Another Childhood   作:やまうぇ

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第44話 明日、違う顔で

合宿から戻った翌朝、大喜が教室へ入ると、後方の席にいた匡がスマートフォンを持ち上げた。

 

「大喜、これ見た?」

「何?」

 

自分の席へバッグを置いた大喜が近づくと、匡は開いていた画面を見せた。栄明学園の公式サイトだった。部活動の大会結果や校外活動を紹介する欄に、週末まで行われていた世代別強化合宿の記事が掲載されている。バドミントン協会が公開した合宿レポートを学校側が紹介したもので、参加選手の練習風景が何枚か並んでいた。そのうちの一枚に、大喜が写っている。

 

練習着の背中まで汗で濡らし、ネットの向こうを見て構えている写真だった。視線の先に相手は写っておらず、大喜だけが一人で何かを待っているように見える。写真の下には、短い説明が添えられていた。

 

『合宿での成長が目立った猪股』

 

大喜は画面を見たまま、しばらく動かなかった。

 

「これ、いつ載ったの?」

「昨日の夜。学校の方は今朝更新されたみたい」

「全然知らなかった」

「それは見れば分かる。朝から何人か、お前のところに来ようか迷ってたから」

 

匡が教室の前方を見ると、何人かの生徒がこちらを気にしていた。視線が合った男子生徒の一人が、もう隠す必要もないと思ったのか、大喜の席まで歩いてくる。

 

「猪股、代表の合宿に行ってたんだな」

「代表には選ばれてないよ。強化対象の選手も一緒に参加する合宿だったから」

「でも、学校のサイトに載るくらい伸びたんだろ。次の大会、優勝いけるんじゃない?」

「狙うつもりではいるけど、まだ県大会もあるし、部内でやらないといけないこともあるから」

 

大喜がそう答えると、男子生徒は素直に頷いた。

 

「そっか。でも応援してる。文化祭の大道具も期待してるけど」

「そっちも頑張るよ。今日から遅れた分を手伝うし」

「じゃあ放課後、覚悟しといて。結構残ってるから」

「やっぱり?」

 

話を聞いていた周囲から笑い声が上がる。大喜は写真について詳しく聞かれても、以前のように返事に詰まることはなかった。合宿で何をしたのか、代表選手との差をどう感じたのかを、聞かれた範囲で答えている。自分を大きく見せようとはしないが、話題を競技以外へ無理に変えることもなかった。窓際の席で台本を読んでいた雛が、顔を上げた。

 

「大喜、普通に喋れてるじゃん」

「何が?」

「注目されると、前はもっと困った顔してたでしょ。質問されても、試合のことだけ一気に答えて終わりみたいな」

「今も試合のことを答えてたけど」

「そうじゃなくて、その後も会話が続いてたって話」

 

匡はスマートフォンを閉じ、机の上へ置いた。

 

「バドミントン以外も成長したってことじゃない?」

「何で二人とも、そんなに上からなの?」

「中学の頃から見てるから」

「私の方が大喜より誕生日早いし」

「それは今、関係ないでしょ」

 

雛は満足そうに笑い、手元の台本へ視線を戻した。白雪姫の台詞には蛍光ペンで印が付けられ、付箋も何枚か貼られている。昼休みには、王子役や小人役の生徒たちと初めての読み合わせをする予定だった。

 

「そういえば、今日の昼は学食だっけ?」

「うん。ちーちゃんと食べる。昨日、合宿の話をする約束したから」

「私も行こうと思ってたけど、読み合わせ入ったんだよね。二人でごゆっくり」

「匡も針生先輩も来るよ」

「じゃあ全然ごゆっくりじゃないじゃん」

「最初からそういう話してないけど」

 

雛は肩をすくめ、次のページをめくった。始業のチャイムが鳴るまでにも、大喜の席には何人かの生徒が訪れた。高校から栄明に入った生徒の中には、全国大会の結果は知っていても、大喜本人と話したことがない者も多い。大喜は同じ説明を繰り返すうちに、合宿へ行った事実が自分の知らないところで広まっていることをようやく理解した。

 

それでも、机の上へ出した教科書や、文化祭係から渡された作業予定表はいつもと変わらない。写真に写ったからといって、放課後に運ぶ板の枚数が減るわけではなかった。

 

昼休みになると、大喜は匡と一緒に学食へ向かった。入口近くの券売機には列ができており、文化祭準備の話をする生徒たちで普段より騒がしい。大喜が日替わり定食の食券を買っていると、少し遅れて千夏が入ってきた。

 

千夏は朝、母から昼食を学食で取るよう言われていた。祖父の退院後に必要な手続きと、病院への支払いの確認が重なり、母は早い時間から外出している。前日の夜、そのことを大喜へ伝えると、大喜も学食で食べると言った。帰ってから話すと約束した合宿のことを、落ち着いて話したかったらしい。

 

「ちーちゃん、こっち」

 

千夏が席へ着き、四人が食事を始めると、大喜はまず匡と針生へ顔を向けた。

 

「そういえば、佐知川との練習試合、どうだったんですか?」

 

針生は箸を動かしながら、隣の匡を見た。

 

「こいつ、向こうの一年といい試合してたぞ」

「いい試合って言っても、負けましたけど」

「遊佐だっけか、相手は佐知川でも期待されてる選手だ。最後まで簡単には離されなかっただろ」

「ずっと後手に回ってましたが、途中から打たせる場所を絞ったら少し形になっただけです」

「それを試合中に変えられたなら十分だろ」

「次は最初からやります」

 

匡はそう言って味噌汁へ手を伸ばした。負けたことに納得しているわけではない。それでも、自分が何を変えて試合へ戻ったのかは、以前よりはっきり言葉にできていた。

 

「見たかったな」

「大喜は大喜で、合宿があったでしょ」

 

匡に返され、大喜は頷いた。千夏が茶碗を持ち上げ、大喜を見る。

 

「大喜くんの合宿はどうだった?」

 

大喜は待ちきれなかったように身を乗り出した。

 

「合宿でさ、自分のプレースタイルみたいなものを見つけるきっかけがあってさ」

「プレースタイル?」

「まだ、これだって言い切れるほどじゃないんだけど。強い相手とやると、俺、早く点を取らないとって焦ってたみたいで」

 

大喜は初日の練習で、自分から苦しい形へ入っていたことを話した。相手の速さに追いつこうとするほど、次の一球で何とかしようとしていた。けれど、自分の速さや体力は、誰よりも早く攻めるためだけのものではない。相手より一球多く返しながら、その間に何を見るのか。その中で一つでも考えができたら、今度は迷わず試してみる。そういう戦い方の方が、自分には合っているのかもしれない。

 

「それで、最後に兵藤さんともう一回やったら、県予選の最後も同じことをしてたって言われた」

「県予選の最後って、兵藤さんとやった時?」

「うん。その時は何も考えてなかったけど、相手を見ながら何本でも返して、ここだと思った時だけ打ってたって」

「無意識にできてたことを、今度は自分でやってみたんだね」

「まだ毎回できるわけじゃないよ。読みも普通に外れるし、兵藤さんにも負けた。でも、前より試合の中で自分が何をすればいいのか、分かるようになった気がする」

 

大喜は言い終えると、箸を持ったまま笑った。負けた試合の話をしているのに、悔しさだけが残っている顔ではなかった。自分の中にあったものを見つけ、それを次の試合でも確かめられることが嬉しいらしい。

 

「手応えはあったんだな」

 

針生が唐揚げを一つ口へ運びながら尋ねた。

 

「はい。点を取れたことより、考えが外れた後に、焦らずもう一度やり直せた時の方が手応えがありました」

「前のお前なら、外した次の一本でもっと無理してたからな」

「兵藤さんにも同じようなことを言われました」

「そこまで分かってるなら、次に当たる時は面倒そうだな」

「今度は勝ちます」

「そこは即答かよ」

 

大喜が迷わず返したため、針生は笑った。千夏もつられて口元を緩めた。大喜が兵藤に勝ちたいと思っているのは、今に始まったことではない。ただ、以前は負けた理由を自分の中だけで抱え込み、次に何をすればいいかを一人で探すことが多かった。今は、負けた試合の中にも、自分が続けたいものを見つけている。大喜は味噌汁へ手を伸ばしたところで、思い出したように話を続けた。

 

「あと、合宿でやってた練習で、部でも試せそうなものがいくつかあったんです」

「どんな練習だ?」

 

針生が尋ねると、大喜は合宿中に行われていた方法を説明した。栄明でもゲーム形式の練習後に内容を振り返ることはある。しかし、最後まで試合を終えてからまとめて話すため、途中でどんな判断をしたのかが曖昧になることも多かった。

 

合宿では、短い点数でいったんゲームを区切り、その時点で何を考えていたのかを選手自身が先に話す時間があった。すぐに指導者が正解を示すのではなく、相手や周囲で見ていた選手も意見を出し、最後に必要な点だけを指摘される。

 

「五点とか七点で一度止めれば、練習の流れも切れすぎないと思います。自分が何を狙ってたのか、覚えてるうちに確認できますし」

「長く話し始めたら、練習時間がなくなるぞ」

「だから、一人一つだけにするとか。良かった、悪かったっていう感覚だけで終わらせず、その区切りで何が起きてたのかを、自分の言葉で話すんです」

 

大喜は箸を置き、合宿で見た選手たちの姿を思い出しながら続けた。

 

「合宿に来てた選手は、うまくいかなかった時も、何となく調子が悪かったで終わらせる人がほとんどいませんでした。どこで判断が遅れたとか、何を見落としてたとか、自分で説明できる人ばかりで。言葉にすると、次に何を直すのかも自分の中にはっきり残るんだと思います」

「感じただけで終わらせず、自分で原因を言えるようにするってことか」

「はい。ただ、全部話そうとすると長くなるので、その区切りで一番気になったことだけにします」

「見る側にも、何か決めさせるのか?」

「はい。何となく試合を見るんじゃなくて、一人は動き出す前の構えを見る、一人は点を取られた後の変化を見る、みたいに役割を分けてました」

 

針生は食事を続けながら、大喜の話を聞いていた。すぐに賛成するのではなく、練習時間や参加人数を考えているらしい。大喜も、合宿で行っていたからという理由だけで導入できるとは考えていなかった。

 

「他には?」

「今までやってた練習でも、始める前に目的を一つ決めた方がいいと思いました。ゲームをやってから課題を探すんじゃなくて、今日は何を確かめるためにやるのかを先に決めるんです」

「それなら、今の練習でもできそうだな」

「俺も試してみたいです。ゲームの後だと、何となく負けたところだけ振り返ることがあるので」

 

匡が針生へ向けて話した。

 

「ただ、考えることを増やしすぎると、俺は動くのが遅くなりそうです」

「じゃあ匡は、始める前に決めることを一個にすればいいんじゃない?」

「大喜にしてはまともな意見だね」

「合宿で同じことを言われたんだよ」

「自分で考えたみたいに言わないでよ」

「ちゃんと合宿でって言ったでしょ」

 

匡と大喜のやり取りを聞き、針生が紙ナプキンで指先を拭いた。

 

「監督に話すなら、今の二つを分けて説明しろよ。短く区切って振り返る方法と、練習前に目的を決める方法。いきなり全部変えたいって言ったら、何がしたいのか分からなくなる」

「はい。今日、練習前に相談してみます」

「合宿から帰ってすぐ練習を増やそうとするなよ。お前、疲れがないつもりでも身体には残ってるからな」

「そこは監督にも言われると思います」

「言われる前に自分で考えろ」

 

針生の言葉は厳しかったが、大喜は素直に頷いた。大喜が合宿で得たものは、自分だけの戦い方だけではなかった。強い選手が集まる場所で、どんな練習をし、どう考えを共有しているのかまで見て帰ってきた。

 

シングルスは、一人でコートに立つ競技だ。それでも、大喜が見ているのは、自分の次の試合だけではなかった。代表で知った練習を、栄明の部員にも使える形にできないか考えている。針生や匡の言葉を聞くたびに、大喜の話は少しずつ、部の中で試すためのものへ変わっていった。

 

千夏は副キャプテンになってから、個人の上達とチームの成長が同じではないことを何度も感じていた。良い練習でも、全員が目的を理解していなければ続かない。誰か一人に合っていても、他の選手には別の工夫が必要になる。その難しさを、大喜も考え始めている。話しながら何度も箸を止め、思いついたことを匡や針生へ伝える大喜を、千夏はしばらく見ていた。

 

「ちー、どうした?」

 

針生に呼ばれ、千夏は顔を向けた。

 

「なに?」

「味噌汁、冷めるぞ」

「あ、本当だ」

 

千夏は慌てて椀を手に取った。針生はそれ以上何も言わず、食事へ戻る。ただ、視線だけが一度、大喜と千夏の間を往復した。大喜は気づかず、匡と、監督へどの順番で話すかを相談している。昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ると、四人はトレーを返却口へ運んだ。千夏は午後の授業へ戻る前に、花恋から届いているメッセージに気づいた。

 

『健吾にばれてるよ』

 

廊下の途中で足が止まる。何が、と聞き返そうとして、文字を打つ。けれど送信する前に消した。代わりに花恋から、もう一通届く。

 

『お昼、大喜くんを見る顔で分かったって』

 

千夏はスマートフォンを伏せ、額へ押し当てた。針生が食事中に名前を呼んだ理由を思い出す。大喜の話を聞いていただけだと言い返したところで、その大喜を見る顔を指摘されている。

 

『花恋は何て答えたの?』

 

何度か打ち直した末に送ると、すぐに既読が付いた。

 

『何も。ちーから聞いてないことは言わないよ』

 

続けて、笑っている動物のスタンプが送られてくる。千夏は返信をせず、スマートフォンをバッグへしまった。午後の授業が始まる教室へ戻るまで、頬へ残った熱はなかなか引かなかった。

 

放課後、大喜は文化祭準備へ向かう前に、監督へ合宿で経験した練習について相談した。合宿へ参加したからといって、部の練習を一年生の判断で変えることはできない。大喜は自分のプレースタイルについて得た手応えとは分けて、合宿で有用だと感じた練習方法と、これまでのゲーム練習で改善できそうな点を伝えた。

 

短い点数でゲームを区切り、判断が記憶に残っているうちに一つだけ振り返ること。良かった、悪かったという感覚だけで終わらせず、その時に何を考え、どこで判断がずれたのかを、自分の言葉で説明すること。練習を始める前に、その時間で何を確かめたいのかを各自が決めること。試合を見ている部員も、何となく全体を見るのではなく、一つの観点を持って見ること。

 

監督は一日の練習量と、大喜が合宿から戻ったばかりであることを考え、その日は短い時間だけ試すことを認めた。

 

「全部を一度に入れる必要はない。まずはゲームを短く区切って、振り返りが練習の邪魔にならないか確認する」

「はい」

「正解を教えてもらう時間にするなよ。自分が何を考えていたのかを、自分で話せるようにするための時間だ」

「分かりました」

 

監督の指示を受け、大喜は針生や匡、西田へ試行の方法を説明した。最初は大喜と匡がシングルスで入り、針生と西田がそれぞれ一つの観点を決めて外から見る。五点を終えたところで一度止め、大喜と匡が自分の狙いを一つずつ話した後、見ていた二人が気づいたことを加える形だった。

 

大喜は、自分が匡の返球を早く決めつけ、先に動いた場面を挙げた。結果として点は取れたものの、匡が別の場所へ返していれば簡単に崩されていた。匡は、大喜が攻める直前に動きを止める瞬間を見ていたが、そこから何を選ぶのかまでは判断できなかったと話した。

 

「猪股は、点を取った方を反省するんだな」

 

外から見ていた西田が言った。

 

「読みが合ってたわけじゃなくて、匡の球に助けられただけだったので」

「結果だけ見たら分からない部分か。試合を最後までやってからだと、たぶん忘れてるな」

「俺も、大喜が何を見てたのかまでは分かりませんでした。止めた後に聞けば、次はそこも見られます」

 

匡は丁寧に答えた後、次の五点で自分が確認することを一つに絞った。練習を再開すると、匡は最初に見つけた大喜の変化を確かめようとした。考えを増やさなかった分、前の五点よりも判断が早い。読みは一度外れたが、その次のラリーまで迷いを引きずらなかった。

 

大喜も、自分のプレースタイルを匡へ教えようとはしなかった。匡が何を見ようとしているのかを聞き、その目的に合っていたかどうかだけを一緒に確かめた。次は針生と西田がシングルスへ入り、大喜と匡が外から見る役に回った。

 

針生と西田は互いの得意な形も知っている。その分、試合は始めから探り合いになった。五点という短い区切りでも、相手が何を待っているのかを読み、あえて前とは違う選択をする。大喜は針生の打った球そのものではなく、その直前に西田がどこへ重心を置いたかを見ることにした。匡は、針生が点を失った後、次の一本で何を変えるかを追った。

 

五点を終えて確認すると、二人が見ていたものは違っていた。それでも、どちらも次の練習で試せる内容だった。

 

「見る側にも目的があると、休んでる時間が減るのはいいな」

 

西田が汗を拭きながら言った。

 

「ただ、毎回これだけ話してたら、ゲーム数は減るぞ」

「今日は初めてだから長くなってますけど、一人一つに慣れれば短くできると思います」

「なら、次は時間を決めた方がいいな。三十秒とか」

「監督に相談してみます」

 

短い試行を終えると、監督は全員を集めた。合宿で行われていた方法を、そのまま栄明の練習へ取り入れるとは決めなかった。考えを言葉にすることで整理できる選手もいれば、話すことを増やすほど動きが硬くなる選手もいる。目的を決めることが、選択肢を狭めすぎる場合もあった。それでも、判断を覚えているうちに短く言語化することと、待っている選手にも見る役割を持たせることには、練習を改善する余地がある。

 

監督は、今後のゲーム練習でも回数と時間を限って試し、選手ごとに必要かどうかを確認する方針を示した。千夏は女子バスケットボール部のコートから、その様子を見ていた。男子バドミントン部側では、大喜だけが話しているわけではなかった。針生も匡も西田も、自分が試して感じたことを出している。大喜は意見をまとめる立場へ無理に入らず、違う考えが返ってくれば、その理由を聞いていた。

 

昼に話していたことを、自分だけの手応えと、部へ持ち帰れるものへきちんと分けている。大喜の提案がそのまま正解になったわけではない。それでも、合宿で見たものを持ち帰り、部に合う形へ変えようとする姿勢は、練習の中に残っていた。

 

数日後、文化祭前日を迎えた。校舎内は、授業が終わる前から落ち着かなかった。廊下の壁には案内用の紙が貼られ、教室の前には段ボールや装飾用の板が積まれている。大喜のクラスでも、白雪姫の舞台に使う背景と小道具の搬入が始まっていた。合宿で準備へ参加できなかった分、大喜は作業の手順を聞き、必要な物を一つずつ運んでいく。

 

学校の公式サイトに写真が掲載されて以降、大喜へ声を掛ける生徒は増えていた。男子生徒からは合宿の様子や次の大会について聞かれ、女子生徒からも写真を見たと言われる。中学から一緒の生徒には見慣れた競技者としての姿でも、高校から入った生徒にとっては、同じ校内に代表に呼ばれるレベルの選手がいることを改めて知るきっかけになったらしい。

 

大喜本人は、相手によって応対を変えることなく、聞かれたことへ答えた後は作業へ戻っていた。二年B組で装飾の確認を終えた千夏が廊下へ出ると、階段の近くで大喜の姿を見つけた。一年生の女子生徒が、大きな段ボールを二つ重ねて運ぼうとしている。上の箱が傾き、中に入っていた紙製の飾りが端から見えていた。大喜は自分が持っていた板を壁へ立て掛けると、女子生徒へ声を掛けた。

 

「それ、二つとも持つよ」

「大丈夫。教室すぐそこだから」

「前が見えてないし、下の箱もつぶれそう。貸して」

「じゃあ、お願いしていい?」

 

大喜は二つの段ボールをまとめて受け取った。下の箱の底がたわんでいることに気づくと、両腕を回し、箱の下から支えるように持ち直した。女子生徒は空いた手で、箱から飛び出していた飾りを中へ戻した。

 

「猪股君、持ち方慣れてるね」

「この前も引っ越しの荷物を運んだから」

「家、引っ越したの?」

「俺じゃなくて、幼馴染が一時的に」

「そうなんだ。こっちの教室までお願い」

 

大喜は二つの箱を抱えたまま、女子生徒に案内されて歩き始めた。曲がり角で反対側から来た生徒を避ける時、女子生徒は大喜の腕へ軽く触れ、進む方向を示した。大喜は箱を落とさないことへ意識を向けたまま、廊下の端へ寄って曲がった。千夏は少し離れた場所から、その姿を見ていた。

 

大喜が箱を教室へ運び終え、元の場所へ戻っていく。女子生徒も友人のところへ戻り、大喜の背中を見ながら声を落とした。

 

「猪股君、写真より普通に格好よかった。頼んでないのに気づいてくれたし」

「でも、あの有名な鹿野先輩と幼馴染なんじゃなかった?」

「え、そうなの?」

「栄明中の子から聞いたことある。昔から家族ぐるみで仲いいって」

「幼馴染なら、別に付き合ってるわけじゃないんでしょ?」

 

千夏は二人の横を通らず、別の階段へ向かった。幼馴染なら、付き合っているわけではない。女子生徒の言葉は間違っていなかった。中学二年の時、大喜が告白されている場面を見たのも、たまたま自分があの場所にいたからだ。知らないところでも、同じことがあったのかもしれない。

 

手にしていた装飾用の用紙の端がずれていた。千夏は歩きながらそろえ直し、そのまま体育館へ向かった。女子バスケットボール部の練習が始まる前、大喜はシャトルのかごを運びながら、千夏の近くで足を止めた。

 

「ちーちゃんのクラス、準備終わりそう?」

「装飾はほとんど終わったよ。あとは明日の朝に机を動かして、飲み物を並べるくらい」

「接客はしないんだよね?」

「今のところは。クラス代表の仕事があるから」

「そっか。俺も明日は舞台の裏と、部活の手伝いで結構動くことになりそう」

「段ボール、持ちすぎないようにね」

「雛にも同じこと言われた」

「じゃあ、二人分聞いておいた方がいいよ」

「そんなに信用ない?」

 

千夏は大喜の問いに笑い、女子バスケットボール部のコートへ戻った。普通に話せたことへ安心する一方で、昼間に聞いた女子生徒の言葉は消えなかった。大喜は自分を見てくれている。合宿のことを一番に話そうとしてくれる。練習で気づいたことも、明日の予定も伝えてくれる。けれど、それが幼馴染だからなのか、一人の女の子としてなのかは、まだ分からない。

 

中学生の文化祭では、大喜が他の場所へ行こうとすると、何となく近くへ呼び戻していた。自分の気持ちを知らなかったから、どうしてそうしたいのかも考えなかった。今は違う。大喜を見ている自分の気持ちも、他の女子生徒が近くにいると落ち着かなくなる理由も知っている。

 

練習を終えた千夏が二年B組へ戻ると、教室にはまだ文化祭係とクラス代表の生徒が残っていた。黒板には、当日のシフト表が貼られている。接客、会計、飲み物の準備、廊下での呼び込み。それぞれの時間帯に名前が書かれていたが、接客の欄だけ何か所か空いていた。

 

文化祭係の女子生徒が、千夏へ声を掛ける。

 

「鹿野さん、ちょっと相談してもいい?」

「うん。どうしたの?」

「接客なんだけど、体調を崩した子が一人休みになって、もう一人も部活の展示を手伝わないといけなくなったみたい。やっぱり、あと一人か二人は入ってほしくて」

 

千夏はシフト表へ近づいた。自分のクラス代表としての予定は、別の用紙にまとめられている。午前中は受付の確認と校内巡回があり、昼前には実行委員への報告が入っていた。午後はもう一人のクラス代表が中心になり、交代で動ける時間がある。

 

「この時間なら、代表の仕事と重ならない?」

「午後の最初なら大丈夫だと思う。私が実行委員への連絡を受けるから、鹿野さんはクラスに戻れるよ」

「接客は、どのくらい足りないの?」

「三十分でも助かるけど、一時間入ってもらえたら余裕ができる。急だから、衣装のサイズが合うかも確認しないといけないけど」

 

教室の後方には、翌日使用する衣装がハンガーへ掛けられていた。白いエプロンと、黒を基調にしたウェイトレスの服。話し合いの時に聞いてはいたが、実物を見るのは初めてだった。いつもの制服とも、練習着とも違う。

 

大喜は、自分がこの服を着たところをどう見るだろう。似合わないと言うとは思わなかった。けれど、いつもの千夏として受け流される可能性はある。それでも、今日までと同じ場所に立っているだけでは、大喜が自分をどう見るのかは分からないままだった。母に言われたからではない。

 

他の女子に触れられていた大喜を見たからだけでもない。大喜が合宿で、自分の考えを一度試してみるようになったと話していた。外れたなら、また考え直せばいいと。千夏は自分のクラス代表の予定をもう一度確認した。

 

「午後の最初の一時間なら、私が入るよ」

「本当に?助かる。代表の仕事は大丈夫?」

「うん。終わる時間を決めておけば戻れるし、その後の連絡は私が引き継ぐ」

「ありがとう。じゃあ、衣装だけ合わせてみよう。サイズが違ったら、今のうちなら交換できるから」

 

文化祭係がシフト表を外し、空いていた欄へ千夏の名前を書き込む。千夏はその文字を見届けてから、スマートフォンを取り出した。花恋へ、明日は途中で接客をすることになったと送る。すぐに返ってきたのは、驚いた顔のスタンプと、短いメッセージだった。

 

『大喜くんには?』

 

千夏は衣装へ目を向けた。白いエプロンの端が、開いた窓から入る風に揺れている。

 

『言わない』

 

送信すると、花恋から今度は親指を立てたスタンプが届いた。大喜には、まだ知らせない。千夏は自分の名前が加わったシフト表を見上げ、衣装を受け取った。

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