八月に入り、インターハイの男子バドミントンが始まった。会場の観客席には全国各地の学校名が並び、手すりには色の違うタオルや横断幕が掛けられていた。冷房は入っているものの、複数のコートで試合が続く体育館には人の熱がこもり、シャトルが打たれるたびに乾いた音が天井へ重なっていく。大会初日は、一回戦から準々決勝までが行われる。大喜と針生はシードにより一回戦を免除され、二回戦からコートへ立つ。
大喜と針生は試合開始の一時間前からサブコートへ入り、基礎打ちの後、サーブとレシーブを短く繰り返した。最後は前後の位置を入れ替えながら、攻撃へ移るまでの数球だけを確認する。会場によって照明の見え方も、空調によるシャトルの伸び方も違う。練習で振れていても、最初から同じ感覚で打てるとは限らなかった。
針生が奥へ上げた球を、大喜は力を抑えてストレートへ落とした。シャトルは狙った位置より長く伸び、エンドラインの近くへ落ちる。
「こっち側、奥が伸びるな」
「打った後も少し流されますね。最初はラインを狙いすぎず、中央から作りましょう」
二回戦では相手が大喜の身体近くへ球を集めてきたが、二人は得意な位置へ戻ることを急がず、その時いる場所から次の球を作った。三回戦でも相手の速い展開に付き合わず、短い球と奥への返球を使い分ける。大きく崩れることなく、二試合をストレートで勝ち上がった。
準々決勝の相手は、前衛と後衛を固定せず、返球ごとに役割を入れ替える三年生ペアだった。大喜と針生が得意な位置へ戻ろうとする途中を何度も使われ、第一ゲームを落とした。
「相手、こっちよく見てますね」
「お前が後ろ、俺が前って考えた瞬間に、その間を使われてる」
「次は場所考えず、声でうまく連携取りますか?」
「それでいくか。一本で決まらなくても、次まで形を続けるぞ」
第二ゲームでは大喜が前へ残る場面も、針生が後ろから打つ場面も増えた。二人は一ゲームを取り返し、ファイナルでも固定した形へ戻らずに競り合う。二十対十八のマッチポイント、二人の間へ来た球を大喜は無理に触らず、針生へ任せた。次の返球へ大喜が入り、最後は中央へ上がった球を針生が沈めた。
シャトルが止まった後、大喜は一度だけ拳を握った。全国ベスト4が決まった。
「これで全国でベスト4ですね」
「そう言う割に、全然うれしそうじゃねえな」
「うれしいですよ。でも、まだ準決勝があります」
「その前に、明日は俺のシングルスだ」
「ケア手伝いますよ」
針生は笑い、まだ試合の続いているコートへ顔を向けた。今日の勝利は大きい。それでも、全国大会はまだ終わっていない。大喜もラケットをケースへ戻し、明日の組み合わせを頭の中でもう一度確認した。
翌日は、男子シングルスの一回戦から準々決勝までが行われた。大喜は個人戦へ出場できないため、観客席から針生の試合を見る。自分のラケットを持たずに全国大会のコートを見下ろすことには、県予選が終わった直後とは違う居心地の悪さが残っていた。
それでも、ただ試合を眺めていたわけではない。針生がどの球を選び、全国上位の選手がどう返してくるのかを追う。次に自分がコートへ立つ時、使えるものを一つでも増やしたかった。針生の一回戦が始まる前に、花恋が観客席へ現れた。
髪を一つにまとめ、肩には仕事用らしい大きめのバッグを掛けている。周囲を見回して大喜を見つけると、その隣まで歩いてきた。
「大喜くん、おはよう。まだ始まってないよね?」
「うん。針生先輩は今、下でアップしてる。花恋ちゃん、撮影は午後からだっけ」
「そうそう。だから一回戦から見て、間に合うところまではいるつもり」
「三回戦まで残ったら兵藤さんと当たるよ」
「健吾から聞いた。だから、そこまでは見たいんだけど、進行が遅れたら途中で出ないといけないかも」
花恋は席へ座り、コートの端で準備している針生を見つけた。針生も観客席へ一度だけ顔を上げ、二人のいる方向へ手を上げる。大喜も手を返してから、以前から引っかかっていたことを思い出した。
「そういえば俺、二人から付き合ったって聞いてなかったんだけど」
「今、その話するの?」
「会った時に聞こうと思ってたから。針生先輩とは毎日会ってたのに、西田先輩がバラすまで何も言わなかったし」
「隠してたわけじゃないよ。大喜くんとは会った時に話せばいいかなって思ってただけ」
「ほんとに?」
「大喜くん、教えなかったせいで何か困った?」
「困ってはいないけど、俺だけ知らなかったみたいで、ちょっと気になった」
「じゃあ今知ったから大丈夫。健吾にも、ちゃんと本人から聞いたって言っておいて」
「なんか、花恋ちゃんらしいね。それなら仕方ない気がしてきた」
花恋が笑ったところで、場内アナウンスが針生の名前を呼んだ。二人は話を止め、コートへ顔を向けた。針生は二回戦まで危なげなく勝ち上がり、三回戦で兵藤と向かい合った。
第一ゲームは、針生に十分な体勢を作らせなかった兵藤が十六対二十一で先取した。第二ゲームでは針生が強打を急がず、兵藤を奥へ動かしてから前を使う形へ変え、二十一対十八で取り返す。
ファイナルゲームは十八対十八まで並んだ。そこから先に変えたのは兵藤だった。針生が奥を警戒した一歩を使って前を取り、次の一本でも先に戻って針生の強打を受け止める。十八対二十。
マッチポイントでも針生は最後まで攻めた。だが、打ち切った球を兵藤が返し、その次まで先に動いた。十八対二十一。針生は息を整え、ネットへ歩いた。兵藤も手を差し出した。
「この二年、お前と試合できて楽しかったよ」
「俺は一回くらい勝ちたかったですけどね」
「今日も最後まで、いい戦いだった」
「だったら最後の三点、譲ってくださいよ」
「それをしたら、お前の方が怒るだろ」
「怒りますね」
針生は悔しさを隠すようには笑わなかった。兵藤も慰める言葉を重ねず、もう一度だけ手を上げて自分のベンチへ戻った。選手通路へ出てきた針生を、大喜と花恋が待っていた。大喜は針生のラケットバッグを受け取らず、隣を歩きながら試合の終盤について話した。
「十八対十八から、兵藤さんがサーブレシーブを変えましたね」
「俺が奥を警戒しすぎてた。身体近くへ返された時、次に前を使われるのは分かってたのに、先に下がった」
「第二ゲームで使えてた形は通ってました。明日のダブルスでも、針生先輩が後ろに回った時に使えそうです」
「シングルスで負けた直後に、もうダブルスの話かよ」
「針生先輩も考えてますよね」
「考えてる。だから余計に腹が立つ」
針生は首へ掛けていたタオルで汗を拭いた。花恋は二人の話が一区切りするまで黙って歩いている。大喜は通路の先にある売店を見た。
「俺、飲み物買ってきます。針生先輩、何がいいですか」
「スポーツドリンク。冷たすぎないやつ」
「花恋ちゃんは?」
「私は大丈夫。持ってるから」
「分かった。少し待ってて」
大喜は二人から離れ、売店の列へ向かった。振り返らなかった。花恋がどんな言葉を掛けるのかも、針生が何を返すのかも、大喜が聞くことではない気がした。二人の間には、大喜や千夏へ説明する必要のない時間がある。飲み物を買って戻ると、針生と花恋は並んで窓の外を見ていた。
花恋は午後の撮影へ向かう時間が近づいていた。大喜からボトルを受け取った針生は、花恋を会場の出口まで送ると言い、大喜は先に次の対戦候補の試合を見に行くことにした。針生が戻ってきた時には、表情から悔しさが消えたわけではなかった。ただ、歩く方向は翌日のコートへ向いていた。
大会三日目、男子ダブルスの準決勝が行われた。
相手は世代別代表経験を持つ三年生ペアで、返球ごとに前後を迷わず入れ替える。大喜と針生は一本目の攻撃では通じても、その後に得意な位置へ戻ろうとする時間を使われ、第一ゲームを十三対二十一で落とした。ベンチへ戻ると、針生は息を整えながらコート中央を指した。
「俺が前に入りすぎてる。お前の球が浮いてなくても、決まる前提で詰めてた」
「俺も、針生先輩が前にいるのを見て、すぐ後ろへ戻ろうとしてました」
「次は最初の位置へ戻るのをやめよう。俺が後ろなら、そのまま打って次まで残る」
「じゃあ俺は前に残って、相手の返球を一方向に絞ります。頭上を抜かれた時は、針生先輩に任せます」
「それでいく。俺が前に出た時は、お前が後ろから一本で決めようとせず、もう一度俺が触れる球を作ってくれ」
「了解です」
第二ゲームでは大喜が前へ残り、針生が後ろから打つ形でも攻撃を続けた。十七対十五まで先行したが、相手も返球を低くして二人の着地や背後を狙い、十七対十七へ戻す。そこで大喜に十分な高さの球が上がった。
大喜はラインから余裕を取った内側へ運んだ。相手は崩れずに返し、その次を二人の間へ沈める。十七対十八。大喜はシャトルを拾い、針生へ渡した。
「すみません、今の入れにいきました」
「どうせ一ゲーム取られてるんだ、もう遠慮なく打て」
「次は振り切ります」
十八対十九で同じ高さの球が上がると、今度の大喜は最後まで振り抜いた。決まりはしなかったが、二人は返された後も動きを止めなかった。十九対二十の最後のラリーでは針生が後ろから打ち、大喜が前へ入る。返球が大喜の頭上を越えた瞬間、二人は同時に後ろへ動きかけた。空いた前方へシャトルを落とされ、十九対二十一で試合が終わった。
大喜と針生はネットを挟んで相手ペアと握手を交わした。観客席から拍手が聞こえていたが、大喜はすぐには顔を上げなかった。全国ベスト4。春に初めて組んだ時には、県予選へ進めるかさえ分からなかった二人が、全国の準決勝まで残った。その結果を軽く扱うつもりはなかった。
それでも、決勝のコートに立つのは自分たちではない。ベンチへ戻ると、針生はラケットをケースへ入れる前に、グリップを握ったまま試合を振り返った。
「最後、二人とも後ろへ戻りかけたな」
「相手が返した後まで準備するって話したのに、攻撃の形ができたところで安心しました」
「俺も同じだ。最後だけじゃなく、第二ゲームの後半から何度か出てた」
「映像を見たら、戻る場所を決めるんじゃなくて、相手が触った時の位置を確認しましょう」
監督は二人の会話が途切れるのを待ち、結果表へ目を向けた。
「反省は帰って映像を見てやる。全国で通じたものと、通じなかったものを混ぜるなよ。ベスト4まで来たのは事実だ。ただ、負けたのも事実だ。次に持っていこう」
「はい」
「はい」
表彰を終えた後、大喜は会場の廊下でスマートフォンを取り出した。千夏は数日後に女子バスケットボールの会場へ向かう。今は栄明で最後の調整をしている時間だった。大喜は結果を短くまとめて送った。
『準決勝で負けた。最後は振り切れたけど、返された。』
スマートフォンをポケットにしまい、大喜は集合場所に戻った。夕食を終えた頃、千夏から二通届いた。
『お疲れさま。全国ベスト4、おめでとう。悔しいと思うけど、帰ったら試合のこと聞かせて。』
『私も行ってくるね』
大喜は画面を見ながら返信した。
『うん。ちーちゃんも、行ってらっしゃい。』
男子バドミントンの大会が終わると、入れ替わるように女子バスケットボールのインターハイが始まった。栄明は一回戦の序盤、相手の速い攻撃に押された。千夏がボールを受ける前から身体を寄せられ、持った瞬間にはゴール側から二人目が近づいてくる。
千夏は無理に得点へ向かわず、守備を引きつけて空いた味方へ渡した。渚がボールを運び、ゴール下では三年生のセンターがリバウンドを取り、交代で入った選手も守備から流れを変える。後半に入ると相手の足が止まり始めた。栄明は守備で奪ったボールを速攻へつなぎ、点差を広げる。千夏も第四クォーターに二本のシュートを決めたが、一人の得点だけで勝った試合ではなかった。
一回戦突破を決めた後、選手たちは宿舎へ戻った。夕食後のミーティングでは、監督が翌日の相手の映像を流した。昨年優勝校はリバウンドが強く、最初のシュートを外しても二人、三人とゴール下へ入ってくる。千夏への守備も早いため、ボールを集めすぎず、空いた選手が迷わず打つことを確認した。
ミーティングが終わり、千夏と渚は同じ階の廊下を歩いていた。部屋へ戻る選手たちの声が前後から聞こえ、先輩や同級生が次々と二人を追い越していく。渚は周囲の声が少なくなったところで、千夏へ顔を寄せた。
「噂だけど、吉谷先輩と小池先輩、インターハイが終わったら受験に専念するらしいよ」
「監督から?」
「いや、本人たちが話してるのを聞いた子がいたみたい。部活に来る回数を減らすって」
「そっか」
「うん。今のメンバーで試合するのは明日が最後になるかもしれない」
「終わった後のことを今考えても、できることは増えないよ。今日までやったことを明日も出そう」
「千夏はそう言いながら、急に全員分やろうとするから心配なんだけど」
「今日は渚に任せられたでしょ」
「前半に一回だけ、私より先に指示したけど、それ以外はまあ」
部屋へ戻ると、千夏はベッドの端に腰を下ろし、靴下を脱いだ。足首には、ミサンガが結ばれたまま残っていた。大喜と同じ大会へ進むことだけが、あの時に決めたことではない。自分のコートで逃げずに戦う。そのために、ここまで練習してきた。
千夏は結び目を指先で確かめ、足を床へ下ろした。大会が終わった後に誰が残り、誰が離れるのかは、まだ正式に決まっていない。今は、その先を考えるより、目の前に残っている一試合を戦う方が先だった。消灯前、千夏のスマートフォンに大喜からメッセージが届いた。
『一回戦突破、おめでとう。明日も応援してるよ。』
千夏は返信画面を開いたが、文字を打つ前に手を止めた。練習の手応えや明日の試合については、メッセージでも話せる。それでも今は、画面に並ぶ文字ではなく、大喜の声を聞きたかった。千夏は宿舎一階の談話スペースへ移動した。消灯前のため人は少なく、奥の自動販売機が一定の音を立てている。
通話ではなく、テレビ電話を選んだ。呼び出し音が二度鳴った後、画面に大喜の顔が映った。大会から帰宅したばかりなのか、部屋の隅には開いたラケットバッグが置かれていた。
「ちーちゃん、どうしたの? 何かあった?」
「何かあったわけじゃないよ。メッセージ、ありがとう」
「うん。一回戦、勝ったんだよね。おめでとう」
「ありがとう。それで、大喜くんに一つだけお願いしてもいい?」
「俺にできることなら」
「明日、頑張れって言ってほしい」
「それだけでいいの?」
「うん。今日は、それが聞きたくて電話したから」
大喜は一度頷き、画面の向こうから千夏を見た。
「ちょっと恥ずかしいね……ちーちゃん、明日も頑張って。やってきたこと全部出して楽しんで」
「うん。頑張ってくる」
頼んだのは一言だけだったが、大喜はその先まで言ってくれた。千夏は礼を言った後も、すぐには通話を切らなかった。大喜も急かさず、床に置いていたシャトルの筒を脇へ寄せる。
「男子の大会が終わって、身体はどう?」
「筋肉痛はあるけど、動けないほどじゃない。午前中は休んで、午後は軽く身体を動かしてからストレッチした」
「練習はしなかった?」
「ラケットは振ってないよ。ずっと休むと固まりそうだったから、歩いたり、軽く脚を動かしたりしただけ。夜ももう一回ストレッチする」
「それなら、ちゃんと休めてるね」
「針生先輩は練習したがってたけど、監督に止められてた」
「針生君らしいね」
「でも明日からは軽く打つと思う。俺も映像を見ながら、できる範囲で動くつもり」
「大会が終わったばかりなんだから、やりすぎないでね」
「ちーちゃんも、明日の試合が終わるまでは先のこと考えすぎないでね」
「分かってる。今いるメンバーで、できることをやってくる」
千夏はそのまま、翌日の対戦相手について少しだけ話した。昨年の優勝校で実力は上であること。千夏へ守備が寄るため、味方へ早くボールを渡す必要があること。大喜は競技の違う自分が余計なことを言わないようにしながらも、相槌を打ちながら聞いていた。
「じゃあ、明日に備えてもう寝ないとね」
「うん。大喜くんも、ストレッチしたら早く寝てね」
「分かった。帰ったら、ちーちゃんの試合の話も聞かせて」
「大喜くんの準決勝の話もね」
「うん。おやすみ、ちーちゃん」
「おやすみ、大喜くん」
通話を切ると、談話スペースには自動販売機の音だけが残った。千夏は暗くなった画面を見つめてから、スマートフォンを伏せた。頼んだ言葉は短かったのに、大喜の声はまだ耳に残っている。椅子から立ち上がり、部屋へ戻ろうと振り返ると、入口近くの壁から渚が顔を出した。その隣には、同じ学年の部員も立っている。
「……何してるの?」
「飲み物を買いに来たんだけど、出ていくタイミングを逃した」
「壁に隠れる必要はなかったよね」
「二人で話してるところに入るのも悪いかなって」
渚は悪びれる様子もなく談話スペースへ入り、同級生も笑いをこらえながら後ろに続いた。
「どこから聞いてたの?」
「頑張れって言ってほしい、の少し前」
「ほとんど最初じゃん」
「メッセージでも言ってもらってたのに、もう一回お願いしたんだね」
「文字と声は違うでしょ」
「だからテレビ電話?」
「電話をかけるなら、顔を見て話しても同じかなって思っただけ」
「声だけじゃなくて、顔も見たかったんだ」
「そういう言い方しないで」
千夏はスマートフォンをジャージのポケットへ入れた。否定するなら、もっと早く言えたはずだった。けれど、顔を見たかったのかと聞かれれば、違うとも言い切れない。渚はその間を見逃さず、隣の同級生と顔を見合わせる。
「今、否定しなかったね」
「まだ言う気?」
「いえ、これ以上は言いません」
「最初から言わなければいいのに」
「でも、電話する前より顔が柔らかくなったから、かけてよかったんじゃない?」
「……それは、そうかも」
千夏が認めると、渚は意外そうに目を丸くした。すぐに笑いそうになったが、千夏に見られて口元を引き締める。
「じゃあ、からかうのは本当にここまで。明日の話しよう」
「切り替えが早いね」
「千夏が素直に認めたから、こっちも満足したの」
渚は自動販売機で飲み物を買い、先に階段へ向かった。千夏も同級生と並び、その後を追う。階段を上がり始めると、渚は翌日の守備へ話題を変えた。
「千夏に二人来たら、最初のパスは私が受けるね。今日より早めに外へ開いておく」
「うん。私も中へ入りすぎないようにする。渚が抜けられる時は、無理に戻さなくていいから」
「分かった。リバウンドは全員で入ろう」
「そこは絶対だね」
二階へ着く頃には、テレビ電話の話は終わっていた。三人は廊下を歩きながら、翌日の最初の守備をどう始めるか確認し、それぞれの部屋へ戻った。二回戦の相手は、昨年の優勝校だった。試合開始直後から、相手は栄明の攻撃を止めにきた。千夏がボールを受ける前に身体を寄せ、パスコースへ腕を出す。ボールを持てばゴール側から二人目が近づき、簡単には前を向かせなかった。
千夏が無理に突破すれば、相手の狙いどおりになる。最初の攻撃では、千夏はボールをすぐに渚へ戻し、ゴール下へ走った。守備がついてくれば、その外側へ別の味方が入れる。千夏を追った相手の背後へパスが通り、三年生の先輩が最初の得点を決めた。しかし、相手は攻撃でも強かった。
一度目のシュートを外しても、二人が同時にリバウンドへ入る。栄明がボールを取った直後には戻り道を塞ぎ、速攻へ移らせない。交代選手が入っても守備の強度が落ちず、前半は相手が八点をリードして終えた。ハーフタイム、監督は失点した場面の映像をタブレットで示した。
「最初の守備はできている。問題はその後だ。ボールだけを見て、相手を背中に入れられている。リバウンドは高さで負けているんじゃない。先に場所を取られている」
「はい」
「攻撃は千夏に集めるな。相手もそれを待っている。中を使って、寄ったら外へ出す。最初に空いた選手が打て」
「分かりました」
千夏も返事をした。自分が得点を取らなければならないとは考えなかった。相手が自分へ寄るなら、その分だけ別の場所が空く。その場所を味方が使えるように動くことも、自分の役割だった。第三クォーター、栄明は守備から流れを変えた。
渚がボールを持つ相手へ正面から圧力をかけ、千夏はパスを受けようとした選手の前へ身体を入れる。苦しい体勢から出された球を先輩が奪い、そのまま速攻へ走った。次の守備では、ゴール下の先輩が相手を背中で押さえ、千夏が落ちてきたボールを取る。千夏は自分で最後まで運ばず、前を走る渚へ早く渡した。渚が守備を引きつけ、反対側から入った選手が得点を決める。
点差は四点まで縮まった。相手もすぐにタイムアウトを取り、攻撃を修正した。千夏を外へ引き出して空いたゴール下を使い、栄明が守備を寄せれば外から決める。追いつきそうになるたび、相手は必要な得点を一つずつ取った。第四クォーターに入っても、栄明は離れなかった。
三年生の一人が三本目のファウルを取られ、守備で強く当たりにくくなる。交代で入った選手が相手の速攻へ戻り、簡単な得点を許さなかった。千夏も相手の中心選手へつき、ゴールから遠い位置でボールを持たせ続けた。残り一分を切った時、栄明は三点を追っていた。
渚がボールを運び、スクリーンを使って中央へ入る。相手が渚へ寄ったところで、ゴール下の先輩へパスが通った。シュートは外れたが、別の先輩がリバウンドへ飛び込み、相手のファウルを受ける。二本のフリースローが決まり、六十三対六十四。残りは三十秒余りだった。
次の守備で、千夏は相手のパスコースへ先に身体を入れた。ボールを受けられなかった相手が外へ広がり、渚が運び手へ圧力をかける。苦しくなったパスを先輩が触り、ボールはサイドラインの外へ出た。判定は栄明ボール。残り十六秒。
監督がタイムアウトを取った。ベンチへ戻った選手たちは、肩で息をしながら作戦ボードを囲む。
「渚が運ぶ。最初は中を使え。守備が絞れば外へ戻す。千夏だけを探すな。最初に空いた選手が打つ」
「はい」
「一本で終わると思うな。外れた時は全員でリバウンドへ入れ。ただし、戻る一人は残せ」
「私が残ります」
「分かった。千夏とセンターは中へ入れ。渚はパスを出した後も止まるな」
監督は最後に全員の顔を見た。
「ここまで五人で追いついた。最後も五人で取ってこい」
コートへ戻る前、渚が千夏へ寄った。
「最初は私が中へ行く。寄られたら戻すから、空いたら打って」
「うん。渚がそのまま行けるなら、無理に戻さなくていいよ」
「分かってる。誰が打つかは、守備を見て決めよう」
「そうしよう。外れたら私もリバウンドへ入る」
千夏はコートへ入った。目の前には、十六秒と一点差、そしてこれまで一緒に練習してきた味方がいる。それだけを見ればよかった。渚がボールを受け、センターの先輩のスクリーンを使って中央へ入る。守備が二人寄り、ゴール下の先輩にも相手がついた。千夏は右側のミドルレンジへ開き、渚から戻ってきたボールを受けた。
正面の相手はゴール下へ寄ったままで、戻ってくるまでに一歩分の時間がある。千夏はボールを下ろさず、そのまま跳んだ。打てる。相手の指先を越えたボールはリングの奥へ当たり、高く跳ねた。そのまま、外へ落ちた。
千夏と先輩がリバウンドへ入ったが、相手のセンターが先に両手で抱え込んだ。栄明がファウルへ行くより早く、試合終了のブザーが鳴る。六十三対六十四。千夏は着地した場所から、すぐには動けなかった。リングの下では、相手の選手たちが互いの背中を叩いている。
渚が千夏の横を通り、整列の位置を指した。千夏は一度だけ右手を握り、列へ向かった。相手校へ挨拶をし、観客席へ礼をする。顔を上げると、応援席から拍手が続いていた。その拍手を聞いても、最後のシュートが入らなかった事実は変わらない。
ロッカールームへ戻ると、誰もすぐには着替え始めなかった。床へ座る選手、タオルを顔へ当てる選手、シューズを履いたまま膝へ手を置く選手がいる。千夏は先輩たちの前で足を止めた。
「最後、私が外しました」
「千夏、最後の一本だけで負けたことにしないで。前半、私はリバウンドを何本も取られた」
「私も守備の受け渡しを間違えたし、渚へのパスも一つ遅れた。あのシュートは打つ場面だったよ」
「私も、千夏が空いたから出した。返されてたら、その方が悔しかったと思う」
渚は座ったまま、自分の膝へ置いていた手を握った。千夏は三人の顔を見た。
「でも、入れたかった」
「うん。私たちも勝ちたかった」
先輩の声は、慰めるために柔らかくなってはいなかった。監督は部員たちが落ち着くのを待ち、試合の振り返りは学校へ戻って映像を見て行うと伝えた。今ここで最後の一本だけを話しても、試合全体を正しく見られない。誰か一人のせいで負けたわけではない。それでも千夏の中には、最後に自分の手を離れたボールが残っていた。
ロッカールームを出る前、千夏は右手を一度開いた。ボールの縫い目にはもう触れていない。それでも、シュートを放した時の指先の感触だけは、まだ手の中に残っていた。