Another Childhood   作:やまうぇ

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第39話 次の花火を待つ間

七月三十一日の午前、大学の体育館には、栄明とは違う速さでシャトルが飛び交っていた。大喜と針生が最初に苦しんだのは球の速さそのものより、一球が終わる前から次の準備が始まることだった。

 

大喜は毎回中央へ戻ろうとして遅れ、大学生から「戻る場所を意識しすぎているな。今いる位置から次を取れる形を残すほうがいい」と指摘された。針生も前へ戻ることを急ぎ、同じように背後を使われる。二人は得意な位置へ戻ることより、相手が触った瞬間に次を始めることを優先した。

 

点数のつかない練習では、大喜のスマッシュに以前ほどの迷いはなかった。ただ、県予選から一か月以上経っても、点数が並んだ時だけ「外さない方」が先に見える感覚は残っていた。

 

午後、大学生ペアと十一点のゲームを行った。序盤は大喜と針生が先行したが、相手は二人を得意な位置へ戻させず、八対八まで追いついた。そこで大喜に決められる高さの球が上がる。

 

打つ直前、サイドラインが近く見えてしまった。大喜の球は加速せず、コートの内側へ収まる。大学生にはその球を返され、逆に一点を失った。

 

「並んだら出たな」

「……はい」

「前よりは速かった」

 

八対十のマッチポイントで、もう一度同じ高さの球が来た。今度の大喜は点数を見ずに振り切った。決まりはしなかったが、返された球を針生が前で仕留める。次の一点は大学生に取られ、九対十一で終わった。

 

負けたことより、大喜には二本の違いが残った。八対八では抑え、八対十では振った。迷いが消えたわけではない。それでも、一度出た迷いを次の一本まで引きずらずに済んだ。

 

対戦した大学生からは、二人とも最初の攻撃が通った後に元のポジションを意識しすぎることを指摘された。大喜と針生は、インターハイでは「決めた後」まで相手が返す前提で動くことを確認した。

 

「でも、マッチポイントでは打てたな」

「一本だけです」

「一本は一本だろ」

「八対八の方は抑えてました」

「じゃあ、出たら気にするな。出なくなるのを待ってたら、インハイ終わるぞ」

 

針生はシャトルの筒を閉じた。

 

「それと、今日みたいな相手にお前一人で決め続けるのは無理だ。俺も前で、もう一球作る」

「お願いします」

「そこは、俺に任せますとか言えよ」

「いや、針生先輩が自分でやるって言ったので」

「可愛げねえな」

 

針生はそう言いながらも、機嫌は悪くなさそうだった。大学を出ると、午後の日差しが道路へ照り返していた。二人は駅へ向かい、改札の手前で別の路線へ分かれる。

 

「お前、祭り行くんだっけ」

「はい、一回帰ってから行きます」

「じゃあ、練習の反省会はそこで終わりにしろよ」

「針生先輩も今日は予定あるんですよね」

「まあな」

「花恋ちゃんですね」

「分かってて聞くな」

 

針生は片手を上げ、自分のホームへ向かった。猪股家へ戻ると、玄関には千夏のバスケットシューズが置かれていた。大喜がシャワーを浴びて一階へ下りると、千夏も着替えを済ませていた。白いシャツに細身のパンツを合わせ、髪は練習中より低い位置で結んでいる。浴衣ではなく、普段の休日と変わらない服装だった。それでも、リビングの時計を確認した時から、千夏の表情には笑みが残っていた。

 

「大喜くん、準備できた?」

「うん。ちーちゃんは?」

「できてるよ」

「待たせた?」

「十分くらい」

「ごめん」

「練習の後なんだから、全然待つよ」

 

大喜の母が台所から保冷用の小さな袋を持ってきた。

 

「飲み物は持った?」

「会場で買うよ」

「混んでたらすぐ買えないかもしれないから、一本ずつ持っていきなさい」

「お祭りなのに家の麦茶?」

「熱中症になるよりいいでしょう」

「ありがとうございます」

 

千夏が袋を受け取り、大喜は二本のボトルを自分のバッグへ入れた。祖父はテレビから顔を上げ、河川敷から帰る道を確認する。

 

「花火が終わると駅の方は混むぞ。帰りは商店街の裏を通った方がいい」

「分かった」

「十時前には戻ります」

「遅くなるなら連絡してね」

「はい」

 

家を出ると、昼間の熱がまだ舗道に残っていた。地域の夏祭りは、駅とは反対側の商店街から河川敷まで続いている。普段の帰り道とは途中まで同じだが、今日は二人とも練習着でも制服でもない。千夏は隣を歩きながら、何度か大喜の顔を見た。

 

「大学の練習、どうだった?」

「いつもより、かなり速かった。反応練習も、最初は全然間に合わなかったよ」

「試合だけじゃなかったんだ」

「シングルスの対人もやったし、ダブルスの動きも見てもらった」

「針生君と、ちゃんと動けた?」

「途中からは。でも大学生にいろいろと言われた」

 

大喜が答えると、千夏は楽しそうに笑った。

 

「ゲームもしたの?」

「最後に十一点だけ。九対十一で負けた」

「惜しかったんだ」

「最初はリードしてたんだけど、後半は速い球で動かされて」

「振り切れた?」

「普通の時は。八対八になったら、やっぱ一回抑えたんだよね」

「そうなんだ」

「でも、八対十のときは振れた」

「じゃあ、前より進んでるね」

「うん。でも今のままだとインハイ終わっちゃうから、少し焦るかな」

 

千夏は大喜の返事を聞き、すぐに励ましの言葉を重ねなかった。代わりに歩幅を合わせ、次は自分の練習について話し始める。

 

遠くから太鼓の音が聞こえてきた。商店街の入口には赤い提灯が並び、浴衣姿の家族連れや学生たちが屋台の間を歩いている。焼きそばのソース、たこ焼き、焼いた肉の匂いが重なり、練習を終えた二人の空腹を刺激した。千夏は入口で足を止め、左右の屋台を見回した。

 

「思ってたより多いね」

「毎年、こんな感じじゃなかった?」

「久しぶりだからかな」

「ここしばらくは来てなかったからね」

「たぶん。それに、今日は二人だし」

 

千夏はそれ以上続けず、牛串の屋台へ目を向けた。大喜も同じ屋台に気づく。

 

「ちーちゃん、あれ好きだったよね」

「今も好きだよ」

「やっぱり」

「大喜くんも食べる?」

「食べる。練習の後だし、二本でもいいかも」

「それは多くない?」

「ちーちゃん、昔も一本は多いって言って、全部食べてたじゃん」

「大喜くんが途中でほしいって言うから、一本買ってたの」

「俺のせいだった?」

「半分くらいは」

 

二人は列へ並び、それぞれ一本ずつ買った。屋台の脇へ寄り、串から肉を外さずそのまま食べる。千夏は一口目を食べたところで、大喜のシャツを確認するように見る。

 

「何?」

「昔、たれを服に落としてたなと思って」

「小学生の時でしょ」

「二回くらいあった」

「もう高校生だよ、俺」

「昔を思い出しただけだよ」

「それならいいけど」

 

千夏は笑いながら次の一口を食べた。牛串を食べ終えると、千夏は向かい側の屋台を指した。

 

「次、焼きとうもろこし見たい」

「いいね。俺はその後、焼きそばにしようかな」

「先にとうもろこしでいいの?」

「どっちも食べるから順番は同じだよ」

「じゃあ、一緒に並ぼう」

 

二人は人の流れを横切り、焼きとうもろこしを探し始めた。千夏は自分が食べたいものを見つけるたび、大喜へ確認する前に足を止める。射的の景品を見て、昔より難しそうだと言い、色の違うラムネを見つけると、いつから種類が増えたのかと笑う。大喜も、千夏が行きたい方へそのままついていった。

 

射的の前では、小学生くらいの男の子が棚の上の景品を狙っていた。コルク弾が箱の端へ当たり、景品は一度揺れたものの、元の位置へ戻ってしまう。千夏がその様子を見ながら、棚の奥へ目を向けた。

 

「昔より難しそうだね」

「一回やってみようかな。ちーちゃんもやる?」

「私は見てる。大喜くんの方が当てそうだから」

「バドミントンとは全然違うよ」

「でも、狙うのは得意でしょ」

 

大喜は店主へ代金を払い、コルク銃を受け取った。最初の一発は景品の横を抜け、二発目は箱へ当たったものの、倒すところまではいかない。大喜が銃を構え直したところで、隣からスマートフォンの撮影音が聞こえた。

 

「今、撮った?」

「うん。すごく真剣だったから」

「射的でそんな顔してた?」

「大学で練習してた時も、たぶん同じ顔だったよ」

「見てないのに分からないでしょ」

「んー、多分合ってると思う」

 

最後のコルク弾は景品の上部へ当たり、箱を大きく傾けた。しかし、落ちる寸前で棚の縁に引っかかる。

 

「惜しい」

「写真撮られてなかったら当たってたかも」

「私のせいにするの?」

「集中してるところで音がしたから」

「じゃあ、写真は消さないでおくね。言い訳の証拠に」

「それ、俺に不利な証拠じゃない?」

 

千夏は撮った写真を確認し、消さずにスマートフォンをしまった。景品は取れなかったが、大喜は悔しそうに棚を振り返りながらも、屋台から離れた。

 

「じゃあ、焼きとうもろこし行こう」

「さっきから気になってた?」

「うん。大喜くんが射的してる間に、いい匂いしてきたから」

 

千夏は返事をしながら、また笑った。練習が終わってから着替え、二人で近所の祭りへ来ただけだった。それでも、大喜が屋台を一つ見るたび隣を歩き、千夏が止まれば一緒に止まる。そのことが、今日は何度も嬉しく感じられた。

 

焼きとうもろこしと焼きそばを買った後、二人は商店街の端に設けられた長机へ座った。大喜は紙容器の焼きそばを食べながら、千夏のとうもろこしへ目を向ける。

 

「それ、おいしい?」

「うん。食べる?」

「一口だけ」

「大喜くんも、昔からそれ言うよね」

「ちーちゃんに言われたくないな」

「じゃあ、一本買えばよかったのに」

「焼きそばも食べたかったから」

「私も焼きそば一口ほしい」

「結局そうなるんだ」

「交換ならいいでしょ」

 

千夏がとうもろこしを差し出し、大喜は焼きそばの容器を机の中央へ寄せた。互いの食べ物を一口ずつ交換し、どちらが得をしたのかで軽く言い合う。千夏が笑うたび、祭りの明かりが横顔に当たった。休憩場所を離れる頃には、空が暗くなり始めていた。

 

河川敷へ向かう人が増え、屋台の間の道は先ほどよりも混んでいる。大喜は千夏が隣にいることを確かめながら進んだが、前から来た浴衣姿の集団を避けたところで、二人の間へ人が入った。千夏が人の隙間から大喜を追おうとすると、大喜が立ち止まった。人の流れを邪魔しない場所へ寄り、千夏へ手を差し出す。

 

「ちーちゃん、こっち」

 

千夏は差し出された手を見た。水族館では、昔のように自分が大喜を連れていく理由を作って、先に手を取った。今日は大喜が待っている。千夏は持っていたラムネを左手へ移し、その手を取った。

 

「これなら、はぐれないね」

「うん。ここからもっと混むみたいだし」

「大喜くんの方が見つけやすいけど」

「見つける前にはぐれない方がいいでしょ」

「そうだね」

 

大喜は千夏を強く引かず、人の流れに合わせて歩き始めた。握る力は、進む方向が伝わる程度だった。それでも、大喜が前を向いた後も、千夏の手は離れなかった。

 

二人が屋台の列を抜けたところで、少し離れた場所に浴衣姿の女性が立っていた。花恋は手に持っていた飲み物を下ろし、大喜と千夏の後ろ姿を見送った。人混みの中でつながれた手は、離れる様子がない。

 

声をかけようとして、やめる。代わりにスマートフォンを取り出し、二人の背中を一枚だけ撮った。河川敷では、針生が花火の見える場所を確保して待っていた。花恋が戻ると、空けていた隣の場所を軽く叩く。

 

「遅かったな……どうしたそんな笑って」

「いいもの見ちゃった」

「何だよ」

「これ」

 

花恋が画面を見せると、針生は手をつないで歩く二人の写真を見て、眉を上げた。

 

「大喜、普通に手つないでるじゃねえか」

「ちーからじゃなくて、大喜くんから手を出してたよ」

「声かけなかったのか?」

「かけたら離しちゃいそうだったから」

「それはありそうだな」

「だから写真だけ」

「撮ったこと本人に怒られねえ?」

「ちーなら、たぶん怒る前に保存するよ」

 

花恋は千夏とのトーク画面を開き、写真を添付した。

 

『いいもの見ちゃった』

 

送信すると、既読がつく前にスマートフォンを伏せた。花恋は満足そうに隣へ座り、針生から飲み物を受け取った。

 

大喜と千夏は、写真を撮られたことに気づかないまま河川敷へ向かっていた。人の多い通りを抜けても、大喜は手を離さなかった。河川敷へ続く道は広くなり、離れないために手をつなぐ必要はもうない。千夏もそれを分かっていたが、自分から指をほどくことはしなかった。

 

その時、ポケットの中でスマートフォンが震えた。千夏は大喜とつないでいない方の手で端末を取り出す。花恋から写真が届いていた。画面には、人混みを歩く大喜と千夏の後ろ姿が写っている。大喜の手が千夏の手を包み、二人の間にほとんど距離がない。

 

『いいもの見ちゃった』

 

千夏は反射的に後ろを振り返った。人が多く、花恋の姿は見えない。

 

「どうしたの?」

「花恋からメッセージ」

「この辺にいるの?」

「たぶん」

「何て?」

「内緒」

「何で?」

「大喜くんには関係ないから、大丈夫だよ」

 

千夏は写真を削除せず、スマートフォンをポケットへ戻した。河川敷には既に多くの人が座っていたが、土手の途中に二人分の空きがあった。大喜と千夏は並んで腰を下ろす。つないだ手は二人の間へ残った。花火が始まるまで、まだ時間がある。川の向こうでは係員が打ち上げ場所を確認し、屋台の音だけが遠くから聞こえていた。

 

千夏は前を向いたまま、大喜の手を握っている。

 

「今日、誘ってくれてありがとう」

「まだ花火、始まってないよ」

「誘ってくれたことに言ってるの」

「今度は分かったよ」

「ならよかった」

「ちーちゃんも楽しんでる?」

「うん、来てよかった」

「俺も」

 

大喜は手をつないでいない方の腕を膝へ載せた。

 

「この前、コンビニと公園に連れ出してくれたでしょ」

「うん」

「あの後から、抑えるのは減ったんだ。今日みたいに、点数が並ぶとまだ出るけど」

「私も、渚に任せられた場面はあった。でも全部じゃなかった」

 

千夏は大喜の手へ指を重ね直した。

 

「大喜くんに言われなかったら、自分が待ててないことを、もっと後まで気づかなかったかもしれない」

「俺も、ちーちゃんに言われなかったら、大丈夫って言って終わってたと思う」

「じゃあ、お互い様?」

「お互い様だね」

 

千夏は何かを返そうとしたが、先に笑った。会話が途切れたところで、打ち上げ開始を知らせる放送が流れた。周囲の人々が一斉に空へ顔を向け、子どもたちの声が高くなる。細い光が夜空を昇り、最初の花火が大きく開いた。少し遅れて腹に響く音が届き、川の水面に映った色が、形を崩しながら流れていく。

 

千夏は花火を見上げた。隣では、大喜も同じ空を見ている。水族館では千夏から手を取った。今日は大喜が先に手を差し出した。大喜がその違いをどこまで考えているのかは分からない。理由を聞けば、人混みではぐれないためだと答えるだろう。

 

それでも、河川敷へ座った後も、手はつながったままだった。次の花火が上がる中、大喜は大学でのゲームを思い返していた。八対八で打った球は、コートの内側へ入れた。八対十で上がった球には、最後まで腕を振った。どちらも自分の球だった。次に同じ場面が来た時、どちらを選ぶかはまだ分からない。

 

ただ、打てなかった時には、もう一度形を作ればいい。針生が前で返球を絞り、自分が後ろから振る。一本で終わらなくても、その次の球がある。大喜は隣へ目を向けた。千夏は花火を見たまま笑っている。練習中に味方の位置を確かめる時とも、後輩へ声をかける時とも違う顔だった。

 

大喜も空へ視線を戻した。花火が夜空いっぱいに広がり、二人の周囲を明るく照らす。その光が消え始めた時、千夏がつないだ手に力を込めた。大喜も、同じくらいの強さで握り返した。二人は何も言わず、次の花火が上がるのを待った。

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