疲れが残っていないかを確認した。渚は早く眠れたらしく、いつもより表情が明るい。試合が始まると、栄明は最初から声が出ていた。
相手の速攻に置いていかれず、守備へ戻る。リバウンドへも一人だけでなく、近くの選手が続いて入る。攻撃では急いで難しいシュートを選ばず、パスを回して空いた選手を使った。準備を見直しただけで、技術が急に上がったわけではない。相手の守備に迷う場面もあり、簡単なパスを失うこともあった。
それでも、試合の最初から身体が重そうに止まる選手は、いつもより少なかった。ベンチへ戻った時、渚がタオルで汗を拭きながら千夏を見る。
「今日、なんか最初から動けた」
「昨日、早く寝たからじゃない?」
「千夏のおかげって言わせてよ」
「私じゃなくて、渚が寝たからだよ」
「じゃあ半分」
「何でも半分にするね」
「大喜くんの分もあるから、三分の一?」
「もっと減った」
二人は笑い、監督の指示へ耳を戻した。練習試合が終わった後、部員たちからも似た言葉が出た。いつもより早く試合へ入れた。朝から重かった身体が、準備をするうちに動いた。前日の疲れを我慢せず伝えたことで、無理に本数を増やさずに済んだ。
勝敗を変える魔法ではない。ただ、自分たちが持っている力を、最初から出すための準備にはなっていた。千夏は部員たちの話を聞きながら、次は何を続けるべきかを考えていた。自分一人が動ければいいわけではない。チーム全体が同じ試合へ入るために、それぞれが自分の状態を知る必要がある。
以前なら、千夏は自分のシュートや守備をどう改善するかを先に考えていた。今は、渚や他の部員がどうすれば力を出せるのかも気になっている。
同じ頃、男子バドミントン部では、大喜が代表合宿で経験した練習を部員たちへ紹介していた。打った後すぐ次へ備えるための反復で、匡が球出しに入る。中学から大喜の自主練に付き合ってきた匡は、大喜が苦しくなる間合いもよく知っていた。
「匡、もう少し間を空けて」
「さっきは短くしてって言っただろ」
「今の速さだと戻れない」
「代表の練習なんじゃないの?」
「最初から全部できたわけじゃないよ」
大喜が自分でできる速さへ戻して動きを整えると、針生も興味を示して交代した。数本で息を上げ、落ちたシャトルを拾いながら苦笑する。
「これ、地味にきついな」
「合宿でも嫌われてました」
「お前は好きそうだけどな」
「できないと気になるので」
「やっぱり好きじゃねえか」
針生は、通常練習の合間に入れるなら使えそうだと判断した。大喜が一人で持ち帰った経験は、匡が付き合ってきた時間とも重なり、今度は部全体へ渡っていく。
その日の練習後、千夏は体育館の端で大喜を待っていた。女子バスケ部の片づけは終わっている。男子バドミントン部では、匡が最後のシャトルを筒へ戻し、針生がネットを確認していた。大喜がラケットバッグを持って近づいてくる。
「ちーちゃん、待った?」
「今終わったところ」
「練習試合、どうだった?」
「どうして知ってるの?」
「朝、監督同士が話してたから」
「気になってた?」
「そりゃ気になるよ」
大喜は当然のように答えた。千夏はその言葉に反応しそうになったが、すぐに練習試合の話へ戻した。
「勝敗はともかく、いつもより最初から動けたって言う子が多かった」
「本当?」
「うん。渚も、前の日に早く寝たら違ったって」
「それは渚先輩が頑張ったからじゃない?」
「私もそう言った」
「ちーちゃんらしい」
「何それ」
「自分のおかげって言わないところ」
「大喜くんも、自分のおかげって思ってないでしょ」
「だって、俺は女子バスケ部で何もしてないし」
千夏は笑った。
「女子バスケ部では、大喜くんが影のコーチって呼ばれてるよ」
「何で?」
「私が大喜くんから聞いたことを話したから」
「それなら、ちーちゃんがコーチじゃない?」
「私も選手だよ」
「じゃあ監督?」
「監督はちゃんといるよ」
「難しいな」
大喜が本気で考え始めたため、千夏は首を振った。
「呼び方は何でもいいの。みんなが、自分の身体のことを前より考えるようになったから」
「ちーちゃんが話したからでしょ」
「きっかけは大喜くんだよ」
「でも、部のみんなに伝えたのはちーちゃんじゃん」
「そうだけど」
「それに、俺はバスケのこと分からないし」
大喜は一度言葉を切った。
「ちーちゃんがバスケに合うように考えたから、みんなもやってみようと思ったんだよ」
褒めようとして言っているのではない。大喜は、自分が見たままを話しているだけだった。だから千夏も、素直に受け取ることができた。体育館の照明が一列ずつ消されていく。針生と匡が先に出口へ向かい、大喜と千夏もその後を追った。
外へ出ると、春の夜風が練習後の身体に冷たかった。二人はいつものように並んで歩き始める。千夏はラケットバッグを背負う大喜の横顔を見た。幼い頃から一緒にいた。勝った日も、負けた日も知っている。大喜が努力家で、負けず嫌いで、競技のことになると止まれなくなる人だということも知っていた。
それでも、代表活動へ参加し、自分の知らない選手たちと練習する間に、大喜は少しずつ変わっていた。自分の知らない場所で、大喜の中に新しいものが増えている。
「大喜くん」
「何?」
「私、大喜くんのこと、何でも知ってると思ってた」
「急にどうしたの?」
「小さい頃から一緒だったから」
「うん」
「でも、代表に行ったり、家でも頑張ってて、知らないことが増えてた」
大喜は歩く速度を少し緩めた。
「寂しかった?」
「ちょっとだけ」
「ごめん」
「謝ることじゃないよ」
千夏はすぐに答えた。大喜が前へ進んだことを、責めたいわけではない。むしろ、自分が知らない場所でも努力を続け、その経験を持ち帰る大喜を、以前より頼もしく思っている。
「知らないことが増えたけど、今は近くで見られるから」
「そう?」
「うん。練習の後までちゃんと考えてることとか」
「そうかな」
「あとソファで寝てるとことか」
「あれは努力じゃないよ」
「知ってるよ」
千夏は笑った後、少しだけ歩調を速めた。大喜と半歩ずれたままでは、言いにくい気がした。横へ並び直し、前を向いたまま続ける。
「でも、大喜くんが知らないところで成長してたの、頼もしいと思った」
「本当?」
「うん」
「よかった」
「あと、ちょっと格好いい」
「え?」
大喜の足が止まりかけた。千夏はそのまま歩き続ける。
「何、その反応」
「だって、急に」
「大喜くんも急にインターハイの話するでしょ」
「競技の話じゃん」
「私も競技の話だよ」
「格好いいは競技の話?」
「強い選手は格好いいでしょ」
「まあそうか」
大喜は納得したように頷いた。その受け取り方でいい。今はまだ、それ以上を気づかれなくてもいい。千夏は前を向いたまま、口元を緩めた。
「でも、家でソファに寝転んで動かないところは、昔と変わらないね」
「疲れてるんだよ」
「荷物を階段の下に置いたままにするのも?」
「後で運ぼうと思ってる」
「いつもおじいちゃんに言われてるよ」
「ちーちゃんまで母さんみたいなこと言わないで」
「同じ家にいるから見えるの」
「知られなくていいところまで知られてる」
「長く一緒にいるからね」
「さっき、知らないことが増えたって言ってたじゃん」
「だから、これからまた知っていくの」
千夏が答えると、大喜はしばらく黙った。恋愛的な意味を考えているわけではない。ただ、その言葉をどう返せばいいのか迷っているらしい。やがて、大喜はラケットバッグの肩紐を持ち直した。
「じゃあ、俺もちーちゃんの知らないところ、見つける」
「負けないよ」
「勝負なの?」
「大喜くんが言い出したんでしょ」
「そうだっけ?」
二人の声が、夜の住宅街へ続いていく。知らないことが増えたのは、離れていたからだけではない。互いに、自分の競技の中で成長してきたからでもある。その変化を、今は同じ家へ持ち帰ることができる。大喜が代表で得たものを男子バドミントン部へ渡し、千夏が自分で確かめたものを女子バスケ部へ広げる。
二人は同じ方向へ進みながら、それぞれのチームを少しずつ強くしていた。猪股家の明かりが見えてくる。大喜が玄関へ向かって歩調を上げ、千夏も隣を離れないまま追いついた。