文化祭が終わると、校内は何事もなかったように普段の時間へ戻っていた。廊下を飾っていた色紙は剥がされ、教室の机も元の位置に並んでいる。昼休みに文化祭の写真を見せ合う生徒はまだいたが、放課後になれば、それぞれの部活動へ向かう足取りに迷いはなかった。女子バスケットボール部も、すでに練習を再開していた。
練習へ入れば、文化祭のことを考える時間はなかった。けれど給水のためコートを離れた時や、ボールを片付けて体育館を出た時、ふとした拍子に文化祭で言われた言葉を思い返してしまう。
「千夏、タオル落ちたよ」
渚に声を掛けられ、千夏は足元へ目を向けた。鞄の上に置いたはずのタオルが、床へ半分ほど垂れている。
「ありがとう」
「今日、泊まりに行くんだっけ」
「うん。花恋の家」
「いいな。私は明日も朝から弟の相手だよ。せめて昼まで寝かせてほしい」
渚はそう言いながら、使い終えたビブスを色ごとに分けていった。千夏も隣へ座り、裏返った物を戻しながら枚数を数える。
「明日は買い物に行く予定。花恋も最近忙しかったから、予定が合うの久しぶりなんだ」
「撮影もしてるんだもんね。部活と学校だけでも時間足りないってのに、すごいね」
「花恋はそういう予定を組むの、昔から上手だから」
「それ、千夏も大概だけどね」
話はそのまま翌日の練習や、後輩の守備について移った。渚は千夏の様子に気づいていたとしても、文化祭のことを無理に聞こうとはしなかった。
片付けを終え、千夏が体育館を出た時には、男子バドミントン部の練習も終わりかけていた。開いた扉の向こうで、大喜と匡がネットを外している。大喜は片側の支柱から紐をほどき、匡がネットを巻き取る速さに合わせて歩いていた。千夏は廊下の端で待つことにした。声を掛ければ大喜はすぐ来るだろうが、まだ部の仕事が残っている。自分も片付けを終えたばかりなので、その手を止めさせる必要はなかった。やがてネットを倉庫へ運び終えた大喜が、ラケットバッグを肩へ掛けて出てきた。
「ちーちゃん、待ってたの?」
「少しだけ。今日、部活の後は花恋の家に行くから」
「ああ、泊まりに行くんだっけ」
「うん。明日は買い物に出かける予定」
「分かった。花恋ちゃんにもよろしく」
「伝えておくね。大喜くんは明日も練習?」
「午前だけ。午後は家で合宿の映像を見直すつもり」
「休みの日まで詰め込みすぎないでね」
「大丈夫だよ」
千夏は、大喜なら本当に午後まで練習を続けかねないと思ったが、今は口約束だけではなく、練習量を記録しながら調整している。針生たちも見ているので、以前ほど無理を隠して続けることはできないはずだった。正門を出るところで二人は別れた。
千夏は母と暮らしているマンスリーマンションへ一度戻り、制服から私服へ着替えた。母は小さなテーブルの上で、祖父の退院後に必要な手続きの書類を確認していた。千夏が一泊分の荷物を鞄へ入れていると、母が書類から顔を上げた。
「充電器は持った?」
「入れたよ。明日の着替えも」
「帰る時間が分かったら連絡して。私は午後、向こうの家に行ってくるから」
「おじいちゃんのところ?」
「そう。もう一人でも平気って言ってるけど、退院したばかりだからね。買い物くらいは手伝わないと」
「分かった。帰りが遅くなるなら、先に連絡する」
「花恋ちゃんのお母さんにもよろしく伝えてね」
千夏は荷物を確認してから部屋を出た。花恋の家へ着いたのは、空が暗くなり始める前だった。玄関の扉を開けた花恋は、ゆったりした部屋着の上から薄いカーディガンを羽織っていた。学校帰りでも撮影帰りでもない格好を見るのは久しぶりだった。
「いらっしゃい、待ってたよ」
「うん。お邪魔します」
「お母さん、買い物に出てるから、先に部屋に行こ。夕食までまだ時間あるし」
「菖蒲ちゃんは?」
「さっき帰ってきたけど、今は自分の部屋。たぶん電話してる」
花恋の部屋には、撮影で使ったらしい服が数着、ハンガーに掛けられていた。机の端には学校の教科書と、付箋の貼られた台本が重ねてある。千夏が鞄を壁際へ置くと、花恋はベッドの上に広げていた雑誌を片付けた。
「ちーの文化祭、思ったより人多かったね」
「中高合同だから。花恋も目立ってたよ。大喜くんのクラスでも、みんな見てた」
「普通にしてたつもりなんだけどな」
「花恋にとっての普通と、他の人の普通は違うと思う」
「ちーに言われたくないけどね」
花恋は机の椅子を千夏へ譲り、自分はベッドへ腰を下ろした。最初に話したのは、互いの学校のことだった。花恋の学校では文化祭が別の日にあり、花恋は仕事の都合で準備へ十分に参加できていないらしい。クラスの企画には当日だけ加わる予定だが、撮影が延びれば途中からになる可能性もある。千夏も、文化祭が終わって通常の練習へ戻ったことや、副キャプテンとして後輩へ伝える内容が増えたことを話した。
「自分の練習だけ見てればよかった頃より、難しいね」
「ちーは全部自分でやろうとするからじゃない?」
「全部はやってないよ。渚もいるし、上級生もまだ残ってるから」
「でも、できてない子がいると、自分が教えなきゃって思うでしょ」
「それは副キャプテンだから」
「そういうところが、ちーらしいって話」
花恋も、最近の撮影では年下のモデルと一緒になる機会が増えたという。現場に慣れていない相手へ声を掛けることはあっても、自分のやり方をそのまま押し付ければいいわけではない。相手が緊張しているのか、指示を理解できていないのかで、必要な言葉は違うらしい。千夏はその話を聞きながら、部活動とまったく同じではなくても、花恋も自分の立場が変わる難しさを抱えているのだと思った。
夕食の時間になると、二人は部屋を出る。食卓には花恋の母が用意した料理が並び、菖蒲も自分の部屋から出てきた。菖蒲は千夏を見ると、椅子へ座る前に近くまで寄ってくる。
「ちーちゃん、文化祭の写真見たよ。あの服、かわいかった」
「ありがとう。花恋が送ったの?」
「うん。ちーが接客してる写真、ちゃんと撮れたから」
花恋が答えると、菖蒲は自分の席へ座った。
「大喜も見たんでしょ?」
「見たよ。花恋と一緒に来てたから」
「どうだった?驚いてた?」
「菖蒲、食べ始める前から質問ばっかりしないの」
「だって、お姉ちゃんが面白かったって言うから」
「私はそんな言い方してないよ」
花恋に止められても、菖蒲は気にした様子がなかった。千夏も、大喜に褒められたことまで夕食の席で話すつもりはない。
「いつもと違うから、驚いてたと思う」
「そりゃ驚くよね。ちーちゃんが急にああいう格好してたら、私ならすぐ写真撮る」
「大喜くんは撮ってないよ」
「そこは撮っておけばいいのに。もったいない」
「本人の前で急に撮る方が変でしょ」
花恋が呆れたように返すと、菖蒲は納得していない顔のまま箸を取った。話題はすぐ、翌日の予定へ移った。花恋と千夏は昼前から買い物へ行くことになっている。菖蒲は別の予定があるらしく、行き先を聞かれても、まだ決めていないとだけ答えた。千夏は菖蒲の様子に何か含みがあるように感じたが、花恋も深く尋ねなかった。菖蒲は自分から話したいことなら、聞かれなくても話す。姉妹の間では、それが分かっているのだろう。
食事の後は、三人で食器を片付けた。菖蒲は洗った皿を拭きながら、文化祭で見かけた他校の制服について話し、花恋は撮影で着た衣装と似た色だったと答えている。恋愛の話だけでなく、学校、服、翌日の天気と、話題は次々に変わった。菖蒲が先に風呂へ向かうと、千夏と花恋は再び部屋に戻った。花恋はベッドへ座り、スマートフォンを取り出した。
「文化祭の写真、まだちゃんと見せてなかったよね」
「うん。花恋が撮ってたのは知ってたけど」
「そんなに多くないよ。午後は撮影に行かなきゃいけなかったし」
花恋が画面を操作すると、教室の装飾や廊下の展示、白雪姫の衣装を着た雛たちの写真が順に表示された。針生が二年B組の入口でクラスメイトと話している写真もある。仕事へ戻る直前らしく、首から企画札を下げたままだった。その次に、二年B組の教室で注文票を持っている千夏の写真が現れた。横を向いているため、撮られていたことには気づいていない。黒いワンピースに白いエプロンを着け、別のテーブルから注文を受けている。
「菖蒲ちゃんに送ったの、これ?」
「これと、教室の前で撮ったやつ。ちーが嫌なら消させるけど」
「家族に見せるくらいなら大丈夫」
「大喜くんにも送る?」
「送らなくていい」
千夏がすぐに答えると、花恋は笑った。
「本人が見たから?」
「そういうことじゃなくて……自分から送るのは違うでしょ」
「別に文化祭の写真なんだから、不自然じゃないと思うけど」
「花恋が撮った写真を、私から送るのも変だし」
「理由はそれだけ?」
花恋の指が、画面の上で止まった。千夏は写真へ目を戻した。教室で大喜に見られた時のことを思い出す。驚いたままメニューを見ていたこと。いつもと違うけれど、よく似合っていると伝えてくれたこと。
「教室では、どうだった?」
花恋から尋ねられ、千夏は画面を見たまま答えた。
「似合ってるって言ってくれた」
「それは私も近くにいたから知ってる。その後は?」
「その後?」
「二人でライブに行ったでしょ。私は撮影があったから、そこからは知らない」
花恋は、大喜の反応を分かっているような言い方をしなかった。本当に自分が見ていない部分だけを聞いている。千夏は写真の一覧を下へ送った。花恋がライブ会場の前で撮った写真はなく、そこから先は画面にも残っていない。
「ライブを見てる時にも、ウェイトレス姿がかわいいって言ってくれた」
「大喜くんから?」
「うん」
「ちーが聞いたからじゃなくて?」
「最初は、今日の私が新鮮だって言われて。それが褒めてるのか聞いたら、少し考えてから」
花恋の顔から、先ほどまでの軽い笑みが消えた。驚いているというより、千夏が続きを話すのを待っている。
「帰り道でも、もう一度聞いたの。変じゃなかったかって」
「どうして、同じことを聞いたの?」
「ライブの時は音も大きかったし、文化祭だから言ってくれただけかもしれないと思って」
「それで?」
「同じように、かわいかったって言ってくれた」
言い終えると、花恋はスマートフォンを膝の上へ置いた。
「うれしかった?」
「うん」
千夏は迷わず答えた。それだけは、クラスの事情にも文化祭の空気にも置き換えられなかった。花恋は一度頷いた後、写真をもう一枚開いた。二年B組の教室の外から撮ったもので、窓際の席に大喜たちが座り、千夏が少し離れた場所で別の客へ飲み物を運んでいる。
「接客に入るの、大喜くんには言わなかったんだよね」
「急に決まったから」
「私には連絡くれたけど」
「それは、花恋が文化祭に来るって言ってたから」
「大喜くんも同じ学校にいたよ」
「準備が忙しそうだったし、わざわざ言うほどでもないと思って」
自分で答えながら、理由が一つずつ弱くなっていくのが分かった。大喜へ連絡する時間がなかったわけではない。クラスの準備が忙しくても、短いメッセージなら送れた。知らせるほどのことではないと思ったのなら、花恋へ服装のことまで話す必要もなかった。花恋は追い詰めるように問いを重ねなかった。千夏の説明が終わるまで待ち、それから静かに尋ねた。
「驚かせたかった?」
千夏はすぐには答えなかった。
「……驚いた顔は、見たかったかも」
「どうして?」
「普段と違う格好だったから」
「ちーが自分で接客に入るって決めたのも?」
「欠員が出てたし、代表の仕事と重ならない時間ならできると思ったから」
「ふーん」
花恋の言葉は責めるものではなかった。ただ、千夏は事実を並べられると逃げ場がなくなっていることに気付く。
「大喜くんとの思い出なら、もうたくさんあるの」
千夏は写真から目を離した。
「小さい頃から一緒だし、学校も部活も、家でも。思い出そうとすれば、いくらでも出てくる。でも、文化祭ではそういうのと少し違うものが欲しくなって」
「違うもの?」
「幼馴染だから一緒にいたんじゃなくて、私が誘ったから二人で過ごした時間、かな」
口にすると、文化祭の日に選んだことが、初めて一つにつながった。クラスの欠員を埋めることだけが目的なら、大喜の反応を待つ必要はなかった。文化祭を楽しむだけなら、花恋や針生たちと一緒に回ってもよかった。それでも、大喜にいつもと違う姿を見てほしかった。二人でライブを見たかった。
「大喜くんに、いつもと違う私を見てほしかったんだと思う」
花恋はすぐに何かを返さなかった。千夏が自分で言い切るまで、待っていた。
「うん。たぶん、最初からそうだった」
「たぶん?」
「……そうだった」
言い直すと、花恋はようやく笑った。
「そこまで分かってて、まだ大喜くんには言えないの?」
「それとこれは別だよ」
「どう別なの?」
「言ったら、今までと同じではいられなくなるから」
千夏は膝の上で手を重ねた。大喜に断られることは怖い。けれど、それだけではなかった。
「私と大喜くんは、付き合えなかったとしても、会わなくなれば終わりって関係じゃないでしょ。家同士も昔から付き合いがあるし、今は同じ家で暮らしてる」
「今はお母さんと別の部屋だけど、戻る予定だもんね」
「うん。もし気持ちを伝えて、大喜くんが困ったら、その後も同じ家にいることになる。ご家族にも、私の両親にも気を遣わせるかもしれない」
「まあそれは考えちゃうよね」
花恋は茶化さなかった。千夏は続けた。
「それに、大喜くんは今、競技で前へ進もうとしてる。代表合宿にも呼ばれて、もっと上を目指してる時に、私が余計なことを考えさせたくない」
「ちーだって、バスケでやることがあるでしょ」
「だから余計に。もしうまくいかなかったら、練習中も今までどおりにできるか分からない。大喜くんの試合を普通に応援できなくなったり、同じ体育館にいるのがつらくなったら嫌なの」
すべてを一度に考えているわけではない。大喜へ伝えようとするたび、そのうちのどれかが先に浮かび、足を止めさせる。
「断られるのが怖いだけじゃないんだね」
花恋の言葉に、千夏は頷いた。
「今あるものを、全部まとめて変えてしまいそうで怖い」
花恋はベッドの上で座り直し、壁へ背を預けた。
「私が健吾に言った時は、怖くなかったと思ってる?」
「……それ聞きたかった」
千夏は花恋の方へ身体を向けた。
「花恋と針生君も、小学生の頃から知ってるでしょ。学校が別でも、ずっと会う時間を作ってたし。それでも、関係が変わるのは怖くなかったの?」
花恋はすぐには答えず、机の上に置かれた台本へ目を向けた。
「怖かったよ」
「そうなの?」
「ちーには、そんなふうに見えなかった?」
「花恋は、決めたら迷わないと思ってた」
「決めるまでは迷うよ。私だって、断られたら今までみたいに会えなくなるかもしれないって考えたし、健吾が競技に集中してる時に言っていいのかも悩んだ」
花恋は膝を抱えるように座り、続けた。
「でも、ひとつのきっかけで、健吾のことを好きじゃないふりをして会い続けるのも、私には無理になっちゃった。言わないまま他の人と付き合ったり、健吾に誰かできたりしたら、たぶんもっと後悔すると思ったし」
「だから、花恋から言ったんだ」
「うん。怖いままでも、止まれなかっただけ」
千夏はその言葉を聞きながら、文化祭の教室で自分から大喜を待っていた時のことを思い出した。怖さが消えたわけではない。それでも、何もしないでいるより、接客へ入り、大喜を誘う方を選んだ。
「付き合ってからは、怖いことなくなった?」
千夏が尋ねると、花恋は首を横へ振った。
「全然。私には撮影があるし、健吾には練習も大会もあるから、予定が合わない日は多いよ。せっかく空けた日が、急な仕事や練習でなくなることもある」
「けんかにならない?」
「なる時もある。私が言わなくても分かってくれると思ってたり、健吾が自分の予定を後から伝えてきたり。付き合ったら、何も言わなくても全部分かるようになるわけじゃないから」
「それでも続いてるんだね」
「お互い、やめてほしいとは思ってないからかな。私は健吾にバドミントンを諦めてほしくないし、健吾も私に撮影を減らしてほしいとは言わない」
花恋が話し終えたところで、膝の上のスマートフォンが震えた。画面には針生の名前が表示されている。花恋は千夏へ断ってから、メッセージを開いた。
『明日の撮影、何時に終わる?』
甘い言葉は一つもなかった。明日会えるかどうかを確かめるため、互いの予定を先に確認しているだけだった。花恋は撮影の終了時刻が読めないことと、分かり次第連絡すると返信した。
「今のところ、会えるか分からないんだ」
「うん。撮影が延びたら難しいかな」
花恋はスマートフォンを伏せて置いた。
「ちーと大喜くんが今みたいに自然に予定を知ってるの、私は羨ましい時あるよ」
「自然って?」
「朝練の時間も、帰る場所も、家族の予定も、説明しなくても分かってることが多いでしょ。同じ家に戻ったら、会うために日を決めなくても顔を合わせられるし」
「それは、そうかもしれない」
「そういう関係を持ってること自体が、私にはないものだよ」
花恋はそこで笑った。
「好きな人と同じ家に住めるなんて、夢があると思うけど」
「実際はそんなに都合よくないよ。家族もいるし」
「分かってる。だから、夢があるって言っただけ」
「それに、今は別々に暮らしてるしら」
「戻ったら、また感想聞かせて」
「何の感想?」
「好きな人と毎朝一緒に学校へ行く生活」
「前から一緒に行ってたでしょ」
「一度離れたあとならまた違うんじゃない?」
千夏は答えず、花恋の肩を軽く押した。花恋は笑いながら身体を起こす。軽口が途切れると、部屋にはリビングから聞こえるテレビの音だけが残った。
「ちー」
花恋が改めて呼んだ。
「私は、自分から言ってよかったと思ってる。でも、ちーも同じようにしなきゃいけないとは思ってないよ」
「うん」
「同じ家で暮らしてることも、家族同士が近いことも、二人とも競技を続けてることも、私と健吾にはない難しさだから」
「だったら、やっぱり言わない方がいいのかな」
「そこまでは言ってないよ」
花恋は千夏の顔を見た。
「今すぐ言えないことと、自分の気持ちまでなかったことにするのは別でしょ」
「なかったことにはしてないよ」
「文化祭のこと、最初は欠員が出たからって言ってた」
「それも本当だよ」
「でも、それだけじゃなかったでしょ」
千夏は返す言葉を探した。花恋の言うとおりだった。文化祭での行動をクラスの事情だけにしてしまえば、失敗したとしても自分の選択ではなかったことにできる。大喜の反応を見たかったことも、二人でライブへ行きたかったことも、深く考えずに済む。けれど、それでは大喜から言われた言葉まで、文化祭の勢いだったことにしてしまう。
「恋って、相手の邪魔になることばかりじゃないよ」
花恋は続けた。
「会いたいから予定を調整したり、相手が頑張ってるから自分もやろうって思えたりすることもある。もちろん、うまくいかない日もあるけど」
「私が大喜くんにとって、そういう存在になれるのかな」
「それを決めるのは、ちーだけじゃないよ」
花恋はそこで言葉を止めた。大喜が千夏をどう思っているのかを、代わりに答えようとはしなかった。
「すぐに言えなくてもいいけど、今日話したことまで明日になって違ったってことにはしないでね」
「うん」
千夏は膝の上のスマートフォンへ目を向けた。文化祭の写真は、まだ画面に表示されている。黒いワンピースと白いエプロンを身に着けた自分は、普段とは違って見えた。それでも、その場所へ立つことを選んだのは自分だった。
「そうだね」
千夏は答えた。告白する勇気が急に生まれたわけではない。すぐに大喜にすべてを話せるとも思わない。それでも、文化祭で自分から近づこうとしたことまで、偶然へ戻す必要はなかった。話が一区切りつくと、花恋は風呂の順番を確認し、千夏へ先に入るよう勧めた。千夏が借りたタオルを持って部屋を出ると、廊下の向こうで菖蒲が自室の扉を開けた。
「ちーちゃん、明日って何時に出るの?」
「まだ決めてないけど、お昼前くらいかな」
「じゃあ、朝はゆっくり?」
「そのつもり。菖蒲ちゃんは出かけるんだよね」
「うん。その予定」
菖蒲はそれ以上説明せず、部屋に戻っていった。風呂から戻ると、花恋は翌日の撮影用の荷物を鞄へ入れていた。明日は休みではなく、午後から短い撮影が入っているらしい。千夏との外出も、その前までの時間を使う予定だった。
「明日、あまり遠くには行けないね」
「近くでいいよ。買い物したい物もあるんでしょ」
「健吾に渡す物を見たいけど、いい?」
「もちろん」
「菖蒲は来ないと思うけど、予定が変わったら一緒に行くかも」
「私は大丈夫だよ」
花恋が荷物をまとめ終えた頃には、日付が変わる時刻が近づいていた。二人は照明を暗くし、それぞれ布団とベッドへ入った。話し疲れたはずなのに、千夏の頭には先ほどまでの会話が残っている。枕元に置いたスマートフォンが短く震え、画面を見ると大喜からだった。
『楽しんでる?』
千夏は画面を見ながら、花恋へ話したことを思い返した。大喜にいつもと違う自分を見てほしかったこと。二人で過ごす時間を、自分から作りたかったこと。告白して今の関係が変わるのが怖いこと。
『うん、花恋の家に泊まるに久々だから』
間もなく既読が付き、大喜から返信が届いた。
『夜更かししすぎないようにね。おやすみ』
「大喜くん?」
ベッドから花恋の声がした。
「うん。楽しんでるって」
「ちーがいないと寂しいんじゃない?」
「夜更かししないようにって言われてたよ」
千夏が答えると、花恋は布団の中で笑った。それ以上は何も言わず、おやすみと告げて目を閉じる。
千夏もスマートフォンの画面を消した。大喜への返信は、いつもと変わらない内容だった。けれど今夜、花恋へ話したことまで、いつもどおりの幼馴染だからという理由だけで隠すつもりはなかった。まだ大喜には言えない。それでも、自分の中では認めていていい。
千夏はスマートフォンを枕元へ戻し、暗くなった天井へ目を向けた。文化祭で自分から作った時間は、もう終わっている。次に二人で過ごせる時間を、いつ、どんなふうに作るのか。答えはまだ決まっていなかったが、考えることから逃げるつもりはなかった。